閑話・帝国に血の雨が降る日(前編)
『ブラッディ・レイン』という日がある事をご存知だろうか。
元は異世界人が密かに広めた、女性が意中の相手にお菓子を渡すという祭りである。
だが、この世界で広まる最中、お菓子が貰えない男子や渡す相手がいないor受け取って貰えない女子などによって、やっかみと嫉妬と奪い合いが入り乱れ祭りは混沌とした。
平和な帝国を目指すルーカスもこの祭りには困り果てた。本来は争い事を望まないはずの帝国民もこの件に関しては話が別だ。我を忘れ渦中へと身を投じた。
この祭り自体は恋人同士仲良く、または片想いの者が想いを伝える為に、もしくは日頃の感謝を伝える為に、と提案された祭のはずだったのに……それが何故か争い事の火種になる。
苦渋の末にルーカスが出した結論により、菓子を渡す者はコッソリと渡し誰にも見られてはいけないこと。
見つかれば即没収。見つからずに渡し受け取る事ができた者は晴れて恋人になれる……という謎のサバイバル祭になった。
これならば嫉妬する寂しい者の目に触れる事も減るし、見つかれば奪われてしまう。渡したい側も本気で臨む事だろうと。
皇帝ルーカスは毎年この日が憂鬱だった。自身は渡される相手がいる訳でも無く、ただただ争いを見守るしかない。
参加者には半ばノリでやっているような所も見受けられるが、この日ばかりは街が荒れる。
「はぁ……」
そして、この祭りが帝国でしか流行っていない事もルーカスのため息の理由であった。遠い聖国の女王がこんな他国の、それも異世界人が勝手に流行らせたようなマニアックな祭りの事など知る由も無いだろうと、ルーカスは残念そうにペンを置いた。
「……そろそろ行くか」
数少ないこの日正気を保っている人――ルーカスは上着を着て出かける準備をした。
荒れ狂っている中には猛者も数々存在するし、何なら騎士団員も混ざっている。
それを止めるのが毎年のルーカスの役目だったから。
―――――――――――――――――――
そしてここは聖国。
遠い異国に帝国のマニアックな祭りの情報など届いていないだろうと思ったルーカスの予想は大きく外れていた。
それというのも、この世界に於ける情報網は独自の進化をしており、冒険者用に作られていたはずの情報誌はいつの間にか各地の名物を紹介するガイドブックと化していた。
それに目を付けたのが大商人のビーク・イエオン。情報は日々移り変わっていく、新しいものはどんどん誕生していくだろうと未来を見据えてガイドブックの定期発行とそれに情報を提供する者への報酬を惜しみなく出した。
コレには皆喜んだ。何せその情報は何でも良いのだ。ダンジョンの情報ならば腕の立つ冒険者でなくては知り得ないが、集める情報はそれに限らない。むしろ冒険系の情報は提供が多すぎる位で有り余っていた。
今のトレンドは各地の美味しい物や季節の催しである。特にその国でしか無い珍しい祭りや、ノラ異世界人が密かに流行らせたマニアックな風習の情報は喜ばれた。
聖国の女王、オペラの執務室には常にガイドブックが置かれた。
オペラが取り寄せている訳ではないのだが、今まで目を向けていなかった外との交流を目指し始めた女王のお役に立とうと、家臣が勝手に置いていくのだ。
興味は無いから増やさないで欲しいとオペラは家臣に言っていた。が、誰も居なくなるとコッソリとガイドブックを見ている事を家臣達は知っている。
その日もオペラは新たに置かれた本をペラペラ捲っていた。
そこに書いてあったのは、お菓子の特集。世界各地の様々なお菓子が紹介されていた。
その1つに聖国特産のお茶の入ったクッキーも紹介されていて、ニヤニヤと緩む口を抑えていた。
ふと、帝国でもう間も無く開催される祭りの記事に目が止まった。
「バレンタイン……?」
聞いた事の無い名前が見えた。帝国には異世界人が多いので、定期的に変な祭りが次々と生まれるのだと先日ルーカスに聞いた。
そこに書いてあったのは、その日女性が好きな人にお菓子を贈る祭りだという事。それを見た瞬間にオペラは顔がボンと赤くなった。
「そんなの……自分が好意を寄せていると大々的に伝えているようなものじゃない」
そんな恥ずかしい事が出来る訳が無いだろう、とオペラは本を閉じた。だが、先日の事を思い出しピタリと止まる。
そう、先日の帝国で……オペラは確信したのだ。アレは完全なる両想いだった、と。
ならば何を躊躇う事があるのか? お相手もオペラの事を好いてくれているし自分もそうなのだ。大々的にお菓子を贈ろうと問題は無い、むしろ今の自分にはうってつけな祭りなのだと気付いた。
「……そうよ……大々的でいいのよ。わたくしは」
こうしては居られない、とオペラは部屋を出て厨房へ向かった。
オペラの居なくなった執務室、パラパラと風で捲られたガイドブックには
※ーー現在この祭は『ブラッディ・レイン』と呼ばれ、お菓子を渡そうとする者から祭りに関係ない者達が奪い合う危険な祭りとなっています。参加される方は注意してください
……と書かれていた。
★★★
そしてその祭りの日、帝国は殺伐、戦々恐々としていた。
半分位の人間は祭りとは関係無いが、争いに巻き込まれない様にと気を張り巡らせていた。
ブラッディ・レインの参加者は大きく3つに分けられる。
蛮族を掻い潜り姫の所へ行く【勇者】、お菓子と想いを受け取る【姫】、勇者からお菓子を奪う【蛮族】。
