皇室騎士、魔法士採用試験(18)海上の障害(後編)
海に放り出された俺達は目がぼんやりと光る大きな鯨便を海から見上げていた。
一緒に投げ出された陛下やブレイド、シアンも海面に出ている手に引き上げられ海から続々と顔を出す。
「アレってやっぱ……ここのところずっと俺達に付きまとっているアレですよね……」
「急に鯨の様子がおかしくなった所を見るとそうかもしれないな。……狙いが一向に分からないが……」
魔王領や人魚の国で邪魔をしてきた様子を思い出す限り、襲撃者は何故か俺達の試験の邪魔をしているようだった。
だが、そもそも何故試験の邪魔するのかが分からない。この皇室騎士や魔法士の試験は採用人数が決まっている訳ではなかった……むしろ良い人材ならば沢山採用したいところであるが、今のところ襲撃者の妨害によってその数はガクンと減少していた。
それに、俺やストーンまで狙う理由は本当に分からない。ストーンが利用されていたのはまぁ置いておいても、俺を狙っても何もいい事は無いだろう。俺が試験に不合格だったとしてもせいぜい皇室騎士団長から下ろされるか、もしくはただの漆黒の剣士になるだけなのだが……それで得をする奴がいるとは思えない。俺が漆黒の騎士団長じゃなくなったら全土の令嬢達の行き場が無くなって困るぞ……?
「ジェド!」
「ん?」
俺が自身の存在意義まで考えている間に、何者かに操られたであろう鯨さんが大きく口を開け始めた。
「え……あれってまさか……」
「吸い込まれてますね」
暢気なシアンの言葉通り、鯨便さんは海の水ごと俺や手の軍団を吸い込み始めた。オアーッ!!!
何せ掴むところがほぼ無い。必死で泳ぐも手の軍団は波に紛れてどんどんと吸い込まれて行った。
手の方々は吸い込まれながらも出来たてホヤホヤのカップル同士は固く手を結んで覚悟を決めていたり、はたまた片方を助ける為に身を低にして犠牲になっている手もいた。出来立てのリア充達、恋人を満喫しとりますなぁ……
「吸い込まれた手の者達を助けに行かねば……」
「……何か上から出てきてないか……?」
「ん?」
ブレイドが指差す方、鯨便の頭の上……ブシューーーーー! っと勢い良く水を噴出していた。
「あれは、潮ですね」
「潮……」
「知ってました? 鯨って頭の上に鼻が付いているらしいですよ」
「へぇ……」
暢気なシオンの解説によると、鯨は海に潜ってから息をする度にああして海水がブシューっとなるらしい。大量に飲み込まれたかのように見えた手の軍団が鯨の巻き上げた潮に紛れて吹っ飛んでいく。
「鯨は大きい種類ですと数メートルも潮を噴き上げるらしいのですが、おー……よく飛んでいますね」
バラバラに吹き上げられた手達は遥か遠くに飛んでいた。手達が必死で泳ぎながら仲間を助けに行く。
「狙いは我々の分断か……?」
「かもしれませんね」
鯨便がまたしても大きく口を開けて飲み込もうとしてきた。この広い海で分断され方向も分からなくなってしまうと試験どころではない……今は進んできた方角と太陽の位置で何となく分かるが……吹っ飛ばされたら一体何処に居るのか分からなくなってしまう……
「シアン、何か魔法は使えないのか? 移動魔法とか……」
「ジェド様、その魔法がホイホイこんな所で使えるわけ無いでしょう? 移動するにはある程度今居る位置と距離を知らないといけないのですよ? 闇雲に使って知らない海に放り投げられても知りませんよ?」
「え……そうなんですか? 陛下」
「ああ……君はかなり魔法に詳しいね。そうだよ……」
陛下が嫌そうな顔をした。陛下は移動魔法が使えるのだが、それはいざと言うときの為に、魔法が得意でもないのに無理やり習得したものだ。
距離がかなりある場所を移動した時なんかは数日間寝込んでしまうこともあるほどに移動魔法は魔力を消費するのである……どこぞの魔力が底なしに湧き出てくるような魔法使いと一緒に居ると麻痺してしまいそうだが、中々簡単に使えるものでは無いらしい。
