旅立つ茜とソラは……
それは、スノーマンにてナーガからノエルの身体を取り戻した頃。
聖女の茜はラヴィーンを目指していた。
自身の修行なんて何の意味も無いと分かっていた……一番守りたい者が一番の敵になってしまってはもう茜に出来る事なんて何も無いのだから。
ただ、騎士団長が失敗した時の為に頭を握りつぶせる握力だけは鍛え続けていた。
ラヴィーンの山奥深く、違う乙女ゲームの中に出てきた『神の降り立つ地』
そこに行けば、この胸につっかえるモヤモヤとした気持ちが、無力な自分への怒りが収まるような気がして……何となく向かってしまった。
ノエルの大事な友達であるソラは魔法学園からずっと茜について来てくれていた。
ノエルと共に居たソラは心優しい魔族の猫。ノエルの事も助けたいと思いながら、ノエルを想う茜の事も放っておく事は出来なかったのだ。
プレリ大陸、セリオンの草原を行く乗り合い動物車に乗りながら爽やかな風を感じ、茜はボーっと外を見ていた。
「アタシに価値なんてあるのかなぁ……」
茜は元のではついに自分の価値を見出す事が出来なかった。この異世界で唯一自分だけがノエルを救えると、それだけが茜の生きる希望だったのに……修行に明け暮れて自身の心と戦っている間にノエルは奪われ、本当に大事な時に守る事が出来なかった。
いや、茜が傍に居た所で誘拐を止める事も出来なければノエルの身体に入る邪竜の存在をどうにかする事も出来なかっただろうし、ましてやノエルの未来の姿である悪役令嬢ノエルが今目の前に現れたとしても、どうすれば良いかすら見当がつかなかった。
それらを考える度に茜は地の底に埋まる位には落ち込んだ。
『力だけが強さでは無い』という事は分かってはいた。
だが、闇に打ち勝つにはどうすれば良いのか光の剣士に尋ねた事もあったが、その答えは精神論のようなもので『光とか闇とか難しい事を考えなければ良い』というふわふわとした答えだった。
実際、茜が悩んでいる間にそのふわふわとした精神を持っている騎士が光の剣でナーガを打ち破っているのだが、その事を未だ茜は知らなかった。
「はぁ……」
一体自分は何の為に、誰の為に異世界へ来たのか……何をすれば良いのか考えれば考えるほど分からず落ち込んで下を向くしかなかった。
ふと、座席の隣で寄り添い寝てるソラの頭が見えた。
猫は元の世界から好きだった。フォルティス家で大事に手入れされているソラは毛並みも良い。
頭をそっと撫でるとサラサラとした毛並みが心地よかった。ソラを撫でて笑う幼きノエルの姿を思い出して自然と笑みが零れた。
「ふふ……」
だが、それも手の隙間から見えたソラの額の宝石を見て止まった。
アメジストのような額の宝石……ノエルが抱いていた時は確かに澄んだ紫色をしていたのに、今は下半分が黒っぽく濁っているのだ。
「え……っ?! ソラ?! いつから――」
ソラに呼びかけるも、眠ったまま中々起きはしなかった。そのうち薄く目を開けてひと鳴きする頃には額の宝石も元の色に戻っていた。
……いや、よく見るとやはり宝石は少しくすんでいるのだ……
「その色……」
先ほど見えた黒い濁りの宝石、それには見覚えがあった。
ノエルがナーガに乗っ取られていると知った魔法学園で沢山見た黒い石……空の宝石の中身は闇だという。
「闇……」
茜は思い出した。ソラが、どういう存在なのかを……ノエルが話してくれたあの日を。
『茜様、ソラはこんなに可愛いのだけど……実は恐ろしい魔獣なのです。魔気や悪意を吸い取って力を溜め込み、その力が限界に達して暴走した時……異世界から少女を呼び寄せるとか。魔族の皆さんも大変な事になってしまうって……騎士様が仰っていました』
そう言うノエルは悲痛な表情でソラを撫でた。
『わたくし……ソラがそんな恐ろしい事になるだなんて、絶対にさせない。わたくしはいつも笑顔で、ソラに幸せを感じてもらうよう頑張ります。だから茜様も、わたくしが何かいけない事をしたら叱ってくださいね』
そう真剣な眼差しで言われた時、茜にはどうしてもそんな日が来るなんて想像が出来なかった。
「魔気や悪意なんて――」
ソラはノエルが誘拐された時に助けに行った。それからずっと、ノエルを助けようとしていたのだ。
自身の宝石が汚れてしまっても、ノエルを助けようと……
「ソラ……馬鹿……あんたがそんな事したら、ノエルたんが悲しむって……わかんなかったの……?」
茜はソラを抱きしめた。ソラはソラなりに頑張り、無力さを感じていたのかもしれない。それでも、自身の出来る事を何とかしようと頑張っていた。この小さな猫が、今は落ち込む茜に寄り添ってくれている。
