讃える筋肉、切れる肉体(前編)
プレリ大陸の空をシアンの魔法で横断し、暫くするとセリオンの首都へと辿り着いた。
空の旅は最初は快適だと思っていたのだが……暫く飛んでいると分かる。船酔いみたいな気持ち悪さが俺を襲ってくるわ、途中でトイレに行きたくなっても簡単に用を足せないわ、お腹が空いても簡単にご飯は食べられないわ……意外と不便なのだ。
「しょうがないだろう? 空の上なんだから。身体がふわつくのは『空酔い』だねぇ。こう、三半規管が空中のふわふわした感じに慣れないとそうなるとか……聖国の者達みたいな有翼人と違って空を飛ぶ事に慣れていないとそうなるんだよねぇ。はははは」
何が嬉しいのか、シアンはグロッキーな俺に水を渡して笑っていた。効くかどうか分からないけど、と酔い止めの薬を渡して来るが、酔い止めは酔う前に飲まないと意味が無いのでは……?
地上に降り立つと足元がおぼつかずふわふわとする。地に足が付かないとはよく言うが、本当に付かないとこんな感じなのだな……足の裏が何かゾワゾワする。
空を飛べると楽しそうだなとは誰しもが妄想するものだが……もう暫くは空中散歩は結構です。
セリオンの首都は祭りのように賑やかだった。
何かのお祝いかと思ったが、町中至る所に『美ボディ大会開催!!』の文字。この盛り上がりは美ボディ大会とやらの開催を祝っての事らしい……
「……ようは筋肉の品評会って事だよな? 何でそんなに盛り上がれるんだ……?」
至る所に立つ屋台には『筋肉焼き』に『筋肉飴』と言った、筋肉を模した食べ物が売られていた。非常に食欲の失せるラインナップだが、セリオンの人々は筋肉祭りに盛り上がり祭りの賑わいを楽しんでいた。
「試しに買ってみるかい? 『筋肉すくい』なんてのもあるらしいけど」
シアンが物珍しそうにキョロキョロと見回して言う。筋肉の何を救うのか……救って欲しいのはこちらの心境である。
シアンが指差す先にはやたらに体格の良い魚が泳いでいた。参加者達は心許ない掬い桶で体格の良い魚を掬おうと試みているが、何せ桶が脆い。元気の良すぎる魚は脆い桶を破壊しながら泳いでいた。……詐欺では?
「あの……これは一体どういう祭りなのですか?」
俺は意を決して筋肉すくい屋のおやじに話しかけてみた。
「おお、アンタら美ボディ大会は初めてかい?」
「ええ……まぁ。今のところ二度訪れようとは思いませんが」
「ははは、初めての人は皆そう言うのさ」
恰幅の良いリザードマンのおやじはニカッと笑った。その口ぶりだと一度体験すれば癖になってリピートしてしまうような言い方だが、一体ここから何にハマるというんだ……? 絶対そういうヤツじゃないだろコレ。
「この『美ボディ大会』はセリオン一強く逞しい獣王アンバー様を讃えて開催される年に一度の一大イベントさ」
「……王を讃えた年に一度のイベントが筋肉品評会でいいのか?」
「変な催し度合いでは帝国もなかなかの物だけどねぇ」
「ははは、他国の方は不思議がるがね。力によって王を決め、力によって争いを止めたセリオンの獣人達にとって逞しさや筋肉の美しさは最高の誉れなのだよ。やはり強さこそ正義であり、美しい筋肉は誉めて讃えられるべきであると立ち上がったのがこの祭りだ。近年は線の薄い子犬系男子が好みだのと軟弱な風潮があるが、やはり獣人たるものマッチョが1番、マッチョイズナンバーワン!」
おやじがムキムキの肩を見せつける。ハイハイ、見せつけんでいいわ……
「ここのところ獣王は何か思うところがあってか乗り気ではなかったので開催してなかったのだが、やはり筋肉がナンバーワンだと思い直してくれたみたいでこうして大々的に開催する運びとなった訳なんだよ」
おやじ曰く、アンバーは少し前まではこの筋肉を讃える祭りに乗り気では無かったらしい。確かにモテたいだの令嬢になりたいだの、何か変に悩んでいたからな……
だが、暫く旅に出かけた後、帰って来たアンバーは吹っ切れたように『やはり筋肉こそナンバーワン』となっていたらしい。一体何があったのかは謎だが、脳まで筋肉なアンバーだから悩みも筋肉が解決するくらいのものだろう。俺も似たような位の悩みしか抱えてないから分かる……
「この大会に優勝すれば王が何でも願いを叶えてくれるって話だからな。皆そりゃあもう自慢の筋肉を磨き上げるのさ」
「なるほど……テレシアが断罪の運命から逃れる為に願いを叶えて貰うっていうのがそれか……だが、話を聞く限りだとかなり参加者が多くて競争率が高そうだな」
「ああ。何たって、いつもアンバー王が優勝しているからな……誰もアンバー王に勝つ事なんて出来やしないさ」
「……ちょっと待て、アンバーが出るのか?」
「えっ? 当たり前だろう。あの美しく逞しいボディが出なくて誰が出るんだよ」
「……それは、もう優勝者が決まってる出来レースじゃないのか……」
俺の言葉に、リザードマンはチッチッチッと指を横に振った。
「いやいや、アンバー王が毎回出るからと言って審判も出場者も手を抜いているつもりは無いんだ。だが……あの美しく逞しいボディに勝る超国宝級のマッシヴボディが現れないだけなんだよ。確かにあのボディに勝つ事が出来るならば、優勝者の願いを何でも聞き入れるという褒美は頷ける」
