魔王領の泉が生んだ傾国の(中編)
我、東国の王弟フェイは突如として魔王領の湖へと落とされた。
着ている服が嵩張るせいか水を吸ってどんどんと下に引きずられていく……
あのラヴィーンで着せられた服は思い出したくもないが、こんな時はもっと水に耐えうる服を着ればよかったと後悔する。あの竜族のもたらした服はどんなに耐水性や防御力に優れてようと2度と着ないが。
「大丈夫か?!」
水底に落ちかけた我を引き上げるのは黒い制服。水に濡れた髪も黒で、やはり奴はいつでも我を救ってくれるのだと心底ホッとした。
ここまでずっと、大人になりたい、子供でいたくないと繰り返してきたものの……いざとなると何処かでジェドの存在を頼ってしまう。必ず駆けつけて見つけてくれるのでその度に安堵してしまう……
あのアホのハオがお付きで居た頃も奴の力量に不安を抱いた事はなかった。あいつはアホで糞の上どうしようもないクズだが腕は確かだった。現に帝国の騎士団長であるジェドが苦戦しているほどだ。
だが、そうではないのだ……
単純に強い者が傍に控えていれば安心出来るとか、そういう事ではない。
どんな身分の、どんな事情を抱えていようとも……大人だろうが子供だろうが悪人だろうが善人だろうが、やつは己の手が届くのならば簡単に差し出してしまうのだ。
全ての大人がそう、なのではない。奴が奴であるからこそそうするのだ。
『ジェド、我は何だか……そろそろ帰りたくなってきたぞ』
そう言ったのは本心であり、いつまでもこうして我侭に付き合ってもらってはいられない立場なのは分かっていた。ずっと東国に戻らずにいる事なんて無理だ。
けれども、長年兄上と兄弟らしい会話も交わさなかった自分が、ジェドに甘えているのも分かっていた。大人になりたいと願いながら、子供のように甘えたかったのかもしれない。
(お主も、ずっと傍には居てくれないのだろう……)
皇帝の剣、皇室騎士団長のジェドが剣に誓った主の下を離れるなど出来るはずもない。どんなに遠くに行っても、必ず主の下へ帰らなくてはいけないのだ。それが騎士。
「ぶはっつ」
「大丈夫か?!」
「ごほっ……あ、ああ。高橋殿のスキルとやらが上手くいったようだな」
咳き込み水面に飲んだ水を吐き出す。その我に声をかけるその声は、ジェドと同じようで幾分か高い女人のものだった。
「はぁ……フェル、一歩間違えれば自分が危険な目に遭うような無茶はやめてくれ……」
「え――」
「まだだ……」
うめき声を上げながらゆっくりと立ち上がる黒い長髪。その面影はハオと似ていながら、何処となく違和感を覚えるもの。
「もうあの地獄には戻りたくない……お嬢様と一緒に可愛いものを探す旅に、逃避行するのです……」
「貴女のその可愛いものにかける執念はなんなの」
飛び掛ってきたハオらしきものに我は咄嗟に立ちはだかっていた。
「この愚か者が!!! いい加減にしろ!!!」
だが、水をぽたぽたと滴らせるその顔は、ハオに良く似た……そう、妹が居ればこのような者。
そのハオもどきは、我を見るなり顔を真っ赤に蒸気させ様子がおかしくなった。
「あ……あ……け、け……結婚……」
口をパクパクと開け閉めして固まるそれを容赦なく殴りつけたのもまた、ジェド……いや、ジェドもどきだった。
湖に降り注ぐ逆光から見えたのは、湖に濡れてべっとりと張り付いた黒の制服。そのラインが見せる体躯は明らかに女人であり、漆黒の髪から覗く目も漆黒でありながら、ジェドと似て非なる者であった。
「え……フェル……じゃない?」
「お主は……誰だ」
「……」
ハオもどきを殴るために抜いた剣をすっと鞘に戻し、一旦目を伏せて名乗る女人。
「……公爵家息女、漆黒の騎士団長ジェラ・クランバル。もしかして君……平行世界からやってきたのかい?」
「平行……世界?」
湖の反射が煌く女騎士は、美しく見えた。
★★★
「話は聞かせてもらいました!!!!」
「話を聞いていたんなら止まれ!!!」
一方その頃、騎士団長ジェド・クランバルは逃走したハオを追いかけて再び湖の近く、泉の洞窟へと向かっていた。
何でハオが泉の洞窟の場所を知っているのかって? それはこの道中に『湖に落ちて男女が入れ替わるなどの異変が起きた方はこちら→』と洞窟にむかって丁寧に看板が立てられているからである。それはもう丁寧に転々と。
何故なら観光客がよう湖に落ちるからである。異変を感じた観光客が定期的に保護されるようになったため、もうたて看板で案内するようになってしまったのだ。
たまにハーレムを求めて自ら湖に落ちるものさえ現れる始末らしく、そう上手く行けば良いのだけれど……こっちの世界でモテないやつが男女が入れ替わった平行世界で急にモテるはずもなく……思っていた世界と違うと泣く泣く保護を求めてくる者も居るらしい。もう閉鎖した方がいいんじゃないのか……
「お前の魂胆は分かっている! 洞窟を破壊してフェイをこのままにして連れ去るつもりだろ!!」
「その通り! よく分かりましたね!!」
「アークじゃなくても分かるわ!!!!」
閉鎖するのはフェイが戻ってきてからだろう。このままハオが洞窟を破壊すれば、フェイは一生戻ってこれなくなるし、フェルだって帰れなくなる。
