帰還した帝国は……最大の危機だった(前編)
1人の少女の中で……意思の奪い合いが起きていた。
苦しむ少女を助けようと黒猫が近づくも、その意思は青黒い光に飲まれてしまう。
「だれか……」
――誰か……止めて。
その少女の苦しむ姿は、何も出来ない黒猫の瞳にただ写るだけだった。
★★★
「……うーん……」
日差しが差し込む宿、シュパースの朝の太陽は刺すほど痛い。
まるで遊びに出ろと急かすような天気だったが、遊びはもう終わりである。島を十分に満喫した漆黒の騎士は帝国に戻らなくてはいけない。
「……何か夢の中で猫になっていた気がする」
伸びながら辺りを見渡すが、一緒に宿に居たはずの男が居なかった。帝国までついて来るというからわざわざ2人分で取った宿。こんな早くから一体何処に消えたのだろうとボーッと見渡していると部屋のドアがゆっくり開いた。
「ライアー、お前何処に――酒臭っ、香水臭っ!」
「いや〜、しばらく遊べないかと思うとね、盛り上がっちゃった」
飲み過ぎたライアーはヨロヨロと布団に吸い込まれた。いや、もう朝なんだが。
「これから寝るつもりなら置いて行くぞ。俺はもう帝国に帰るんだからな」
「……置いてかないでー……」
ライアーはヨロヨロと俺の背中に掴まってきたので仕方なく背負って宿を出た。何で俺がコイツの面倒を見なければいけないのだろうとため息をついたが、一緒に来て良いと言ってしまったからには仕方ないか。
俺は言ったからにはちゃんと守る系騎士ジェド・クランバル。騎士だから。人との約束は忘れない。忘れた事を忘れた時はごめんね。
―――――――――――――――――――
漆黒の騎士団長ジェド・クランバルはシュパースを後にし、自由大陸へと繋がるゲート都市に向かっていた。
シュパースではなんやかんやあったものの、島自体は凄く魅力的な所ではあった。話によると季節限定のリゾート施設が出来たり、定期的に最新遊具が入ったり入れ替えが行われるらしく、いつ何度来ても楽しめるらしい。
今度は騎士団の他の奴らも連れてゆっくりと来たいものである。
シュパース側のゲートの人混みを掻き分けて、ライアーを背負いながら関門所へと向かう。
歩きながらふと気付いた。
――今更ながら、コイツ何者なんだ?
自然に仲間に加わって一緒に行動してくれていたが、よくよく考えたらライアーの事を何も知らない。
てっきりシュパースで働く元遊び人の従業員なのかと思っていたのだが、金が無い時に臨時でバイトするような素振りしか見せず……しかも飽きたから帝国に来ると言っている。
唯一知ってる名前ですら(仮)なのだから情報皆無である。
……まぁ、様子からして遊び人である事には変わりないのだから、定住せずにふらふら遊んでようが不思議では無いのか。
人には言いたく無い事もあるだろうし深く突っ込んでも何か怖いから気にするの止めておこう。俺はこれ以上厄介事は増やしたく無いのだ。
「どうぞー」
ゲートの関門所の受付の番が来て係員に呼ばれる。俺はライアーを背負ったまま持っていた書類を渡した。
「はいはい、ジェド・クランバルさんですね。えーと……そちらの方は……?」
係員が背中のライアーを見ると後から手がにゅっと出てきた。ライアーの手がちょいちょいと手招きをすると係員が俺の後ろに近付いてライアーを見るなり驚いた。
「え?!」
ぎょっとした係員は俺を可哀想な目で見た。その目は見覚えがあるんだが……何?
「……えーっと……通って良いです。後はこちらでやっておきますので――」
そう言って係員はそそくさとカウンターの中に引っ込んでしまった。
「なぁ、お前何で顔パスなの……?」
「ジェドっち……俺吐きそう……」
「やめろ、お前まで俺の上着を汚さんでくれ」
青い顔をしたライアーを背負いながら足早にゲートを抜けた。過去具合悪い奴を連れて何度か通り抜けたゲートであるが、2日酔いのヤツを背負うのは最初で最後だろう。旅の怪我でも疲労でもなく2日酔い。これがファンタジー小説だったら話どうなってんの。
ゲートを抜け自由大陸のゲート都市へ入ると気候が一気に変わり、暖かな風は初冬の肌寒さになる。
ワイワイと賑わうゲート都市は相変わらず冒険者や観光客や商人で溢れ返っていた。
「ジェドっち、アンデヴェロプトって行ったことある? 魔法都市とか」
「ああ。あまり良い思い出は無いが……何でだ?」
「いやー、何か目新しい面白い物あったかなって」
「ん? まぁ、魔石とか魔術具だけじゃなく、魔法を使って人を楽しませる的な物は沢山あった気はする。最近は武器とかよりそっちが主流だって言ってたし」
「へー。めっちゃ気になる」
ライアーはアンデヴェロプトに興味津々だった。そんなに気になるなら行ったら良いと思うし、元気になってるんならそろそろ降りて欲しいんだが?
