フェイとの別れと新たな旅
「色々あったので何月も過ごしたような気がしたが、案外時間は経っていないものなのだな」
「そうですね。時間なんてそんなものでしょう。全ての者に平等に訪れるようで実は平等ではなく、それぞれがその時への感じ方や価値が違いますからね。そのひと時を遊んで充実して過ごす人も居れば忙しく自身の仕事をしながら己を高めて行く人、体を休めるために無を買う人、それに……」
「それに?」
一瞬言いよどんだシアン殿を振り返るも、いつものようにふっと笑って答える。
「一瞬にして無くなってしまう人だっていますからね」
「無くなる、か。ふむ」
時間が無くなるとは、また意味深な事をいう物だ。シアン殿がどういう意味で溜めてそう言ったのかは我にはあまり分からなかった。
帝国の中でも多種多様の旅人が行き交うゲート都市。
各大陸や国を結ぶ巨大ゲートが沢山立ち並び、それを利用する者を管理しているのがこの場所だ。
「ここまでお送り頂き申し訳ない。ゲートを通れば直ぐに青龍領だ、そこまでは……」
「いいえ、フェイ様は国賓ですから。ちゃんと城まで送らせていただきますよ」
既に東国からは迎えが何人も来ていた。だが、またハオが現れてはいけないからとシアン殿を護衛につけてくれた。
シアン殿からは移動魔法での移動も提案されたのだが、そこは丁重にお断りした。移動魔法なんてものは並の魔法使いでは使うことは適わず、魔塔レベルの魔法使いでさえ1度使っただけで魔力切れを起こして何日も寝込むのだと聞く。近場ならばともかく大陸の違う遠い果ての東国まで使ったらそれこそたどり着いた末に何日も倒れ戻ってくる事は困難だろう。
大魔法使いと名高いシルバー殿ならばともかく、皇室魔法士になったばかりの年若きシアン殿にそんな貴重な魔法を使わせる訳にはいかないのだ。
「騎士団長も来られればよかったのですけどね」
「まぁ……仕方なかろう、奴も忙しいのだ。それに……名残惜しくなってしまうから、これで良かったのだ」
しゅんと気持ちが少しだけ重くなる我に、シアン殿が手を添えてニコリと微笑んだ。
「そのうちまた会えますよ。それに、フェイ様が困っていればきっと駆けつけてくれるでしょうし」
東国で奴と過ごした日々も、この旅も長い人生のひと時ではあったのだが、充実したようで無駄な時間もあったけれど、楽しかった。
「そうだな。我も、またそのうち暇を見つけて会いに来るわ。お主にもな、シアン殿」
我の言葉にシアン殿はちょっとだけ面を食らったような顔をしてから嬉しそうに微笑んだ。その顔を見るだけで、我の事を好ましい友人だと思ってくれていると分かり、我も嬉しくなった。
「それにしても、ジェドという男は本当に多忙な男よのう。皇城に戻って直ぐにまた行かねばならぬのだからな」
「何かそれ、いつもの事みたいですよ。まぁでも、今回は特に陛下の重要事項ですから……」
★★★
「ほれ」
「……何、それ」
あの後、皇城にて仕事をしている皇帝ルーカス殿の執務室に戻った我らだったが、一緒に来られた魔王殿から紫色の美しい花を手渡されたルーカス殿は困惑していた。
城を出た時はあまりの疲弊っぷりを心配したのだが、どうやら数日前に目覚めたようで前と変わらぬ多忙な仕事ぶりに安堵どころか心配になった。
ジェドに聞けば、これが通常運転だというのだから恐ろしい。我が国の王も確かに国を治める為に多忙な日々を送っていたが、その比ではないだろう。素早く仕事をこなす様は最早速すぎて幾人にも分身したようにも見える。皇帝自らがここまで働く必要はあるのだろうか。
「だから、お前が所望した花だろう」
「はぁ……」
紫の花を受け取ったルーカス殿はため息を1つついて申し訳なさそうにする。
「済まないねジェド、それにシアンやフェイ殿まで。前に倒れた時もそうだったのだけれど、私は気力が無くなると少し我侭を言ったり甘えたような事を無意識に言ってしまうらしい」
