東国人は魔王領に行く……その裏で複雑に事件が動き出す(8)
「キャアアアアアア!!!!!」
魔王領の山奥の温泉に響き渡るオペラの叫び声。
漆黒の騎士団長ジェド・クランバルと東国の王弟フェイ・ロンは突然の露天風呂への乱入者に驚き立ち上がった身体を慌てて温泉に沈め、耳を塞いだ。
「キャアアアアアア!!! ちょ、な、な、何ですのあなた方!!!」
「何ですのはこっちのセリフなんだが? こちとら露天風呂で普通に入浴していただけで、乱入者はそっちだぞ……? というか急に落っこちて来て、何かあったのか?」
「ああ、それは――」
「キャアアアアアア!!!」
オペラは入浴中の男子の元に乱入して来た自分の状況を把握してまた絶叫した。冷酷非情で気高き聖国の女王が入浴中の男子の裸を覗きに来てしまった、みたいな状況に耐えきれないのだろう。悪い言い方をすると痴女である。
「キャアアアアアア!!!!」
「だから――ああもう、うるせえ!!!」
「キャア!! がぶふっ!!」
説明しようとするアークの声がかき消されるオペラの絶叫。流石に怒り出したアークが掴んでいたオペラの手を引っ張り、露天風呂に沈めた。いや、酷くない?
「ぶはっ!! 何をし――うぷ!!」
「少し黙ってろ」
露天風呂から顔を出したオペラの頭をアークが掴んで自身の胸に埋めた。モガモガと苦しんでいるオペラだが、視界から入浴中の男子が消えたからか暴れてはいるものの多少落ち着いている。というか苦しくて喋ることが出来なそうだった。
「それで、お前らは結局何で落ちて来たんだ?」
「……ロストだ。奴が現れた」
「ロスト? オペラの兄の……?」
「ああ。そしてゆっくり喋っている程余裕は無い」
アークは上を見上げた。俺も目を細めてそちらを見ると、確かに遥か上空から急激に近づく人影が見える。
「うぶぶー!! ちょっと、離しなさい!! というか毛が!! 濡れた毛が口に入って、ぶふっ!!」
アークの胸元でオペラは毛に埋もれながら必死にもがいていた。言い忘れていたが、さっき一瞬人間体だったアークはオペラを引き寄せる時に落ちて来た時と同じ黒い獅子に戻っていた。
胸に抱き寄せて黙らすとか、人間体だったら絵がアウトだもんね。陛下に始末されちゃうよぉ……
それにしても、アークの毛に埋もれてもふもふしているオペラ羨ましいと思ったが、温泉に濡れた毛に埋もれるのは気持ちの良いものでは無さそうだった。
「……離したら要らん物が見えるがいいのか?」
「要らんモノとは失礼な」
「そういう話をしているんじゃないんだよ」
「おい、ジェド、何なんだ此奴らは」
「――もう!! それよりも上っ!!」
呑気な俺達の会話を破るように露天風呂の上に降りて来たのは、オペラの兄、ロスト・ヴァルキュリアだった。
露天風呂の上で羽ばたく7枚の羽からは肌寒い黒い風が吹いて来て湯を湯の表面を荒く波打たせる。やめろー、やめてくれー!
寒いのもそうだけど、露天風呂が荒ぶると出てはいけない漆黒の騎士団長とフェイくんのフェイくんが見えてしまうじゃないか……
俺はフェイの肩を掴み、共に露天風呂に深く浸かった。
「……何をする」
「いや、以前ちょっと男子の裸を見たショックで記憶喪失になった前科のある人が居てだな」
「どんな初心者だ其奴は。というか、帝国や魔王領は平和なのではなかったのか? 何だ彼奴は……竜の、それもあの感じはナーガ殿と……同じ気配を感じるが……」
フェイはロストを難しい顔で見据え、少し震えていた。
「……な? 分かるだろ。あの女の狡猾な言動で騙されそうになるが、闇の竜の力なんて碌なもんじゃないんだよ」
ナーガは人を惑わす能力に長けている。疑問を投げかけ心に隙を作り、毒素のように付け入って来るのだ……そうやってスノーマンやイスピリや、幾つもの国が滅んだ。東国もその1つになりかけていたのだろう……
力を目の当たりにして恐ろしくなったのか、フェイは俺の腕をギュッと掴んだ。そうだ、お前が闇に飲まれたら行く末は男の娘の悪役令嬢だ。気をしっかり持て、お前は男の子だ。
フェイくんの未来は俺が守ろう――と決意したものの、例によって俺は今は丸腰で全裸のただの俺である。
剣は服と一緒に干してある……護衛騎士オーイ。
だってまさかそんな、温泉に入っている時にピンポイントにこんな急展開になるとは思わないじゃん、ねえ?!
