古びた門には鬼が巣食う(後編)
漆黒の騎士団長ジェド・クランバルは……暗闇の中で取り押さえた老婆を見た。
乱れた身なりは暗闇に光る老婆を余計に不気味に映す。
「ぎゃあああああああああああ」
「どわあああああああああああ」
ババアが叫ぶ。俺もビックリして叫ぶ。
叫び声を聞いたフェイが慌てて階段を上がり顔を出した。
「ジェド、どうした?! やはり鬼か――」
暗闇に目が慣れないのかきょろきょろと辺りを見渡したフェイ。が、強くなる雨の先に稲妻が光り、一瞬の閃光がババアを映し出した。
――カッ!!
「うわああああ!!!! お、お前が噂に聞く鬼女か?! それとも鬼女に教われた亡霊か?」
「いや、待てフェイ……俺にも見えているから幽霊の類では無いだろう」
「えっ……お前、帝国1の騎士のくせに幽霊が見えないとかあるのか……?」
帝国1の騎士だろうが見えないものは見えない。なんなら陛下だって半分くらい見えてないらしいし……
「見える見えないはどうでもいい……とにかく、そいつは普通のババアだ」
俺が指差す先……恐ろしい形相をしたババアはどう見ても普通のババアだった。さっき捕まえた時に感触もあったし……
「ついに……ついにこの日が来てしまったか……」
――カッ!!
暗闇の中、稲光に映されたババアが恐ろしい形相で震えながらこちらを見た。
……どの日?
「わしを襲って服を奪い去るつもりじゃろ!!! あの小説のように!! あの小説のように!!」
「奪うかーー!!! いやどんな小説だよ!!」
大雨の中、稲光に照らされた不気味なババア。その服を奪って逃げるなんてどんな趣味趣向の小説なのか逆に気になるわ。
「老婆よ、戯言を言って我らをかわそうとしている訳ではあるまいな?」
「嘘では無い! じゃが……こんな話、信じてもらえる訳がないからの……わしが、あの前世で見た小説の世界に来てしまったなんて話は……」
「やはり戯言ではないか」
「……いや、ちょっと1回話を聞こう」
……俺は会話の中に小説が出てきた時点でだいぶ察していたが……いつも通りの聞きなれすぎたワードが出てきて肩を落とした。
「ジェド、お主……この老婆の戯けた話を聞く気になるのか? どう考えても嘘どころか精神の統合性さえ疑うが……」
俺はフェイの頭に軽くチョップを落とした。
「いたっ――お、お主何を……」
「フェイ、話を聞く前にそう決め付けるのは良くないぞ。話を聞いた後に俺達がどう思うのかは聞いた俺達の自由だが、聞いてもいないのに判断するのは勿体無いだろう。もしかしたらその話の中に本当に助けを求めている人が居たり、後に助けになる人が居るかもしれないから」
俺も最初は厄介事は聞きたくない派だったのだが、後に助けになってくれる者も居た……気がする。8割方しょうもないエピソードと聞かなければ良かった話ばかりだったが。
あのマゾのクレストのおっさんのしょうもない話だって、何でか知らないが一番役に立っていた気がする。オッサンのあの微妙に汗ばんで温もりのある剣はもう2度と手にしたくないけど……オッサン元気かな。
「世の中には知らなくていい情報なんて無い。それを不要とするかはその後に考えるもの。とにかく、聞き始めてしまったからには一旦最後まで聞いてみよう。考えるのはそれからだ」
「……わかった」
不服そうなフェイも、しぶしぶ汚い屋根裏部屋に腰を下ろした。外は雨が益々酷くなり所々から雨漏りもしている。
ババアは奥からランプを持ってきて火を入れ、真ん中に置いた。……完全にここで暮らしている感じだけど、ここってババアの家ではないよな……?
