悪役王妃は王から逃げる(後編)
アビスが目を覚ますと見慣れた寝室だった。
(何故? 確かに逃げたはずなのに……)
アビスは記憶を辿る。砂漠の中で意識を失う寸前、誰かに助けられたような気がした。
(そうか、そのまま宮殿に連れ戻されたのね……)
もう1度……と、寝台を抜け出そうとするも、昨日のような力は出なかった。
逃げようとしたって無駄な事に、逃げ出してから気が付いたのだ。
砂漠に1人彷徨う自分……あの熱い太陽は彼の眼。
身体は逃げられたとしても、心はどこにも逃げられない……サハリの砂漠には隠れる場所など何処にも無かった。
もう何もかもが遅すぎたのだ……
(私は……貴方無しでは生きられない……)
―――――――――――――――――――
「つまり、ジャスティア様はアビス様の事を愛しているので別れたくないという事でしょう? だったら、素直にそうお伝えすれば良いのではないでしょうか」
俺達はサハリの王、ジャスティアの謁見所にいた。王妃の処刑だの穏便では無い話のため、召使は下がらせ、3人だけの会話である。
「……余は、サハリの王だぞ。そんな事が出来るわけなかろう。妃とは言え、1人の民だけを愛する事は出来ないのだ。砂漠の砂の1粒までも全てが余の、砂漠の王の愛する子供なのだ。王とはそういう者である」
うわー、何か最もらしい事言ってるけど、アークの顔がゲッソリしてるのを見て察した。
アークは自分だけでは耐えられなかったのか、また俺の肩に手を置いて来た。
(ヒェー!! バカ!!! そんな、余は確かにアビスちゃんが大大大大だーいすきだけど、そんな事言える訳ないじゃん!!! 民も大事だけど……恥ずかしくて死んじゃう!!!! アビスちゃんに面と向かうだけでも死にそうな位心臓持たないのに……好きとか//////死んじゃう!!! むり……むりぽよ)
煩さすぎてアークの手を振り払った。
アークお前……さては、こいつの思考が煩さすぎてしんどいから俺を巻き込んだろ!!
「頭の中が煩いのはお前もいい勝負だから、つべこべ言わずに助けろ。俺を」
「おま……」
「まぁ、こうは言っているが、アビス妃をジャスティアなりに説得したのは本当だ。だが、妃も頑なでな……」
そう言われてジャスティア王を見ると、哀しげに目を伏せた。
「……まさか本当にアビスが居なくなるとは思わなかった。物語だの未来だのと、そんなに悩んでいるとは思わなかったのだ。だが……もし、彼女が本当に余のもとを離れたいというのならば……それを望んでいるのならば……余はアビスの気持ちを尊重したい」
えっ、本当にそんな事思ってるのか? と疑った目でアークの方を見ると、首を振りながら肩に手を置こうとしたので抵抗した。絶対そんな事は考えていないのだろう。
「俺とお前は一蓮托生だろ……?」
「お前……やっぱ魔族の本性を現したな……」
「ふん、今までこの俺をいい人だとでも思っていたか?」
王様の心の声を聞きたくない人vs王様の心を1人で聞くのは耐えられない魔族の攻防が始まろうとした頃、ドアが開きアビス妃が現れた。
「アビス様! 今は王はお客様との大事な話の最中で――」
「構わん。お前達は下がっていい」
「は、はい」
召使を下がらせたジャスティアとアビスは、太陽のような真っ赤な眼と、月のように神秘的で美しい瞳を交わした。
「アビス……逃げ出したと聞いた。何故だ?」
「ジャスティア様……私は……私は……」
「其方が前世で見たという物語のように余に捨てられるのが怖いか? 余が信じられないか?」
「ジャスティア様……私は、捨てられる事も、罪をでっち上げ処刑される事も……怖くはないのです」
「ならば何故逃げた?」
ガシッ
「?!」
2人が真面目な話をしている隙にアークに頭をガッシリとホールドされた。お前……2人共真剣な話してるんだからいい加減に――
(あーーーー!! アビスちゃんが見つめてるーー!! 余をだけを見てるーー!! アビスちゃんの瞳の中に余がいるって事は余の中にもアビスちゃんが??? え……むり)
頭の中にジャスティア王の心の声が止めどなく聞こえて来る。
おま、真面目な話してたんじゃないのかよ!! ちゃんと話してやれよ!!
魔王のせいでややこしい副音声が入ってきて、話が全く入って来なくなった。ここからは副音声でお楽しみください。
(あー……かわいいなーアビスちゃん。あー、いかんいかん、真面目な話してるんだからアビスちゃんの話ちゃんと聞かなくちゃ……あー、アビスちゃんが見つめてる……尊死ぬ)
「私は……私が怖いのです」
「どういう事だ?」
(えっ、なになに、怖い?? 分かる!! アビスちゃん可愛すぎて怖いよね。かわいいは正義だけど、時として罪にもなるよね!! もー、アビスちゃんの重罪人!! 心を奪った罪で重刑に処しちゃうぞ!!)
「私は……ジャスティア様を……愛してしまったのです。もう……戻れないほどに」
「愛か……ならば尚更分からんな。余の元に居ればいいではないか」
(え???? 今、愛って??? 愛??? アアアアアビスちゃんが余を???? 愛????? え、なんて?????)
落ち着け。いや、口調は落ち着いているが。アビスの話が進むにつれ、ジャスティアは心の中が大変な事になっていった。
「貴方に捨てられる事なんて怖くなかったはずなのに……この愛が育つ程にみっともなく貴方に執着し、すがり、離れられなくなってしまうのが、私は怖いのです!!! 貴方が……少しも私を愛していなくても。……貴方の愛は砂漠のもの……でも……私は砂漠の砂の1粒にさえ嫉妬してしまうかもしれない……そうなる前に……」
「……」
(アビスちゃんが余を……愛しているから?? ……余から離れ……どうして?? 余も……アビスを……余も……)
「貴方には分からないかもしれません……誰も愛する事が許されない貴方には……」
アビスは月色の瞳から涙の滴を落とすと、部屋を出た。
部屋の中は沈黙が流れていた。ジャスティアの心の声も、途切れたままだった。
「……ジャスティア王。貴方が皆を平等に愛さなくちゃいけないから、本当の気持ちを話す事が出来なくて、だから心の中がそんなにお喋りになったのかとか、心情は分からなくもない」
王という立場上こう在らねばならない、というのはある。砂漠の王は砂漠の全てのことを考え、1人に感けてはいられない。だから心の中でしか本音を言えなかったのだろう。だが……
「だが、いつまでもウジウジ心の中でお喋りしているだけでいいのか? ちゃんと本当の心の声を伝えないから王妃は不安なんじゃないのか? 物語のように捨てるとか、離れるのを望むならとか、本当にそうなってもいいのか?」
「――っ!」
ジャスティア王は無言でアビス王妃の後を追いかけた。
扉の外に出た2人がどんな会話をしたのか、ジャスティア王が本当にあの心の声の一部でも王妃に伝えられたのかは分からない。
魔王が俺からそっと手を離した。
「まぁ、後はヤツが自分で何とかするだろう。あいつは王様だから……甘やかしてはいけないからな。さて、観光でもして帰るか」
結局、遠路はるばる呼ばれるだけ呼ばれて何しに来たのかは分からなかった。
……とりあえず船着場のあった街で変な置物でもお土産に買って行こう。