せめて棒状の何かでも無いかと探したが、無駄に広い露天風呂の真ん中に都合よくある訳もなく。あるのはエクスカリvr……いや、止めておこう。
と、俺がこんなアホみたいな事を考えていてもアークからはツッコミも無いしチラリとコチラを見もしない。
それもそうだろう、禍々しいナーガの闇を携えて飛んでいるロストが凝視しているのは、アークのモフモフに顔を埋めたオペラだからだ。
アークは難しい顔をしたままオペラを抱き、そのまま動かなかった。
重苦しい沈黙を破ったのは、重く口を開いたロストだった。
「……その子を離しなさい。アタシはただ、話がしたいだけよ」
「ああ分かっている。だが、素直に渡す訳にはいかないな」
「何……?」
「ちょっと、何勝手に! というか、わたくしには何も――」
「少し黙ってろ!」
アークの言葉にロストが怪訝な顔をした。
「黙るのはアンタでしょ。これは、アタシ達兄妹の問題なの。関係ない奴は引っ込んでいて欲しいわね」
「いいや、違うな。この女と話がしたいなら、まずそのゴチャゴチャした感情をどうにかするんだな。俺にはな――」
一瞬躊躇う様に止まったアークは言葉を続けた。
「お前の気持ちが分かるんだよ」
アークは心が読める。ロストが何を思ってオペラに近づいて来たのか分からないが、アークには何かが読めたらしい。
「ちょ、え? 何言って……」
動揺してたじろぐオペラが声を発した瞬間、アークの身体が黒と白の混じった魔法陣に吸い込まれ湯の中に勢いよく沈んだ。
「アーク!! きゃっ――」
アークを助け出すべく魔法陣を描こうとしたオペラの手をロストが掴んだ。
ギリギリと締め上げるその手、ロストが凝視する先には指輪が2つ並んでいた。
「何を……」
「……」
オペラ目掛けて魔法陣を作り、口を開こうとしたロストの目の前に突然大きな魔法陣が現れた。
「――なっ」
「間に合ったねぇ」
声の方を振り向くとシアンがロストに向かって魔法を展開していた。ピンク色の魔法式が鎖の様にロストを拘束する。
「くっ……!」
ロストが抵抗し魔法陣を描こうとするも、その魔法式が繋がることはなく白と黒の魔法陣は切れ、消えてなくなった。
「何で……」
「俺が切ったからだ」
ロストが振り向く先。俺は何とか隙をついて干してあった騎士服に辿り着き剣を抜いていた。クランバル家48の殺人剣の1つ、魔法式切りだ。完成前の魔法陣が切れるやつ。
とんでもなく前に使った技だが覚えているだろうか……
「はぁ……帝国の騎士に、アンタ魔塔のヤツでしょ……もう観念した方がいいみたいね」
急に諦めがついたのか、ロストは抵抗をやめて大人しくなった。
「シルバー……じゃなくてシアン。いつの間に」
「いやぁ、遠くから彼らの追いかけっこが見えてねぇ。ジェドこそこんな所でそんな格好で何をしているんだい?」
「見ての通り、露天風呂で全裸の理由なんて1つしか無いだろう。入浴中だ」
俺は剣を仕舞って振り向いた。湯の中では皆無事な様子で、訳が分からず岩陰に隠れているフェイと、アークを引き上げながらコチラを見て固まっているオペラの姿があった。
「……き――」
次の瞬間、今まで聞いたことのないオペラの絶叫が森に木霊し、さっきロストに遮られたはずのオペラの魔法が俺にクリティカルヒットして、露天風呂の遥か向こうまで吹っ飛ばされた。