「前に倒れた時も菓子を所望していましたからね」
「そうだね……でも、恐らく前も今も、美味しい菓子が食べたいとか綺麗なものが見たいと言っただけで恐らく深い意味は無いんだ。深い意味を持たせてしまったみたいで本当に申し訳ないのだけれど……」
どうやら、あんなに苦労したこの幾日もの旅はルーカス殿の意とは全く異なっていたらしい。
「だろうと思いましたけどね。誰だよ言い出したの……ロイか。後でしばいておこう」
前にも同じような事があったらしいのだが、1番足労したであろうジェドは口ではそう言いながらも気にしていない様子だった。ジェドとルーカス殿は子供の頃からの友人と聞く。
その友人であり皇帝が所望しているのだから持ちうる限りの尽力をするのがジェドなのではなかろうか。
そう思っているとアーク殿も我を見て頷いた。そういう友人や配下が居るのは羨ましいと思ったのだが、ルーカス殿はその分ジェドのせいで苦労もしているのだからどっこいどっこいだろう。どっこいどっこいとは互角という意味らしい。今もルーカス殿が処理している書面にはジェドが破壊したものの修繕や各地で起きた事件の詳細が書かれていた。中々に大変そうだ。
「まぁ、だが、お前に深い意味は無くとも俺にはちゃんとある。折角の機会だから答えを持ってきた」
「え……」
「ルーカス、結婚しよう」
執務室を訪れる静寂。どこからとも無く聞こえる祝福の鐘の音。帝国でも婚姻の歳に鐘を鳴らすと聞いたが、東国はちょっと鈍い音の鐘を鳴らしながら花火を打ち上げるのだ。
「…………黙られると変な空気になって困るんだが、先に結婚するって提案したのはお前だからな」
「あ、ああ。ごめん、ちょっと暫く気を失っていたせいか忘れていた」
「忘れるな」
これはジェドから聞いた話なのだが、どうやらルーカス殿とアーク殿は共にオペラ殿を愛するあまり争いになりかけ、悩んだ末に3人で共に生きる事を望んだらしい。
我が国も妻、妾は1人とは定められていないのだが、そういう話では無いだろう。
平和を望み、それをれを愛し、最善の答えを導くまでには相当悩んだに違いない。実にルーカス殿らしい答えだったと感心したものである。……忘れていたみたいだが。
「ごめんごめん。そうだね……君も受け入れてくれて嬉しいよ。でも……」
紫の花を受け取ったルーカス殿は、苦笑いを浮かべた。
「ここにオペラが居なければちょっと変な話になってしまうから、早くオペラにも是非を問いにいかないとね」
「ああ、そうだな」
ルーカス殿はアーク殿と笑い合い、そして執務室に飾ってある花を花瓶から1本抜き出した。
「これは、ジェド達が苦労して摘みにいってくれた竜の国の花なんだ。帝国の皇族が結婚の誓いを立てるために取りに行く花、だなんて言われているみたいだけど……一体いつの話をしているのか。ま、苦労して取りに行ってくれたみたいだから君も貰ってやってくれ」
あの花を摘むのには本当に苦労をした。修行道の山で岩を転がしながら進んだ事、ダンジョンを訪れる者達に試練を課す側になって色々考えた事、マンドラゴラが群生している場所で何度も気絶しかけたこと……
思い起こせば花を摘むのには直接関係なかった事も多いな。だが、いい思い出だ。
竜の国の花を頷きながら受け取るアーク殿。それを見届けたルーカス殿は、隣にキラキラと咲いている白い花を花瓶毎持ち上げた。
「そして、この花をオペラに渡して、彼女の答えを聞かないとね」
あの時から結構な日数が経っているにも関わらず、まるで生えたままであるかのように白く美しく輝き、時折蠢いている白い花。
ルーカス殿も口ではそう言いながら花を視界に入れようとはしていなかった。
「……何だその花は、スライムじゃないのかそれ……」
アーク殿も訝しんで花をじっと見た。あの花の繊維1つ1つにホワイトスライムが流れ育っているというシアン殿の苦労の賜物だ。相変わらず気色悪いな。
「お前がやったのか……」
