東国人は魔王領に行く……その裏で複雑に事件が動き出す(5)
ロスト・ヴァルキュリア。
実の妹であり聖国の正式な女王であるオペラによって、生まれた意味も何もかも奪われた者である。
彼は生まれながらにして意味を持たず、男児である事すら許されなかった。
生まれて初めて笑ったのは、生まれながらにして下る事無く溜まり続けた溜飲がやっと下がったあの日……聖国人の半分がナーガによって消されたあの聖国の惨劇の時だった。
その後、幼きロストはナーガに手を引かれ、各地を連れ回された。
ナーガの訪れるどの国も、やはり聖国と同じように生きる価値の無い大人ばかりだった。
特に愚かなのはスノーマンや東国のように踊らされているとも分からずナーガという邪竜を神と崇める国。そのうち耐え切れなくなったスノーマンはナーガの餌にされ、雪の中へと消えていった。
ナーガの食事は闇だった。世界に闇が多くなればなるほどナーガの餌が増え、その力を増す。
争いや欲望の苗床として目をつけた東国は長い時間をかけナーガのいいように育てられた国である。
ナーガに連れられロストが一度だけ訪れたその国は、常に権力争い……王座を奪い合い力を欲していて、ありし日の聖国を見ているようで嫌気がした。
ナーガ亡き後、ナーガによって仮初の悦びを与えられていた国々は、麻薬が切れたかのようにその残り香を探し続けた。
件のノエルを乗っ取ってその身体を手に入れようとした時にナーガの核はその魂と共にいつの間にかどこかへ消えていた。ロストの羽に残るナーガの血――それが今となってはこの世界に唯一残るナーガの遺物である。
闇に引かれる者達はロストを見ればナーガのように救ってくれるものだと思い寄ってきたが、ロストにはナーガのような趣味嗜好は無い。ナーガ亡き後それらの国に立ち寄る事は一切無かった。
妹と呼ぶにもおごかましい存在のオペラを苦しめ追い詰める事がロストの生きる意味だったのだが、長年追いかけていた妹の像が自身の想像していたものとはどんどんぶれていった。
ウィルダーネスの神殿に集めた女達の中で眠るオペラ。ただ黙って眠るそのオペラには今までオペラに感じていた負の感情が湧く気にならなかった。それは、正気のオペラが苦しみ悔しがり、後悔するような姿を見たかったから、気を失っている彼女に何もする気が起きないのだとそう納得していた。
が、今のオペラを知れば知るほどやはり自身の想像とどんどんと離れていく。
アホのブレイドの裸を見たショックで想いの通じた大切な男との記憶まで吹っ飛ばす間抜けっぷり、それ以前にも色々と冷酷非情な聖国の女王らしからぬドジっぷりを見て動揺しなかったと言えば嘘になる。
『聖国の女王は絶対的なのよ? 知ってた? アンタみたいな子がなるべきじゃなかったのよ』
そうオペラに言った時は本当にそう思っていた。
聖国のような、女王の為に何かを犠牲にするような……自分のような不幸な子供が生まれる国なんて滅んでしまえばいいと本気で思っていた。
だが、今のオペラは本当に聖国の女王なのかと思う位に、絶対的でもなければ冷酷非情でも無い。
思い人である帝国の皇帝の影響か、ナーガを葬った変な騎士の影響か……いや、もしかしたら元々そうだったのかもしれない。
オペラが変わったのか、それともロストが思っていたものと違ったのか……それはもうこの際どうでも良かった。
問題は、ロストの心だ。
今まで、オペラをその生をかけて苦しめようと、それだけの為に生きてきたのに……オペラを見る度にその気持ちがどんどんぶれていくのを感じた。
それでも未だナーガが居た頃は軌道を正す言葉を投げかけてくれたのだが、ナーガが居なくなってから自身の心が分からなくなってきたのだ。
『愛憎とはよく言ったものね。愛するが故に憎しみを生む。ならば、憎しむ事は愛だと思う? 誰かと幸せになるのは許せない。地獄に落とすのはこの手でなくてはいけない。自分以外が手を下すのは絶対に許せない――執着は、憎しみ? それとも愛? その境界線は何処かしらね』