蛮族は男女関係無い。単純な嫉妬でお菓子を奪う者、はたまた祭り自体を妬んでいる悲しき者達、そして勇者もまた蛮族になり得るのだ。
「ハァハァ……私……貴方が……」
「え?」
蛮族としてお菓子を奪う者達の中に参加していた男が息も絶え絶えの女性から袋を渡された。
思いがけず手渡されたその袋に、男は顔が一気に緩む。そう、彼は蛮族ではなく、姫だったのだ。
ドヤ顔で振り返る男の周りには鬼の形相の蛮族達が居た。
「野生の【姫】だーーー!!!」
「奪えーーー!!!」
2人の元に蛮族の大軍が突進して来た。
「に、逃げるぞ!!」
ボロボロの女性を抱き抱え、男は走り出した。お菓子を受け取った姫は逃げ切らないといけないのだ。
2人を蛮族が取り囲み、その菓子袋に触れかけたその時……男の視界には太陽の光が増したように見えた。
「へ、陛下!!」
「ここは私に任せて逃げなさい」
「はい!」
甲冑騎士が退路を作り、蛮族の追手が行かないようにルーカスもその足止めをした。
「陛下が介入するのは卑怯です!!」
「君達ねぇ、気持ちは分かるけどお菓子を受け取れた者から奪うのはダメだろう。大体、私はこの祭り自体中止にしたいんだけど」
「それは出来ません!!」
「陛下に挑んででもお菓子を奪ってやる!」
「リア充を狩る為に俺達は生きている!」
「陛下には私達の怨みは分かりません!!」
あんなに穏やかな帝国の者達も、この日ばかりは言う事を聞かない。ルーカスは何度も止めていたが、奪う側もそうなら奪われる側も止める気配が無かった。
先程の男女が逃げたのを確認してルーカスが止める手を下ろすと、蛮族達は違う獲物を探して走り出し散った。
「……陛下、私は生まれたばかりでよく分からないのですが、この手の催しは世界中で行われているものなのですか?」
「そんな訳あってたまるか。異世界人が勝手に変な文化を広めるのを許し、それをノリノリで魔改造する帝国民がいるこの国独自の催しだ。……というか、許した覚えは無いし本来は違う趣旨だったはずなんだけど……」
「そうですか。良かった」
胸を撫で下ろしながらシャドウは剣を収めた。ルーカスにはシャドウが何を心配しているのか分かっていた。何せ自分も同じような事を考えていたから。
「聖国にはこんな物騒な祭りの話など届いていないだろう。第一、耳に入っていたとしても他国の女王が参加するとも思えないしな」
「……陛下はまだちゃんと理解されていないようで」
「はぁ?」
ルーカスはシャドウの含みのある言い方にカチンと来た。今まで女性に目を向ける事が殆ど無かったルーカスは、女性の気持ちに対しては疎い事を自覚している。だが元は同じなのに何故かシャドウの方が理解が早かった。オペラの事に関しては特に。
そういう言い方をされる度にルーカスは嫉妬心でムカムカとした。
シャドウ側も本当の事を伝えているの半分、嫌みがその半分、嫉妬がもう半分であった。
「君はオペラの事となると一々嫌な言い方をするね。彼女の事に関しては何があっても私が全て受け持つし、これから全部ちゃんと理解するので君は何も一切心配しなくて大丈夫だよ」
「……そう仰るのでしたら、ちゃんと全て理解して何の隙も無い位守り抜いて頂きたいのですが?」
暗に隙も抜かりもあり過ぎると言われているようでルーカスはムカムカとした。シャドウも、そうして貰えないといつまでも自分が苛々する事になるので嫌みのつもりで言っている。
「勇者がいたぞーー!!」
2人の元に遠くから怒号が聞こえた。ルーカスは我に返りハァとため息を吐く。
「まぁ、居ない彼女の事で揉めていても仕方ない。とにかく今は少しでも混乱を止める事に徹しよう」
「ですね」
2人は気を取り直し、怒号の大きな方へと走り出した。
★★★
「しかし……この祭りは本当煩いな」
帝国のカフェで耳を押さえながら映える飲み物を飲む男……魔王アークは二階のテラスから町の喧騒を見物していた。
以前にもこの日に帝国に来た事はあったが、最初に騒ぎを聞いた時は怨念の声が凄すぎて頭が割れそうになった。今年は更に怨念が強くなっていたが、数回目ともなるとだいぶ慣れている。
何故こんな時に帝国に立ち寄ったかというと、仕事の用事もありつつ、この時期にしか売られない菓子が目当てというのもあった。
こんな物騒な祭りは魔王領に取り入れたくは無かったが、売られている菓子は年々趣向を凝らしていて非常に興味深いのだ。帝国でも渡す相手が居なくとも菓子を買う客は多かった。
狂戦士達に混ざるつもりは無いので、蛮族が少ない場所を見計らってアークは店を物色していた。
「さて……そろそろあっちの方が空いて来たな」
飲んでいた甘ったるい飲み物を空にして空いている場所へ向かおうとした時――アークは耳を疑いそちらをバッと振り向いた。
アークの目線の先、城下町から見上げる皇城の空……城に向かう有翼人の姿が映った。
「……マジで……」
アークは知っている。その有翼人の目的であるルーカスは城下町に出て蛮族達の暴動を止めているのだ。
そうかと言って、恐らく【勇者】であろう彼女をそこに行かせるのは色々と危険な気がした。
「ってもなぁ……」
どうしたものかと悩んだ末、見つけてしまったからにはどうにかしないといけないと思い、アークはため息をついて城に走った。
番外編とどちらに載せるか迷いましたが( ̄▽ ̄;)クリスマスも本編に載せていたので。