「そちらの小僧はともかく、あんたはわしの話を聞いてくれるようで安心した。信じていただけぬかもしれないが、わしは実はここでは無い、違う世界から転生してきた人間なのじゃ」
「……そうですか、それでその転生前の前世で見たのがこの状況だと」
「驚かないのか? というか信じるのか?」
「あー、まぁ……そういう人もいるかなって」
転生してくる人は何か凄く特別で信じてもらえないような感じで話してくるが、東国では知らんけど俺の周りではよくある話なので……なんなら皇城で働く奴にも城下にも沢山いるし。
1人2人が言うならば嘘か夢かと思うけど、流石に10人を超えた辺りからそういう世界もあるのだろうと思わざるを得ない。何なら違う世界どころか平行世界とかいうよく分からない世界もある位だし。世界は思ったより広すぎるのだ。
「俺はある程度の話は信じるから、安心して続きを話してくれ。それで、貴女が見たその小説というのはどういう内容なんだ?」
「それは……鬼が巣食うという門に訪れた男と、門で死体から盗みを働いていた老婆の話じゃ。国が争いに見舞われ荒れ、死体と飢餓に喘ぎ苦しむ者達が蔓延る時代……その男は食うに困り、悪事に手を染めようかと悩んでいた。そこで訪れたこの門に住まう鬼……老婆に出会う。老婆は死した者から盗みを働くが、何故かと問われると生きるためと答えるのじゃ。そして、その死体の女も生きる為に罪を犯した者……その話を聞いた時、男は……ならば自身も悪に染まる事を許されるのだなと老婆の服を剥ぎ取り闇夜へと姿を消す――というあらすじの物語じゃな」
「なるほど……それで、貴女がその老婆になってしまったと」
「ああ。この身なり、この門……そして若い男。状況を加味した結果、明らかにあの話だと、気付いたのじゃ。門の造詣といいい水溜りに移るわしの今の姿といい……正にその物語の挿絵だったから間違いない」
焦燥感のある老婆の姿……光に映し出される度に鬼に見えるから本当怖い。ランプの明かりの元で話始めてからしばらく経つが、未だに見慣れないどころか下から照らされるババアの顔が怖い。夏の夜営でよくこういう感じで怪談話をしたりするからそれを思い出して怖いんですが……
「俺達はその小説の男では無いのだが……つまり貴女は、その運命から逃れる為に何とかしてほしいと、そういう事で合っていますかね?」
「……いや、何とか、という点については準備してきたからいいんじゃ」
「ほう? と、言いますと?」
そう、大概の悪役令嬢はコレなのだ。準備の末に俺の財力や権力を頼って惨敗するご令嬢もいるが、大体のご令嬢は自分で運命が分かっているので準備はしていた。していた末に話だけ聞いてほしいというのが相場である。女性はいつだって逞しく、話だけ聞いてほしいものなのだ……
で、この悪女? 悪役ババア? 断罪かも成敗かもちょっとジャンルも何なのか怪しいババアは、何を準備していたのかと話の続きを待つ俺達の前で突然バッと脱ぎ始めた。
「――ッ!!!」
俺は嫌な予感がして咄嗟にフェイの目を覆った。
淑女ではなくどう見てもババアだったが、女性には変わりない。未だ成人してない少年が見ていいものか判断出来ない紳士の俺の判断だったが、目の前の光景は見るのを後悔するものだった。
――それは、形容しがたい程の際どい下着。
ボロボロな身なりの下に着ていたとは思えない程の煌びやかで繊細な刺繍が入り、最早芸術かと思われる程の造形品。だが、それを身に付けているのはババア……
そう、ババアの下着が何か凄い。
「ぐわああああああああ!!!!!!」
俺は目にダメージを受けた。ギャグ小説ならば目から血が吹き出そうな威力だが、残念ながらこの世界は半分シリアス。判定が難しい。いっそ血で目を塞いで欲しかった。
「な、何だ? どうしたジェド、一体何が起きたのだ?!」
俺に目を塞がれているフェイが焦って問いかける。しまった、塞ぐならば自分の目の方だったと思ったが、穢れを知らぬ少年のフェイくんにあんなもの見せられない……
ショックのあまり悪に染まり、おとこの娘化してしまったらフェイくんの人生は終わりだ。ババアの強烈な下着でおとこの娘悪役令嬢になるとかちょっと元の流れより全然意味が分からないけど……
「ぐっ……大丈夫だ……いや、視覚的に大丈夫ではないが……お前は見ない方がいい。俺も見ない方が良かった……」
「余計気になるわ!! 聞き始めたら一旦最後まで聞いてみたほうがいいと言ったのはお主だろう? 世の中には知らなくていい情報は無いんじゃなかったのか?」
