東国の空、闇の竜を救うのは……(後編)
「……準備はいいか?」
「良いかと言われると全く良くはないが……まあ」
俺は神妙に頷いた。アークも頷く。ロストは空を見上げていた。
俺はアークの上着のコートを羽織り、黒い獅子に姿を変えたアークの背中に乗った。ロストもその後ろに腰掛ける。
空中を蹴るように駆けるアークは暴れ炎を吐くルオの元へと一直線に進んだ。
「……本当に、ソレで大丈夫なの?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれると、全く大丈夫じゃないんだが……」
俺は小さくなっていく王城のフェイを見た。
「助けて欲しいって頼まれたら、やらない訳にはいかないだろう。俺はお願いをされると断れないし、特に子供には弱いんだ……」
「……少しは考えて断った方がいいわよ。まぁ、アンタにはアタシも散々手を焼かされたしね。そういう所が、何か上手く行ってるんでしょうね」
「やけに素直になったな。オペラとの事といい、どういう心境の変化なんだ?」
「アタシは聖国を出た時からずっと素直に生きてきたつもりなんだけどね。変わったのはオペラや他の奴らでしょ」
「まぁ……それは、確かに」
思えば、最初に会った時のオペラも相当グレていた。グレて拗らせていたはずなのに、いつの間にか素直な可愛い面を見せるようになっていったな。だから陛下だってあんなにデレデレだし何かやたらにモテて……
「……無駄話をしている場合か。敵はすぐそこだぞ」
不機嫌そうなアークの言葉通り、黒いオーラの中にナーガと瓜二つの竜体になったルオが居た。
ラヴィーンやスノーマンで戦った時の竜よりはだいぶ小さいが、こちらを忌々しそうに威嚇する様子はナーガそのものだった。
対峙した瞬間にアークがブルブルと震える。相当トラウマなのだろう……そういやラヴィーンでもスノーマンでもアークは散々ナーガに襲われていたからな……アーク自体は全然好かれている訳じゃないのに。気の毒に……
「俺の事はいい。とにかく、お前にかかっている。しくじるな」
「ああ……」
ロストが手の上で白い羽根を溶かし、その聖気で魔法陣を描く。
それに気付いたルオが勢いよく襲い掛かって来ようとする。俺はコートをぎゅっと握り、アークの背中を蹴ってルオの方へと飛んだ。
『ギャオオオオオオオオ!!!!!』
「ルオ、しっかり目に焼き付けろ!!!!」
賭けだった。闇に飲まれ竜体になってもまだルオの心が残っているかどうか。
遥か下の王城でも皆が見守っている。オペラは目を逸らしていた。
アークのコートに手をかけ、一気に脱いだ服の下には――ババアの下着姿があった。
そう、俺はババアの何か凄い下着を身に纏っていたのだ。
『――――』
「……」
時が止まったような静寂。静かだ。東国に無音が訪れた。
俺はルオの鼻先に着地した。ルオは固まったまま動かない。
そう……フェイの作戦はこれだ……女装や裸よりもまだ酷い事が残っているなんて思わなかった……全編通して過去最悪な作戦をお願いをされた俺は……いつもの如く断りきれずに受け入れてしまったのだ。
騎士……これが騎士の姿か。裸の方がマシだろう。
俺は何かを失った変わりに、ルオの時間を奪った。固まったまま瞬きすらしない。石化……俺の何か凄い下着姿は石化の効力があったのか……え? 死んでないよね、コレ。
「時間稼ぎありがとう、アンタの犠牲は無駄にしないわ」
後ろからかけられた声、ロストの前には見覚えのある魔法陣。
その魔法陣がルオを包む瞬間に、俺は飛び退いた。
白い魔法陣が竜体に纏わりつくと、ルオは目を伏せ一直線に下へと落ちていく。
「あ……」
下に居た人たちが焦り逃げようとするが、フェイだけは落ちていくルオに手を伸ばしていた。
ルオの体は地面に近づくにつれ周りに纏わり着く黒い靄が溶けるように人間の姿へと変わっていく。
「姉上!!」
受け止めようとするフェイの姿を見て、ミン・シュウやマオ・フウはじめ他の目覚めた家臣達も手や布を出す。
皆の手によって受け止められたルオは、怪我無く無事に落ちたようだ。
俺もアークに掴まり下に降り立つ。
「ジェド、姉上は一体……」
「大丈夫、寝ているだけだ」
古代の神聖魔法。その魔法陣は帝国民を街ごと眠らせた強力なものだ。ロストの作った羽根1つ分の魔法陣は竜一体を辛うじて眠らせる事が出来る小さなものだった。
「そうか……ジェド、済まなかった。お主に……その……」
「……何も言うな。お前はルオの為に、東国の為に俺を頼った。だから、俺はお前の言うとおりにした。良いじゃないか、上手く行ったんだから……」
「ジェド……」
「あのさぁ、アンタの心がイケメンなのは分かったから、そろそろ服着てくれない?」
ロストの嫌そうな声。周りを見ると皆が目を逸らしていた。ババアだけは微笑んでいた。
俺はアークの上着を借りてそっと見苦しい下着姿を閉まった。ああ……陛下、申し訳ない……またしても皇室騎士団長あるまじき事を……
いや、今更か。ここまで来ればもう怖いもの無いんじゃない?
