陛下と2人旅は雨の洞窟から(前編)
「それで、オペラが向かった場所というのは何処にあるんだ……?」
聖国の執務室を出る前、アッシュに聞いた場所。一つ考えながらアッシュが手にしたのはまたしても世界樹を中心としたファーゼストの地図だった。
ファーゼストという大陸は単純である。巨大な森が、大陸の半分はあろうかという巨木の世界樹をぐるりと囲んでいるのみだ。ぽっかりと、地図の真ん中に空いた穴のような表記が天に延びる世界樹の大木であり、その地図を見た異世界人からはよく『シガケンに似ている』と言われたりする。シガケンってなんだろう……あちらの世界にも大陸の真ん中にどかんと穴が開いたような地図が存在するのだろうか。
西側がダークエルフの森であり、東がゲートから延びる表街道からのエルフの国であることは語ったと思うが、北の森を抜けた更に端は険しい山々が連なっていた。
「険しい山々が道を塞ぎ、殆どそこを訪れる人は居ない場所なんだが……古くからの聖国に伝わる話では世界樹の上が神の住む天上、山が隔て大河が寸断する向こうは死者の魂が輪廻を越える狭間の場所って言われているんだ」
「? 死んだら転生するんじゃないのか?」
「俺達聖国人には人が死ねば必ずあの場所を通ると言い伝えられていて、あの場所を越えられない者の魂がいつまでも現世に留まるって言われているんだ。騎士団長だって、たまに見るだろうゴーストとか、幽霊とか」
「……いや、自慢じゃないが見たことは無いんだ」
「……そう、でしたね」
申し訳ないが、俺は霊の類は何故か見えないんだよね……
「ま、まぁ、つまり、多種多様の霊が必ず集まる場所とされている地で、迷える魂の核はそこで留まっているとも言われるんだ」
「魂の……核」
「それが、ウルティアビア……死者を呼び寄せる国、と言われる禁忌の地です」
なにそれ……いや、何しに行ったのそんな不穏な所に。
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世界樹の北側、ウルティアビアはファーゼストの僻地中の僻地。
あの世か地獄か、なんて恐れられているその地には誰かが立ち寄ることもなく、場所すら曖昧。当然定期馬車や小規模ゲートがある訳もない。
聖国への旅行客が増えて来た最近に導入され始めた飛龍便もほぼ満席で定期航路を飛ぶのがやっと。チャーターなど出来るはずもなく……
「以前も運搬動物や飛龍便の不足でアンバーが頭を抱えていたが……あまり運搬系の種族に頼りすぎると彼らに負担がかかりすぎるからね。ゲートや魔石動力の良い運搬方法はないか魔塔とも協議した方が良いな」
「ゲートは便利ですけど大まかな国や大陸しか移動出来ませんからね。もっと安価で簡単に使えるような移動手段があれば良いのですが……まぁでも、飛竜では無いにしろ、こうして馬を借りれただけでも助かりましたよ」
「そうだね。景色もいいし……」
遥か足元に広がる一面の森、背後にした世界樹は未だ聳え立つ山のようで吹き下ろす風に時折煽られそうになる。
聖国で借りれた馬は羽の生えた……いわゆるペガサスである。
古くは神と馬が愛し合い生まれた神獣とも言い伝えられているが、その真相は定かではない突然変異の聖国にだけ住む馬である。実際に鳥と愛を通わせる騎士も居るので、種族を超えた愛は存在しているのかもしれない。どちらかというと信憑性が低いのは神の方である。
いつもは天の回廊を行き来する為に利用されているペガサスだが、快く貸してくれた。この馬に乗って行けばウルティアビアに辿り着けると言ってはいたが……飛竜と比べると心許ないものの、貸してくれただけありがたい。
「しかし、ファーゼストは上に長いだけの地かと思っていましたが、意外と広いんですね。遥か先まで森ですし」
「大陸の殆どが中央の世界樹に集まるからこの辺りは殆ど開拓されてないのだろうね。こう同じ景色が続くと余計に長く感じるけど実際もうかなり進んだよ。ただ、いつでも雲の上に居る聖国とは違って天候が心配だからね、天気が悪くなる前に中継地に辿り着けると良いのだけど……」
