閑話・帝国に血の雨が降る日(後編)
一方その頃――城下町の喧騒もピークに達し、皇帝ルーカスと甲冑騎士シャドウは疲弊していた。
体力的に、というよりは亡者達の衰えない勢いと不毛さに疲れていたのだ。
ルーカスは疲れた目を騒乱の街に向けた。何故か参加規模が前より大きくなっていて、お菓子を渡したい者も多ければ蛮族も昨年の倍以上居る。
怨念に目をギラギラさせているのは大人だけでは無く子供や年配、他国人も混ざっていた。
何故他国から参加しているのかと不思議に思ったルーカスが訪ねてみたところ、ガイドブックを見て祭りに便乗しに来たと口々に言う。
この馬鹿げた騒ぎが帝国の季節のお祭りとして紹介されているという事実を知り、ルーカスは頭を抱えた。
「何でわざわざ帝国に来てまで恋人達を妬むんだ……」
「気持ちは分からなくもありませんが。私も何処かで陛下に対するストレスを晴らせる場所があるならば行きたいですし」
「……」
「……冗談ですよ?」
落ち着いたトーンで兜越しに伺えないシャドウの冗談はルーカスには冗談には聞こえなかった。何せ自分が同じ立場だったら誰にも見られずに何処か遠くに行って山に穴を開けるくらい地面を殴り続けているかもしれないからだ。
思い起こすとシャドウは時折休暇を取って何処かへ消えるような節があるので、マジで山を殴りに行っているのかもしれないと、ルーカスは甲冑騎士を疑いの目で見た。
早く諦めろと言いたいものの、それについてもやはり自分が同じ立場ならば無理な話であり……人の心など誰かに言われた所でどうにもならないのだ。
ならばシャドウの言う通り自分が付けた入られる隙が無いようにすれば良いのだと飲み込んだ。
「冗談で無くとも構わないし、遠くと言わずストレスは直接発散頂いて構わないよ。私はそれしきの事が受け止められ無い程落ちぶれてはいないからね」
いつだって乗り越えて来たのだ。何でも出来ると言われる程に。
そんなルーカスの答えにシャドウは満足そうに頷き向き直った。
「ふふ……この祭りにオペラ様がいらっしゃって、陛下にお菓子を渡しに来ていたら私は蛮族ですね」
「彼女が居なくて良かったよ」
笑い合う2人の後ろで、バタバタと走る蛮族達の怒号が響いた。
「向こうにとんでもない勇者がいたぞーー!」
「今話題の、陛下の恋のお相手である聖国の女王らしいぞ!」
「え? オペラ様?? この間の祭りの時に身損ねたんだよな」
「祭りだ祭りだーー! 奪えーー!!!!」
「陛下のお菓子を奪うぞーーー!!!」
蛮族の集団が後ろを通り過ぎて行くのを呆然と見送り、ルーカスとシャドウは顔を見合わせた。
「……今、何か言ってなかったか……?」
「……完全に言ってましたね。オペラ様が居ると」
「……」
「……」
ルーカスとシャドウは蒼白として集団の向かう方へと急いだ。
半ば祭りと化している民衆も心配だが、相手は聖国の女王である。何かあっては外交問題になる……というのもありつつ
「……むしろオペラ様の方がブチ切れないか心配ですがね」
「……そうだね」
2人は色々と心配しながら走った。その心配は既に遅く、更に斜め上に行っているとは知らずに……
★★★
「何でこんなに!! わたくし、国中に嫌われていますの???」
城下町を走るオペラとアーク。¥人は早々に見つかっていた。
何故か? 目立つ黒い獅子に咥えられて走っていた有翼人が目立つからである。
「嫌いというか……むしろ好かれてるからというか。何でこんなに居るのかについては世界中平和で暇だからなんじゃねーの?」
「はぁ? 貴方の言う事は私には理解出来ませんわ!」
「理解してくれなくて結構だが、今は大人しくしていろ」
アークは暴れるオペラの服を咥えて当てもなく走っていた。単純に逃げるだけならばオペラだけで逃げれば良いのだが、目的は少し違う。アークはあえて町中の蛮族を集めていた。
ルーカスが城下町で騒ぎを止めていた事は知っていた。だが、いつもよりも人が多く、声が煩い中でルーカスを探すのはアークと言えど至難の技だ。それならばいっそ囮になって騒ぎの先頭にいれば必ず来るはずだと読んでいた。
