東国人のさがしもの(後編)
アークが勢いよく開けた扉の先――その光景を見た時、俺もアークも言葉を失った。
開かれた窓から吹き込む冷たい風が部屋の中を騒めかせている。
揺れる長い黒髪、その持っている不思議な形の長剣はうっすらと緑の光に包まれ、その端からは血が滴っていた。
一瞬驚きその腕に抱えられたオペラを心配したがそうではない。その滴り落ちるものは正確には血だけではないから。
床にポタポタと落ちるものは赤ではなくピンク色に光って流れ落ちる度に蠢いていた。それは意思を持った魔力……
「シルバー!!」
薄暗い部屋で見辛かったが、光るピンクの血が照らす先に居たのは倒れているシルバーだった。その伏せる床には魔力を帯びた血が流れている。
駆け寄り起こすと腹を斬られたのかシルバーが押さえる場所からどくどくとピンク色の光が混じった血が溢れている。
「だ、じょうぶ……見た目ほど……じゃ、それより、げほっ」
シルバーの吐き出す血には魔力の光の他に緑色の光が混じっていた。それはハオの持つ龍気……
手を動かし魔法を使おうとするシルバーの手にも緑の光が蠢いていて、魔法式を描くのを邪魔しているようだった。
「おい! その女をどうする気だ」
アークはハオを威嚇し唸っている。
「いえね、お騒がせして本当にすみません。丁度ワタシの探していたものがみつかりましてね」
そう言葉を発した直後、遅れて走ってきたフェイがハオの姿を見て目を見開いた。
「ハオ?! お、お前、一体何を……」
「……坊ちゃん、我々の用件は済みました。東国に帰りますよ」
「は? 用件……? お前は何を言っているのだ……」
フェイも一緒に何かを企んでいたのかと思ったが、そうではない。ハオの話とかみ合わずフェイは動揺するばかりだった。
「ああ、ご説明をしておりませんでしたね。その方が坊ちゃんを嫌っている坊ちゃんには良いのではないかと思いましてね。思いの外、帝国を満喫していたようでその方が良かったでしょう」
ハオはフェイの浴衣姿を見てクスリと笑った。だが、反対に坊ちゃんと聞いたフェイは青ざめる。
「お前……まさか、最初から……兄上の命で何か動いていたのか!」
フェイの言葉にハオはニコリと笑った。眼鏡越しの目が悪巧みを堪えきれず厭らしく笑っている。
「帝国との同盟や本当に居るのかどうかも分からない悪役令嬢を求めて真剣に動く可愛いフェイ坊ちゃんには本当に申し訳なかったのですがね。坊ちゃんはどうしても探している者を見つけたかったみたいで。そして、能力無しの坊ちゃんを帝国に置いて来ても良いとも、言われているのですよね」
「――っ!?」
「でもね坊ちゃん、ワタシは坊ちゃんが結構好きなんですよ? もしそれでも東国に戻りたいのでしたらワタシが取り計らいますよ? 可愛い坊ちゃん」
「この状況で無事に東国に帰れるような口ぶりだな。既に城の周りには空も含め魔族達が包囲している。そいつを連れて行けるなんて思うな」
微笑みながらフェイに手を差し伸べていたハオだったが、アークに言われチラリと窓の外を見た。
暗く日の落ちた外には幾つもの魔族や魔獣の目が光っていて城を取り囲んでいるようだった。
その光景を見たハオは何故かくっくっくと笑い出す。
「まさか、何も用意せずに来るわけ無いでしょ?」
「何?」
ハオが胸元から取り出した紙を破くと周りに見た事も無い文字が沢山現れ、ハオと抱えているオペラの身体が足元から消え始める。
「……す、スクロール……移動魔法……」
シルバーが身体を起こしハオを指差した。移動魔法――逃げられる!
「待てっ!」
先にアークが動いたが、ハオは持っていた剣をオペラに沿わせて見せた。それを見たアークの動きが止まる。
牽制が効いたと知るやハオはフェイに手を差し出した。
「さぁ、坊ちゃん。どうします?」
差し出された手を震える手で取ろうとするフェイ。
「取るな、その先はお前にとって良い未来じゃない!!」
俺の声にフェイの手はピタリと止まる。
「で……でも……その女人が……」
「何を迷っているのです? 大丈夫ですよ、貴方が要らなくなってもワタシだけは坊ちゃんを可愛い女の子に仕立てて一生愛でて差し上げますから」
「は……?」
ハオの不穏な言動にフェイは止まった手を引っ込めた。おおい、目的を達成できた余裕からか本音出ちゃってますが!!
