悪役令嬢ノエルたんは婚約破棄したい(後編)
「うわーん、もうおしまいよー! あんなに頑張ったのに全然嫌われていないしっ……そ、それ所か、き、騎士様に悪いノエルを見られてしまったのー!!」
「大丈夫ですよお嬢様、まだ、まだ挨拶しただけじゃないですか!」
「こんなものジャブですよジャブ! ここからお見舞いしてやりましょう!」
フェイ・ロンへの挨拶を盛大に失敗(?)したノエルは応接間に3人を通した後、その裏の部屋で穴があったら入りたい程の憔悴っぷりを露にしていた。
先ほどの悪役令嬢の気合はどこへやら、そんなお嬢様をフォルティス家メイド、執事、従者総員で慰めている。
「ジェド様は案外気にされてないと思いますよ、沢山の悪役令嬢に出会っているので慣れているというか……」
メイドのナディアの言葉に他の者達もうんうんと頷くが、当のノエルは更に眉をへの字にして落ち込んだ。
「気にされないのもそれはそれでー……」
落ち込むノエルに皆がかける言葉を捜し戸惑っていたが、ノエルはすぐにすくっと起き上がり立ち直った。
「で、でも、ここで諦めたらみんなの協力が水の泡になるし、後戻りは出来ないわ! わ、私、やり遂げてみせるっ」
涙を拭って立ち直るお嬢様の姿に皆が泣いた。以前までは小さくて可憐な子供だったのに、いつの間にかノエルは少しずつ強くなっているのだ。
そんなお嬢様の頑張りを支えねばならぬと、皆が拳を握り締めて応接間を見た。
★★★
その応接間、漆黒の騎士団長ジェド・クランバルと東国の王弟フェイ・ロン、騎士のハオはメイドも誰も彼もいなくなった部屋でノエルたんの戻りを待っていた。
普通、放っておかれているのも立派に悪役の所業っぽいのだが、当のフェイ・ロンには全く響いては居なかった。
むしろ、フェイ・ロンは違う方に気を取られていた。眼鏡をかけたらロリコン、ハオを正座させてひたすら説教している。
「お前、フォルティス家では絶対に眼鏡をかけないからって約束で使者として連れて来る事を許可したはずだよな……? 何勝手にかけようとしているんだ眼鏡を。しかも馬車内で壊したはずなのに、何で予備を持っている……」
「だって坊ちゃん、ワタシ眼鏡が無いと距離感が掴めないというかそんなに見えてないというか……これでも坊ちゃんの護衛も兼ねて来ているんですけど、何か異変があった時に戦えないんですが……」
「煩いわこの青龍の恥が! お前は一生目を細めていろ!!」
とにかく酷い言われようである。確かにハオは可愛いものが大好きの一歩間違うとヤバそうな感じがあるが、そこまで言わなくてもいいような気もした。流石、悪役令息の家臣への当り散らしっぷりは違うな。これが本当に性格の悪い令息の態度では無かろうか。
俺はちらりと応接間の扉の向こうを見た。ノエルたんの行った方を追いかけるようにわらわらと集まる従者達……
先ほどはファーストコンタクトで見事に失敗していたからな。……いや、成功なのだろうか? 乙女ゲームならば。おもしれー女発言を引き出していましたしね、完全にルート入ってたよね。
「所で当のノエルは遅いな。ま、女人は身支度に時間がかかるものだからしょうがなかろうが……」
この待たされっぷにりもフェイ・ロンは慣れたものである。端から悪役令嬢ありきでノエルたんの所に婚約を申し込んだからだろうか? それとも悪女耐性がるのだろうか……そう言えば悪女達に対抗するとか言っていた気もするけど……
「お待たせ致しました」
そうこうしている間にノエルたんがメイドと共に応接間へと入ってきた。相変わらず似合わないドリルのような縦ロールを揺らして。
ノエルたんは向かいの席に着こうとするが、その前に窓のサッシに指を当て、わなわなと震えながらメイドに向かって声を上げた。
「こ、この埃はなんですの?! 掃除がなってないなんて、フォルティス家の恥ですわ!! ああ、ここも! やり直しなさい!!」
ふーむ、なるほど。掃除の不手際を叱咤する系悪役令嬢ね……でも何だろう、悪役令嬢ってよりはこう……結婚した先の旦那の母親というか、何か違う種類の悪女に見えるのだが気のせいだろうか。
泣きながらあちこち掃除をしなおすメイド達。その様子を見たフェィ・ロンは――
「ふむ、その歳で掃除が行き届いているか細かい所まで見張り、家臣の教育をするとは大した令嬢だな」
……と、全然引いている様子が無かった。ちょっとは引いてやって?
