閑話・あの日のアークの会話
それは、帝国で皇帝ルーカスの后を決める舞踏会が開かれた日に遡る。
「取引せぇへんか?」
喧騒を外に置き去りにする皇室図書館で対峙するのは、魔王アークと聖国の女王オペラ・ヴァルキュリア……の見た目を持つ誰か、であった。
誰かはハッキリとはアークには分からない。分からないが、その男がハオと共に暗躍し、迷惑を撒き散らす占術師である事は分かっていた。いや、その占術さえももしかしたら何か違う能力なのかもしれないとさえ踏んでいた。
アークの頭に聞こえてくる内容は、以前ジェドが匿っていた異世界人のワンダー……彼と同じような思考だったから。
作られた物語、ゲーム、異世界……
理解を超えるそれらの単語は、今まで出会って来た者達の話から信じざるを得ないものではあったのだが、何にしても厄介である事には変わりない。
それも、ナーガに加担するような動きをしていたワンダーだって許された訳では無く、目の前の者も何らかの知識を使って世界に害をもたらそうとするのであれば即刻皇帝に突き出す必要があった。既に、オペラが迷惑を被っており、このような騒動になっているのだから。
その相手からの取引の申し出……ルーカスと盟約を結ぶアークには聞く理由など何も無かった。……はずだった。
(あの女王のこと、手に入れたいんやろ?)
心を読んでいるのを分かっているのか、その男は非常に心外な事を考えてアークは不機嫌になった。
ほぼ初対面のこの男が一体何をもって誰からそんな話を仕入れたのか……大体の察しはつく。東国に行った際にハオがそう解釈し、漏らしたのだろう。
だが、そう言葉にされると本当に心外なのだ。
……いや、正しくは考えが纏まっていない。先ほどダンスパーティに無理やり連れて行かれ、ロストに促されてルーカスの前に出された時も、本当に何をどう説明したら良いのか……自分自身分かっていないから。
東国にオペラを助けに行ったのだって、助けなくちゃいけないと思ったからであって……アークはルーカスと争う気は無いのが本心だった。しかし、では何故いつまでもオペラの指から自身の指輪が離れていかないのか。何故シャドウのように2人の幸せを素直に祈れないのか。
その答えの出ない葛藤がアークを悩ませていた。
だが、それを改めて他人に指摘されると腹立たしい。本来自分で早く答えを出さなくてはいけないはずなのに、いつまでもハッキリとしない自分にも腹が立つし、それを利用しようとしている、利用出来ると本気で思っている者の存在にも腹が立った。
端から男の口車に乗るつもりは無かったが、無言を交渉の余地アリと捉えた彼はたじろぎながらも饒舌に話を続ける。
「自分、気付いてない訳ちゃうやろ? あの子、邪竜に食われとるで。闇の竜ナーガに繋がるんならと思って羽を全部切らせたけど、魔王アークがあの女のことを狙ってるっちゅーんなら話は別――」
アークはその男の胸倉と腕を掴み壁に押し付けた。依然オペラの姿のままの彼に乱暴を働くのは少しの抵抗があったのだが、それよりも怒りが勝った。
人に対して怒った事は数えるくらいしか無い。全身がゾワゾワと総毛立つ感覚は、その話題のナーガ本人から両親の死に関する話を聞かされた時以来だった。
またしても、またしてもあの女のせいでアークの大切なものが奪われようとしているのだ。
「わーっ、待った、ギブ! ギブ! 俺は別にあの子には何も――」
「だからオペラを浚わせたのか」
「ちゃう、ちゃうねんんて!! アレは本当にあのアホの間違いだったんやて!! 羽を全部切ったのもアイツがアホで独断でやったから!! 羽が無くなって、噛み傷からナーガの血が進行したのはただの偶然なんやて!!」
オペラの羽が無くなり、聖気が弱まった身体にナーガの血が残っていた事……東国でルオが暴走し闇の竜の力を沢山浴びてしまった事……それらは全て偶然であり、この男が仕組んだ事では無いと告げる。
「ナーガを呼び出そうとルオやあのオネエを利用しようとしていたのはホンマやけど……」
「利用しようとしてどうする……闇の竜の力を真っ当な人間が使いたいなどと、碌な話では無いだろう」
「いや、別にこの世界をどうにかしようとか、そういうアレちゃうねんて! 元の世界に、戻りたいだけやて!!」
「元の……?」
アークが手を緩めると、男の思考がゆっくりと頭に入ってきた。彼は、本当にこの世界を壊そうとしている訳ではなかった。それは自身の作ったゲームとこの世界がほぼ同じであり、そのゲームとやらは彼の愛する子供と同様だったから。
そして、壊れゆくゲーム達の中でずっと生き残り続けているナーガに元の世界へ戻るヒントがあるのでは無いかと本気で思っているのだ。
