漆黒の裁判、半裸の騎士の罪(前編)
公爵家子息、漆黒の騎士団長ジェド・クランバルは悪役令嬢呼び寄せ体質である。
転生しただとか、前世でプレイした乙女ゲームの世界に似ているだとか……とにかく断罪や処刑など非業の未来を待つ令嬢が地震の運命を変える為に近づいて来るのだ。
その数々の事件のさ中、ジェド・クランバルは世界に闇をもたらす暗黒の竜、ナーガ・ニーズヘッグと幾度も戦い、勝利してきた。
ナーガは負の感情、人々の闇を力に変える真の悪女。執念だけは誰にも負けない恐ろしい女で……
ジェド・クランバルの身体はついに彼女に屈し、飲み込まれてしまったのだ。
そう……漆黒の騎士団長ジェド・クランバル改め、漆黒の邪竜騎士・ナーガがこのお話の主人公となり思うが侭、望みの侭に支配する時代が……やっと来たのよ。
「くっくっく……」
「本当に……ジェドは負けたみたいだな」
愛おしい方の子……アークが私を見て後ずさる。恐らく、この心が読めているのでしょうね。
そう、貴方の言うとおりあの子はもう私の奥深くに眠って目覚める事は無いわ。永遠に、ね。
調子に乗っていた貴方達ももう終わりよ、だって頼みの綱のこの子は助けてくれないのだから。
毎度毎度私の邪魔をしてくれた……この子は。
さぁ、これからは私の――
「キャアアアア!!!!!!」
私の思考を邪魔するのは耳をつんざくような喧しい悲鳴。唐突な声に狼狽え思わず耳を塞ぐ。アークは耳というか頭を押さえていた。直接耳に入るだけじゃなく頭にまで響いているのかしら、不憫な子。
一向に止まない叫び声の方を振り向くと、聖国の女王オペラ・ヴァルキュリアが目隠しをされながら叫んでいた。塞ぐなら目じゃ無くて口を塞いで貰いたいのだけど……
「オペラ、落ち着いて……」
「あの、あの状態を何とかして下さいませ!!! あんなの、あんな、ギャァアアアア」
「いやだから、今はそこを気にしている場合じゃ……中身はナーガなんだよ?」
「そ、外見はあの男でしょう、わ、猥褻!!! わ、わたくしの記憶を消したい!!」
「今それをやるとややこしくなるから……ジェドのそういう所は全部解決したらちゃんと叱っておくから」
「いまわたくしに重要なのは中身じゃなくて何も纏っていない外身の方ですの!!!」
オペラが何を騒いでいるのかと自身を見れば、どうやら何も纏っていない私の……いえ、この身体ジェド・クランバルの姿を見て狼狽え、錯乱している様子。ほほほほ、何処まで子供なのかしら。
目を塞いでいるルーカスの言う通りよ、そんな余裕があると思って?
「ふむ」
と、それまで口を挟まなかったウルティアビアの裁判官ヤマが何かに納得するように頷き、楽しげに手を打ち叩いた。
「なるほど、理解した。これより開廷するは……ジェド・クランバル改めナーガ・ニーズヘッグの公然わいせつによる、罪の重さ、だ」
……? なに?
―――――――――――――――――――
ヤマが座る裁判席を挟んで対峙する4人の男女。
「今のは聞き間違い、かしら?」
「いいや、間違いではない。聖国の女王オペラ・ヴァルキュリアはジェド・クランバルの場を弁えぬ破廉恥な姿に精神的苦痛を受けた。だが、その中に居るのはナーガ・ニーズヘッグであるが、その一糸纏わぬ状況は本来の持ち主であるジェド・クランバルが作り出したものであり……その責任の所在は何処にあるか、実に興味深い裁判だとは思わないか?」
椅子に深く腰掛けて頬をつき、ニヤニヤと笑うヤマの態度に、ジェドの姿をしたナーガはピクリと眉を寄せた。
「え、どうなって……」
「いや、そうだ。オペラ、絶対に許せないな、この罪の所在をハッキリさせる必要があるよな!」
「え、ええ???」
オペラの目を塞ぎながら困惑するルーカスと状況の飲み込めないオペラを他所にアークが話を進める。
(ちょっと、アーク……何が――)
(いいから話を合わせろ、もしかしたら……いや、十中八九これは、逃げられるかもしれない)
(え……)
耳打ちするアークの意図が掴めないルーカスであったが、そう言われてナーガの様子を見ればヤマを見据えて不機嫌そうな表情を見せていたのに違和感を感じていた。
(何だ……?)
「まず、ジェド・クランバルが服を失った経緯だが、本人の過失によりウルティアビア定期船459便を損壊させた事による罰金だ。その足りない罰金を彼の持っている服で支払うと決めたのは確かにこちらであるが、その際にオペラ側に譲られた上着は彼の所有物でないと判断し、再譲渡された上着は罰金没収分にまで当たらないと該当。よって、この時点ではギリギリ彼の尊厳を保つ布は守られており、裁判側、オペラ側、本人に罪は発生していないと考える」
ヤマが真面目にジェドの裸における罪とその所在を述べ始めた。ルーカスに取って見ればジェドが裸なのはどう考えてもジェドのせいで間違いないのであるが、どうも話しぶりから察するに完全にジェドだけのせいではないという流れになっているのだ。
これが中立から見た意見なのか、と謎の感心をするも
(中立……?)