その反応を見てノエルたんもショックを受けたように青ざめているし、何ならメイド達も青ざめていた。
「あっ!!!」
「こ、こら!!! お客様の前でなんて事をするの!!」
「ああっ、しまったわ!!」
「えっ、ああっ! フォ、フォルティス家の顔に泥を塗る気?!」
メイド達もまずいと思ったのか、次々と花瓶を落としたりバケツをひっくり返したり失敗をあちこちで繰り広げる。いや、その失敗コンボは不自然だろ。ノエルたんも余りにもあちこちで失敗が起こりすぎて全部拾いきれて無いし、叱咤のレパートリーも無くなって来ている。
「この家のメイド達は大丈夫か? 総入れ替えした方が良くないか……?」
流石にフェイ・ロンも訝しんで心配し始めた。ハオはあちこちで何か色々起きるので目を細めてきょろきょろしている。よう見えないのに何か色々起きていて可哀想……少し位眼鏡をかけさせたれよ。
叱咤悪役令嬢作戦が全く効いていない事に肩を落としたノエルたんは、諦めて路線を変更した。
俺達の前に差し出されたのは綺麗な色で花の香り漂うお茶。
「……これは」
フェイ・ロンは慣れたようにお茶を口に含んだが、その瞬間にノエルたんがお茶のパッケージを取り出した。
「あら、嫌だわ……私とした事が好物のサンドワーム茶をお出ししてしまったわ」
そう言ってフェイ・ロンに見えるようにパッケージを置いた。それを見た瞬間、フェイ・ロンはぶっとお茶をハオに向かって吐き出した。
パッケージの見た目は……そう、だいぶヤバめのサンドワーム。本当そのパッケージだけはどうかしているよね……
ノエルたんは『グロテスクな見た目のお茶を好んでいるだけではなく、お客様に出しちゃった悪女作戦』という謎の作戦に手ごたえを感じたのか拳を握り締めているが、フェイ・ロンのジトっとした目は俺の方を向いていた。
……そう、ノエルたん。残念ながらそのお茶はもう既に陛下が出してるんだよ……
「ジェド。帝国民はどういう趣味をしているんだ……?」
「いや、勘違いしないでほしい。それはそのサンドワームが育てている花のお茶であって、サンドワームの絞り汁とかでは断じて無いから……まぁ、そのパッケージだけはどうかしていると思うが」
それを聞いたフェイ・ロンは少しホッとしていた。が、その後お茶には手をつけなかった。本当にね、そのパッケージ変えた方がいいと思う……
「き、騎士様! 何でフォローしちゃいますのっ?!」
「何でと言われても……」
さっき陛下が出したから。陛下も趣味を疑われちゃうし……
「お嬢様、大丈夫です! まだ作戦はありますのでこれからです!」
「悪女を見せ付けてやりましょう!!」
メイド達がノエルたんを慰めているが、それは見えない所でやろうか。
励まされて立ち上がりかけたノエルたんだったが、一瞬出た元気も何処へやら……意気消沈とし俯いてしまった。
「どうして……どうして騎士様はノエルが困っていても助けてはくれないのですか……? 騎士様は……いつも色んな悪役令嬢を助けて下さっているのに……」
そう呟いて、ノエルたんは部屋を飛び出してしまった。
それを見送るフェイ・ロンが首を傾げる。
「……ん? ノエルは困っていたのか? 今までの下りの何処で困っているのかはちょっと分からないのだが」
「……まぁ、そうだよな」
ここまでの下りで困るべきなのは婚約を申し込んだのに悪女っぷりを見せ付けられて歓迎されていないフェイ・ロンの方である。当の本人には何も届いていないが。
それもそうだろう……端から悪女ありきで婚約を申し込んでいるからね……
「……フェイ・ロン殿下、少々お待ちいただいて宜しいでしょうか?」
