漆黒の騎士団長の幻影(前編)
「……本当に、死んでしまうとはな……」
自分の手で心の臓を刺した感触……確かに燃えて灰になった宿命の騎士……
ブレイドの白い手袋には灰が残っていた。いつもならば汚らしく汚れた手袋はすぐに捨てるはずだったが、今は何故か手袋を脱ぐ気にはなれなかった。
黒い汚れとなって染込んだ灰はジェド・クランバルの名残である。
あんなに消してやろうと意気込んでいた憎き相手は、あっさりと消えてしまうと心に穴が開いたかのように寂しく感じた……
ブレイドは失って初めて気付いたのだ。その騎士を憎んでいた自分が、一心不乱に何も考えずにジェドと闘っていたその時こそ……心に何の黒い蟠りも感じずに戦いを楽しめていたのだと。
ジェドとの戦いはブレイドの本心を呼び起こしていた。人に対して本気になり、あんなに心を乱されたのは本当に初めてだったのだ。
「だが……お前はもう居ないのか……」
ブレイドは城の外を見た。遠く白い地平線はもう夕日が沈んで闇に包まれていく……
夜は嫌いだった。この美しいグラス大陸が黒に染まるから。
窓の外に手を出す。グラス大陸の黒く染まり行く大地に手にかすかに残っていたジェドの灰が溶けていくようだった。
その窓のすぐ下――壁にしがみついているのはその灰になる前の男、一部始終を目撃していた漆黒の騎士団長、ジェド・クランバルだった。
―――――――――――――――――――
死んだはずの男、漆黒の騎士団長ジェド・クランバルは城の壁にしがみつきながら困惑していた。
窓から部屋の中を覗き一部始終を見ておりましたが、そのうち純白の変態ブレイド・ダリアが近づいてきたので一旦窓の外に隠れたのだが……この男、何の感傷に浸っているのか一向に窓から離れようとしない。
何か俺の灰を握り締めながら遠くを見つめてるし……そうかと思ったら今度は何故か灰を風に乗せてばら撒き始めたし……え? その灰、俺だよね?
誰に何の許可を得て勝手に俺の灰をばら撒いてんですかね……? いや、もう灰になってしまった俺(分身)は元には戻らないでしょうけど、だからといって勝手に捨てないでほしい。風に乗って俺の方まで少しかかってんですわ……ぺっぺっ。
ブレイドは窓の下にいる俺に全く気付いてはいなかった。余程俺を倒したのが嬉しいのか、はたまた俺の死を悲しんでいるのか……?
感傷に浸るようなその顔はどう見ても後者であった。
あんなに怒らせた俺の何処に悲しむ要素があったのか定かでは無い。拳で繋ぐ友情、というのが存在するらしいが、少なくとも俺はブレイドには友情は感じていない。まさかの血縁ではありましたがね。
……まさかコイツもシルバーと同じ友達居ない勢だとか言わないよな……? 依存系はもう十分間に合ってますので簡便して欲しい。
「お前は……もう居ないのか……」
さっきからこればかりである。何でだよ、お前が殺したんじゃん。
ちょっと待てば直ぐに何処かへ行くかと待っていたが、謎の感傷に浸りすぎているブレイドは一向に窓から動こうとしなかった。いい加減腕も疲れてきた……
ここはそーっと下に下りようと腕を放しかけた時、上から何かがポタポタと落ちてきた。……水?
雨かと思って上を見上げるとブレイドの目から涙が零れていた。えっ……? おま、泣いてるの???
「これは……」
ブレイドも自身の涙に気付かなかったのか、頬を伝う涙に手を触れて驚いていた。こちらも驚きである。そんなに……?
正直ドン引きである。だって、俺とブレイドってそんな仲じゃないよね? つか殺したのお前やないか。何泣いてんだよ……
「私は……お前ほどの強敵に会ったことは無かった……」
強敵ね。まぁ、俺もお前程の変な騎士には会ったことありませんわ。だけど残念ながらお前より陛下の方が強いのでそのあたりはちょっと温度差がね……
「さらばだ……強き強敵よ……」
強敵と書いて『とも』ね……いや、何で急に友達になってんの俺達。勝手に友達認定しないで貰いたい。感傷に浸りすぎてるブレイドが最早自分の世界から帰ってこなくなっていた。
もう何か下に飛び降りるタイミングも失ってどうしたものかと悩んでいる俺でしたが、涙を振り落とすように下を見たブレイドと突然目が合った。急に下を向いたのである。あー……
「……なんだ……」
ブレイドは涙を流しながら止まっていた。そりゃそうですよね、死んだと思っていた人が急に窓の下にいるんですもんね……何だと思いますよね。
「……そうか……私は、もう何処にもいない宿敵が恋しい余り幻影を見るほどになっていたとは……私はそんなにお前の事を――」
「いや、お前の事を何だよ。止めろよ気持ち悪いな」
「!?」
驚き後ずさるブレイドの前に俺は窓から這い上がった。もういい加減腕が限界だったのだ。いくら騎士団長でも腕は疲れるんですわ。
「幻影が……喋った……だと???」
ブレイドはとことん俺が生きている事が信じられないようである。そりゃそうだよね、散々感傷に浸って涙して、俺という存在はブレイドの中では何か美化されて死んでんですもの……だがしかし、残念ながら幻影では無い。
「なんて事だ……ナーガの言うように、私は本当にジェド・クランバルに呪われていたというのか……幻聴さえ聞こえる程、私の脳内にはジェド・クランバル……貴様が……」
「あー、だから……」
何かブレイドが1人で大変な事になっていた。本当に全部まるっと気のせいなので勝手に呪われないでよ……と、誤解を解こうとした時、ふと俺は閃いてしまった。
これ、幻影って事にした方が都合良くね?