「ええ、何か花が赤く咲いたとかで困っていたみたいですので。世界樹の白い花こそ永遠の愛を誓い合うのに相応しく、スライム達も喜んでいますよ」
花は本当に嬉しそうにうねうねと蠢いていた。「お前らがそれでいいなら……」と肩を落としていたアーク殿であったが、ホワイトスライム殿は今まで出会った中で群を抜いて不思議な生き物であるな。
これを巡ってもひと騒動あったな。クロッケー大会でオペラ殿やロスト殿と戦い、赤い花を白くするための時間を稼いだのだったな。
「まぁ、枯れないみたいだしいつまでも美しい姿を誇っているならいいんじゃないかな。よし、私の方もそろそろ出立の準備は出来そうだから、行こうじゃないか。聖国に」
そう言ってルーカス殿は花瓶をジェドに渡して頷いた。
「……流れるように俺も行く感じになるのですね」
「当たり前だろう、どうせ君だけ城に残っていても迷惑をかけるだけなんだから。それに、君が戻るまでに私が不在でもいいようにちゃんと仕事を済ませておいたんだから」
ルーカス殿は、以前は国の為にと持てる時間を限りなく使って尽力していたらしいのだが、今は自分の時間を過ごせるようにと他の者だけでも回せるように仕事の割り振りをしていたそうだ。
国の事だけを考えていた皇帝であるが、国以外にも考えなくてはいけないことが出来てしまったのだ。
そんなルーカス殿の姿を見て、ふとルオ兄上の事を思い出した。
兄上は今何をしているのだろうか……
対面する事から逃げてきた我は、ずっと帰るのが怖かったのだけれど兄上1人に重荷を背負わせる訳にはいかないのだと、ルーカス殿を応援する周りの者達を見てそう思えた。
「ジェド、直ぐに出立するのならば、お別れだな」
「え、もう帰るのか?」
花瓶を持ちながら困惑するジェド。名残惜しそうにしてくれて、それだけで我は十分なのだ。
「ああ、お主も忙しかろう。我はお主の君主ではないから、ここからはルーカス殿の為に力を尽くしてくれ。ゲートも回復して、迎えも来る」
エース殿に帰還の旨を伝えたら、直ぐに東国から使者が迎えに来ると知らせが届いた。見送りは要らぬと申したが、シアン殿がついてきてくれると言ったので、要らぬと言いながらも我は少しだけ嬉しかった。
「また、いつか……」
「直ぐに会えるさ。何かあったら、いや、何も無い方がいいんだけど……俺を頼ってくれな」
頭に手を置くジェド。我は涙が目の端から零れそうになりながらもぐっと堪えた。
そうして、ジェドと過ごした旅は終わりとなったのだが……
★★★
「それで、少しは大人になれたのですか?」
我が度々口にしていた悩みを思い出してシアン殿が問いかける。
「……その悩みはもういいのだ。我があまり急速に大人になれば、ジェドが寂しがると知ったからな」
「ふふふ、そうですね」
ゲート都市の大きな門。ここを潜れば懐かしき我が故郷、東国だ。
青龍領の匂いが風に乗ってゲートから溢れて来る。ここを離れたのは少しの間だけであったが、なんとも懐かしく、それを感じた今は早く帰りたいとさえ思えてきた。
「あ、そう言えば」
我はふと思い出す。
「お主、皇室魔法士のシアンというのは仮の姿で、その実は魔塔の魔法使い達が定期的に入れ替わっているものだと聞いた。お主の本当の名はなんと言うのだ?」
我はこのシアン殿に幾度も助けられ、優しくしてもらった。ジェドと過ごした時間も楽しかったが、シアン殿と過ごした時間も同じように価値のあるものだった。
だが、もしかしたら次に会うシアン殿は別の者かもしれない。ならばせめて本当の名を教えてさえもらえれば、また再開出来るやもしれぬ。
ゲートを共に潜れば、薄い膜のような壁が我らの身体を通り世界を分ける。東国は帝国より寒く、膜が晴れた瞬間に少しの涼さが肌を撫でた。
やっと、東国に戻ったのだなと安堵する我の横に、長い髪が流れた。
シアン殿のかけていた眼鏡を下に下ろしたその姿に我は
「……なんだ」
と笑った。




