10年後の悪役令嬢は救えない(後編)
「ハァ……やっとたどり着いた……」
数々の刺客を潜り抜け、やっとの思いで見えてきた黒い建物。
森を抜けた先にあったのは俺の家――クランバル公爵家だった。
教会も警備兵の出入りが激しく匿って貰うには危険過ぎた。皇城に向かおうにも、次から次へと逃げて来ては連行される見覚えのある令嬢達……出会っては連行されていくのでいつ俺に目を付けられてもおかしくない。
刺客は警備兵というよりは令嬢達の方だった。いや、多すぎるてー。
俺は城に向かうのは一旦諦め、公爵家へと向かうことにした。
勝手知ったる自分家への道。子供の頃はこっそりと首都の門を通らずに外に冒険に出かけたりしたものである。陛下を連れて。
公爵家へ行けば皇城までの抜け道もある……
「……ん?」
見覚えのある公爵家……ではあったのだが、やはり10年も経つとだいぶ変わっていた――というよりはとんでもなく劣化していた。
凡そ人が住んでいるようには思えない程の廃れっぷり……え? 手入れどうなってるん。
俺が呆然と入り口で佇んでいると、後から人が歩いてきた。
「おや……こんな所に人が。珍しい」
歩いてきたのは墓守の様な老人だった。よく見てみると……うちの執事……か?
「あの……貴方は執事では?」
「執事……ああ、そんな時もありましたな。クランバル家が未だ隆盛を誇っていた頃までは。……ですが、それも昔の事。今はこうして仕えていたクランバル家の墓を守るだけのただの老人ですな……」
「は?! 墓って……え?? クランバル家がもう無いって事か???」
どういう事だ? いや……確かに、この未来ではいつもと違って悪役令嬢はバンバン断罪されているし、全然平和な元の時間とは違うけど……え? 俺も断罪されてお家取り潰しって事……?
いや、俺は悪役令嬢じゃないんですが……? え? どゆこと?
「貴方は騎士団のような格好をされていますが、帝国の民ではないのですか? クランバル家はもうとうの昔に無くなっておりますが……」
「とうの……昔……?」
「ええ。クランバル家当主、ジャスミン・クランバル様が光の剣士と戦う為に魔剣に手を染め……闇の剣士として剣士チェルシー・ダリアに葬られたあの日で……クランバル家は終わりました。今は私がこうしてジャスミン様の墓を見守るのみで……クランバル家を気にする者などもうこの帝国にはいないでしょう……」
「――んー、ちょ、ちょっと一旦待って貰ってもいいかな」
「はぁ」
元クランバル家執事の訝しげな顔。俺は一旦心を落ち着かせる為に腕を組んで状況を考え直した。
闇の剣士ジャスミン・クランバルが光の剣士チェルシー・ダリアに葬られている世界……
悪役令嬢が救われない世界っちゃーそうなんだが……えーとつまり、ここはアレだ。
忘れている人は居ないと思うが、チェルシー・ダリアは俺の母であり……ジャスミン・クランバルは何をどう間違えたのか俺の父である。
2人は神に挑み、怒りに触れて力を失うどころか1人は性別すら変わってしまった。そうして変わったジャスミンの悪役令嬢としての運命……その末に生まれたのが俺だ。
つまりは……ジャスミンが死んでしまったので俺が居ないと、そういう訳ですな。
「な、なるほど……足りなかったのは――俺か」
納得した。そりゃあ悪役令嬢も救われませんわ。いや、そんな馬鹿な。
俺が居ないだけでそうなるの世界。俺、いつも何もしてませんでしたよね……?
