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記憶喪失の皇帝だけが困惑する(中編)



 聖国の間者は、皇城から離れた森の中にある生命の樹の下に居た。


 女王に言われた通り、間者は第1部隊を帝国から遠ざけた。その隙に女王は皇帝の記憶の一部を消したのだが、一体何の為にそんな事をしたのか間者には全く分からなかった。


(最近のオペラ様は対魔族というよりも、ルーカス陛下自身に執着している気がしてならない。まさか……いや、そんなはずは無い。大体、一体どこで陛下と知り合ったというのだ)


 精霊を騙し恋人ごっこをするのも噂を流すのも一苦労だった。だが、そこまで苦労したのにも関わらず女王のやりたい事は全ては叶わなかった。魔物が女王の邪魔をしたのだ。


 間者は手の中にある水晶を見た。騎士団員に紛れて執務室から出る時に偽物とすり替えて持ち出した物だ。

 女王の御心は間者には計り知れなかったのだが、彼女の言う事は絶対だ。早くこれをどうするか通信して問わねばと思い、焦り聖樹の元へと走った。


「アンタ、それを持ち出してここで何する訳?」


「っ!?」


 間者が声の方を振り向くと、そこには聖女がいた。間者でありながらその女の気配には全く気付けなかったのだ。

 逃げようとし走り出したが、水晶を持っているその手を魔獣に噛まれて思わず手放してしまう。水晶は魔獣の子猫が咥えて走り出した。


「!! それを――」


 取り返そうとしたが、その瞬間に彼の景色が反転した。聖女によって地面に転がされ、取り押さえられてしまったのだ。


「アンタ、騎士団員よね。もしかしなくても、ルーカス陛下の記憶喪失事件に絡んでいるんでしょ」


「くそ……馬鹿力……」


 聖女は女のはずなのに、男の間者の力でも何故か全く振り解けなかった。威圧感のある聖気が余計に聖国人の間者を従順にさせる。


「私、正直アンタがどっかのスパイとか裏切り者とかだったりするのはどうでもいいのよ。ただ、ルーカス陛下が元に戻らないとノエルたんが悲しむかもしれないから、それは困るのよ。吐け、その水晶が何なのか、どうやったら元に戻るのか……知ってる事全て」


 聖女が出す聖気に、聖国の民が逆らえるはずもない。間者は大人しく口を開いた。


「……あの御方が使用したのは、記憶の一部をこの水晶の迷宮に閉じ込める神聖魔法だ。正直、この神聖魔法については古い禁呪の1つなので、付加的に何が起こるかはハッキリと解明されていない。オペラ様は水晶ごと破壊するつもりだったから、恐らく水晶の迷宮を抜ける前に壊せば……その記憶は消滅したと思う」


「水晶の迷宮って言うからには……抜け出す事も可能って事?」


「さあな。オペラ様が一体どれだけの記憶を消したかも分からないから、その記憶自身がどの程度本人にとって大切で自身に戻りたいかによるんじゃないかな」


「……あの愛国仕事バカ皇帝なら、何が何でもみんなの所に帰るんじゃないの?」


 聖女はそう言うと拘束を解き、猫と水晶を抱えて帰ろうとした。


「俺の事……スパイとか、報告するんだよな……」


 聖女はそれを聞いても振り返りもせず、興味なさげに言う。


「アンタの事なんかどうでもいいって言ったでしょう。それが仕事ならアンタはそれを全うすれば? 私には関係無いし興味も無い。……ただ、ノエルたんに手を出したらただじゃ置かないから」


 その言葉に悔しくもホッとしてしまったのが間者自身、情けなく思えた。安堵しているのは聖国の為だろうか、それとももう少しこの生活を続けたいからなのか……間者には分からなかった。


 「君は君の仕事を頑張ってね」と言った皇帝の顔が思い浮かんだ。



 ★★★



「えーっと……何だっけ?」


 ルーカスは迷宮にいた。壁に阻まれた通路が延々と続く空間。目を開けた時には自分の置かれた状況が全く分からなかった。


(確か、庭園で聖国の女王に会って……そこで何かされたのだろうか?)