「それは……とんでもない話だな」
「大会はもう直ぐ始まるのだが、見た所兄さんもいいガタイしてそうだな。良ければ参加してみてはどうかね」
そう言われ、リザードマンのおやじから大会のチラシを渡された。
「うーむ……そうは言っても、聞けば聞くほど難しそうな話だな」
「確かに、獣王は並大抵の身体じゃないからねぇ。魔法も効かない筋肉というものは私も初めて見たけど……魔法が効かないんじゃ闇討ちして不戦勝って方法も難しそうだねぇ」
「……お前は物騒な事を言うなよ。……所で、その肝心の依頼してきた令嬢本人はどうしたんだよ……」
セリオンの首都に来てからテレシアの姿を探したが、一向に見つかる様子は無かった。
「そう言えば、象の移動動物に乗っていたからねぇ……移動特化したとしても象は象だろう。もしかしたら少々遅れるかもしれないねぇ」
「……おい。これ、お前の魔法で来た方が早かったんじゃ……今から迎えに行けないのか?」
「うーん……こんな事なら最初から皆で移動して来れば良かったねぇ。草原の何処に居るか分からない人間を探し出すのが先ずもって難しいんだよねぇ。君みたいに目印の物を持っていれば別なのだけど……」
「……魔法も案外万能じゃないな」
俺の言葉にシアンはガーンと傷ついた顔をした。コイツと一緒に居て分かったのは、意外と魔法は制約が多くて全能では無いという事だ……
一見万能な移動魔法もポンポン使えばゲート都市で管理している国外への移動に於ける法律に引っかかるし、そもそも時間系の魔法は世界の制約が重すぎる。
探し物が見つかる魔法が有れば楽なのだが、無作為に何処に居るか分からない物を探すのは不可能に近いそうだ。
例えば俺みたいにある程度目印となる物を持って居れば探すのは容易いし、人や魔獣の気配を察知する探知魔法なんてのもある。が、拾い草原で目印の無い1人を探すのは至難の業らしい……
「そ……そんな魔法が必要だった事無かったし……ああ……でも、捜索とか……有れば便利ではあるのか……ウーン、でもそれを開発すると色々プライバシーの問題とかも絡んでくるからなぁ……」
「ああもういいわ、とりあえず大会までには来るだろうし……先に大会に行ってみよう」
とりあえず、言い出した本人が不在のまま不安を拭いきれずに大会受付へと向かった……依頼者も居ないのに自主的に動いてる俺、偉すぎない……?
大会会場はセリオンの王城である。石造りの立派な城には大会出場者が集まって来ていた。皆、筋骨隆々とした筋肉自慢の男達ばかりである。
「受付はここか……済まないが、大会出場を――」
受付をしようとして、俺は流れるように自主的に大会参加している自分の姿に我に返った。
そもそも依頼人が居ないなら大会出場しなくて良くない……?
「どうしました? 出場されるのですよね?」
受付の獣人が首を傾げているが、俺は受付用紙を引っ込めた。
「いや……俺は――」
「おお!!! ジェドに……ええと、そちらは誰か分からんが、久しぶりじゃないか!!」
後ろから声をかけて来たのは見覚えのあるムキムキの王……獣王アンバーだった。
「アンバー……」
「ジェド、もしやお前も美ボディ大会に出場するのか??」
「あ……いや、俺は別に……」
「はーっはっはっ、お前が出ようと負ける気はせんぞ。俺が真っ向勝負で敗北したのはただ1人だけだからな……この筋肉はどんな魔法も跳ね返し、どんな素材の武器でも斬る事は出来ん。この国の者達が俺の肉体を讃えこの様な大会を開いてくれる事は有り難いが、今の俺は何者にも負ける気がしないのだよ」
アンバーは豪快に笑いながら筋肉を自慢して来た。少し前までは何か妙に落ち込んで筋肉もしなしなしていたのだが、何かが吹っ切れたらしい。彼女が出来ない事については諦めたのだろうか?
まぁ……真っ向勝負で負けたっていうのはアレだ。陛下の事だろう。だが、アンバーは確かに強いからしょうがない……あのシルバーでさえ魔法が効かなかったからなぁ……
「……」
……何か嫌な予感がして横を見ると、シアンがめっちゃゴゴゴゴゴと音が出るくらいアンバーを睨んでいた。余りの怒りに眼鏡が割れそうである。どしたの……?
「どんな魔法も効かないとは、聞き捨てならないねぇ」
「ん? お前も魔法使いか? 本当の事だから仕方あるまい、俺には魔法は効かぬぞ。はっはっは」
「……」
シアンが何か魔法陣を描こうとしたのでその手を掴んで止めた。おま、こんな所でやめい。
「おっと、そろそろ行かねば。まぁ、万が一にも優勝すれば願いが叶うらしいからな、出るならばお互い頑張ろうな。がっはっはっはっ!!」
アンバーは気にも留めない様子で笑いながら立ち去って行った。
「……何かあったのかアイツは……少し前と違ってやけに自信をつけているような……」
「ジェド」
「? 何……??」
「大会に出よう。そして獣王の鼻を明かした末に、魔法で消し去ろう」
……いや、魔法で消し去るのはいかんだろ。




