シルバーの記憶
「ほほう、君の言う事が本当ならば……私は魔塔の仕事を何もかも放り出して、わざわざ帝国の魔法士になったと……」
「……本当にひとつも思い出せないのか……?」
「うーん……思い出せないどころか信じがたいねぇ」
顎に手をあて考えるシルバー。これが揶揄っているとかならば疲れているから勘弁して欲しいのだが……揶揄うにしてはボケが長すぎる。
漆黒の騎士団長ジェド・クランバルは困惑していた。そう、目の前の魔塔主シルバーがまた何か変なことになっているから……
言うて、これまでもシルバーはわりと頻繁に変な事になっていた。そもそも最初から変なので、封印の魔術具が奪われた時に散々変態(形態・状態・生態などが変わることの意)していたし、拗ねて皇室騎士・魔法士採用試験を妨害していた時もまぁ変だったが気にはならなかった……シルバーが割と我侭で変なのはもう慣れっこなのだ。
……だが、目の前で首を傾げるシルバーは何がどこまでどうなのかはわからないが……とにかくいつの時点からかの記憶が無いようだった。
「魔塔主って自覚はあるのか?」
「ああ、もちろんだとも。帝国の皇帝ルーカスにだって会った事もあるし、皇室魔法士にも騎士にも知り合いはいるねぇ。だけど、君については会った事もなければ聞いたこともないんだよねぇ」
「……それは、つまり俺のことだけ忘れているって事なのか……?」
「うーん、そもそも……私が君とどういうやり取りをしていたのかすら分からないし、君の知っている私とどこまでどう食い違っているかすらぴんと来ないからねぇ」
夜の公爵家……いや、もううっすらと空が明るんで来ている。
灯りのほんのり灯る庭の椅子に腰掛け、シルバーは俺の不思議な話を興味深げに聞いていた。
好奇心旺盛で不思議な事が大好きなシルバーの性格はそのままだった。何かに操られているとか、そういう事ではなさそうだ。巷で流行りの闇の影響を受けたにしては能天気過ぎるから。
そう、完全に俺に関する記憶だけが足りないだけなのだ。完全リセットである。
……ならば、やる事は一つだろう。
「覚えていないならば仕方が無い……改めて自己紹介しよう。俺は公爵家子息、漆黒の騎士団長ジェド・クランバル。真面目が取り柄の失敗しない男と呼ばれる優秀な騎士だ。記憶を失う前のシルバーにはよく俺の格好良い活躍を褒められたもので――」
「うーん、胡散臭いねぇ。大方剣の実力だけで騎士団長に上り詰めたけど頭の方はあまり良くなかったんじゃないのかい……?」
「……何で分かるんだ? 記憶が戻ったのか……?」
「……いや、そういう所じゃないかな」
シルバーは真顔で可哀想な目を俺に向けてくる。いつもならばもっと楽しそうに突っ込んでくれるのに、妙に冷たいのが何か悲しい。
「――とにかく、話を聞けば私が君に付き纏って迷惑をかけたそうじゃないか。これで君も私に煩わされなくて済むだろう、私はこれで――」
と、シルバーが移動の魔法陣を描こうとしたので、俺は慌ててシルバーを止めた。
「おい」
「ん? まだ何か……」
「あ……いや……その、安易にゲート外を移動魔法で飛ぶのは面倒じゃないのか?」
「ウーン……それは確かに。忠告ありがとう」
やはりスタスタと去ろうとするシルバーを、俺はまた引き留めた。
「……?」
「ああ……えーと、俺の知っているシルバーと最後に会ったのが……刺された時だから、傷は大丈夫なのかなって……」
止めたものの、理由が特に思いつかずにふと思い出した事が口をついて出た。
「傷……? 私が傷を受けたのかい? それなら魔法で直ぐに直ったんじゃないかな」
「いや、そういう簡単な怪我じゃなかったんだ。竜の力を持つ剣士が龍気を纏ってつけた致命傷だったからな……回復するまでお前はずっと寝てたんだよ」
「……なるほど。確かに腹の辺りがつっぱっているような気がしたねぇ……」
