聖国最後の聖戦(3)
「はぁ……頭が痛い」
聖国の女王オペラヴァルキュリアは痛む頭を押さえながら闘技場の暗い路地をよろよろと歩いていた。
1回目同様、オペラの意見を無視して始まったオペラ杯。
聖国人達の心を思い、成り行きを黙って見守ると宣言したものの……実際に集まる烏合の衆とノリに頭が痛くなった。
沢山の出場者の中にはきっとルーカスも居ただろう。アークもいたかもしれない。
それを確認すれば動揺すると思って探さないようにしたものの、見つけようといまいと具合の悪さは変わらない。
朦朧とする頭で遠くのように聞こえたのは鍵を探すために聖国を探し回れ打とかなんとか。
ヒントもなにも無く出場者達は地の回廊も天の回廊も自由に歩き回るだろう。そう思うと更に頭痛が増したが、案外拾い聖国をくまなく探すなどと、時間がかかるに違いないと思ってスタートの合図も聞かずに席を立った。
聖国人が自分の為に頑張ってくれている気持ちもじゅうぶんに伝わる。――だが、勝つのは絶対にルーカスだろう。
かの人が負ける事などある訳がないのだ。ルーカスという人はそういう人だ。
ならば……オペラはこの茶番が終わるまでに覚悟を決めておかねばならないのだったが……
――わあああああ
――きゃああああ
「……?」
直ぐに後ろから聞こえた盛り上がりの声。ぼんやり聞いていた話の流れならば、スタートの合図のはずだが、それにしては悲鳴に似た声が沢山混じる。
女性が多め、男性の焦り助けを求めるような声も多数。
スタートと同時にふるいにかける罠をしかけたとも想像出来なくもないが、それにしては女性の悲鳴が多いのが気にはなった。
光が強い闘技場に戻るのは少し億劫だったが、足を止めて振り返ろうとした時――
「……やめとけ」
目の前には深緑の長いみつ編みが揺れていた。
「アーク」
「さっきの声ならトラブルでも何でもないから、心配の必要はない」
アークの言葉にほっと胸を撫で下ろすも、自身の心が読まれた事にはっとする。
「よお、久しぶりだな。……まぁ、何があったのかについては触れないようにしてやるさ」
「……」
だまった所で考えた事は全てアークに筒抜けだ。羽が無い事も魔法を使わない時点で既に察せられているし、今更じたばた逃げた所で意味はないのだ。
「何しに来たの……」
「何しにって、今この闘技場に集められた男共の目的なんて一緒じゃないのか?」
「そういう事を言っているんじゃなくて――」
「そういう事を言っているんだよ。俺はお前と結婚する為に来たんだからな」
「だから――」
「――でもその前に確認しないといけないからな。だからここに来た」
「え……」
かみ合わない質問、アークがこの国に来た理由なんて、恐らくルーカスと一緒だ。この大会に参加しているのだから、当然オペラとの結婚を望んでの事だろう。
だが、オペラが聞きたかったのはそこではない。何故ここにいるのか。
出場者ならば先ほどのスタートの合図と共に探すのは鍵だ。オペラではない。
スタート直後の何かの罠を先読みしてすり抜ける事はアークには造作も無い事だろう。あの悲鳴の正体はオペラには分からないが、それを掻い潜ったとしても何故今ここにいるのか。心の読めるアークにはオペラが鍵を持っていない事も、このレースの全容を全く知らない事も分かっているはずだ。
「俺は、確かにお前と添い遂げたいと願った。ルーカスの意思も聞いた。俺は、ルーカスと共にありたいと、ルーカスの提案を受け入れた。でも――お前の、オペラの返事はまだ聞いていない」
アークは持っていた花を差し出した。紫色の花、アークの瞳と同じ色。
その瞳は聖国から連れ出した時と同じように、不安げに揺れていた。
「……今ならちゃんと問える。お前がもし、ルーカスだけを受け入れるのならば、俺の事を受け入れられないと今ここでハッキリと言ってくれるならば……俺は棄権して魔王領に大人しく帰る。俺に同情をするな、ちゃんと口に出して、言ってくれ」
「それは……」
今のオペラの気持ちはアークにも分かるだろう。いや、分からないかもしれない。
何故ならその答えをオペラも出せずに居たからだ。うじうじと悩み、ルーカスにすら答えをハッキリと出せずにいた。
皆が急かすのにも腹が立ったが、それ以上にハッキリと出来ない自分自身にも腹が立つ。そのせいでアークがずっと傷つき悩んでいたのも、ルーカスに要らぬ心配をかけていたのも……頭痛の原因は聖国人達ではない。こんな仕打ちをしたロストでもない。まぎれもなく自分なのだ……
先延ばしにする理由をいつまでも探している自分のせいで、この大会だって開催されている。
……それでも何故か、本当に何故か、アークの前で口に出すのは今のオペラには出来なかった。
いっそ、今のオペラの心ならばいくらでも読めるだろうから、自分の代わりに呼んでくれと放棄したいくらいだ。でも、答えを出さないのも、拒絶と一緒だ。アークはそう言っているのだ……
暫しの沈黙。外はいつまでも騒がしかったが、アークはいつまでもオペラの声を待っていた。
意を決したオペラが、アークの差し出した花に触れる事無く出した言葉は――
「……アーク、勝って。勝って誰よりも先にそれを私の所に届けなさい。そうすれば……その時はちゃんと、答えるわ」
結局は先延ばしだった。でもそれは、拒絶では無い。棄権を促すでもない。ただ確かにオペラはアークに『勝て』と言ったのだ。