未だ静まり返る荒れた王城。微妙な空気の中、ルオの寝息が聞こえていた。
★★★
「ここは……」
目を開けたルオは自身の状況が把握出来ずに居た。
最後に記憶が繋がっていたのは王城で見た羽根の無いロストの姿。
何故あんなに激昂したのかはルオ自身にも分からなかった。
ルオは、子供の頃からずっと不安だった。そして、その不安を分かち合える者がロストだけだと……そう思っていたのだ。
愛憎の炎を目の奥に宿し、いつも最愛の人の幻影を追いかけるナーガの姿はそのまま自身の姿と重なった。
自分も、いずれはあのナーガのように悪女となってしまうのでは無いかと。同じ血を持つ竜の末裔。獣の本性が女性に現れるとの言い伝え……
――自分はそうはならない。絶対にならない。
男でありながら女の格好をするロスト。その理由は違うのだと知っていた。それでも、妹の存在を恨み追いかける彼女が、兄として妹を見つめている姿を目の当たりにした時……
ルオの中で何かが壊れたような気がした。
心が痛んだのはロストが同じでは無かったからか、それともロストの中にルオの占める場所が無かったからか。
やはり自分はナーガと同じように愛憎を抱いてしまったのかと、そう思えば思う程国中に漂う闇がルオの元へと集まり膨らんでいくようだった。
一気に爆発しないよう少しずつ邪竜の加護を利用してきたつもりのルオだったが、少しずつ蝕まれて行くだけだったのだと、気付いた時には竜の姿になっていた。
「そうだ、私は竜になって……」
「そうよ。本当に迷惑な女ね」
声のする方を振り向くと、そこにはロストが居た。
「ロスト……」
「馬鹿な子。同じ人なんて居る訳無いし、何もかもが上手く行く人も居ないわよ。アタシだって……思っていたようには行かなかったし、思っていたのと全然違ったし……」
いつも不機嫌で笑わないロストの顔が、優しく微笑む。
「でもね、同じじゃなくたってアンタの話を聞く人は沢山居る。アンタの事を心配してくれる奴だっているみたいだし。だから、あんな女や惑わす奴らの言葉なんか聞かないで……アンタもあの女に騙されていただけよ。まだ、間に合うから……」
そう言って手を伸ばすロスト。その手を掴むと、視界が一気に開けた。
目を開けたと思っていたが、夢だった。
「……フェイ?」
「姉上、目を覚まされたのですね……良かった」
「……」
ずっと怯えるようにルオを見ていたフェイが、今は心配そうに見つめている。見ないうちに何があったのか、弟はすっかり大人の顔をしていた。
気持ちを分かち合えない男の弟。心底嫌で距離を置いていたが、ルオを抱きしめる未だ小さく細い腕は何故か心地よかった。
「……フェイ、お前は弱いから他国に捨てよと……そう思っていたんだけどなぁ。力が無くても強くなることもあるのだね」
「姉上、強さは力だけでは無いと、我は知りました。現にあの恐ろしい姿の姉上を止めたのは――いや、何でも無いです」
首を振って明後日の方向を見るフェイ。ルオも、確かに何か、竜体の時に恐ろしい何かを見たような気がしたのだが……
幸いな事にその悪夢のような出来事は、神聖魔法の夢と共に掻き消えた。




