魔王領の泉が生んだ傾国の(後編)
目まぐるしく変わり通り抜けていく森の景色。自身の足よりも何倍も早いその者。
我、フェイの手を引く女人は黒いマントを翻し、颯爽と駆け抜けていた。
「話は聞かせて貰いました!!!」
「聞いていたなら止まりなさいよ!!!!」
その遥か前方を少しも勢いを落とさずに駆け抜ける女人。その面影はどう見てもハオだった。女人のハオが向かっている先はこの奇妙な世と元の世を繋ぐ伝承のある洞窟だ。
全てのものの性別が逆転しているというのも信じられぬ事だが、魔王領の湖ではよく起こる事象らしく、慣れたように魔王殿が解決策を話しておった。こんな妙な出来事が頻繁に起きて普通に対処しているというのもどうなのだろうと思ったが、思い起こせばこの世は摩訶不思議だらけなのだ。今更何に驚こうものか……
「あなたの魂胆は分かっているわ! 洞窟を破壊して彼をこのままにして連れ去るつもりでしょう!!」
ジェド――ではなくジェラの言葉にぎょっと目を見開いた。
「その通り、よく分かりましたね」
「分かるわ!!」
「ちょ、ちょっと待て、ハオのような女人は我をどうするつもりなのだ」
話についていけずに困惑していると、足を止めずにこちらを振り向き高らかに笑った。
「やっと、やっと見つけた理想のお嬢様……いや、坊ちゃまとでも言うべきかしら。こんなに可愛らしいお方と合法的に結婚出来るのですから、この千載一遇のチャンスを逃すわけには行きませんわ」
「けっ――」
あのハオもどきは我と結婚したいと言う。そんな事を言われた事は……まぁ無い訳ではないのだが、ハオの言動に困惑しているとジェラが残念そうに目を伏せて告げる。
「フェイ……だったかな。彼女は危険だ。絶対に君を渡すわけにはいかない。あいつはつまり……いわゆるショタコンという奴で、可愛いもの……特に可愛い男の子に目が無いというか」
「はぁ……いつかはこんな輩が出るかとは思ったが、よりによって奴とはな」
「もう封鎖しなさいよ」
ため息をつきながら並走するのは黒い獅子だった。女人の魔王殿が変化した姿だ。
元とは言え我が国の騎士が本当に迷惑をかけっぱなしで魔王殿には申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、心が読める魔王殿は我の言葉を察し、ふるふると首を振った。本当に済まない。
「おい、我の――では無いが、国をこれ以上汚すような行動は慎め! お主程の腕があれば、その労力をもっと良い方向に向けられるだろうが」
「ほーっほっほ、お生憎ですわフェル――いや、フェイ様。ワタシの良きと思う事こそ、可愛い男児を愛で、幸せに暮らす事。貴方を手に入れられるのならば、金も名誉もどうでもいいんですよ」
「とんでもない欲望だな……」
「アナタも、こちらの世界の方が行き易いのではないのですか?」
「――え?」
すっと見透かすような細い瞳。いつでも我の傍に居たハオは、我の悩みなど見透かしていたのかもしれない……それはこちらのハオも同じだった。
「アナタはずっと、自身が何の役にも立たない、求められない人間だということを嘆いていたではありませんか。早く大人になりたいと、大人になればもっと誰かの役に立ち、誰かに求められ、承認されると願っていたではありませんか」
「あ――」
奴の言葉に胸が苦しくなった。女人でありながら我の世界にいたハオの姿が重なり、無力な我を攻め立てる。
そうだ……いつも奴は兄上と比べて我の心を刺すような事を言っていた。
ジェドとの旅で、そんなものは無意味だと、我の思い過ごしであり人は完全では無いと学んできたはずなのに……あの目を見ればまた不安になってくる。
「こちらの世界ならば、そのままのアナタで十分に求められるのですよ?」
「フェイ」
我をいいようの無い闇から救い上げてくれたのは我の耳をそっと塞いだジェラの手だった。
「あいつの言っている事はご都合のでたらめで、君を傷つけるだけのもの。そんな言葉に耳を貸す必要もなければ、言うとおりにする必要はもっと無い」
やさしく微笑むジェラの笑顔に、不安に苛まれた心が解けていく。その後から魔王殿も言葉を重ねた。
「ああ。あいつは余裕そうに真理を語るように見せかけて、心の中は必死だ。必死でこの場を逃れようとお前を説得している。私の耳は誤魔化されない」
「チッ――」
奴は説得を諦めたのか再び走り出す。ジェラもまた我の手を取って走り出した。
その手は、ジェドのものと同じだった。
やはり、我は――
「いや……」
「え? 何か言ったか?」
「何でも無い。我も少し、この世界に留まればお主は伴侶となって傍にいてくれるだろうかと考えてしまったわ」
「えっ――」
ピタリと足を止めるジェラ。ん? と顔を上げると真っ赤な顔の彼女が固まっていた。
「……いや、少し思っただけで」
「済まないが、今は惑わすような言動は止めて貰おうか。あいつを止めないと湖に落ちた奴が戻れなくなる」
「そ、そうよ!」
ジェラは振り向き再び走り出した。やはり男子と女子では違うのだろうか、ジェドのようにはいかない。
そうだ、ここに居るジェラはジェドではないし、この世界は我の認めて欲しかった世界でなければその東国も無いのだ。何もかも違うここに長居する事は今の我には出来ぬ。
