プレリ大陸の通過儀礼(後編)
「……ジェド・クランバル。君がこの状況を知っていて隠してたのならば怒っていいところかね。私はね、隠し事をされたり騙されるのが一番嫌いなのだが」
「お前が一番嫌いなのは黒色だけかと思っていたよ」
「君のことも一番嫌いになりそうだよ」
銀色の髪、白い目。元のブレイドをそのまま小さくした子供のブレイドは大人の時と同じように目を吊り上げて俺を睨んだ。小さな手からは手枷がすり抜け、自慢の白い制服もダボダボとしている。
「まぁそう言うなって。ほら」
窓を開け下を見下ろすと、夜の灯火が淡く輝く村内に沢山の子供達が走り出していた。
シュパース大陸の遊園地がオープンする時と似ている。恐らく本当は子供では無いのだろう子供達が目を輝かせて遊びに出かけていた。
「……もしや、あれは全部同じように子供化した大人なのか……?」
「そういう事。俺も最初は何の為にこんな事しているんだと思ったんだけど、案外子供に戻りたい大人ってやつは多いみたいだ」
「……世の中には子供の格好をして楽しむ性癖を持つ者がいると聞いた事があったが……そういう人種は多いのだな」
いや、それはまた意味合いが違う気がするのだが。
外で遊ぶ子供達を見下ろすブレイドにお姉さんから借りた子供服を渡す。ちゃんと白い服を用意して貰った。
「ま、今夜だけだし、お前も子供に戻った気持ちで楽しんでみたらどうだ?」
「子供に……か」
俺の渡す白い子供用の服をブレイドは曇り顔で受け取った。……ちゃんと白い服を用意したのに何で?
村の中心部は相変わらず子供が喜びそうな屋台や遊び場が充実していた。キラキラとした目の子供達が思いっきり遊んでいる。……中身は子供ではないのですがね。それについてはお互い様なので何も考えないでおこう。
この村で子供になり夜を過ごす時は何も考えずに今ありのままの自分を楽しむのが一番であり暗黙の掟なのだ。覚めた目でキョロキョロするブレイドは浮いていたが、異国の言葉に『郷に入っては郷に従え』という言葉があるらしく、違う土地に来たのならばその風習を尊重するのが大切なのだ。風習っつっても単に童心に返りたい大人が楽しいんでいるだけなのだがね……
ブレイドは人の少ない噴水の淵に腰掛けた。屋台や遊具を楽しむ訳でも誰かと遊びまわる訳でもなく、疲れたようにボーっと子供達で溢れる人ごみを見つめていた。
「遊ばないのか? ここでは誰しもが同じだから子供のように遊んだって気にしないのに……」
「……君は貴族のくせに幼少時は他の者たちと遊んだりしたのか?」
「普通の貴族が良く分からないが、まぁ、割と。剣術の稽古は厳しいっちゃー厳しかったけど、稽古ばかりしていたらまともな人間に育たないっていうのが親父達の教えだからな」
子供の頃は厳しい割に優しい時もあるものなのだと思っていた。だが、遊ぶ時間が増えた分稽古時により厳しいので、子供心にその優しさを稽古時にもくれよと思ったものである。
今にして思うと、剣術に明け暮れたばかりに婚期を失った自分たちの体験談なのだろう……ま、遊んだり友達が出来て交流があったからとて婚期が来る予兆があるかと言うとそうではないが。結婚する気あるだけ俺はまだマシなのだろうか。