「ジャスミン様が居なくなってからの帝国は変わりました。魔王を滅ぼし、ひと時の平和を作り上げたと思ったのですが……あの頃から……あれは10年前でしょうか。世界がどんどん歪んでいってしまったのです。あんなに平和を重んじていた皇帝陛下も人が変わったかのように戦いを許容するようになってしまいました。陛下は真面目な方なのです……真面目が故に、帝国民を守り力で世界を押さえつける苦渋の選択をしたのでしょう。せめて、陛下にも良き進言が出来る友人でも居てくだされば……」
おおう。何か元執事が丁寧に説明してくれる。そうかぁ、確かに陛下は真面目だからねー。ユーモラスが足りないよねー。
息抜きをしてくれる友人とかねー、居てくれたらよかったねー。
執事は全然知らないはずなのに、何故か俺に圧をかけるような言い方をしてくる。俺なの……? 世界が争いに陥っているのは俺のせいなの? そんな事あるの……?
「いたぞ、あの方だ」
元執事と話す俺の後ろから騎士達がぞろぞろと歩いてきた。一瞬俺を捕まえに来たのかと身構えたが、どうも様子を見るとそうでは無かった。にこやかな笑顔を向けて来る。
「貴殿が逃亡した悪女達の捕獲にご協力頂いた方ですね」
「え、ええまぁ」
「良ければ皇城までお越しいただけますでしょうか?」
皇城に……? 一瞬嫌な予感を感じるも、そもそも目的地は皇城だ。自分や陛下の様子を調べる為に城に向かっていたのだった。
他の国もそんな状態で、クランバル家すら無いのだと判明した以上、頼みの綱は陛下だけだった。
いつも助けてくれるシルバーも……居ないんだよなぁ。
シルバーや他の友人にも特段頼ったり特別仲良くしているつもりは無かった。友人だって沢山必要とは思わないのだが……だが、いざこんなにも頼れる人が居ない状況になると、いざ居ないと分かると……こんなに心細いものなのか。
今の俺は帰る家すら無いしな……過去ピンチに陥った事は数々あれど、今が一番ヤバイのではなかろうか。主に精神的に来る。
思えば1人で動くのも久しぶりだ……
騎士達の案内で去ろうとする俺を元執事が見送る。
「あの……貴方は……」
「……?」
「いや……気のせいかもしれませんが、私の遠い記憶にあるジャスミン様の面影を思い出させるような……そんな気がして。もし、ジャスミン様に息子が居れば、貴方のような方だったのかと思って……」
俺を懐かしそうに見る元執事の目は、俺の記憶にある執事と同じものだった。誰も俺を知っている奴が居ない、心細い世界だからだろうか……少し涙が出そうになった。
「まぁ、もしかしたら遠い親戚とか、そんな感じかもしれませんね」
「……無事に戻れたら、また立ち寄って下され。待っていますので……」
元執事は俺を名残惜しそうに見た。いや、別に連行されている訳じゃないんだから、そんな不吉なフラグみたいな事を言うのはやめて欲しい。
クランバル家跡を離れ皇城へと連れて来られた俺は――
ガシャアアアン
――そのまま地下牢にぶち込まれた。……いや、何でや。
「あの……逃亡した悪女の捕獲に協力した者って知っていますよね……?」
「ああ。そうだな」
俺は近くに居た見張りとして待機している騎士に話しかけた。
「……何でこんな扱いなんですかね……?」
「何でと言われても、毎回毎回逃亡者を捕まえる度にお前に出くわすんだから、こちらも恐怖を感じずに居られる訳が無いだろう。流石に怪しいわ。しかも騎士として見覚えもないのに騎士の制服着ているし、ついでに言うとお前、ゲート都市から無断で逃亡しただろう」
「なるほど、納得の投獄ですな」
残念でも無く当然の結果だった。よくよく考えたら怪しさこの上無い上に、何自ら出頭してんの……
そりゃあ元執事もあんな死亡フラグみたいな事言いますわ。完全に捕まる流れでしたわね。ふええ……
当然のように投獄された俺の元に、コツコツと音を立てて現れた存在――