 状況は分からないが、ルーカスは一刻も早く執務に戻らなければならなかった。仕事が山積みだから。

 だが、この迷宮はどちらが出口なのかか、そもそも出口があるのかすら分からなかった。


「一体ここは何処なんだろう……」


 ふと壁を見ると、走馬灯のように自身が見た記憶のようなものが、映像となって流れていた。

 一体この場所が、この状況は何だと言うのか。ルーカスには全く理解出来ないが、意識が妙にハッキリとしていて少なくとも夢では無い事だけは分かった。

 暫く辺りを警戒したが他に何も無く、ルーカスはその映像を辿り歩いた。


 最近のものから、古い子供の頃の物まで。

 父親である先代皇帝が亡くなった時の事。母親が亡くなった時の事。魔王領に行って魔王を消滅させた時の事。帝国の為にと口にする大人に裏切られた事……醜い心を持つ一部の人々のこと。

 意外にもルーカスの思い出は楽しい物ばかりではなかった。もっと沢山の楽しい事ばかりだったと思っていたのに。


 ルーカスが1番最初に悲しくて落ち込んだのは母と会えなかった時だった。優しい母はルーカスに立派な皇帝になってほしいと言っていた。けれど、幼い彼は皇帝になる為の勉強よりも、もっと母親と一緒に過ごしたかった。

 落ち込んだ時、ルーカスと一緒に居てくれたのは幼馴染のジェドだった。ジェドは、母親の願いは私が沢山の人に愛される事なんじゃないか? と言った。

 ジェドの言うとおり、国を愛し大切にする事で沢山の人が自分を愛してくれた。

 国を大切にする事、善い国に導く皇帝になる事はルーカスにとっては母親の遺言でもあり、彼が1人にならないように、全ての民に愛されてほしいという願いでもあった。


 魔王領に行った時……先代魔王もまた、同じように息子を、国を愛していた事を知って共感した。


 精霊達は、最初は心の無い者達だと思っていたのだが意外にも個性豊かであった。


 全てルーカスの大切な思い出だ。何故、自分はここでこうして大切な思い出を見ているのだろうと、ルーカスはぼんやり考えた。


(こうして見ると……ジェドって本当にしょーもない事しかしてないな。だが、いつでもジェドはジェドだった。皇帝になった時も変わる事なく友人でいてくれたし、相変わらずアホではあったけど……)


 そのジェドの映像を追いかけているうちに、どこからかその声が聞こえた。


『そんなに心配しなくても、俺と陛下の間にあった思い出はどれもこれも普通の友人としての事です。絶対に思い出さなくちゃいけない重要な思い出なんて1つも無いですよ。だから、もし陛下が俺の事ずっと思い出せなくったって、俺は全然大丈夫です』


(本当にな……今見て、改めて思ったよ)


『俺は、変わらず陛下の友人だから。ただ、愛していた国の事は思い出してほしいかなぁ』


(そうだね、早く愛しい国の事を思い出さないとね……まぁ、でも仕方ないから君の事も思い出してあげるよ)


 迷宮のゴールはジェドの声の先にあった。



 ★★★



「なるほどなー。この水晶が陛下の記憶かぁ……上手いこと俺の失敗談だけ忘れてくれないかなぁ」


 聖女から受け取った水晶は太陽の色をしていて、中で火花が光っていた。

 木の下で眠っている陛下と同じ色だと思って近づけて見た。


「あっ」


 手に持っていた水晶が、するりと抜けて陛下の胸へと落ちて行く。

 その瞬間、ルーカス陛下がゆっくりと目を開けて水晶は薄く消えて行った。


「君の思い出、しょーもない失敗談ばかりだったから無理かも」


「……もう少し休んでくれて良かったのに。おかえりなさい、陛下」

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