聖国の危機(5)オペラの過去
「――早くしないと、魔族に滅ぼされちゃうよ?」
光を失った赤い目に映るのは、優しく笑う男だった。
オペラがまだ幼い頃、聖国は魔族によって半壊した。
誰かが魔族を引き入れている所を見たという者もいたが、その証言者すらいなくなるほどに甚大な被害だった。
聖国を守ったのは、まだ幼きオペラ・ヴァルキュリア。必死で守らなくちゃいけないと思った時にはすでに大事な聖国の美しい景色はほとんどは無くなっていた。
「君がもっと早くにこの国の運命を知っていれば、未来は違ったのかもしれないね……」
オペラの耳に響き心臓に刺さるような男の言葉は、どこか現実味の無いもので……まるで何か物語を読み聞かせているようだった。
男の手には本。表紙には羽の生えた少女が泣きながら黒い獅子に剣を向けていた。
「魔族を……何とかしなきゃ」
「そうだね。それが君の物語だ」
オペラの中には魔族に対する激しい嫌悪感があった。
男から貰った本を見ていると、自分が魔の国の物を1匹残らず消さなくてはこの先大変な事になると思わずにはいられなかった。
本の中の少女はこの世の何よりも魔族を憎んでいた。
その本のタイトルは『箱庭の哀れな天使』
魔族に大切な物を奪われた天使のような有翼の少女が、聖魔大戦により魔族と戦う物語。
そしてそれは、少女が復讐の為に手段を選ばずに魔族を滅ぼし……やがてその心まで闇に染まる悪女になってしまうというストーリーだった。
オペラは、次第にこの本の主人公は自分なのでは無いかと思うようになった。
その頃から聖国は他国とあまり国交を取らなくなった。やがて来る魔族の侵略に皆が備えて怯えていた。
だが、いつまで経っても魔族は一向に攻めては来なかった。
オペラは不安になり、本の頁をめくった。
そこには、哀れな天使の少女が復讐のため、魔王の1番大切なものを奪うと書かれていた。
何故そんな事をするのか分からない自分と、本の通りにしなければ大変な事になってしまうという自分がいた……
オペラは意を決して1人、魔の国に渡った。
魔の国は怖くて一足進めるたびに震えが大きくなった。だが、この国はいずれ滅ぼさなくてはいけないのだ――
オペラが探し当てた魔王の城。だが、魔王の大切な物はすでに奪われた後だった。そして、オペラが来た時には……魔王は1人の少年によって消滅させられていた。
太陽の色に輝く髪と瞳。それは、オペラが大好きな空中回廊の庭園に降り注ぐ光のようだった。
そんな話は――本には載っていなかった。
オペラの大事な物はあの光の勇者によって守られるのではないだろうか、本の未来にはならないのではないか……とさえ思えてしまう。
あの悲劇からオペラは本の事しか頭に無かったのだが、彼を見ているとあの時笑う男が囁いた言葉も、本の事も運命も不安も何もかも忘れられた。
しかし――
魔王を倒した直後、彼の前に現れたのは魔王の子供だった。てっきり魔の国の者は残党も全て彼が消してくれるのだと、オペラはそう思っていた。
けれども彼はその子供を消さず、共に生きるよう説得していた。
(魔の国の者と共に生きる……?)
そんな未来は何処にも描かれていなかった。本の中にも、オペラの中にも。
――彼は騙されているのか?
――それとも彼は悪い人なのか?
――それとも……本当の事は何処か他にあるのだろうか……?
そこまで行き着いた時、またしても頭の中に男の声が聞こえた。
『君がもっと早くにこの国の運命を知っていれば、未来は違ったのかもしれないね……』
(そうだ、やはり魔の国の者は全て消さなくてはいけない……それがわたくしの物語……運命なのだ)
騙されているのなら知らせてあげなくちゃいけない。騙されていないのならば……彼も消すしかない。
もっと力をつけなければ、今のままでは彼を説得する事も倒す事も出来ないと悟ったオペラは、神聖魔法の強化に没頭した。
それから幾月が経ち、聖国が元の美しさを取り戻した頃、街中の噴水広場で子供達と絵を描いていた。
聖魔大戦のお話を子供達に伝える為の絵だった。
「ねぇオペラ様、この方は誰?」
「黒い獅子と戦うのはオペラ様じゃないの?」
聖国人は白い鳥、聖国を襲う魔族は黒い獅子……白い鳥を守るのは光の勇者だった。
「……」
そこに描く絵は本当は女王のはずだった。だが、何故か描いたのは自分ではなく大人になった彼だった。太陽のような光に包まれた男――背中に羽は無い。
その絵を見ていると不安が消えるような気がした。
「光の勇者様よ。聖国を助けてくれるの」
あの時、彼を見てからその姿がずっと目に焼きついて消えなかった。彼だけが自分の不安を忘れさせてくれる存在なのだ……
描かれた噴水広場の絵を見るのが日課になっていたある日、子供がニコニコしながら尋ねた。
「オペラ様は光の勇者様が大好きなんだね」
「……そう見えるかしら?」
「うん。いつもニコニコして見ているんだもの」
「わたくしが……?」
(そんなに笑っていたのだろうか……)
子供が人形を手渡してきた。太陽の色の髪と目をした人形である。それは少し彼に似ていた。
「光の勇者様ってこんな感じかな? この絵だと輝いていて分からないから想像で作ったんだ。オペラ様にあげる」
「……ありがたく受け取るわ」
オペラは、受け取った人形を部屋に持ち帰った。
(彼の人形……?)