ナーガがそう言った時は理解が出来なかった。けれども、失った今となっては十分に理解が出来た。
自分は、愛するほどに憎いオペラが欲しかった。
誰かの手に堕ちるのは許せなかったのだ……オペラの事は自身の手で堕としたかった。
他の誰かに変えられてしまったのだと、分かった時に自身の心に気付いた。
"ロスト……やっと分かってくれたのね。貴方の奥底にある心に――"
そう気付いた時、ロストの後ろから聞こえるはずのない声が聞こえた。――いや、それは後ろではない。自分の中から、身体の一部から語りかけるような……そんな感覚だった。
ロストはハッと我に返り自身の羽を見た。半分が黒く穢れている羽が、ナーガの血がロストに語りかけているのだ。
「そんなはずはない……アタシは、あんたの核なんて持ってない……」
"ロスト、もっと貴方の心に素直になって。貴方の本当に叶えたい欲望を……私にあなたの闇をちょうだい"
頭を押さえながらロストは気付く。ナーガの残滓が、未だこの世界で身体を手に入れようとしているのだ。
ナーガは消えてはいない。そして、今一番ナーガの可能性を持っているのはこの羽に宿る血だと。
その言葉に忠実になれば、自分自身もナーガに乗っ取られかねない。良くてナーガの栄養だ。
従って動いては危険だと、分かっていながらも……ふらふらとしながら向かったのはオペラの元だった。
ここの所見張っていたオペラの行動。
仕事に追われ自室に篭っていたオペラだったが、聖国を出てコッソリとまた魔王領へ向かうようだった。
魔王領ならば周りに煩わされる事も無くオペラと話が出来ると――
(何を聞くというの……?)
そう思っていても、実際にオペラに対峙した時……聞きたい事は溢れて来る。
魔王領の森の中、やはりオペラはさ迷っていた。ここに来るのは初めてではないはずなのに。
聖国しか知らずに育ったオペラは方向音痴なのだ。子供の頃に魔王領に魔王を退治しに来たときも迷っていたのをロストは知っていた。思い出した。
「え……ロスト……?」
驚きロストを見るオペラの顔。久しぶりに見るオペラの顔は変わっていないはずなのに、どうしてか……自分を憎しみの目で見ては来ないのだ。まるでロストの事を忘れていたかのような、そんな事は無いはずなのに。
そう思い始めると胸が余計に苦しくなり、羽が痛んだ。
「あんたが1人になるのを、待っていた」
――何故、勝手に変わってしまったの? 何故聖国の者達を絶対的な女王の力で締め付けないの? 何故アタシを見ても前のように憎しみの目を向けないの?
アタシを……どう思っているの?
沢山の言葉がぐるぐると頭を廻る。背中がどうしようもなく熱くなっていく、感情がぐちゃぐちゃとしてくる。
中々言葉が出ずに、手が勝手にオペラへと伸びていた。
びくりと肩を震わすオペラを見て、言葉を身体から追い出そうとした時――
自身からオペラを庇うように前に出たのは見慣れぬ男だった。いや、知っている。
羽がどくどくと脈打つのがわかる。その血の持ち主が欲しているのだ……そして、その相手もそれを分かっているようだった。青い顔はロストではなく、ロストの後を警戒している。
「――貴方……魔王……?」
「……逃げるぞ」
「――え?」
魔王は姿を黒い獅子へと変え、オペラを咥えて走り出した。
「っ、待ちなさい、まだ――」
何も話をしていない。何もしていないはずなのに、去り際にオペラの指に光る指輪を見つけて動揺した。
動揺したのがロストの心なのか、それともナーガの心なのか分からない。
絶対に逃がしてはいけないと、追いかけているのが自身なのか、それとも魔王を見つけたナーガの血なのか、それすらもロストには段々分からなくなってきた。
★★★
「いやー眼鏡をかけることが出来れば……」
もふもふカフェにて可愛いもふもふ達に囲まれて目を瞑るハオは想像と感触で楽しむ事に決め込んでいた。