「見つけた!!!」
ジェラが叫んだ先にはハオもどきがいた。今にも剣を地面に刺そうとしている。
「待て!!!!」
ハオの龍気は知っている。地面に気を送り内部から破壊するものだ。
果汁の出る妙な剣を地面に刺そうとしたその時――
剣は折れて跳ね上がった。
「な?!」
「間に合った……」
先回りした高橋殿がスキルを使って守ってくれていた。
「くっ、まだだー、まだワタシは諦めない!!! 結婚するのよーーーー!!」
だが、折れた剣を片手にハオもどきは一歩も引かずに襲い掛かってきた。執念がすごい。男のハオでもこんなに執念を燃やしただろうか? 女人の方が恐ろしい気がする。
「その執念はなんなの! もう。ここは任せて、早く――」
「いや、ジェラ殿、大丈夫だ」
「え――」
前に出ようとしたジェラを制止し、我は前に出た。我を目にしたハオもどきはにたぁと笑う。ちょっと怖い。
「坊ちゃまぁ……ワタシのものになる気になりましたか?」
「いや……」
我はわかった。この世界は我の居た場所ではないし、このハオもどきもハオではないのだ、ただの――
「お主、可愛い男児が好きだと言っていたな」
「え」
顔に手を伸ばしニコッと笑う。
「我は、可愛い女児の我とは違うが、本当にいいのか? お主、後悔するぞ」
と顔を近づけて言うと真っ赤になったもどきはへたりと崩れ落ちた。
「か……可愛いお嬢様はそんな事しない!!!!」
と、我の手を振り払い、洞窟の外に向かって走り出した。女人だと思うと初いやつだ。本物のハオは全く可愛くないが、女人ならば多少は許せる。
「だから違うと申したではないか」
ハオと違うと分かれば大丈夫だ。東国は女人が多かったせいか、扱いには多少慣れておる。
……などと考えていると、魔王殿が軽蔑するような眼差しで見てきた。ジェラは感心したように頷く。
「……フェルも男共をたらしこむ事に関しては天武の才というか魔法みたいに凄かったけど……こっちの君は女性をたらすのに長けているんだね。高橋の言っていた通り『傾国の美少年爆誕END』というのは合っているのかもしれない」
「いや何だそれは。気になるわ」
「ふふ……でも」
ふっと優しく笑ったジェラは我の頭に手を置き軽く撫でた。
「やっぱり、私はフェルの方がいいや」
破壊を取り留めた泉。元の世界に戻らなくてはいけないのは分かっていても、ほんの少しだけ戻るのが惜しいと感じてしまった。
ジェドの事は大好きで、ジェドみたいな女人がおれば一緒になりたいと一瞬思ってしまったが……
それでも、ジェドの居ない世界はつまらぬからな。
脳裏に浮かぶあの間抜け面。普段はクールぶっている癖にちょいちょいと笑わせてくれるその安心感。
「早く帰らねばならぬな……別れが惜しいが」
泉に帰るには口付けをせねばならぬと聞いていた。じっとジェラを見つめると察したのか目を閉じるので、その額に唇をつけた。これでも良かったのだろうか……
「ではな、ジェラ殿。我の為にありがとう」
と言い泉に飛び込んだ。もう彼女達の姿は見えない。
泉から上がると目の前にジェドのどアップがあった。
「どわあああああ!」
「あー、良かった、戻ってきた! 中々戻ってこないから心配したぞ」
安堵する様子のジェドを見て、我も微笑んだ。やはり、ジェドは我の帰りを待っていてくれたのだと嬉しくなった。
「こちらでもハオは大暴れしていたのか?」
「ああ、大変だったんだぜ」
「して、そのハオは」
「あ……そういえば」
思い出したようにジェドは風切り傷のような痕が凄いことになっている洞窟の外へと駆け出していった。魔王殿も背中に乗るよう促すので、その背中に乗って我らも追いかけた。あちらの世界では変化したとはいえ流石に女人の背に乗るのは気が引けて遠慮したのだが……やはり普通に走るより早いよな。自身のお荷物具合をまた痛感した。
……が、こちらが我の生きる世界なのだ。国に帰ったら早く走れるように修行でもするかな……
★★★
一方、森の中にてずたぼろになり飛ばされた男は葉の影に隠れていた。幸い、竜巻のような風圧剣戟は自らを隠すのには丁度良かった。
だが……この魔王領にいては見つかるのは時間の問題と踏んでいた。近くに魔王が来れば心が読まれて直ぐにわかる。ジェドも、あの実力差では勝てそうにはない。
なんとか逃げ延びる方法は無いものか、せめてあの時のようにスクロールがあれば……
と策を探していたその前に、1人の男が現れた。
「逃げたいですか?」
「……」
ハオは警戒した。その男の言葉を信用して良いものかと、何故その男がそんな事を言い出すのか、それが分からないからだ。
「取引しませんか?」
「取引……?」
「ええ。貴方が逃げ延びられる唯一の場所が、あるのですよ。話はもうついています」
男が見せた紙は『闇ギルド』の依頼書。
「どの国からも指名手配されている貴方が頼るのは、ここだけだと思うのですが……」
「……本当に逃がして貰えるのか? 城に戻らなくていいのならば……ワタシはお前を信用する」
「勿論ですよ。ただし――」
にこりと笑うその目深なフードの奥。手を翳し、ハオに触れると光る地面がハオの身体を吸い込んで魔王領から消してしまった。
「これで……よしと」
フードを取ったその顔には不思議な色の眼鏡。楽しそうに怪しく光っていた。