「はぁ……いつかはそんな輩が現れるのではないかとは思っていたが、よりによって奴とはな」
アークも黒い狼の姿になって、背中にフェルを乗せて追いかけて来た。
「……」
「……おい、お前も変な事は考えるな。一生後悔するぞ」
「――?! わ、我は……」
ハオを追いかけている道中、フェイ、じゃないフェルの様子がおかしかった。それはそうかもしれない
一生こっちで逆転生活をしなくてはいけないのだから……
まぁ、フェイのように早く大人になって役に立たなくてはと悩む必要はないが、『傾国の美少女爆誕END』の悪女になられては困る。この世に1人でも多くの悪女が増えないようにするのが俺の務め……
フェルたんはそんな過酷な世界で生きるより、ちゃんとあるべき元の場所に戻って真っ当に生活をしていた方がその身の為だろう。大方、やたらとイケメンが無駄に有り余っているこの世界線と違って、あちらは美女が有り余っている世界線なのだ。
「お前は暢気だな。いずれにせよ、奴を止めるのが先決だ」
「ああ」
俺も本気を出してハオに追いつこうとするも、ハオの妄執が勝っているのかなんなのか全く追いつけない。お前、そこまでなの……
「ここか!」
壁を走るように観光客をすり抜けて洞窟の奥へと進むハオ。アークは俺にフェルを投げ渡し叫んだ。
「おい、俺は他の客を避難させてくる、お前はあいつが泉を壊す前にこの幼女を元の世界に戻せ!」
「分かった!!」
俺はフェルたんを抱き寄せ走り出した。すごく……いい匂いがする。いや、駄目だ、正気で居ろ。
「ジェラ……いや、ジェド」
「ん? 何だ?」
俺はなるべくフェルたんを直視しないようにして答えた。何だろう、元が男児だと分かっているからか女児になったフェイが余計可愛く見える。シルバーが女児や令嬢になった時にはそんな事は思わなかったのだが、これが本物の女子か。
「お主は……伴侶になればいつでも傍にいてくれるのか?」
「え……それは」
伴侶……になっても、いいよ……
いや、いくないいくない、惑わすの今はやめて!!!!
「……それは、どういう質問か分かりかねるのだが、誰かに傍に居て欲しいという理由だけで伴侶を選ぶのは止めた方がいいと思う」
「え……でも……」
「共にありたいというのも色々だろ。現にああいう不純な奴もいるし、友人としていつまでも付き合って欲しいっていう重いやつも居る。でも、そうありたい、理想の付き合い方をしたい、って決めるのは他人じゃなくて自分だから。君が本当に傍に居て欲しい人に、願ってみてはどうだろうか」
「わ……我が本当に……」
フェルたんはぐっと目を閉じて考え込んだ末、ハオの向かっている泉を指差した。
「……あの泉が本当に元の世界へ返れるのであれば、我が傍に居て欲しい人は、あの先に居る!」
「そうか。その女も喜んでいるだろうな」
泉の前に立ち止まるハオ。果汁の出る剣を振りかぶり、勢いよく地面にぶっ刺した。
飛び散る果汁、剣から光る龍気。
だが、その剣は地面に刺さる前に地面から跳ね返り折れる。
「な、なに?!」
「ま、間に合いました……ギリギリだったけど」
泉の先には高橋が居た。目の前にある文字に指を当てている……そこには『地面硬化MAX』と書かれていた。やるな高橋、そのスキル何に使うんだ……
「よくやったぞ、流石勇者だ」
折れた剣で俺の太刀に応戦するハオ。だが、俺はその剣を弾き飛ばしすーっと息を吸った。
「クランバル家48の殺人剣の1つ、千本撃風剣!!!」
覚えているかは分からないが、これはロマゾのクレストを吹っ飛ばした風圧剣。洞窟の外壁を抉りながら押し寄せる風圧と共にハオは外へと吹っ飛んでいった。
「これで少なくともフェルたんの邪魔は出来ないだろう……返してしまえばこっちのもんだ」
「魔王様が客を非難させたから良かったですけど……結構えぐい技ですねー」
抉られた洞窟を見ながら漏らす高橋。ハオはこうでもしないとしつこいからなぁ……ついつい本気をだしてしまったぜ。ふう……
「ジェド……感謝する」
フェルたんが泉に歩み寄りながら呟く。
「我は、ちょっとだけこの世界でもいいかなと思ってしまったのだが……やはり、あるべき場所へと帰らねば。国を傾けても困るしな」
「ああ。一緒に居たい奴にも宜しく言っておいてくれ」
フェルたんの頭を撫でると、フェルたんが俺の服を引っ張って頬に唇をつけた。
「あ……」
「口付けせねばならぬのだろう。先程魔王殿と話をしていたではないか」
呆然とする俺を尻目にくるっと振り返って泉に飛び込むフェルたん。
「ジェド、我と伴侶になりたければいつでも飛び込んで来い……」
と寸前で漏らしたのが聞こえたので、一瞬ふらっと飛び込みそうになったが高橋が止めてくれた。最後まで惑わしていかないで……
「流石傾国ENDの悪女……恐ろしいタラシっぷりですね」
「ああ、あれはこちらの世界にはいちゃいけない存在だ……さぁ、これで早いところフェイが戻って来てくれれば」
と、暫く高橋と2人で待っていて、誘導を終えたアークも戻ってきたのだが……フェイは中々泉から出ては来なかった。