蛮族の集団は時間が経つにつれ大きくなり、四方八方から現れてその手をかいるのが大変になって来た。だが――
「……いつまでも運動不足だと思うなよ」
アークは実は少し運動不足解消の為に鍛えていた。
ここの所、謎に騒ぎに巻き込まれる事が多く、鍛えないといけないような嫌な予感がしていたのだ……その予感は的中して今に至るのだが。
小さな魔法陣を幾つも壁に張り付けて、その上を道にし器用に走り抜けた。
高い場所を走ると、やはり屋根を伝って走る目当ての人物の姿が見えたので、アークはそちらに向かってオペラを思いっきりぶん投げた。
「ええ??!!!」
「?!!」
突然飛んできたオペラをルーカスは上手く抱き止める。
「オペラ!」
「ルーカス様?!」
ルーカスに抱きしめられているオペラを見た蛮族達は残念そうなため息とも嬉しそうな歓声混じりの声を上げた。
追いかけいる蛮族達も半分お遊びだった。街中には陛下が居ると知っていたので、嬉しくなってついつい追いかけ回していたのも半分ある。
ルーカスも、居るはずの無い彼女が今日ここに居る事を素直に喜んでいた。何処からどう聞いたか分からなかったが、この日にわざわざ会いに来たのだからそういう事だろうと。
だが、そのオペラの目に泣いた跡があったのを見て笑顔が一瞬で引き固まった。
「えっ……何が……」
誰が彼女を泣かせたのだと怒りがこみ上げて来たが、次に彼女から出た言葉は思いもよらぬものだった。
「ルーカス様……他に良い人が出来て私が邪魔になりまして……?」
「は?」
余りに身に覚えが無さ過ぎる言葉に頭が真っ白になった。
涙の訳はどうやら自分だったらしい事は分かったが、ルーカスには何も分からない。少しでも覚えがあるならばともかく、何処のどのルーカスが他のどなたを見つけたというのか?
ルーカスどころか聞いていた蛮族達も皆「????」となった。
「えーと……? ちょっと待って。今度は何をどう誤解したのか一から説明して欲しいんだけど?」
ルーカスが困惑していると、オペラは口をへの字に噤んでプルプルとしながら話し始めた。変な顔過ぎてルーカスのツボに入りそうになったが、ルーカスはオペラが真剣だったので我慢した。
「だって……今日はバレンタインとかいう……意中の男性に女性がお菓子をプレゼントする、帝国の珍しい祭りと聞きましたのに……それなのに、帝国中の人々が襲って来るから……わたくし……わたくし……」
「……」
「「「……」」」
オペラがプルプルとして説明し始めた内容に皆がアカンと思った。オペラはこの祭りの由来部分しか知らずに来てしまったらしく、それが祭り渦中の蛮族達と変な合致の仕方をして誤解を生んだのだと皆、合点が行った。
……行った瞬間にルーカスは冷ややかに怒り出した。
「……だから私は最初から――」
ルーカスが言いかけた時、その頭を黒い肉球が押した。
「違うわバカ。悪いのはちゃんと最後まで調べて来なかったコイツだし、お前が説明すれば良いだけの話だろ。本当にお前はこの女の事になると不器用だな」
ルーカスはハッと我に返り、周りを見渡した。黒い獅子になったアークの呆れ顔に頭が冷静になる。
ルーカスがコホンと咳払いをすると、蛮族達も我に返り、それを合図にゆっくりゾロゾロと解散する。
「あー、そろそろ祭りも終わりだなー」
「リア充羨ましい……」
「帰ってみんなでお菓子パーティーでもするかー」
「お土産に限定のお菓子買っていこー」
民衆が疎らに散るのを見届けてから、オペラを再度見る。その手にはちゃんと守っていた綺麗なお菓子の包みがあった。
ルーカスはもう一度咳払いをして包みを持つ手にそっと触れた。
「えーと、オペラ。君は勘違いしているようだが……」
「やはり私が両想いと思い込んでいただけで勘違いでしたの……」
「いや、その下り何回やるの。もう……」
ルーカスは困ったように笑った。
「君が信じるまで何回も言うが、私はねオペラ……君以外に良い人なんて誰も居ない。これから先にも誰も現れない」
