悪役王妃は王から逃げる(前編)
アビスは砂漠を歩いた。
間違いなくここは、あの物語で見た世界なのだ。何故忘れていたのか……そして何故、今になって思い出してしまったのだろうか。
愛する彼に棄てられる未来は耐えられなかった。ならばいっそ自分から……
「砂漠……暑いわ……」
アビスの意識はそこで途絶えた。
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公爵家子息、皇室騎士団長ジェド・クランバルは魔王アークの知り合いである砂漠の国サハリの王の頼みを聞く為に、遠い異国の地サハリまで来ていた。
悪役令嬢呼び寄せ体質の俺への話なのだから、十中八九悪役令嬢が絡んでいるだろう。帝国を出発する前から気が重かったのだが、着いてもいないのに事件に巻き込まれたりして最早テンションがだだ下がりである。それに……めちゃくちゃ暑い。
砂漠の国サハリの首都へは、船を降りてから砂漠をかなり歩かなくてはいけなかった。
船着場の近くは海辺のリゾート地として栄え、白浜を楽しむ観光客も多かったが、その栄えた町並みを抜けると大砂漠である。気温もかなり高い。
俺達2人はひたすら砂漠を歩いていた。
四方八方が砂漠で方角も最早分からないが、アークがこっちだと言うのだから間違い無いのだろう。
「お前……人間は時計の針を太陽に向けて方角を知るらしいぞ。まぁ、我々魔族はそんな物無くてもこの砂漠ならば魔気の流れで分かるけどな」
そうなんだ……へぇー
「砂漠の国サハリは魔獣の猫や蛇を神として崇める国で、どちらかというと魔族寄りの国なのだ。王も魔族の血を引いているらしい。その王が願い出たのだからな……一応話だけは聞いてやる事にした」
「サハリとはあまり交流が無いから全然知らなかった……所で、何でライオンになっているんだ?」
アークは町を離れてからずっと黒いライオンの姿になって歩いている。
「……靴に砂が入って気持ち悪いから」
「お前、そういう所とか全然魔王っぽくないよな。靴に入る砂気にする魔王っている?」
「それは偏見だ。それより……誰か倒れているぞ」
アークの示す方を見ると確かに女性が倒れていた。慌てて駆け寄るが、身なりからして身分の高そうな女性だ……何でこんな所に?
「み……水……」
女性が水を欲していたので、アークが空中から水を作り飲ませてやる。そういう魔法は使えるのに船酔いは治せないの何でなんだ?
俺にも水を分けてくれたが、魔王の天然(?)水はめちゃくちゃ冷えてておいしかった。水の魔法が使える魔法使いに飲ませて貰った時はもっと水質が硬かった気がする……
「……人間は変な所を気にするよな。俺は回復系の神聖魔法は使えん。傷は繋げる事は出来るがな、繋げられるだけだ。水質は知らん。ジェド、お前はくだらない事を考えすぎる。いちいち疑問に答えるのが面倒だから何も考えないでくれ。それより、この女はサハリの王妃だ。乗せろ、連れて行くぞ」
勝手に心読んでるのはそっちなのに文句を言われた。理不尽な話である。
言われた通り王妃らしき女性をアークの背中に乗せて、首都を目指して歩き出した。
「アビス様!! おい! アビス様が見つかったぞ!!」
サハリの王城に着くなり、家臣達が慌ただしく出迎えた。彼らはアークが背中に乗せている女性を見ると駆け寄り、そのまま寝室へと運んで行った。
「これはアーク様……王妃を助けて頂きありがとうございます。それに、漆黒の騎士様も。さぁ、我が王がお待ちです」
家臣達に案内され、俺達は謁見所へと向かった。
サハリの宮殿は帝国の王城とは違い、見た事の無い材質の石の細かい彫刻が至る所にあり美しく、通気性の良い造りをしていた。
そこに居た王は褐色の肌に赤い髪と目をした、帝国ではあまり見たことのない容貌の人物である。
「よく来たな、魔王アーク。そして漆黒の騎士ジェド・クランバル、遠路遥々こちらに赴きいただき礼をいう。我が名はジャスティア、この砂漠の国サハリの王だ」
ジャスティアは威厳ある様子で挨拶をしつつ話し始めたので感動した。
わー、ザ・王様って感じ! やっぱさー、王ってこういう感じじゃ無いの? 皇帝陛下は何か庶民寄りだし、魔王アークも全然魔王然としてないから、何か初めて王族を見るような気持ちになった。
が、アークがこちらを微妙な目で見てくる。何、その目?
「今回来てもらったのは、他ならぬ王妃アビスの事でだ。アビスは……いわゆる前世の記憶がある女性であり、この人生はその時に見た書物その物だと言うのだ。アビスが言うには、その物語の未来では余が彼女を捨てる為に様々な悪事をでっち上げ、死に追いやるとされているらしい。確かに、この宮殿には後宮もあり、美しい女も沢山いる。だが、アビスを捨てるなどあり得ない。彼女は政略結婚ではあるが、この国の王妃だ。気高き砂漠の支配者がこのように女1人に感けているなどとはあってはならないが、余がいくら言っても聞かぬからな。其方こう言った前世だとか物語の悪役だとかに詳しいと聞く……何とかアビスを説得してはくれぬか?」
なるほど、物語で悪役とされ、死ぬ運命にある王妃様の話なのか……
いや、別に悪役令嬢専門家でも何でも無いからなぁ。あと、本人が死にたく無くて別れたいって言ってるなら好きにさせとけば良いのでは……?
「ジェド……話はそれだけじゃないのだが」
アークが疲れた顔で肩に手を置いて来た。……何で君、急に疲れてるの?
アークが肩に手を置いた瞬間、怒涛のように頭の中に声が響く。
(あーーーん!! やだやだやだーー! アビスちゃんと別れるなんて考えただけで死んじゃうよーーーー!!! 酷いよーー! 余はこんなにアビスちゃんの事愛してるのに何で伝わらないのーーー!!! アビスちゃんと結婚したのだって、一目惚れなんだよ??? わざわざ手を回して政略結婚とかにしたけどさぁ、余はアビスちゃんだけが大好きなのーーー!!! てか誰なの後宮とか作ったのは??? 代々の王は後宮に美女を侍らすとか言って国中の美女集めてるけどさぁ、圧倒的アビスちゃんだから!!! え?? 本当要らないんだけど国中の美女!! アビスちゃんなら100人いても足りないけどね!!!! わー100人のアビスちゃんかぁ……いい。こんな事考えてるなんてアビスちゃんには恥ずかしくて伝えられないけど……余は、余は……)
急に流れてきた思考がやかましすぎて、アークの手を振り払った。その瞬間に声は消える。え……? 何今の???
「あいつ……四六時中王妃の事しか考えてないようなヤツなんだ……聞いての通りだ。何とかしてやってくれ」
ジャスティアの方を向くと相変わらず威厳に満ちた顔をしていた。
何とかって……自分で何とかさせろよ! てかお前も王様のくせに甘えるなーー!!




