漆黒の騎士団長の最期(中編)
ポタポタと、白い剣から滴る真っ赤なジェドの血。
仰向けに倒れているジェド・クランバルの身体からは胸を中心に赤い水溜まりがコートを濡らし広がっていた。
刺した当の本人であるブレイドも呆然としながら自身の白い剣を眺めていた。
「じ……ジェド……」
シルバーが震える声で名前を呼ぶも、その身体はピクリとも動かない。魔力が無い今のシルバーには生命反応を感じ取る事も、彼が今どんな状態なのかすら知る事は出来なかった。
それでもまだ何処かで希望を捨てきれないシルバーを、ナーガは嘲笑う。
「ダメよ、希望なんて抱いちゃ。目の前の現実を見なきゃ」
少女の指が黒い魔法陣を描くと、ジェドの身体全体が黒い炎に包まれた。
目の前で友の全てが炎に溶けて消えていくのを何も出来ずに見守るしかなく、湧き上がりそうになった魔力も全てが終わった今となってはシルバー自身の心と一緒で気力を無くしていた。
大事な者を失った時に、怒りでどうにかなるのでは無いかと想像していたシルバーだったが……予想は外れて身体を動かす程の動力すら湧き上がらなかった。
それでも心の何処かでジェドがタイムリープした話を期待していたが、目の前の現実は何処の時間へ行く事もなくそこに居た。
「そう、その顔……私から愛する人を奪った世界中の者達にその絶望を与えたいわ」
「……全部逆恨みの癖によく言うわ」
「……何?」
小さく呟いたナスカの声にナーガ嘲笑を止めて其方を睨む。
ナスカは何も無かったかのようにいつもの笑みを浮かべた。
「いいや何も。それよりいいの? そろそろ夜が明けるんじゃない?」
スノーマンの王城の窓の外――真っ白なグラス大陸の地平線は薄く色を変え始めていた。
「……その子をジャックプリズンの檻に運びなさい」
ナーガの声を聞いて白いローブの者達がシルバーの元へと集まった。連れて行かれそうになるシルバーの前にナスカが立つ。
「……ナスカ……」
「ごめんね。シルバー」
シルバーの頭をすっぽり覆っていたフードをめくると、見上げるシルバーの目からはポロポロと涙が溢れ落ちて止まらなかった。ナスカがその頭をくしゃりと撫でて手を離すと、シルバーは白いローブの者達に運ばれ扉の外へと消えて行った。
「ナーガ!! 貴様、何故邪魔をした!」
激昂する声。ブレイドは白い剣を手放さず、怒りを露わにナーガに詰め寄っていた。
「……貴方、本当に典型的ね」
「何?!」
「散々弄ばれてまだ分からないの? それがその男の……ジェド・クランバルのやり方なの。自分のペースに引き込み乗せて、最後には取り憑かれてしまうのよ……ブレイド貴方、この男に呪われているわよ?」
「私が……呪われている……だと?」
ブレイドは真っ黒な灰になったジェドを恐ろしい形相で見た。あんなに望んでいたジェドの死……ブレイドの嫌いな黒……灰になって風に吹かれ飛んでいく灰を掴んだ手は黒く汚れた。
望んだ物とは違ったのだと……その時ブレイドは初めて気がついた。
ジェドを屠った所で、彼が白くなる事はなかった。ただの黒い消し炭だけがそこに虚しく残っただけだったのだ。
その虚しさがジェドが置いて行った呪いだとするならば、手にしっくりと来る呪いの剣よりも厄介なものだと……ブレイドは灰を握りつぶした。
「あらあら……思いもよらぬ所にまで飛び火したみたいね。本当厄介な子だこと」
ナーガはブレイドにも興味を無くし、窓の外を見る。地平線の明るく見える先……太陽の昇る方角に帝国を見た。
次は帝国――そして魔王領。
「いえ、帝国の前に聖国ね。もう1人の拗らせた子がちゃんと思うように働いてくれるといいのだけど……」
スノーマンにロストの姿は無かった。彼は彼で聖国にいる憎き相手を想い、動いている。
幼き彼を利用したまでは良かったのだが、時が経つにつれてやはりロストも少なからず影響を受けて変わっていた。
どれもこれもジェドが関わり始めてから歯車が狂い、ナーガの計画は上手く行かなかった。
「今度こそ……邪魔はさせないわ」
やっと一番邪魔な男を屠ったはずなのに……ナーガの心には未だ何かの見落としがあるような気がしてならなかった。
窓から差し込む光が薄く色をつけ始める。朝になればもう1人が死ぬのだ。
遠くに薄っすらと見える巨大な塔の監獄ジャックプリズン。今頃運ばれて牢に入り繋がれている頃だろうと唇の端を持ち上げた。
「楽しそうだね、お姉さん」
窓際に立つナーガの隣にナスカが立つ。
「あの時と同じ顔してる」
「そう……あの時も楽しかったわ。私はね……こうして歯車がちゃんと回り、私の思う様に進むことが愉快で仕方がないのよ」