「ん? ああ。構わん。代わりのお茶を寄越せ。この気持ち悪い見た目を想像させるお茶とは違う奴で」
「いや、坊ちゃん……お茶をぶっ掛けられたワタシの事も少しは構ってくださいよ」
フェイ・ロンはハオの事は無視して代わりに用意されたお茶を飲んでのんびりとしていた。俺はノエルたんの向かった先へと歩き出した。
ノエルたんはガラスの扉の向こう、中庭の木の下で座っていた。俺も隣に腰掛ける。
「……騎士様……」
「ノエルた――嬢、何でそんなに婚約が嫌なんだ? まだフェイ・ロンの事を何も知ってないだろう。人となりを知ったならともかく、最初から断るつもりで話を聞かないのは良くないと思うが」
優しく問いかけたつもりだったのだが、ノエルたんは傷ついたようにこちらを見上げた。
「良くなくて、いいです。……悪い子になれば騎士様が助けてくれるでしょう?」
「何から助けて欲しいんだ?」
「それは……」
ノエルたんはまた俯いてしまう。俺はノエルたんの肩に手を乗せた。
「歳が離れている……女性関係がだいぶヤバめば奴に憧れているから、他の人と話をするのが嫌なんだろう?」
「――っ?!」
ノエルたんが薄いピンク色の目を見開き揺らす。
「……ノエル・フォルティス嬢。その男が誰だとは……今は聞かないけれど、君はまだこれから沢山の人と出会い、そしてそれらの人々に沢山の心を抱くだろう。王弟殿下もそうだ。その1人さ。今から誰か1人に決めるには……君は子供過ぎる。もっと沢山の素敵な人を知らなくてはいけない。それだけ君の知らない人は、君の知らない事はこの世界に沢山あるのだから」
「……騎士……さま」
「色んな経験と出会いを重ね……大人になって――それでも、もし君が望まぬ事があって……俺に助けて欲しいなら……必ず何とかするよ」
俺は小指を差し出した。騎士が何かを誓う時は、本当は剣を出さなくてはいけないのだけど……大事な、壊れてしまいそうな子供の彼女に出すには剣は物騒過ぎるから。
俺の指に絡めたのは、成長したかもしれないと思っていたよりも未だ子供の可愛らしい小指だった。
「……私が、悪役令嬢じゃなくても、絶対に?」
「俺は君が悪役令嬢にならないように助けていたんだけどな……」
ふふふ、と笑うノエルたんを抱きかかえ、俺は応接間へと戻った。
てっきりフェイ・ロンとハオだけかと思ったら、いつの間にかフォルティス夫妻も応接間に来ていた。
俺がノエルたんを下ろすと、ノエルたんは意を決したように夫妻に向き直る。
「お父様、お母様……私、まずはフェイ・ロン様を知って――」
「ノエル!!!! やっぱり駄目!!!!!」
「婚約なんて無し!!! 無し!!!!」
ノエルたんが答える前に夫妻がノエルたんを抱きしめた。
「え?! お父様? お母様?」
「私は分かった。婚約話が出たときは変な殿方への憧れを捨てさせようと、受け入れを考えたが……そもそも婚約とか、まだ早い!!」
「あなたはまだ私達の子供よ!! 結婚なんて考えられないわ!!!!」
と、フェイ・ロンそっちのけで抱き合って泣き始めた。
その様子を見たフェイ・ロンも呆気に取られている。
「……まぁ、一方的にこちらから申し入れた訳で説得に苦労はすると思っていたし、邪竜の力が無いと分かった今となっては無理に押し通す必要も無くなったのだから別に良いのだが……」
フェイ・ロンは困った顔で俺の方を見た。
俺も困って首を振った。
結局、ノエルたんの頑張りもフェイ・ロンの野望を含んだ婚約申し入れも、ハオの眼鏡も……何もかもが無駄に終わってしまったのであった。