「聞くなフェイ、そして絶対に行くな!! お前が男の娘になるなんて、そんな未来は絶対に俺が阻止してみせる」
「いや、お前も何を言っているんだ??? 男は娘にならんぞ???」
「場合によってはなるんだよ!!」
「場合って何?!!!」
激しく動揺して引いているフェイをハオはハァハァと息を切らせて説得した。
「ワタシは坊ちゃんがそういう可愛いの才能に溢れている事を知っています。ええ。だからここは大人しくワタシの言う事を聞いて一緒に東国へ戻りましょう」
「そんな事言われて誰が戻るかーー!!! 消えるならはよ消えて帰れ!!」
残念そうな顔のハオが消えかけた時、震える手を持ち上げていたシルバーの指先に描かれていた魔法陣が繋がり、俺の目の前に現れた。
焦ってシルバーを振り返り見ると魔力と共に漏れている血の量が増えている。
「ばっ、おま、何して、無茶するな!!」
「な、何とか……して……君なら――」
魔法陣を完成させたシルバーの手が落ちかけ、それを受け止めようとしたが――その一瞬で景色が真っ白に光り、魔王城は無くなっていた。
「こ、これは……」
周りに見えるのは魔王領の森の景色ではなかった。見た事の無い樹木、遠くに見える山や朱色の建物も帝国や他の国では見た事が無い。
いや、一度本の中で見た気がする。フェイ達が着けているような煌びやかな装飾と同じモチーフのものが至る所にはめ込まれている建物はどう見ても……
「もしかして……ここは、東国、か?」
「――放せ!!」
「!! フェイ!!」
声のする方を振り返ると、フェイがハオに腕を取られ連れて行かれそうになっていた。俺は慌てて腰の剣を抜くw。
カキン――
俺の黒い剣とうっすら緑に光るハオの剣が重なる。辛うじて浴衣の帯に刺さっていた剣、持ってて良かった。いつもの流れなら持ってない上に服もあるかどうかも怪しい。ピンチの時に服を着ていて剣を持っている有難さよ……
「――っ、流石帝国の剣と言われるだけの剣士だな」
「残念ながら帝国の剣、クランバル公爵は親父であって俺では無いがな」
親父の剣はこんなに甘く受け流したりしない。親父の目的は剣を合わせる事だから、周りの関係ない人間の事はあまり気にはしないだろうし。
剣を抜く為にハオが放したフェイの手。俺はその隙をついてフェイを引き寄せ、後ろに庇った。
「……なるほど、剣の力量差は分からないが……坊ちゃんを庇っているとはいえ身軽なそちらと人質を抱えているワタシ。今のままではワタシの方が劣勢ですかな」
「ああ、そうだな。こちとらスースーする程に身軽だからな」
浴衣の下の開放感が怪しい。せめてパンツくらいは履かせてほしかった。
状況が不利と感じたのか諦めたハオは剣を振り下ろし、何故か思いっきり地面にぶっ刺した。
「なっ?!」
それは俺も使った事があるからわかる。剣気を地面に流し地割れや岩盤粉砕を引き起こすものだ。
地面に流し込まれた緑の剣気は周りの木や岩をなぎ倒し、大きな音を立て粉砕させる。
「かく乱させて逃げるつもりか?」
「まぁ、そうなりますね」
「俺に効くと――」
俺は粉砕した地面や岩を避けてハオを追おうとしたが――
「何奴だ!!!」
「侵入者か!!」
音を聞きつけた兵士達が周りからわらわらと集まり俺達を取り囲んだ。
「なっ……ここは、まさか」
兵士達の様子を見てフェイが青ざめる。
「この騒ぎの正体はアイツだ、他国の侵入者が朱雀の地に侵入してきたぞ!!」
ハオが発した声に兵士達は一斉に俺を見る。
「こ……ここは朱雀の領地だ……」
「朱雀?」
「捕らえろ!!」
兵士達が一斉に俺達を取り囲んだ。俺はフェイと離れないように手を取る。
赤い服を纏った兵士達の群れの外、オペラを肩に担いだハオが走っていくのが見えた。す、すまんオペラ……
★★★
「おい、大丈夫か! ベル!! 治癒能力のある魔族を集めろ!!」
「はっ!!」
騒然とする魔王城。だくだくとピンク色の光の混じった血を流すシルバーを床に寝かせ、アークは家臣の魔族達に指示をしながら自身も魔法を使いシルバーの血を止めていた。
「済まないねぇ……死んで爆発するような事にはならないと、思いたいよ……」
「アホかお前は!!! それも困るが、お前の命だって大事だろうが」
「はは……そう言ってくれる人がいるというのは、嬉しいね……ごほっ」
口から血なのか魔力なのか分からないものを出すシルバーにアークは眉を寄せた。
「余計な事を喋るな……」
「アーク……気になっているのだろう、これ……」
シルバーは血に塗れた手で指に嵌まる指輪を外しアークに手渡した。
「……あれは、さっきのはスクロールに書かれていたものと、同じ魔法を……描いた。だから、恐らく……ジェドはハオと、同じ所に……いる。これを持っていれば、ジェドの居場所が分かる……東国に行く術が、ゲートが未だ、使えるかどうか……怪しいけど」
ハオは事前に準備して帝国に来たようだった。目的のものが見つかれば直ぐに逃げられるよう逃走用のスクロールまで準備して。
それが東国の皇子の命令ともなれば帝国と繋がっているゲートが閉まってしまう可能性もあった。
少なくとも今からゲートに飛んだ所で間に合うかは分からない。
「言っていた……ハオが……女の子を捜して、いたと。だから、魔王領に、来たと……その女の子を連れていた女が、魔王領の話を、していたから、と」
シルバーの話を聞いてアークはどくんと心臓を打った。魔王領の話をする女が連れていた女の子……それは、どう考えてもオペラの事では無い。
その脳裏に竜の国でアークを拘束し、自身の身体を通して父の幻影を見ていたあの竜の女王の顔が思い出された。
暫くトラウマになり、夢にまで出てくる程恐ろしかったあの……
「……そうか……分かった……どうにかして、東国までの行き方を探し出す。ベルは魔塔主の治療に専念しろ……」
震える身体を起こし、アークは立ち上がって部屋を出かけた。扉の外に、オペラに似た人影を見て足を止める。
拘束されていたはずのロストの鎖は、シルバーが重傷を負ったせいかバラバラと解けて崩れていた。
「ロスト……」
「……連れて行かれたの……?」
「……」
今はロストに構っている場合ではないと、アークがその横を抜けようとした時、ロストが心の中で呟いた。
(東国に行く方法……あるわよ)
その静かな声に驚き見ると、ロストは何も返さずスタスタと歩き出してしまった。
(アンタも来たいなら、ついて来なさい)
「待っ――」
ベルや他の魔族が止めようとするのを手で制し
「ベル……後は頼んだぞ」
そう言い残してアークはロストの後を追いかけた。




