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閑話・白い皇城の×マス(イブ)



 皇城に描かれる魔法陣。そこに立った皇帝ルーカスは、移動魔法の魔力不足による疲労で少しクラッと来たのをぐっと堪えた。

 短い距離とはいえ連続で使用するのはやはり負担が大きい。


「ルーカス様、そんなに魔法を使われて大丈夫ですの……?」


「心配無い。私は見てのと通り元気だ」


 そう、心配されるような事は何1つ無いのだ。何故なら皇帝だから。

 子供の頃から強がりを本当にして来た男である。何でも出来る皇帝が弱い所を他人に見せてはいけない。ましてや彼女には絶対に見せたくなかった。


「そうですの……」


 オペラとてルーカスと同じような境遇だったのでその気持ちはよく分かった。彼女だって辛ければ辛いほど耐え、表情が死んでいくような生活を送っていた。おかげでこの通り年中無表情である。


「陛下おかえりなさいませ」


 周りでは帝国の騎士や家臣達が2人を待ち構えていた。

 何故かその者達はそこから1歩も動かず遠巻きで、何なら地面を這っている者までいる。

 オペラは疑問に思いながらも魔法陣から1歩踏み出た。


「あ、オペラ様、迂闊に歩くと危ないですよ」


「え? きゃっ!」


「オペラ!」


 1歩踏み出たオペラの足先は床をつるんと滑った。思わず咄嗟にルーカスも手を出したが、その手もつるんと滑ってオペラを掴み損ねる。

 羽を広げようとしたオペラだったが、魔王領温泉の浴衣姿なのを思い出し止まった。浴衣がはだけて痴態を晒すなら、どう考えても地面に激突する方がマシだと諦めた。

 だが、床に転げそうになった瞬間、スライドして騎士達が飛び込んで来た。

 皆オペラを助けようとしての行動なのだが、ハッとルーカスは気が付いた。薄着の彼女が誰かの上に落ちるのは絶対に良くない。

 ルーカスは即座にスライドする皆を蹴り避けて自分が率先してオペラの下敷きになった。


「……陛下、我々は別に何かの下心があって助けに入った訳ではないのですが……」


「酷過ぎないですかー?」


 蹴られて吹っ飛んだ騎士達は地面を滑り壁に打ち付けられた。皇帝の蹴りに更に闇の油の潤滑加速がついてめちゃくちゃ痛かった。

 つるつるの壁は壊れなかったが騎士達のダメージは大きく皆打ち付けた体を痛そうに押さえている。


「うるさい! それより君は何故頑なに羽を使わないんだ?」


「それはその……衣服が。ルーカス様、わたくし着替えさせて頂いても宜しいでしょうか?」


 オペラの着ていた浴衣は羽の出る所が無く、広げればどうなるか……察したルーカスは申し訳無さそうに頷いた。


「魔王領からそのまま来たからね、急がせて済まなかった。ええと……我々が退散するから思う存分着替えてくれ」


「それには及びません」


 オペラが魔法陣を描くと一瞬部屋中が真っ白で何も見えなくなり、視界が晴れたと思ったらオペラはいつもの服に変わっていた。

 魔法で直ぐに着替えられたのか……と、着替えの待ち時間のドキドキを期待していた騎士達はガックリと項垂れた。

 項垂れる騎士全員に拳骨を落としたい衝動を抑えてルーカスはオペラに向き直る。


「見ての通り、今の皇城内はつるつる地獄だ。これは闇の魔法で黒い油が、神聖魔法で石鹸が……そこら中に魔法で散布されている。何とか神聖魔法の方だけでもどうにかならないかと、君をこちらに招いたのだ」