地図を覗きながら前方を気にする陛下。その目線の先は確かにグズついた黒い雲が広がっていた。やがて、湿気って生温かい風と共にポツポツと大粒の雨が頬に当たり始める。
「この大粒だとかなり降りそうだし、飛べなくなっては困るからね。一旦降りて雨が凌げる場所を探そう」
ペガサスを急降下させ、森の中へと入り込むと木々の隙間に隠れて当たる雨が少し和らぐ。しかしそれも、降りが強まると意味を成さなくなり一瞬で髪や服が滴るまで染み込んでいく。
羽が濡れないようにペガサスにマントやローブをかけ、急ぎ屋根下を探した。
「陛下、そこに洞窟が見えます」
「よし、一旦そちらで雨宿りとしよう」
ペガサス達を洞窟内へ押し込めると、強い雨で冷えた外の空気から洞窟内に篭った生温い空気へと変わりホッとする。
「……雲が厚い。もしかしたらすぐには止まないかもしれないね」
最悪ここを野営地とするかもしれないと、陛下は洞窟内に散らばる木の葉や枯れ枝を集めて魔法で火をつけた。
ペガサスにかけた布や服を絞ると水がジャバーッと溢れ出た。風邪を引いてはいかんと濡れた服を脱ぐ。
……ふと気になり、陛下の方を向くと、変装セットから何から脱いで陛下も同じように絞ったり魔法で乾燥させたりとしていた。
「……何?」
「いや、何か変装とは言え女性の前で急に服を脱ぐのは何か忍びないと思って。絵的に」
「……いや、変装だから。というか、今更君がそこを気にするの?」
確かに東国では信じられない位に服を脱ぎ捨ていたのだが、流石の俺も反省してもっと真っ当な人間になろうと心に誓ったのだ。
東国で何をしてきたかは陛下には一切言ってないのだが……
バレた時が怖いので暫く露出は封印である。紳士になるぞ、俺は。
「……君がそういう、変にマトモぶろうとする時って大体何かを誤魔化そうとしている時なんだけど……まぁ、いいや」
ギクリ……陛下にはバレバレである。付き合いが長いと隠し事が難しい……
「雨、止まないね」
「ですね」
しーんと静まり返る洞窟内に、外の激しい雨音とポタポタ何処からが漏れる水音、パチパチと燃える火の音が聞こえる。
「……何か、君と2人で旅なんて久々だね。最初に聖国へ行った時以来かな」
「そうですね、昔はよく城を抜け出して遊びに行きましたが。陛下が皇帝となってからは特にそんな時間も作れなくなりましたから」
「いつまでも子供の頃のように遊びには出かけていられないからね。視察も兼ねた慰安旅行ならばともかく、竜が見たいだなんて突拍子もない理由で姿を眩ましたりなんて事も出来ないさ」
「ありましたね、そんな事」
幼い頃は親父と旅した土産話を陛下にしては、目を輝かせて興味津々に聞く陛下とコッソリ抜け出して探しに行ったものである。
子供の足で行ける範囲なんて限られているが、魔物が出ると噂の森や精霊国にならば珍しい生き物でも見れるんじゃないかと子供心にまかせて探検した。
尚、夢にまで見た竜はそんなに良いものではなかったので、夢を儚く追いかけていたあの頃の方が幸せだったのかもしれない……
「今では竜のりの字も聞きたくないが……」
『ああ、でもこの先行く場所やファーゼストの森の各所には意外と竜にまつわる伝承が多く残っておりますよ』
「そうなのか? それは嫌だな……」
『雨だって、【竜が雨を降らせて殺される話】とされるものはここだけではなく世界各所に伝わっているみたいですし』
「……あまり聞きたくないタイプの話だな……」
「いや、ジェド、君普通に受け入れているけどさぁ、突っ込まなくていいの……?」
「――え?」
何の気なしにボーっとしながら答えていたのだが、確かに会話していたそれは陛下の声ではなかった。
声のした方を振り向くと、ペガサスのうち1頭がニカっと笑って歯を剥き出しにした。――馬が、喋ってる?!