言うてシルバーも手続きが面倒なので使いたくないって言っていたので、誰も幸せにすることの無い魔法である。魔法大好き人間からも愛されない悲しき魔法よ……
「おい、吸い込んで来ているぞ!」
鯨が大きく水を吸い込むと海が荒れる渦潮を作った。がくんと身体がそちらに引っ張られ皆が鯨に飲まれそうになる……
うおぉ……俺達も潮に巻き上げられて吹っ飛ばされるのかなぁ……何かやだなぁ。
と諦めていると、俺の手を誰かが掴んだ。そちらを見るとシアンの水色の髪が見える。
「ぶはっ!」
「ジェド、無事だったようだね」
近くからは陛下も顔を出した。シアンの方を見ると海上に作った魔法陣に捕まって俺を支えてくれていた。陛下はあの激流の中逆らって泳ぎ、何とか耐えたらしい。流石知性と身体能力を兼ね備えた皇帝である。
「ブレイドは――」
「手を掴もうとしたが間に合わなかった……」
陛下が鯨便を悔しそうに見ると、プルプル震えた鯨がまた大きな潮を噴出した。
巻き上げる海水に混じって遥か彼方に飛んでいく手とブレイドの姿が見える……が――
「……何か、服……着てなくなかった……?」
「ジェドにもそう見えたかい? 私にもそう見えたよ」
「あ、そこに」
シアンが海面に浮かぶ服を見つけた。プカプカと……哀れにブレイドの服が浮いていた。
「いや、何で服と分離したんだ……?」
「むしろそういう仕様だったんですかね。手は何も着てませんし」
「なるほど……?」
「鯨便の体内はある程度リラックス出来る空間が作られていましたからね。もしかしたら排出口がゴミ箱や排水の役割をしていて、ある程度分別出来るようになっているのかもしれませんね。ほら、海に溶けない物は捨てちゃダメですし……」
なるほど……つまり、ブレイドの生身は海に溶けるから良いとして、服は燃えないゴミ扱いって事か。服と一緒に鯨便の中にあった備品も流れていたのでもしかしたらそちらは体内に残るはずのものだったのかもしれない……え、いや、ちょっと待って――
「て事は、手はともかく俺達が飲み込まれて潮と一緒に噴出されるとあの仕様になるって事なのか……?」
「……絶対に飲み込まれたく無いね……」
俺達は絶対に飲み込まれまいと頷いた。何処か分からない所に吹っ飛ばされるのも嫌だが、海のど真ん中で裸で遭難とか最悪過ぎる……
何とか飲み込まれない方向で鯨便をどうにかしなくてはいけないのだ。
「鯨って何か弱点とか無いのでしたっけ」
「弱点……か。昔話で鯨の怪物にメドゥーサの頭を捧げて石にしたというものがあったが……流石にあの巨体を一気に石にするには魔塔主程の魔力がなくては難しいだろう。せめて動きだけでも止める事が出来れば……」
「動きを止められれば良いのでしたら出来ますよ?」
「え?」
シアンはニコリと微笑み未だバラバラと残っている手達を指差した。
「……では、手筈通りに」
手と俺達が頷く。鯨便が大きく口を開けると海に激流が出来、陛下が反対方向に泳ぎ出した。
「俺達はあっちだ!」
手達と一緒に鯨便の口の中に向かって泳ぎ出す。海水と一緒に飲み込まれた口の中は空気があって立つ事も出来た。
乾燥魔法の魔術具の効果が残っている鯨便の中で、俺達は壁に向かってくすぐる様にさわさわしてみた。
「……本当にコレ、効くのかよ」
「鯨便に体内で生活されている事について話を聞いた時に、ようは慣れですみたいな事を言っていたので……て事は多少なりとも気にはなっているんじゃないですかね? 流石にこのように一斉にくすぐられる事はないでしょうし」
体内で生活されたりくすぐられたりする鯨便……効くのかどうかは知らんが、俺は自分が体内でくすぐられる事を想像してしまい鳥肌が立った。転生しても鯨便にはなりたくない……
「あ、止まったみたいですよ」
水を吸い込んでいた鯨便は動きをピタリと止めた。よし! 効いているようだ!