 オペラは城内を見渡して考えた。


「分かりました。わたくしが何とか致しましょう」


 オペラは羽を広げた。1枚だけ大きな羽と小さな6枚の羽根に白い光が宿り、複雑な魔法陣をオペラの指が描く。白い光は指を介して魔法陣に吸い込まれていった。

 神聖魔法を使う所を初めて見た騎士はその美しさに心惹かれた。

 ――と、思った次の瞬間、城内にバサリと白い粉が降って来た。


「え?! げほっ!」


 オペラ以外の全員が真っ白になる。城の中至る所が粉だらけであった。


「……えーと、オペラ? これは一体……」


「石鹸の魔法を打ち消すのはこちらの魔法ですわ。この粉はぬめりが分解されてよく落ちますわ。少し放っておいて水で流すのが1番宜しいかと思います。ぬめりの酷い場所はこちらで少し擦られてはいかがでしょう」


 オペラの手には白いデッキブラシがあった。


「……神聖な……重曹ですかね?」


 エースが白い粉を少し舐めてみて呟く。安易に舐めても大丈夫なのかとルーカスは心配したが、特に影響は無いらしい。

 という訳で城内は白い粉を洗い流す大放水会となった。



 中庭で椅子に座りながら城内の放水会の様子を見ているルーカスとオペラ。

 石鹸のぬめりが落ちていくせいか、まだつるつるしているものの2重魔法がかかっていた時よりはマシになり、何とか歩けるようにはなっていた。

 テーブルに座るオペラはルーカスのつるつる滑る手をつるつると持ちながら調べていた。


「……やはり、駄目ですわね。神聖魔法の方は粉によって消えましたが、未だ闇の呪いが残っておりますのでこの通り触る事が出来ません」


「そ、そう」


 オペラは真剣に手を掴もうとしていたが、ルーカスは手を握ろうと奮闘しているオペラの積極性に疑問を感じていた。恐らく女性が男性の手を積極的に握ろうと奮闘しているという現状に気付いていないのだろう。

 これは黙っておこう――と少し照れながら手を好きにさせていた。


 ふと、肌寒く感じる中庭の風にいつもの薄着の格好のオペラが心配になる。


「寒くないかい?」


「え? いえ……わたくしは大丈夫ですわ。聖国も高い場所にあるせいか割と涼しいので」


 もう季節は冬である。ルーカスはいつぞやに魔法都市で聞いた×マスとかいう異世界発祥の変な記念日がそろそろでは無いかという事を思い出した。


「オペラ……×マスって知っているかい?」


「×マス……」


 聞いた事はあった。寧ろ知っていた。最近巷で流行っている恋人同士が指輪やプレゼントを贈ったり2人で過ごしたりするという記念日だ。

 異世界人が広めようとしているらしいが、それが帝国まで広まっているとは思っていなかった。

 広めようとしている異世界人曰く、その日は真っ白な雪が降り注ぐと良いらしい。

 雪は余程寒い地で無いと振らない。精霊国の一部かラヴィーンの山々位である。割と温暖な自由大陸には雪を見たことの無い人が多い。

 オペラも雪はあまり見たことは無かったが、城内を見渡すと真っ白であった。何のタイミングが合ったのか分からないがホワイトな×マスがここにある。


「……白ければいいというものではありませんのね」


 白い粉、飛び散る水、泡立ち消える石鹸。ある意味幻想的と言えなくも無いが、必死で掃除をしている騎士達の形相を見るとロマンティックとはいかなかった。

 最もロマンティックでないのはこのつるつるした手である。忌まわしき兄、ロストのせいで愛しい人の手を握ることも出来ないが、闇の魔法が無ければその手を握ることも出来たのに……

 ――と、オペラは自分が積極的にルーカスの手を握っている事に気付いて固まった。


「きゃああああ!! わ、わたくし……」


 慌てて手を引っ込めるが、その手をルーカスが掴もうとした。つるつるとして掴めないが。


「オペラ……好きなだけ掴んでいていいんだ」


「え……?」


「私は……」


 ――ここだ。今があの指輪の渡し時なのだとルーカスは見定めた。

 丁度×マスの話題も出た。ロマンティックかはさておき何か回りも白い。

 彼女の為に選んだ指輪を渡すにはうってつけ……かどうかは分からないが、自分の想いをハッキリと伝えるチャンスであった。


 ルーカスは指輪を入れていたポケットに手を入れた――が、そこには無かった。


(……そういえば執務室の引き出しだ)