見張りの騎士達も頭を下げて出迎えたのは、太陽のような瞳と髪……見覚えよりも少し歳の行ったその容姿は10年の時を経ても尚美しさを深めていた。
「……陛下……」
「――君は、一体誰だ?」
俺を見る陛下の目は、見たことの無い冷たいものだった。俺どころか帝国民、いや……他のどの国の者にだって、俺の知っている陛下はそんな目を向けないだろう。
暖かな日差しのような瞳……だからこそ太陽と形容されるのだ。
今の陛下が向ける眼差しには心が無かった。
「いや……何があってそんな事になるんですか……」
「……君は、私を知っているような事を言うんだね」
牢に足を踏み入れた陛下は俺の両手にかけられている手枷を掴み思いっきり引き上げた。
「何処かの回し者か? それとも私を惑わす為に竜が送った者か? 騎士の格好とはいい度胸だな。帝国に仇成す者は決して許さない。その身をもって知るがいい」
ヒェェ……この陛下、全然冗談とか通じなそう。ここが元の世界ならば薄い書物が厚くなりそうだと喜ぶ者たちが乱入しそうな展開だが、話から察するに今の竜の国はきっとあんなしょうもない話題を真剣に議論するようなカオス腐葉土ではないのだろう……
そうこうしている間に陛下は腰の剣をスラリと抜き出した。……俺は知っている。剣を持ち出したという事はまだ手加減する程の優しさは残っているのだろうと。陛下は剣より拳の方が痛いから……
だが、俺は手枷を付けている上に丸腰だった。剣を持った陛下相手ならばワンチャン勝てそうな気もしなくも無いが、剣が無いならばワンチャンもクソも無いだろう……何でいつもピンチの時に剣無いんだろう。せめてこのシリアス世界では持たせてくれよぉ……
「……抵抗の意思は無いようだね」
陛下が拍子抜けた表情をしているが、残念な事にこちとら剣が無いと無能系騎士団長なんですよ。元の陛下だったら知っていますがね、初めましての陛下は知りませんでしたね。
「……」
陛下が無言のまま剣を下ろそうとしたその時――騎士の1人から光が漏れた。
「――なっ?!」
「?!]
その騎士は、微かに面影があった新人騎士のロイだった。いや、10年も経っているから新人でも何でも無いのかもしれないが……
それは収納魔法の切れ目だった。そこから覗くのは一冊の本――
「ロイ! 君のそれは禁書じゃないのか?!」
「え?! いや、その……」
10年経ったロイも相変わらず禁書を勝手に持ち出すような男だったらしい。俺が居なくて悪役令嬢は断罪される世界になっても、ロイの勝手に禁書を持ち出す性格には影響が無かったようだ。
「――ジェド!!!」
「おま……」
本の隙間から伸びる手。その手が投げたペンを俺は口でキャッチした。
「何っ?!」
俺は咥えたペンを勢いよく手枷に叩きつける。相変わらず不思議な切れ味で手枷を繋いでいた鎖は真っ二つに砕けた。
一瞬呆気に取られていた陛下だったが、我に返り俺に向かって剣を振り下ろす――が、俺はそれをペンで受け止めた。
「な……何故そんなもので……」
「陛下、失礼かもしれませんが……平和だった頃の陛下の方が剣の腕は一枚上手でしたよ」
「――っ?!」
俺は剣を跳ね上げ、陛下に峰打ちを食らわせる。ペンの峰とか全然何処か分からんが……
「ジェド! 早く!!」
本の隙間から手を伸ばすのが見えたので俺はその手を掴もうと本に向かって走った。
「待て!!!」
後ろから陛下の叫び声が聞こえたので、一瞬足を止める。
「……陛下。この世界で何があったのかは分かりませんが……その、俺が居なくてすみません。居なくなってしまった俺の分まで謝っておきますね」
「何を言って――」
「もし、陛下も死んで、時間が遡った先に見覚えの無い騎士が居たとしたら……余分な事を考える暇が無いほど沢山迷惑かけられて下さい」
「待っ――」
俺は今度こそ本の隙間から伸びる手を取った。ぐんと引き寄せられると水にダイブするように本の中に身体が引き込まれる。
俺の存在が消えた地下牢に、本がパサリと落ちる音だけが響いた。