俺は今、敵陣真っ只中に1人取り残された孤高の騎士なのである。
仲間も居なければ完全なる丸腰騎士である。もう1人の俺(故)が持っていたらしきダリア家の家宝のクソでか重剣は俺と共に灰になっていたし……あーあ、家宝の剣燃えちゃってますが……。流石黒い炎はよく燃えるなぁ。
剣の無い俺は知っての通り無力なのだ……一応シルバーから貰ったアイテムは無いこともないが、ブレイド相手に真っ向から勝負するには丸腰では絶対無理だろう……
ならば……この状況を利用しない手は無い。
「そうだ。俺はお前の中の俺だ」
「やはり……そうなのか……」
「ああ、そういう事だ」
自分で言ってて何がそういう事なのか全然分からないが、そういう事になった。俺は今からブレイドの中に存在していた幻影……
青い顔のブレイドの手をそっと取った。
「ブレイド……お前は本当にナーガの信念に賛同しているのか?」
「な……なに?! 何故そんな事を?!」
お、動揺している……これは行けるんじゃないか?
「お前は本当は俺と真っ向勝負をしたかったんだよな?」
「ああ、そうだ。私はナーガに邪魔されて不当に勝ち、あの忌々しき黒い炎にお前が包まれてからやっと気付いた……ジェド、私はお前とずっと戦っていたかったのだと……」
「若干キモ――こほん。いや、そうなんだ。ナーガはお前の理想とは違う。ナーガはただ自分の目的の為だけに動いているだけなんだ」
「そうだな……だが、それは最初から分かっていた事だ。悪いのは迷いを完全に捨て切れなかった俺の方なんだ」
むむ……ナーガを一緒に倒そうという雰囲気に持っていこうと思っていたのだが、中々手ごわい。
「……とりあえず、ナーガの所に行ってみるってのはどうだ?」
「……何故だ?」
何でですかね……あー、やっぱ俺の脳筋な頭では上手いこと言えてない……
どうしようか……うーん……テキトーな言葉……
「……実は、俺は生きているんだ……?」
「な、何?! ど、どういう事だ?!!」
ブレイドが驚いている。ごめん、俺も後先考えずに言ったからよくわかんない……助けてワンダー。小説家先生……
「えーと……つまりだな、俺はさっきナーガに燃やされたじゃん? アレはお前を騙す為にナーガがそう見せて、本物の俺を隠していたんだ」
「な、何故そんな事を?!!!」
「え? 何でかなぁ……えーと、つまり、お前の残っている闇を引き出す為……?」
「?!!」
「あ、そうそう。お前は俺と戦うにつれて人間らしさを取り戻していったのだ。だから敢えて闇に落とす為にナーガが一芝居打ったのさ」
「そんな……だが、生かしておく必要は無いはず……何故ナーガはそんな回りくどい事を……」
「ナーガが俺をただで死なせると思うか? 地獄の苦しみを味合わせてゆっくりと死に至らしめるに決まってるだろ」
「確かに……」
これは我ながらなかなかの説得力である。何人もの悪女の話を聞いてきた中でもナーガは郡を抜いてねちっこいからな。本当にそういうことしそうだから怖いけど……
「……だが、何で私の幻影のはずのジェドがそんなに詳しいんだ……?」
「え?!!」
しまった、当初の設定を忘れていた……そう、俺はブレイドの幻影だったのだ。
「俺はお前の幻影であると同時に……未だ生きている俺の生霊でもある」
「……???????」
流石に無理があったか……そうだよね、どんどん辻褄が合わなくなっていきますもんね……
「……つまり、ナーガの所で未だお前は生きている……という事か……? その生霊が……お前なのか??」
「そ、そうです」
生霊とか全然わかんないけど、何か納得してくれてるからそれで行こう。
「そうか……ジェド……お前が生きているのか……」
ブレイドはさっきの悲しい表情から一変して、またワクワクとした笑みになった。心なしか体中から光が溢れている。ん? お前そんなん溢れてたっけ?
「私は悟った……お前と戦える喜びを……お前が生きているのならば……私はお前を起こしに行こうじゃないか……」
一度ライバルの死を体験したからだろうか? 強敵と闘える喜びに目覚めてしまったブレイドはどこかで見たことのあるような笑みを浮かべていた。あー……なんだろう、アレだわ。母さんだ。
吹っ切れたブレイドの表情は、完全に母さんとソックリであった。流石は血縁……
ブレイドは最早ナーガの手先では無くなっていた。純粋に闘うことに喜びを感じてしまっている……光の剣士チェルシー・ダリアと同じように。
ブレイドは何処かに向かって駆け出した。予想外のやる気である。
だが、目的の俺はここにいますがね……あと、そんなにやる気だしても俺は丸腰だしお前と戦えないので悪しからず。
俺の何の説得に乗ったのか分からないブレイドはナーガの所へと走り出した。
ブレイドの幻影こと俺は、その妙に早い脚に置いて行かれないように後に続いた……