「えっ……」
ルーカスの言葉を聞いたオペラは、自分の中での辻褄が合わず上手く意味が飲み込めずにいた。
「え……でも、何故帝国の方々は……」
「君が勘違いしているのは私との関係とか両想いとか、そっちではなくてこの祭りの主旨なんだよ。確かに最初はその異世界のバレンタインだかとかいう普通の祭りだったんだよ。でも、先日の誕生祭を見てわかるように我が国の民はね……悪ノリが好きなんだよ。この祭りはどちらかというとリア充を阻止する者達がメイン層なんだよ。その者達を乗り越えて意中の相手にお菓子を渡すという危険な祭りで、語感が似てるから『ブラッディ・レイン』と呼ばれている」
「ブラッディ……」
ため息混じりのルーカスの顔を見てオペラは執務室で見ていたガイドブックの事を思い出した。
そう言われてみれば確かに帝国の祭りの頁はまだ続きがあったような気がして来た。
「――!!!???」
理解した瞬間、色んな情報がオペラの頭に入って来て現状を把握し……そして爆発した。
いや、オペラが自分で爆発したと感じただけで、顔から火が出る程真っ赤になっただけである。
自分がまた変な勘違いをして冷酷非情の設定も無視して取り乱した事、またルーカスを疑って困らせた事、それにも関わらずルーカスから伝えられた言葉……
「わ、わ、わ、わたくし、出直して来ますわーーー!!!」
真っ赤なオペラは飛んで逃げようとしたが、ルーカスはガシッとその手を掴み、引き寄せて抱きしめた。
「だめですが」
「!!!!!」
「それを受け取るまでは帰せませんが?」
ルーカスはオペラの腕を掴み、お菓子を持つ手元に唇を付けてニコリと笑った。その笑みを見た瞬間、オペラは尊死しそうになって菓子袋を落とし、その袋はルーカスの手元に収まった。
「あ、あの」
「お前ら、此処でやるなよ」
「……」
声の方を振り向くと、2人の一連のやり取りをずっと座って見ていたアークとシャドウの姿があった。
余りの恥ずかしさに悲鳴を上げたオペラの、顔に似合わぬ腕力で突き飛ばされる帝国最強の皇帝。彼は最後までその手のお菓子だけは死守していた。
★★★
一悶着後、やっと心が落ち着いたオペラはシャドウの前に小さな包みを取り出した。
包みを手渡されたシャドウはそれが何を意味するのか分からず首を傾げる。
「? オペラ様、これは?」
「シャドウ、貴方……以前わたくしに、その、お菓子を探して来てくれたでしょう?」
「ああ……」
「ガイドブックに、このお祭りでは意中の方だけじゃなく、感謝を込めて友達や家族にも贈るって書いてありましたの。だから、その時のお礼よ」
「……覚えていて下さりありがとうございます」
兜で顔を隠すシャドウの表情はオペラには分からなかったが、ルーカスにはシャドウが甲冑の中で喜んでいる良く分かった。
だが、ルーカスも一連でちゃんと成長しているので余裕の表情でそんなシャドウを見る……
……訳も無く、蛮族になってシャドウの貰えたお菓子を奪おうかと思ってすらいた。
その時になってルーカスはようやく分かったのだ……恋心というものは止まらず我慢出来ず、分かってはいても、ちゃんとお菓子の貰い両想いの自分ですらもこんなに際限なく独占したいのだ。人の想いとはどうにもならないものである……
やはりまた、来年もこの騒ぎをやるのだろうな……と、皇帝ルーカスは先の祭りを思いため息をついた。
「それは聖国の菓子なのか?」
アークが珍しそうにシャドウの持っている包みを見た。
「ええ。聖国産のお茶を入れたクッキーですの。貴方も食べたいの?」
オペラが眉を寄せてアークを見た。手持ちはルーカスへのお菓子袋と、シャドウの為に用意した小さな包みしか無かった。
だが、思えばアークにも不本意ながら色々助けられたので眉を寄せながらも聞いてみたのだ。
だが、アークは興味無さげにそっぽを向いた。
「……食えねーよ」
聖国の茶と言えば世界樹の葉である。魔族が食べればアレルギーで痒くなるのを知っていたのと、そもそも拗らせた皇帝の目が痛いのでアークは丁重にお断りした。