「……そうか。それでも強くなるのだな……私の親は、そうでは無かった。君の母、チェルシーに強い劣等感を抱いていた父は私をとことん追い詰めた。チェルシーは家紋の恥さらしであり、闘うことにしか能の無い最低な女であり、女でありながら野蛮にも剣を持つなどとは正式な当主である自分が分からせてやらなくてはならない――と、矛盾を重ねては私に厳しい稽古という名の暴力と終わりの無い不毛な期待を重く科せ続けた。その時にはいつだって『ダリア家たるもの、常に清廉潔白でなくてはならない』と繰り返し言い続けていたが、あまりにも言葉が矛盾しているので父の言う清廉潔白も、期待している次期当主としての完成系も……何もかもわからなかったものだ」
「それは……何か大変だったな。それに、お前の家は……」
気を使うような俺の言葉にブレイドは首を振った。
「もしかしたら、もうその時には既に闇に魅入られていたのかもしれないな……ダリア家だけでは無く、スノーマンの王も貴族達も気がつけばおかしな方向に動いていたからな。私は常に受ける父の嫉妬心に疑問を抱いていた。何故ナーガが私だけを生かしたのかは分からないが、大方利用価値でもあったのだろうな。あの愚かな父よりは」
遠くを見つめるブレイドがふいに俺を振り返る。目を細めて俺を凝視した
「……清廉潔白と言いながらも腹の中にどす黒く醜い感情を持つ父も、その父が守るダリア家も……何もかもが気持ち悪くて仕方が無かった。ナーガに唯一感謝をするのだとすれば、何もかも白い雪の中に溶かして無くしてくれた事だ」
「お前の親もスノーマンの人々もナーガに操られていたんじゃないのか……」
「いや、そうでは無いだろう。チェルシーに劣等感を抱いていたのは本当だろうし……ナーガによってそれが増幅されてしまっただけのこと。私の中にあった潔白に対する疑問も、ダリア家を無くしてしまいたいという思いも増幅されたのだろう……私がナーガと共に行き、犯した行動については私の中にあったものであり、責任だ。何故君達帝国人が私を罰しないのか、こんなに緩い扱いをするのかは本当に疑問でしかないが」
「何でって言われてもなぁ……」
うちの国、そういう事に対しての処罰もクソもないし、そもそも他国の問題だからなぁ。スノーマンは壊滅したにせよ、帝国が面倒見ているだけで帝国じゃないから……
それ以前に、陛下が罪人に対して厳しい罰則をするとは思えない。
ナーガだって生きていれば捕まえて封印する位じゃないか? それも有る意味厳しいとは思うけど……何せあの女だからなぁ。
俺がウッカリぶっ刺してしまったのは本当に申し訳ないが、罰せられるならば他国の女王をうっかりぶっ刺した俺の方である。
「うーむ……まぁ、その辺りについては国ごとに感覚も価値観も違うからな。とにかくうちの国はそういう、お前の考えるような厳しい事も無いし、逆にお前の考えてもみないような厳しい事もある」
そう、あるのだ。特に皇城に勤めた騎士団や魔法士達の感想としては「死んだ方がマシ」「お家に帰りたい」「こんな地獄があったなんて……いっそ死なせて」だった。俺は部署が違うのでそんな感想をするやつらが何の仕事をしているのか知らないが、罪を犯した訳でも無いやつ等がそこまで疲弊する仕事って何……?
「……帝国は変わっているのだな」
「変なのは帝国だけじゃないけどな。お前も色んな国を回ってみてみるといいぞ……変な奴らがいっぱい居るからな」
この先の竜の国の幹部といい、セリオンの獣王といい、変な奴らだらけだからな。白とか黒とかでは計り知れない奴らに驚くがいい……
ブレイドは噴水の縁から飛び降りて歩き出した。
「面白い者達に出会えるといいがな」
「ん? もう宿に戻るのか?」
「いや……」
ブレイドはちらちらと白くふわふわとした食べ物を売っている屋台を見ていた。あれは異国の菓子である。白に惹かれているのだろうか……?