「あんたがそんな姿じゃ、ノエルたんの元になんて返せないよ」
茜はソラに自分の姿を重ねた。自分だってどうだ……こんな気持ちで、こんな顔でノエルの元に行けば彼女はきっと悲しむだろう。
「馬鹿ね……あんたも、私も……ノエルたんを悲しませちゃ、駄目じゃない」
「にゃー……」
ソラは困ったように鳴いていた。猫でも反省はするのかと、茜はなんだかおかしくなって涙を拭いた。
「あんたの事は、私が何とかするから。一緒に、ノエルたんの所に何事も無かったかのように戻るわよ」
茜の言葉にソラもコクリと頷いた。
だが、茜にはソラの宝石をどう元に戻したら良いのか分からなかった。
試しに額の宝石に手を置いて聖気を送ってみるも、確かに聖気は宝石へ流れていくが闇とは反発も混ざりもしなかった。まるで違う物質であるかのようにそこに二つあるだけなのだ。
いつぞやに、皇城が神聖魔法と闇魔法のツルツルぬるぬるした厄介な攻撃を受けた事があった。
その時の話を聞いた時――
『神聖魔法である聖気は魔気と反発し、闇魔法は光魔法と反発する。魔族の使う魔気ならば聖気で太刀打ち出来るかもしれないけど、闇魔法に対向出来るのは光の魔法しか無いらしい。実際にナーガと戦った時も魔塔主様の魔法ですら闇の竜には効かなかったらしいからな』と城の者が話をしているのを聞いた。
ソラの宝石の汚れの原因が闇魔法やそれに関わる悪意だとすれば、何とか出来るのは光魔法か光に関する何かしかないのではないかと……
そう思ってみてもやはり茜には光が何なのか理解する事は未だ出来ずにいた。
「……そうだ……あの場所なら……」
当ても無く向かっていた神の降り立つ場所。呼び寄せられるかの様にそこへ向かっていたのは何かの知らせではないのかと茜は考えた。
神ならば今のソラを何とかしてくれるかも……いや、もしかしたら神でなくとも光の剣士がそこにいるのかも知れない。
神聖魔法や聖気が駄目ならば神への望みは薄いが、光の剣士ならば……
ふわふわとした光の剣士の言葉を思い出すと何とかしてくれる望みが有るのか無いのかは非常に怪しかったが、今思いつくのはそれしか無かった。
茜はソラを抱きかかえ、動物車の窓の外……草原の先に薄っすらと遠くに見えるラヴィーンの山々を見た。
そこから数日かけ、茜はやっと竜の修行道の入り口にたどり着いた。
竜の国では『邪竜の呪い』とも言われる疫病が流行っていると噂で聞き、そんな所を通るわけにも行かずに竜の国を迂回して山を登り、修行道近辺まで出る事が出来た。
順当にラヴィーンの入り口から行くよりもかなり時間がかかってしまったが、これ以上ソラに闇の影響を与える方が怖くて、茜は出来る限り急いで山を駆け上がったが、それでも数日かかってしまった。
ソラの体調が心配でもあった……日に日に宝石の色が心なしか黒くなっていく気がして、茜は怖くなった。
竜の修行道は以前に来たときと様相が変わっていた。以前は道だけだったのに今は移動の魔法陣が無数に敷かれ迷路のようになっている。
魔法陣の前には看板があり、まるでゲームのセレクト画面のようにプレイヤーを待っていた。
「ふざけんな、こっちは急いでんだよ!」
怒りに任せて看板を蹴るとソラがびくっと身体を震わせた。
茜はハッと我に返る。そうだ、ノエルの為に笑顔で帰るのだと、誓った事を忘れそうになった。
「なーんちゃって、冗談冗だ――」
茜の目に、ソラが倒れるのが映った。
「ソラ?!」
慌てて抱き起こすと、ソラは苦しそうに頭をかいていた。
額の宝石はやはり前よりくすんでいて、暴走しそうになる自身を必死で抑えているかのようにソラが苦しんでいた。
「ばっ……ばっか!!! こちとら時間が無いんだよ!!! 修行だか何だかしらないけど、とっとと神の所に案内しろ馬鹿ぁああああ!!!」
茜が怒りありったけの聖気を一つの魔法陣にぶつけた。
するとどうだろう――
「?!!」
ぶつけた魔法陣どころか、他の魔法陣も光り出し無数の手が現れたのだ。その手には見覚えがあった。茜自身が暴走させた事のある聖国のゲートと同じなのだ。あの時と同じ手が、今魔法陣の中から伸びて来ていた。
「あんたらが……連れてってくれるの…………なら、話は早いじゃん」
ポキポキと指を鳴らす茜は、無数に伸びる光の手に走り拳を繰り出した。
大事に腕に抱えるソラの首に巻かれていたスカーフは、暴れまわる茜の腕からするりと抜け落ち……そのまま地面へと転がった。




