閑話・一方その頃、皇城では…
執務室で1人黙々と仕事をする男――甲冑騎士シャドウ。
元となる皇帝が仕事好きだからなのか、長時間執務室に閉じこもり集中して仕事をする事に苦は全く無かった。
だが……ふと、陛下やジェドは大丈夫だろうかと思い出す度に集中力が切れてしまうこともしばしば。
新たな生命としてシャドウが生まれてからまだ数週間だが、その間に彼の身には色々ありすぎた。
最初に皇城でひたすら仕事を覚えさせられた時の陛下のスパルタっぷりは、同じ自分とは思えない位に恐ろしすぎた。その後に騎士団長と魔王様と旅をした時は自分の理解を超える事件が起きすぎてショックの連続だった。生まれたての自分に世界は広すぎる、とシャドウは頭を抱えた。
そんな外の世界に2人は出て行ったのだ。何らかのトラブルに巻き込まれずに無事に聖国へ着けると良いのだが……と、心配しながら窓の外を見た。
一体何処まで行ったのだろうかとシャドウは遠くの方を眩しげに見ながら想いを馳せていたのが、まだあまり進んでいない事を彼は知らなかった。
窓から見下ろす庭園に1組の男女がいた。
聖女と騎士団員の1人だが、よくよく見ると騎士団員は聖女にめちゃくちゃ蹴られていた。
★★★
「お前かー!!! お前がやったのかーーー!!!」
「ちっ、違う!! 確かに聖国関連だけど違っ! 痛っ!! 待って、話を、聞い、痛い!!」
聖女の茜は聖国の間者をボコボコ叩いた。
本気の聖女パンチは遠い異国まで吹っ飛ぶ位の威力があるが、話を聞き出す為に多少の手加減はしていた。が、間者はめちゃくちゃ痛そうに身を丸めた。
「やったのはオペラ様だよ!! 確かに俺は団長達の長期不在は伝えたけど、まさかあんな首都全域に及ぶ神聖魔法を使うなんて思わなかったんだよ!! 前もその前も、オペラ様が何を考えてあんな大がかりな魔法を使ったかなんて正直俺には分からないんだ!」
「……知らないの?」
聖女が手を止め放すとここぞと間者は距離を取った。
「そうだよ。聖国って所はそういう所なんだよ。何も考えず女王が言うならそうする。王族の言う事が全てなんだ。王族がその身を捧げよって言えば喜んで炎に飛び込むように教えられている国なんだよ。だから、俺もこの国に来て正直ビビったよ。王が民の為に働くとか、どんな国だよって思ったね」
「変な国ね。そっちの方がおかしいでしょ」
「どちらが正しいかなんて分からない……ただ、俺も少し帝国に感化されたのか、少しそう思ってしまって……オペラ様に口答えするようになってしまった。だから多分オペラ様は俺には余計なことは何も伝えなかったんだ。俺はただ言われた通りに行動し、帝国の様子を見張ってるだけなんだよ……」
間者は自身の仕事を任された時、魔王領との動向を見張り、隙あらば魔王領に攻め入るのだと思っていた。しかしオペラが執拗に狙うのは帝国であり魔王領ではない。オペラにも何か考えがあるのだろうと信じていたが、帝国で生活するうちに自分が何をしているのか段々分からなくなってきていた。魔族についても、聖国人が思っていた魔族と実際の魔族は違ったのだから。
聖国で知られている魔族は凶悪凶暴、何よりも汚く汚らわしい忌み嫌う存在で、この世に生を受けたからには全ての魔の物は滅ぼさなくてはいけないと、そう教えられてきた。
だが、蓋を開けてみると凶悪な魔族はほとんどおらず、どちらかというと今目の前で自身をボコボコにしている聖女が1番凶悪だった。
そんな悩める様子の間者に、聖女は何かを思い立って肩を叩く。
「よし、何だか色々面倒くさいから、今から聖国に殴り込みに行くわよ」
「……は?」
「私、面倒臭い事もウジウジした男も全部大嫌いなのよね。放っておくとまたノエルたんが危ない目に遭うんでしょう? ノエルたんを泣かしたヤツをこのままにしておく訳にもいかないし」
そう言って聖女は間者を引きずって行こうとした。
「ちょ、ちょっと色々待て! いや、それはマズいって、俺も行くって事だよな??? 間者だぞ?? 任務放棄して聖国に戻っちゃまずいし、帝国的にもいきなり騎士団員失踪したらまずいだろ!!!」
「ふーん? 良いのよ私は、武力行使して言う事を聞かせるでも。このまま大人しく聖国に案内するのと、私に無理矢理場所を吐かされるのとどちらがいいかしらね?」
間者は青ざめた。やはり、この世で1番凶悪なのはこの目の前の女で間違いないのだ。
「分かったから、少し準備をする時間をくれ……ちゃんと騎士団に休みの申請して、オペラ様にも休息を頂くよう連絡すれば大丈夫な……はず。まぁ、この間あんな大がかりな魔法を使ったばかりだから、しばらくは動かないと思うし……」