アークは一瞬目を見開いて微笑み、花を下ろした。
「それは……確かに前向きな意見だと受け取って良いって事だな」
「いちいち確認しないで、とっとと行きなさい! わたくしはあんな有象無象に負けるような者とは絶対に結婚しないし、そもそもあんな者達とは絶対に結婚なんてしないから! 負けるなら……嫌いになるから」
「嫌われるのは、嫌だな」
嫌われないようにしないとな、と一考したアークは黒い獅子の姿に変わり、薄暗い廊下を駆けて行った。
「……はぁ……」
ため息をついたものの、気がつけば頭痛も和らいでいた。
アークの事を、少しだけ笑顔に出来たのが、ほんの少しだけ嬉しいと思ったからだ。
★★★
「にしてもこれ、どうしますかねー」
そんな事があるとは露知らず、漆黒の騎士団長ジェド・クランバルと皇帝ルーカス他、参加者の大半は闘技場の外にてスライムまみれになりながら途方に暮れていた。
今すぐにでも他の出場者を出し抜いて聖国内を探しに向かいたい、いや、その前に服を入手したい。――が、服を探しに行く為の服が無いのだ。
よく外に出ないで日がな家で研究を続ける研究者達はいざ身辺を整えようにも町に繰り出すほどの綺麗な服が無い事の、何かと理由をつけては外に出たくないとダダをこねるものだが、いざ実際同じような立場になれば皆躊躇するものである。いや、引きこもりだって汚くとも着ていく服くらいはあるだろう。
真冬の露天風呂から脱衣所に出られないが如く、妙案も見つからずに皆大事なところを隠すようにスライム風呂に漬かっていた。いや、スライムの濃度だとあんまりかくれてはいないが、気分的に空気に触れるよりも水の中に居たほうがマシ、という所だろうか。
だが、誇って良いのか悲しんで良いのかは分からないが、人前での薄着経験がある俺はゴリ押しで行けない事も――いや、流石に全裸は無いか流石に。
久々に魔術具を使わずに自力で使えるようになっていた収納魔法を漁るも、隠せるようなものは何もなかった。いつもならタオルの1枚でも入れてるのになぁ……この間魔王領温泉に行った時に余分に貰ってくればよかった。
「……参ったね、まさかスタート地点でこんなにも足止めを食らうとは思わなかったよ」
「他の参加者も同じように足を止めるほどの良識ある参加者で良かったです」
流石に全裸強行しようという輩はいない。仮にも聖国の女王との結婚がかかっている大会だ。全裸で優勝は避けたい。
「いや……1人だけ先に行っている男がいる」
「え? あー……」
そういえばアークが回避して先に進んでいたっけ。落ちる瞬間にちらっと見えた時、外に向かってはいなかったような気もしなくもないけど……
「早く追いかけないと……ん?」
辺りを見回していた陛下が何かに気付いた。他の参加者もざわざわとしている。
スライム風呂が心なしか減っているなぁとは思っていたのだが、見れば闘技場の外の一角には見覚えのある白い花が群生していて、その近くのスライムから次々と花に消えて行った。
「あれは……確か世界樹の花」
今年は何故か赤い花しか咲かず、ホワイトスライムの力を借りて白くしていたのは記憶に新しい。
ホワイトスライムが繊維に組み込まれた世界樹の花は枯れる事も無ければ強度もそこそこ良い。
スライムの波がそちらに消えていくものだから、自然とスライム流が生まれ、浸かっていた人々はそちらに流されて行った。
いや……それはまるで、スライムの救済なのだろうか。使えとばかりに裸体の参加者達の前に増え続ける世界樹。
「……まさか、これを装備して……いけ、と?」
誰かがボソリと呟いた言葉に皆が驚愕して振り向いた。そしてそれを肯定するように増え続ける花……
「いやそんなまさか……」
「俺、聞いた事あるぞ……どこかの国では葉っぱ1枚あればいいと言われているとか」
「確かに……人々の祖は裸でいる事が恥ずかしいと気付いた瞬間に葉っぱで隠したとかなんとか……?」
口々に肯定的な話を引っ張ってくる参加者達。いや、君達冷静に考えて? 裸の股間に花だよ……?
お祝いの余興でもやらなそうなスタイルで万が一にでも優勝したら、そのままプロポーズしにいくかもしれないよ……?
俺が珍しく躊躇していると、陛下は意を決して花を集め出した。
「陛下……?」
「今はこれしか無いのなら、そうするしかないだろう。体裁なんて最低限で良い、私は……早くアークを追いかけたい」
と器用に花を編んで最低限隠れる感じのものを作り出した陛下。イケメンが世界樹の花とマッチしてビジュが良く、他の参加者達も次第に「アリかもしれない」と花を編み始めた。
「陛下……強くなりましたね」
「……それは誉めているようには聞こえないけど。でも、まぁ」
陛下は米神をおさえながら困ったように笑った。
「つい最近、君の報告書を見たからかな。不甲斐ない格好でも、時にはやむを得ず進まなくちゃいけないって……そういう状況になればそうするしか無いんだね」
俺の不甲斐ないエピソードが陛下の背中を押していたのだとすれば何よりです。良いか悪いかは判断つきにくい。
「それより、ゆっくりしている場合じゃない、急ごう」
「はい」
既に花をあつらえて走り出す参加者も沢山いた。俺たちもその後を追うように地の回廊の街中へと花びらを舞わせながら走り出した。