「食うか?」
「……いや、別に私は……」
さも興味が無さそうに振舞うブレイドは少しもじもじとしていた。子供の頃も好きなものを食べたり望んだりした事はなかったのだろうか。
俺は屋台に行ってそのふわふわとした菓子を一つ貰い、ブレイドに手渡した。
「遠慮せずに好きなものを食べたらいいだろ。ったく、お前は悪いブレイドだった頃は遠慮なぞせずに大好きな白湯だの白いものを執拗に追いかけていたくせに、いざ手に入るとなると素直に甘えられないんだな」
「それは……」
ブレイドは俺と出会った頃の自分を思い出したのか頭を抱えた。
「ナーガの影響だろう。あの時は盲目に完全なる白に執着し、好きになり……白以外の物は許せないと思い込んでいたから……」
「あー、菓子、絡まってる」
白い綿菓子を持ちながら頭を抱えたものだから、ブレイドの髪の毛には綿菓子が絡み付いてしまった。それを丁寧に取ってやる……うわぁ、ベタベタしてる。
「……済まないな。所でジェド、君は何故黒を好んでいるんだ?」
髪に絡みついた綿菓子を取っていると、手持ち無沙汰のブレイドが俺に問いかけた。
「私が白に拘る理由は十分に話をしたが……君はどちらかというと黒に拘りがあるようには思えないのに漆黒だの黒騎士だのと自負したり身につけたりしているからな。何か深い理由でもあるのかと思ってな」
「深い理由は全然無いんだが……クランバル家がたまたま黒が家紋の色だとか、親譲りで黒髪黒目に生まれてしまったとか、黒だと汚れても目立たないとか……そんなんだけど?」
「……そんなんなのか……」
「そんなんなんだよ。おし、取れたぞ」
髪の毛を綺麗にしてあげたブレイドだったが、俺のしょうも無い漆黒の由来を聞いて微妙な顔をしていた。そんな期待はずれな顔されても……俺が黒騎士なのには何の深い意味も無いんだよマジで。
あと、クランバル家の家紋の色が黒いのもね、親父が若かりし頃、返り血で汚れるのが面倒で黒い服を着ていて、家紋も汚れるから黒にしただけだからね。物騒な親父のせいなのよ……そん時は親父じゃなかったけど。
ブレイドは納得のいかない様子ではあったが、その夜はほんの少し子供の頃に出来なかった子供の時間を楽しんだ。
そして翌日――
「お客さんー、昨日はお楽しみいただけましたかー?」
受付の犬のお姉さんは朝から元気な声を俺達に向けた。
俺はまた例によって茸アレルギーで元に戻れなくなりかけたが、お姉さんからアレルギー対策の薬を貰って立派な大人に成長した。あ、身体の事ね。
「まぁ……こういう日があっても、悪くないのかもな」
ブレイドは咳払いをして受付を後にした。あの反応は少し気に入っているのだろう……ああやって大人は童心に帰れるこの村にハマるのである。うんうん、楽しんでくれたならいいのだよ。
「これからどちらに行かれるのですか? セリオンですか?」
「いや、ちょっと竜の国ラヴィーンに用があってな」
「ラヴィーンですか。ここ最近は竜の国もだいぶ交流が盛んになりましたからねー。女王が変わってからかなり様変わりしたみたいで、観光客も増えたみたいですよー。何か一部の層に聖地とか呼ばれているとか……」
「一部の層……何か俺の勘がそれ以上聞かなくていいと言っているが……まぁいい。ありがとう、楽しい時を過ごせたよ」
「またいらしてくださいね」
そう言って『子供の夢の村』を出る。夜が明けて日が高くなるにつれ村には違う客層が村に入れ替わりで入ってきた。あのお客達は日当たり茸を食べに来たのだろう……この後村がどんな様子になるのかはあまり想像したくない……
「ジェド、我々が食べた茸は夜中のみ子供に戻るものだと言っていたな。彼らは普通の宿泊客か? 昼間に来るからには夜行性の種族か何かか……」
「あ、いや、うん。昼間のここの村の事についてはそのうち話すよ」
視界の端にスライムとか変な生物が見えていたような気もしたが、あえて見ないことにして俺達は村を後にした。
停留所に留まっていた巨大高速ゾウに乗ってプレリ大陸の草原を駆け抜けていくとラヴィーンの山々が見えてきた。巨大動物便の運行は麓までである。
ラヴィーンへは裏口の小さな村から古いゲートで入ることが出来る。狭い石畳が山腹まで続く道は何故か賑わっていた。ラヴィーンが国交を盛んにしてから観光客が増えていると聞いていたが……本当だったんだな。
以前の竜の国を思うと平和そうな客層に俺は安堵したが、よくよく客層を見ると手に手に持っているのは薄い本だった。
「……」
「どうした? ジェド」
「いや……」
俺は一抹の不安を覚えながらも観光客の列に混ざってラヴィーンを目指した。