「ま、しょうがないか。なるべく早くしてね。40秒位は待つわ」
「すみません……無理です」
★★★
庭園の2人の会話はシャドウにはよく聞こえなかった。仮に聞けたとしても無闇に男女の会話を盗み聞きするのは良くない事なのだ。
1つ心配なのは男性が胸ぐらを掴まれていた事だったのだが、痴話喧嘩の類であれば尚更介入するのは良くないだろうと仕事に戻った。
執務室をコンコンと控え目にノックする音が聞こえた。人を寄せ付けないよう皆に言ってあるので執務室のドアを叩けるのは宰相の他に1人しかいない。
ドアを開けるとそこにはやはり少女がいた。
ノエル・フォルティス。皇帝はどんなに忙しくても彼女とのお茶会の時間はちゃんと作っていたのだ。
「ソラは今日もいい子でした。やっぱり最初に比べてちょっと大きくなったかしら。食べ盛りだからおやつを多くあげすぎてしまわないかの方が心配ですのよ?」
「それは何よりです。元気にすくすくと成長する事も大事ですからね」
お菓子とお茶を用意しながら、シャドウは少女から魔獣のソラの話を聞いていた。魔獣は皇城には入れないのでソラは庭先で寝ている。
「それにしても騎士様はお忙しいのですね。帰ってきたばかりなのにまたすぐ出かけられてしまって……」
「すみません、騎士団長ともっとお話したかったですよね。寂しい思いをさせてしまいましたね……」
ノエルはもうすぐ魔法学院に入学となり、しばらくこちらを離れてしまうのだ。もっと騎士団長と話をしたかったのだろうと気を使うシャドウの言葉に、ノエルはぶんぶんと首を横に振った。
「あ、いえ、そうじゃないのです! 寂しくないと言えば嘘になりますが……でも、ふふっ」
ノエルは思い出したように嬉しそうに笑った
「あっ、すみません……あの、私もうすぐ魔法学院に入学になるのですが、学院まで騎士様が送ってくださると約束してくれたのです。魔法学院は遠いので長旅になりますが、その間ずっとお喋り出来るから……私、楽しみで」
初恋の騎士様を想うように楽しそうに喋るノエル。シャドウは、まだ見ぬ長旅の中で、憧れの騎士様の変な所を見て幻滅しなければいいなと祈るばかりであった。
香りの良い花茶の香りがふわふわと漂った。砂漠のサンドワームが作る花のお茶は芳潤な香りで味もほんのりフルーツのような甘さがあり、とても美味しいものだ。ただ、パッケージが悪すぎてとても少女には見せられず、サンドワームの凶悪なパッケージは伏せて置かれた。
「そう言えば先程、茜様も数日居なくなると言っておりましたが……何処に行かれるのかしら。わぁ、このお茶、すごくいい香り」
「こちらは騎士団長と遠方に行った時に見つけたお土産の花茶です」
「私、こんな素敵な香りのお茶は初めてです。こちらがパッケージですか? 見せて頂いても大丈夫でしょうか?」
「あっ! それは……」
シャドウが驚き止めようとした弾みでお茶を自身の手に溢してしまう。
「ああっ! ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「いえ、手袋に少しかかっただけで大した事無いですよ」
シャドウが濡れた手袋を取ると、色の薄い手が現れた。手は赤くはなっていないようである。
ノエルがその手をじっと見つめた。
「あら? シャドウ様の手って、最初に見た時はもっと薄かったような……」
言われてみれば確かに、生まれたばかりの時はもっと消えてしまいそうな位薄かった気がした。ここのところ色んな物を見て考える事がありすぎたので、もしかしたら自分という存在がハッキリとして来たのかもしれない。
もっと沢山の色んな事を見て、聞いて、考えれば自分は完全な自分になれるのではなかろうか、とシャドウは手をじっと見た。
(――その時は陛下と同じなのだろうか? いや……)
もう既にシャドウはルーカスから離れ、シャドウとして生きているのだ。
何も恐れることは無いのだと手を拭き、換えの手袋を嵌めた。
「騎士団長と旅をすると色々な冒険がありすぎたので……そのおかげかもしれません。もっと沢山のお話を聞ければ普通の人と同じようになれるかもしれませんね。もし良ければ、ノエル様のお話ももっと聞かせて下さりませんか?」
「まぁ! ふふふ、いいですよ。でもその前に、シャドウ様の見た海のお話もお聞かせ下さい」
執務室の中、ノエルの可愛らしい笑い声がささやかに聞こえた。甲冑騎士の表情は分からないが、楽しい時間を感じているのだろう。