……だが――
「何か痙攣してね……?」
「くすぐられてクシャミしたくなったのですかね」
「クシャミって……口か鼻だよな」
「どっちから出されるかによっては服が剥ぎ取られるかもしれませんね」
「おま……」
嫌な二択を聞いてしまった……俺は鼻から出る事を恐れて体内にしがみついたが、それと同時にドカーーーン!! と爆音と衝撃が走り、鯨便の身体が一気に反転する程傾いた。
体制を崩したシアンの腕を取る。
「ん……? 何か何処かで……」
「……?」
デジャヴを感じて首を傾げると同時に鯨便の体内に光が差し込む。
そちらを見ると陛下が口をこじ開けてくれていた。
「倒したよ、鯨便。気絶すると共に目から光も消えたみたい」
「良かった……」
俺は安堵して口から出たが、ふと周りの海を見渡して思い出した。
鯨便の周りにはバラバラ散らばる手……
「……そういやブレイドって何処に行ったんでしたっけ?」
★★★
シュパース大陸の先端は釣り堀として整備されていた。
釣りたての魚は直ぐに捌き食する事が出来るので、人気が出るであろう新たな名所となる予定だが……未だ整備されたてであり、オープンは先である。
――はずなのだが、オーナー特権でオープン前の貸切状態の釣り堀でのんびりと釣りを楽しんでる1人の若者が居た。
チャラチャラと色分けされた赤と黒の髪を海風に靡かせ、釣竿を立てたまま昼寝をしているのだ。
「やっぱ時代はスローアンドのんびりだよなぁ……派手に遊ぶだけじゃなくて緩急をつけないと」
緩急を付けるも何も派手に遊ぶか緩く遊ぶかの二択しか彼には無かった。
先日まで楽しそうだからと付き合ってみた旅では、確かに楽しかったのだが想定の数倍以上働かされた。
それに二度と会うまいと思っていた女に長年の憂さ晴らしが出来たものの、代償は大きく付いてしまったので二度と働くものかと思い島に帰ってはみたが……
帰ったら帰ったで何だか暇すぎて飽き飽きしていた所だった。その為、シュパースは今大改装中なのだ。
帝国の皇室騎士団だの魔法士だのを選出する試験に場所と手を貸したのも、単なる暇つぶしである。
緩く遊ぶのは良いが暇や飽きは大敵だった。
ゴロンと寝返りを打ったナスカは未だ来ない試験者はどのくらい退屈を払拭してくれるのだろうとニヤニヤしてしまった。
「あ……」
寝返りを打った先に見えた釣り竿が大きく軋んだので手ごたえを感じて竿を引いた。意外にも引きが強かったので――
「チャー、シュー、メン!」
と掛け声を上げて一気に引いた。
海からザバーーーン! と上がって来たそれは、想定していた魚ではなかった。
釣り針は手枷に絡まり、その枷の持ち主は海藻に揉みくちゃに巻かれた人だった。
服は――着ては居なかった……かと言って人魚にしてはゴツ過ぎた。
見覚えのあるその白騎士は見覚えの中ではもう少しマトモな格好をしていた気がした。
「ぶふっ!!! ちょ、何、ちょっと待って、不意打ちやめて……」
何かのツボに入ってしまい笑い転げるナスカを、ブレイドは真っ裸かつ死んだ目で見つめていた。