と、じゃらじゃら魔術具が揺れる服を捲ると薄っすらと剣の傷が残っていた。俺の目の前で血なのか魔力なのか分からないものをどくどくと流していたあの刺し傷は、ファフニールのお陰か殆ど残ってはいなかった。
「良かったっちゃー良かったのか……殆ど傷になってないようだな」
無事な腹を見て安心から叩いてやろうかと思った時、俺の手をバシンと弾く感触がした。
「ん?」
「え?」
一瞬、シルバーが叩いたのかと思っていたが、そうじゃない。叩いたのはシルバーの髪だった。
「……お前の髪って、自由に動かせるのか……?」
「いや、そんなはずは無いねぇ。確かに髪には魔力が宿りやすいし、私の魔力は意思を持っている。けど、それは魔術具で押さえつけているはずだし……ふよふよと動くのが精一杯だ。私の意志から外れて動くはずが……」
「……やっぱ、何かおかしいんじゃないのか? お前」
流石のシルバーも自信が無くなったのか、眉を寄せて考える。
「うーむ……私の記憶だけの異変ならば黙って見過ごそうと思っていたのだけれどねぇ。君にも迷惑がかかりそうだったし」
「俺は別に迷惑じゃ……」
無かったかと言われると、まぁまぁ迷惑を被った気もしなくもない。
確かにシルバーには何度も助けて貰ってはいたが、ちょいちょい友情が重すぎるし、他にも友達作れよと思う時はある。
それもこれもシルバー自身が忘れているなら、重すぎる友情に気をつかう事ももう必要無いし、俺には何も関係ない話だろう。
……だが
「……ん?」
シルバーがふと足元に落ちていた耳飾りに気付いた。
さっきの弾かれた反動で千切れたのだろうか? イヤリングとして加工していたチェーンが切れていたそれは、シルバーが装備している魔術具の飾りの中で唯一何でも無いもの……
何でか分からんが後生大事に取って身に付けているワインのコルクだった。
「これは……魔術具じゃないようだけど、何か知ってるかい?」
コルクを拾い上げたシルバーは不思議そうに俺に尋ねた。
「……まぁ、今のお前には必要無いものさ……」
俺がそれを受け取ろうと手を差し出すと、シルバーはその手にコルクを乗せようとした。
「……」
だが、その手が止まる。
「シルバー……? 何か思い出して――」
俺の言葉を遮るようにシルバーはぶんぶんと首を振った。
「……いや、何も。でも、やっぱり私の意思とは関係無く君に近づく事を妨害しているみたいだねぇ」
「何が……」
よく見ると、止まったシルバーの手はプルプルと震え、その周りを固めるように薄っすらと魔力が固まっていた。
「ふふっ、ねぇ君……ええと、ジェド・クランバル卿?」
呼び慣れないように名を言い、シルバーはニヤニヤと笑った。
「君が以前の私の事を迷惑と感じていないのならば、この原因……一緒に探ってみるかい?」
抑えきれぬ好奇心にワクワクと目を輝かせるシルバー。だが、シルバーは別に俺について来いとは言っていない。1人でも原因を探るだろう。俺がついて行く義理もない。
「……お願いせずに俺に真っ当に意思を聞いて選ばせたのはお前が初めてな気がする……」
言うてシルバーは悪役令嬢ではない。公爵家子息であり騎士団長に用がある訳でもなく。
俺がわざわざ関わる義理も……無くはない。
俺は走馬灯のように過去を思い出した。思い起こしてみれば散々お世話になっているのだ……
「……まぁ、シルバーというか、シルバーが変装したシアンも一応皇室魔法士になったばかりだし……居なくなられると困るからな」
「別にそういう助力をして欲しいならば魔塔として手伝いを――」
「あー、もう分かった! 分かりました!! これは俺個人の頼み!! シルバーは友人だから、忘れられると寂しいんだよ!!!」
観念して出た俺の言葉に、シルバーは初めてあのいつも見慣れた笑顔を見せた。
「ふふふ、人間素直が1番さ、ジェド・クランバル卿」
と、俺の背中を叩こうとして魔力に止められてプルプルしていた。