「……いや、済まん……全然あったわ」
ババアの服の下の情報なんて知らなくて良かった……俺はこれ以上目にダメージを受けることは出来ず、目を閉じて話を続けた。
「ええと……その一瞬見えたとんでも無いその……下着は一体どういう意図で着けているんだ……? 話の流れからして、バ……貴女の趣味、という訳では無さそうだが」
「その通りじゃ。わしの趣味では無い。だが、前世の知識と技術を生かしつつわしがこの世界で助かる方法を考えた結果……こうなった」
「何をどうしたらそうなるんだ」
「わしは考えた……この世界の元となる小説ではババアとなったわしの服は盗られ、男は盗人となったのだ。だが、わしは思った。服を盗られなければ彼は罪人となる事がなかったのではないかと……。その記憶を思い出したとき、わしはもう既に老い先短い老婆だからどうでも良かった。けれども、その盗人となった男には先がある。運命の時までの時間は少なかった……その少ない時間でわしと2人の運命を何とか変える事は出来ないのかと考えた末に……2択を思いついたのじゃ」
「2択……?」
「その1、まぁまぁ売れそうではあるがボロい服。ただしそれを剥ぎ取る事によってわしはこの芸術と際どさの間を行くとんでもない仕様の下着姿となり、目が死ぬ。その2、この芸術仕様の下着を盗んでいく。するとわしはノーパンノーブラではあるが、見た目はただのババアの姿を留めており……尚且つ下着もまぁまぁ売れるので食べるに困った男の手にも金は残る。お互いWIN-WINではなかろうか」
「なる……ほど?」
ちょっと全然何言ってるか分からんけど、確かに俺の目を攻撃している下着姿を思うと、その下着だけ盗って普通の服のババアは残し、下着を売る方が良いような気もしてきた。
「話の内容は薄っすらと分かったが、主の言う事には欠点がある」
と、目を覆われていたフェイが話に割り込んだ。
「欠点……?」
「その下着がどんな形状や主のビジュアル感は良く分からぬが……下着も価値があり、上に羽織っている服もボロくとも売れそうなのであろう? ならば、両方とも盗られる、という3つ目の選択もあるのでは?」
「――はっ! た、確かに……」
「……全く。おい、老婆……1番簡単な解決方法を教えてやろう」
そう言うとフェイは俺の手をどけてババアさんを見た。『ヴッ……』と、多少ダメージを受けているものの、案外平気そうだった。や、やるな……フェイくん。
「それは一体……」
「……つまりは、そういう食うに困って盗人になるしか道が無いような男がお主の前に現れぬようにすればいいのだろう」
「フェイ……?」
「……我にそなたが生きているうちにそんな東国を作る力があるかどうか分からないが……少なくとも不気味な格好の老婆が存在しなければならん国にはしないように努力しよう」
全然平気では無さそうだった。確実にババアのとんでもない下着姿は幼いフェイくんに視覚的トラウマを与えている……
「とりあえず今はこの近辺にまで死体が溢れるような争いは起こってはおらぬ。それに、今なら朱雀の地も比較的平和だろう……まぁ、家も無く、この荒れた門を根城にするのはそなたの勝手だが」
なるほど……そう言えば国が争いに見舞われって言っていたから、もしかしたらその話もこの後の東国が騒乱に見舞われた後の話なのか。
「小僧……いや、貴方は……一体……」
「今は特に何でも無いが……我が信じられないようならば、その不気味な下着で待っておれ。そなたがその下着無しでも安心して暮らせるような世が来るといいな」
「……」
こくり、と頷いた老婆は不気味な下着姿を服の下に仕舞った。良かった……
と、光が差し込んで来るのが見えた。話をしているうちにいつの間にか雨は上がっていたらしい。どの位話していたのか……朝日が昇るのが門の2階から見えた。
「なるほど……雨で分からなかったが、ここは景色がいいのだな」
フェイは門の窓から朱雀領と、山の向こうに見える朝日を覗いた。こう見ると、未だ勢力争いが起こりかけている国とは思えない……綺麗な景色だった。
「夜が明けるまで話を聞いて頂き済まなかったのう。あんたらが話の男でなくて良かった。どうじゃ、少しここで休んでいくか?」
「……いや、結構だ」
フェイも俺も嫌そうに首を振った。変な下着を着ている老婆が居る横で、気にせず寝られる自信はなかったから……