 余りにもツルツル滑るので無くしては困ると、魔王領に行く前に引き出しの中に置いて来たのだ。

 何故忘れていたのだと焦り落ち込むが、どの道取りに行った所でツルツルの手にツルツルの指輪では彼女の指には辿り着けないだろう。

 はーっ、と深いため息を付いて額を組んだ手に埋めるもつるんと滑った。


 ルーカスはオペラの前では何もかも上手く行かった。何故、彼女との事となるとこんなにも困難な道のりなのかと頭を抱える。


「あの……ルーカス様、それは……」


 チラリと見やると、オペラの少し嬉しそうに頬を染めた可愛い顔。

 困難でもいい。可愛いから何でもいいのだ。


「それは帝国が聖国に幾らでも手を差し伸べて頂けるという比喩ですわよね。わたくしったらまた拡大解釈する所でしたわ……わたくしったら……」


 その拡大解釈で恐らく間違ってはいないのだが、と頬杖を付こうとするルーカスは、また手から頬が滑り落ちてゴチンとテーブルに打ち付けた。


「あっ、陛下ー! コレ見てくださいよー!」


 2人の空気を割るように入り込む呑気な声。振り向くと、駆け寄るシャドウとトルテの姿が目に入った。


「オペラ様、この白い粉は神聖魔法ですか?」


「そうよ。……シャドウ、貴方もしかして甲冑全部魔法でツルツルになっていたの? ああもう……真っ白よ」


 神聖魔法の石鹸がある所にオペラの白い粉が降り注ぐ。銀色の甲冑は粉で真っ白になっていたのでオペラが水をぶっ掛けてデッキブラシで磨いてあげていた。


「陛下、手ツルツルなんスよね?? これこれ!」


 トルテの手には空の魔石があった。


「これはウィルダーネスの……」


「さっきこれでシャドウを擦ってみたんスよー。そしたら黒い油、取れたんですよ。コレ使えません? ほら、こんな風に」


 トルテがルーカスの手に空の魔石を握らせると、魔石が一気に黒くなって行った。


「?!」


 ルーカスはハッとしてデッキブラシでシャドウを磨くオペラの元に走り、ブラシを持つその両手をギュッと握った。


「滑らない……っ!」


「そう……ですの……あの、闇の呪いが……解けましたのです……ね」


「ああ……えーと……こんな風にデッキブラシも持てるんだ……」


 勢いで手を握ってしまった後で我に返ったルーカスは、そのまま想いを伝えれば良いのに我に返った途端に誤魔化してしまった。

 どの道この状況では雰囲気も何もあったものではない。ズーンと重くなる肩を持ち上げて、ルーカスはデッキブラシでシャドウを磨いた。


「まぁ、しかしトルテ、でかした。直ぐにウィルダーネスから空の魔石を仕入れよう。確かエースがシルバーから紹介してもらったウィルダーネスの民が居るはずだ」


「エースを探して来るっス!」


 トルテがエースの元に伝えに行くと、早急にイスピリへと人が派遣され空の魔石を帝国に仕入れる手配が為された。

 相変わらずシルバーとは連絡が取れないものの、魔塔との連絡は何故か急に取れるようになったので魔塔に協力を願えば直ぐに皇城に届くだろう。


「明日にはこの闇の油も何とかなるはずだ。オペラ……君さえ良ければ今日のお礼も兼ねてパーティーを開きたいのだがいかがだろうか」


「わたくしはそんな……」


「帝国には異世界人が多くてね、色々教えてくれるのだが何でも×マスには美味しいケーキを用意するらしいのだよね」


「ケーキ……」


 ルーカスは確信した。やはりオペラはこう見えて美味しい物に目が無い。いつぞやにプレリで他国の料理に触れてから興味があって仕方ないのだ。


 あまり女性を食べ物で釣るのはどうかとも思ったルーカスだが、変な勘違いをしがちな彼女が素直に応じるには有効な手だったので、暫くはこの手を使おうと画策したのであった。


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