これまでのヤマの行動は、どう考えてもナーガの優位な方へと動いていたのだ。だが……
「次に、その上着を脱ぎ捨ててしまったのは、ジェド・クランバルがナーガ・ニーズヘッグに乗っ取られた衝撃によるものであり、その際に上着を取って隠し周りに配慮する義務はナーガがジェドの身体を手に入れた段階から生じるものであり十分に出来た行動といえるだろう」
「……何が言いたいの?」
「さぁね、この状況から悪女様がどうやって断罪を乗り切れるのかに興味があってね。覆せる程の理由を、論破を俺に浴びせて欲しいね」
恍惚で楽しそうなヤマの顔は、確かに他のウルティアビア人から聞いていた通りの悪評だった。それが今は何故かナーガに向いているのだ。
「……愚かなこと。答えは決まっているでしょう? 私、無駄な話し合いも正しい事も、好きじゃないからどうでもいいのよ」
ヤマに向けられた手。ゆっくりとあげる指はしなが走り、動きは確かにナーガのものだがゴツゴツとしたそれはジェドのものだった。青く光るナーガの目と、手から迸る黒い闇魔法が人の感情を無理やり押さえつけ動かし拗らせる事をアークは知っていた。恐ろしいその魔法を見るのは怖かったが、アークは自身の考えを信じて目を話さなかった。
「…………?」
「どうした、答えは?」
目を見開き手を止めるナーガ。その思考を読んでアークの考えは確信へと変わった。
「おい! オペラ! あの滑るやつを、神聖魔法を使え!」
「はぁ?! 今は使える訳」
「いいから!」
突然叫ぶアークの声にナーガが振り向く。目を覆われたままのオペラは半信半疑ながらももう幾月も使ってなかった神聖魔法の魔法陣を思い出し描く。石鹸のようなとんでもなく滑る液体を発する魔法は広範囲でなければ少しの聖気で描く事が出来るものだった。
だが、今のオペラは羽が無いはずなのに、指の先から懐かしい温かさを感じて魔法が発動された。
「え?」
「逃げるぞ!!!」
ルーカスの手が覆っていたオペラの目、それが身体に回されて抱き上げられながら走り去る部屋。一瞬見えた中は真っ白な石鹸の泡で溢れ返っていた。
「ど、どういう……」
「やはり、思った通りだ! ナーガは、多分今、魔法が使えてない!!」
「ええ?!」
「あいつの思考が読めた時点でおかしいと思ったんだ! 魂だった時も、身体があった時も、ノエルに乗り移っていた時だって思考なんか読めた事が無かったんだ! だが、何でか分からないけどジェドの意識が無くなった瞬間にあいつの声が初めて聞こえたんだ。魔法障壁が使えないだけかと思っていたが、さっきのあいつの様子を見て確信した。多分今、呪いの力も効いてない」
そう言われてオペラは首もとを触る。そこにあったはずの傷のようなナーガの闇の刻印は今は無く、その更に背中側にはふわふわと触る新しい小さな羽の感触すらあった。
「なんで……」
オペラはジェドとの会話がフラッシュバックする。
『……貴方、乾燥魔法とか使えないの?』
『残念ながら、俺はいつしからか魔法が使えなくなってしまったんだ』
『何でよ』
「……そうだ……呪い、あの男、確かに魔法が使えないって、言ってたわ!」
オペラを抱えて走るルーカスはその言葉に苦笑した。
「ジェドに乗り移ったのが、ナーガの運の尽きだったって事か」
「とにかく、今は逃げるぞ!」
先導する獅子の姿のアークの後を走るルーカスは頷いた。今は、友人を助ける為の時間と状況を整える事が必要だと……
「あーあ、原告に逃げられちゃったって事は不起訴ってこと――」
ナーガを揶揄するように言ったヤマだったが、あまりのナーガの怒りの表情に嬉しくなって言葉を止める。
「……何か、人を斬れそうなものはないの?」
「そういう物騒なものはなー、そこの壁に展示してある罪人用の金棒ならあるけど」
言われるが早いか、ヤマの示した壁から金棒を取ると、ナーガはそれに闇の気を纏わせて一振りし3人が逃亡した側の地面を大きく抉る。
オペラの魔法を抉り取った闇の殺人剣の上を走ろうとするナーガに、ヤマは上着を手渡した。
「おっと、追いかけるならそれでちゃんと隠してから行ってくれよ」
「……」
律儀に服を腰に巻いたナーガは、ジェドの顔でニヤリと冷たく笑いながら3人の逃げた方へと全力で走り出した。
「……くっくっく、本当面白いものが見れそうだ。魂達を裁いているより、余程面白いよ、ナーガ」