何の気無しに抱きしめてみると何故かもどかしいような不思議な気持ちになった。
寝台で抱きしめているとそのまま眠ってしまった。
その日、その人形を持って寝たオペラは毎日のように見ていた悪夢や不安を感じずに寝る事が出来て、目覚めた時に驚いた。
(光の勇者様は安眠効果があるのだろうか……?)
試しに天井一面に成長した彼を想像して描いてみた。
完成した頃、何をやっているのだろう……と、一瞬我に返ったが、天井の彼を見ているとやはり不安が消えた。それからオペラは彼に似た人形を抱きしめて天井の彼を見て眠るのが日課となった。
どうせ寝室なんて自分しか入らないのだから。
それからまた幾月か経ち、帝国に新たな王が誕生したと聞いた。
戴冠式には聖国の代表として呼ばれたが、その時にあの時の彼が皇帝という事を知った。
それぞれが国を守る者だったのだ。
あれから少し成長した彼は、想像より更に光り輝いていて目を奪われた。
相変わらず、彼を見ている時だけ不安が薄らぐ。
だが、そんなオペラの心を知らず運命はあらぬ方向へと動いていた。そう、彼は汚らわしい魔の国と友好を築くと宣言した。
オペラは驚愕した。やはりあの時幼い彼が言っていた事は聞き間違いではなかったのだ。
その宣言をしてから、聖国と帝国は友好的とは言えない冷戦状態になった。
(このままじゃいけない……何とかしなければ。けど、その前に……)
オペラは成長した彼の絵姿を紙に興した。記憶力と絵心には自信があった。
天井の絵も彼が成長する度にアップデートした。
★★★
オペラが目を開けると、そこに見えたのはいつもの天井だった。
自分が寝る時は天井に日が入り絵が見やすくなるように魔法がかかっていた。
だが、いつもと違うような感覚……絵がダブって見えた。
「……ここは?」
「…………」
オペラは自身の過去を夢に見ていたからか、夢から覚めて状況を理解するのに時間がかかった。
(そうだ、確か空中回廊の庭園で暴走したゲートに包まれて何処かへ飛ばされて……)
「………わたくしの……部や――」
(!!!???!!!!???!)
オペラは状況を一瞬で理解して激しく動揺した。
そんな最悪な展開があるだろうか――2人で飛ばされたゲートの先はオペラの寝室であり、ベッドで下敷きになったオペラの上にルーカスがいたのだ。
更に最悪な事にルーカスの上、天井一面には彼の絵姿。更に後ろの方には額縁に入れて立てた自作の絵姿。更に近くには彼っぽい人形が落ちていた。
「!!!???!!!!!」
オペラが声にならない声を上げると、ルーカスも状況を把握したのか驚いて離れようとした。
「?! 済まない、今離れ――」
「だめええええええええ!!!!!」
パニックになったオペラはルーカスを抱きしめて固まった。
「えっ……と、その……」
オペラは自分が何をしているのか全く理解していなかった。それよりもどうやって寝室のアレコレをルーカスの目に入れないようにここを出るか、それがオペラの最優先事項だったから。
(はっ、魔法陣……ゆ、指、指!)
抱きしめた手から指を一本開き魔法陣を描いたが、指にかかる太陽の色の髪の感触で自分がルーカスを抱きしめている事にやっと気が付いた。
(????!!!!???)
早く魔法陣を描いて移動しなくてはいけないのに、混乱して魔法式が全く思い出せなかった。
焦ってパニックで泣き出しそうなオペラが、あまりにもいつもと違いすぎて、動揺を通り越して気の毒になったルーカスは優しくオペラに尋ねた。
「いや、ええと…落ち着いて? 私にどうして欲しいんだ? 何だか分からないけど何もせずに君の言う通りにするから、一旦落ち着いてくれないか」
「目を! 目を閉じて何も見ないようにしてくださいませ!!!」
ルーカスはオペラに言われた通りに目を閉じた。
これで何とかなると思ったのも束の間、目を閉じて自分の上にいるルーカスの状況に『口付け』という単語が浮かんでしまい、更に動揺してしまうオペラだった。
「ま、まだ……かな?」
震える指で描いた魔法陣だったせいで座標が狂ってしまい、移動した2人はジェドの真上へと落ちてきた。