アークが手を緩めると、オペラの格好をした彼はぜえぜえと肩で息をした。
「……」
「はぁ、はぁ……あーくるし……」
「おい、お前はナーガの居場所を知っているのか……?」
「場所までは分からん……けど」
ごそごそと鞄から取り出したのは1枚の魔術具と思しき板。何の動力で動いているのか分からないそれをすいと動かし、何かを読み上げるように続けた。
「俺かて、結構調べたんや……でも、どこにもおらん。けど、この世の何処かに、魂達が導かれる地っつーのがあるらしいんや。ナーガは魂になって結構経つんやろ? せやったら、その地で何らかの方法で留まっているのかもしれへんなぁて」
「魂が集まる地……」
アークは魔獣達から聞いた事があった。正確には馬の魔獣に。
この世には魂が導かれ、川を越えて転生の輪に入り行く、そんな最果ての地が存在するのだと……
幼い頃、そこに行けば両親に会えるのかと聞いたアークに対し、父も母も魂はこの世界から消えているからそこには行かないと、夢に入る前にナイトメアが囁いてくれたのを思い出した。尚、その後しっかり悪夢を見た。
「その地へ行ってどうする……」
「それで、この子や。ナーガの所に連れて行けば間違いなく依り代にして復活するはずや! 俺は復活したナーガに元の世界に帰る方法を教えてもらう、自分はこの子を手に入れられる」
「……そんなもので手に入れられる訳――」
「だって、この子がこの子やったら、もう恋人は既におるんやろ。ナーガに乗っ取ってもらったら喜んで嫁になってくれるはずやて。先代魔王に惚れてたくらいやしなー」
その言葉を聞いた瞬間、アークは手のひらに爪を食い込ませた。痛みで保っていないと正常で居られない位には腹が煮えくり返る。
ナーガが先代魔王に惚れて起こした愚行も、そんなオペラで良いと思われている事も、オペラを利用しようとしている事も……
何より、そうまでしないと絶対に手に入らないという現実を突きつけられた事にも、全部に腹が立った。
(ああ……そうか……)
そこまで言われて、アークは気が付いた。
自分が、オペラに片想いをしていて……絶対に手に入らないと分かっていても、諦めきれずに認めないふりをして先延ばしにしていた事に。
あまりにも格好悪くて、情けなくて、そんな自分を認めたくないと、そう思うくらいのプライドとルーカスへの抵抗心や嫉妬を抱く事があったのだなと。ストンと腑に落ちて冷静になっていく自分が居た。
「……え、ええと、ど、どう?」
「……良い、だろう」
「やっぱダメ――え?!」
なかば諦めていた彼は落ち込む素振りから一転、目を丸くして喜んだ。
「ほ、ホンマに?! 協力してくれるん?!」
「ああ。良いと言っている」
作り笑いを浮かべて彼に乗ったふりをしたアークは、ぶん殴るのはオペラを助けた後だと、割り切るようにした。
そして……今度はちゃんと心のままに行動するのだと、やっと決心がついたのだった。
★★★
(なんて、協力してくれる感じだったのに……! 何でやねん魔王!!!)
「……騙される方が悪い……ウゲロ……」
「何が? あー、本当すみませんねー、連れがグロッキーで。あ、水ありがとうございます。ほら、アーク、この薬めちゃくちゃ効くらしいから、飲め」
辺りがすっかり暗くなった甲板。部屋で寝ていたはずの魔王アークであるが、また船酔いがぶり返してきた為外に出て風に当たりつつ海に向かって吐いていた。
漆黒の騎士団長ジェド・クランバルはそんなアークを介抱しながら外へと付き添っていた所、親切なウルティアビア人の乗組員に水を持ってきて貰っている所。
時折アークが嘔吐と一緒に謎の言葉を吐いている気もしたのだが、意識が朦朧としているのだろうと気にも留めなかった。頑張れアーク、岸はもう薄っすらと見えている。
親切な乗組員の人もアークを恨めしそうに見ている気がしたが気のせいだろう。アークと接点なんか無いだろうし、アークが人の恨みを買うとも思えないから。
……いや、絶賛陛下の恨みを買ってるか。
「……買った覚えは無い。……まだ」
「いや、買うなら買うでさっさと素直に対決すればいいじゃん」
「……今は良いだろ。あいつらも結局誤魔化したみたいだし……俺の体調が万全では……ない」
「あー、確かになぁ。無理すんなって。もうすぐ――」
と、船の外を見たとき、先にゆらゆらと揺れる何かを発見した。
「……ん? あのー、アレってウルティアビアの何か、ですかね」
「え?」
乗組員さんが俺の指差す先を凝視する。
段々近づいて来るそれは……
「か、か、か、海賊、海賊船!?」
「え……川なのに?」
霧に包まれて近づいてくるそれは、揺らめく旗にどくろが描かれた……黒い船だった。