「ふーん。俺がここに来るのも、ちゃんと分かってたってこと?」
「ええ。だって貴方……魔法学園で会った時、あの子供の頃と変わらぬ目をしていたんですもの。楽しいものを求め、つまらない事が嫌いな貴方……楽しかったでしょう? 人を騙すのは」
「ああ。騙すのは超楽しいね」
ナスカがナーガに笑顔を向けると、その顔の横から跳ね返ったコインが飛んできた。
「何?!」
コインはナーガの手に当たり、持っていた魔術具を手から引き離す。
「貴様!!!」
ナーガがナスカの顔目掛けて黒い炎を吐き出す。ナスカは髪の端を焦がし避けながら落とした魔術具を拾い上げた。
「お前、最初から!!!」
「ワンダー!!!」
ナスカが服の下から本を取り出して名を呼ぶと、本から手が出てきてナスカの身体を引っ張った。その身体は本に吸い込まれて行く。
「おのれ!!!」
ナーガが黒い魔法陣をナスカの顔の前に出した。辛うじて描いた小さな魔法陣は消えかけたナスカの目の前で小さな爆発を起こして消えてしまう。
「くっ!!」
ナーガが本に手を伸ばすも、その本は作者の能力を発揮する事なくただの紙切れでしか無かった。
劣化し変色した頁に書かれている文と赤い文字には見覚えがあった。そこに残されていたのは『竜の女王が堕ちる時』
ナーガの人生全てが失敗に終わっていたと書き直され、その企みは上手く行く事は無いのだと本が告げていた。
「ワンダー……あの行商か……!!」
怒りで本を引き裂きそうになったが、血が滲むほど掌に爪を食い込ませて耐えた。
「……はっ、ナーガ。残念だったな」
怒りを露わにするナーガの様子を、ゆらりと立ち上がったブレイドが嘲笑う。
「結局、お前もジェドのペースに乗せられていたという事だな」
「……何を言っているの? あの男は死んだのよ。それに、あの子たちだけで何が出来るというの……」
徐々に冷静さを取り戻したナーガは、血の滴る小さな手で本を拾い上げ部屋の奥へと消えて行った。
ブレイドは目を細めて窓の外を見た……
――そして、その様子を覗く者が1人居た。
この俺……ジェド・クランバルである。
★★★
ジャックプリズンは冷たい氷に包まれた塔。
誰が作ったのか詳しい歴史は残っていないが、一度閉じ込められればどんな重罪人も出る事が出来ないよう頑丈に作られていた。
鎖に繋がれて朝を待つだけのシルバーにしてみると、こんな守りだけでシルバーの中に眠る魔力の大暴走を抑えられるとはとても思えなかった。
だが、もうそんな事はどうでも良い。爆発で失う前にその手で殺して欲しいと願った友人はもう何処にも居ないのだから……
牢屋の窓からはご丁寧に朝日が昇るのが見える仕様だった。日の光が大地を染め直すと共にシルバーの身体も少しずつ大きくなり、髪から発光し始めた。
「ジェド……」
子供の服は身体に耐えきれず切れ目が入る。フードの付いたローブが破れてするりと身体から落ちると、そのフードの中に入っていた物が一緒にことりと下に落ちた。
「……?」
シルバーも他の誰もその存在に気付く事無くフードに潜んでいた小さめの本。
落ちた拍子にパラパラと頁が捲れ、発光すると同時に2人の男が飛び出てきた。
「ナスカ……それに、ワンダー」
「シルバー!! 直ぐに、これ、着けて!!」
発光し始めるシルバーの身体にありったけの魔術具を付けて最後にナーガから奪い取った装飾を首からぶら下げる。身体中に迸っていた魔力の意思が魔石に吸い込まれ、発光は徐々に収まって行った。
「良かった……」
「ナスカ!!!」
魔法陣を描き拘束を破壊したシルバーはその手でナスカの服の胸ぐらを掴み締め上げた。
何故今更になって助けたのか、全てが終わった今助けるなんて……何故そんな残酷な事をするのか……
それを楽しんでやっているのだとしたら、何処まで人の心で遊ぶのか……
もう湧く事の無いと思っていた怒りがシルバーを支配しようとするも、ナスカの顔を見てその怒りは止まった。
ナスカの右目は何かの爆裂攻撃を受けたのか黒く焼け、瞑られた目からは炭か涙か血かも分からぬものが溢れて出ていた。
「目……」
怒りを忘れて治癒魔法をかけようとするも、その手をナスカが止めて首を振る。
「いいよ……」
「なぜ……」
「上手く行くと思ってたんだけどなぁ……こんな事になるなんて、また見誤っちゃったな……だから、もういいんだ……」
「ナスカ……」
「ごめんね……シルバー……」
ぽたぽたと、瞑られた目からシルバーの手に落ちる黒い涙。いつも笑って誤魔化し、感情をあまり表さないナスカの悲しみが……黒い染みから伝わって来た。