出来るならば可愛い円らな瞳を近くで見たかったが、眼鏡をかければ遠のいていく事は知っているから。
「ああ……可愛い子達と仲むつまじく暮らしたいだけなのに……」
「邪な心をもう少し抑えればいいんじゃないですかねぇ」
ふもふカフェの『もふもふ可愛くて美味しいパフェ』を食べながらシアンはもふもふにされるがままになっているハオを嫌そうに見た。
眼鏡をかけたハオは可愛いをただ愛でたいのベクトルを超えていた。あの恐ろしい目……下手したら監禁して一日中穴が開くほど愛で続けそうな……そんな怖さを感じた。実際にそうなのかは分からないが。
「それで、アークは一体何処に行ったんだい? 誰か客人でも来ているような言い方をしていたけれど……」
「ああ……なんといいますか、大事な客人です。その方を招く為に、魔気アレルギーフリーの食事を作ったり、温泉でさえ火山から湧き出る温泉ではなく魔気の少ない塩化物泉を精霊国から運んできているくらいですからね」
「ほほう……余程来て欲しいみたいだねぇ。魔気アレルギーとはまた珍しい。まるで聖国人だねぇ」
「まぁ……遠からずというかなんというか」
「しかし、そこまでしても自国に来て欲しいだなんて、まさかお相手はコレかい?」
シアンが小指を立てるとベルはふるふると首を振った。
「そうだとすると我々も嬉しいのですけどね。残念ながらそうなるには障害が多すぎるというか茨の道というか、魔王様もそういうのじゃなくて普通に恋をしたいと言っていたので」
はぁ、とため息を吐くベルは魔王領温泉の方を見た。そこには先代魔王の墓がある。
「普通に恋ねぇ……そう言えばアークのご両親は仲睦まじかったそうだね」
「ええ。ですからそういう恋に憧れているといいますか」
「ジェドもその類なんだよねぇ。そういう事を言っている者は中々恋人が出来ないのだから、魔族の者達は大変だねぇ」
「その辺りはまぁ、帝国も似たようなものですから。何にせよアーク様には幸せになって頂きたいというのが我々魔族の願いです。それがどういう道であれ、アーク様が後悔しない道に進んで欲しいですし、その為なら我々は最大限協力するのですが……」
ベルが少し険しい顔を見せたので、シアンは首を傾げた。
「何か、そういう難しい相手なのかい?」
「ええと……」
ベルが苦笑いをしながら何か言いかけた時――森の奥でドオオオンと大きな音がするのが聞こえた。
「何だ?」
「何かあったみたいですね……魔獣達が怯えています。シアン殿、申し訳ありませんが――」
助力を求めるベルにシアンは頷いた。
「勿論さ。私は今、帝国の皇室魔法士団の魔法士だからね。魔王領も帝国と同じ、何かあったら守らねばだろう?」
シアンは直ぐにそちらへ向かおうと魔法陣を描いたが、逃げるもふもふに紛れて身を預けているハオの姿を見てはぁ、とため息を吐いた。
「……置いていっても仕方ないし、連れて行くか」
シアンはハオの周りにも同じように移動の魔法陣を作った。
「ぶへっ!!!」
一瞬にして景色がもふもふカフェから木々倒れる森の中へと変わる。上手く着地が出来なかったハオは顔面から落ちて転んだ。
「ててて……酷いです。ワタシ、眼鏡が無いとあまり戦えないので……何か急用ならばせめて――」
「うーん……まぁ、君の守備範囲の可愛い者も無いだろうしいいか」
シアンは嫌そうにハオの顔面に小さな魔法陣を描いた。繋がる魔法陣は眼鏡を形作り、粉々に壊したはずの眼鏡が元に戻る。
「わぁ、魔法便利ですね。所で何が起こっているんでしょうか?」
「それを調べに来たのでしょう」
シアンは上を見た。森の上空では木々の上を猛スピードで走る黒い獅子と、それを追いかける有翼人。そして黒い獅子が咥えているのも有翼人だった。
「――あれはオペラ……それに、ロスト? 一体何故……」
シアンの視線の先をハオも見る。眼鏡をくいっと上げて見た先の人物……その有翼人を見て、ハオは息を飲んだ。
「…………見つけた」