その後もライアーは一向に降りる気配は無く、そのまま帝国へと進んだ。
帝国の首都に向かう乗り合い馬車内でもいいだけ寝てるし……そうこうしている間に馬車は首都へと到着する。
「うーむ、やっぱ先に皇城に行った方が良いよな」
家に戻ろうか迷う所だが、帰って来たなら陛下に伝えないといけないな――と、まだ寝てるライアーを背負って皇城へ向かう事にした。
「あ、騎士団長!」
首都の門に差し掛かると門番が俺を見て声をかけてくる。
「……その後ろの人、何ですか?」
「何なのかは俺も知りたいが、知り合いではある」
「いや、あまり変な人をホイホイ拾って来られても困るんですけど……まぁ、怪しい所は無いみたいですが」
門番がライアーに鑑定魔法をかけるが、とりわけ怪しいステータスも無いらしい。
「……ただの遊び人ですか。それより早く皇城に戻った方が良いですよ。何か大変な事になってるみたいですし」
大変な事と聞いて一瞬身構えたが、襲撃や誰かの怪我病気の割には門番に焦った様子は無く微妙な顔をしていた。
「襲撃……とかでは無いのか?」
「まぁ……襲撃ではあったようですし、囚人を1人逃しちゃったらしいですけど、今大変なのはそこでは無いみたいですよ」
「ちょっと待て、襲撃されて囚人を逃してるのは立派にヤバイと思うんだが? しかもそれ陛下が居ての話だよな?」
「襲撃時には陛下は不在だったみたいですけど……戻って来た陛下ですらあの状況では囚人をみすみす取り逃しちゃったみたいですね……」
あの陛下が……? 相当ヤバくない?
「でも、それより今の方が大変なんですよ。もしかしたら陛下の治世で1番のピンチかもしれません……」
「???」
過去、陛下が危険に晒される事は何度かあった。だが、今までで1番とは相当なのでは??
それで、何でコイツそんなに落ち着いてるの……?
「まぁ、行ってみれば分かります」
「そうか、済まないな。ライアー、お前いい加減起きて歩けよ! こっちは緊急事態(?)らしいので早く行きたいんだが」
「えー……もうちょっと寝たい」
ライアーは下ろそうとしてもしがみ付いて寝ていた。おま……そろそろ自分で歩けよ。絶対元気だよね??
問答をしていても仕方ないのでそのまま背負って皇城へと走った。
走る俺の姿を見送った門番は何故か首を傾げていた。
「あの人……ライアーって名前だったっけ?」
陛下の治世始まって以来のピンチと聞いて焦ったが、走り抜ける城下町の様子は至って普通だった。むしろ恋人達が増えてない? あ、もうすぐそういう時期でしたか。クソッ爆発しろ。
皇城が見えると門の前では騎士やメイド達が屈んで何かをしていた。とりあえず俺は陛下の元へ急ぐ為に横をすり抜けようとしたが――
「あ、騎士団長、そんなに走ると危ないですよ!」
「ん?」
その声を聞いた瞬間に足元を取られて滑り、思いっきり門の壁に激突した。背負っていたライアーも一緒に崩れる。
「いったー……ジェドっち酷くない? それでも騎士??」
「いやお前がいつまでも降りないからだろ」
俺は直ぐに立とうとしたが、ついたその手さえも滑り、顔から床に強打した。
「いてぇ……何? 何なんだこれ……」
落ち着いて城の状況を確認すると城内の者達は掃除道具片手に床のヌルヌルした白と黒の液体を掃除していた。が、ヌルヌルが滑りすぎてマトモに力が入らないのか掃除は難航している。
ヌルヌルに一度触ってしまうとモップもすっぽ抜けてしまうみたいだ。
「……どうしたんだ? コレ」
「どうしたもこうしたも、襲撃です。囚人を逃がそうとやって来た男が魔法で出したものなんです……」
「白いのが石鹸水で黒いのが油みたいです……魔法で出した物だからかは分かりませんが強力過ぎて全然落ちないんです……」
メイドは泣きながら床をゴシゴシ擦っていたが、そもそも相手が油と石鹸なので落ちているのか分からない。
「水で流せないの?」
ライアーがメイドに尋ねるが、メイドは首を振ってため息を吐いた。
「恐らくこれ、神聖魔法と闇魔法だと思います。とにかく強力すぎて城内の魔法士の魔法じゃ手に負えないんです。水魔法を使っても石鹸水は増えるだけだし油は弾いちゃうしで……」
皆なす術も無く泣いていた。あちこち打ち身だらけである。察するにマトモに歩けずにしこたま転んだ後なのだろう……
「状況は分かった。とりあえず陛下の所に行きたいんだが、陛下は執務室か?」
「執務室ですが、陛下の方は本当に大変で……」
「多分、帝国始まって以来の危機です……」
メイドや騎士達も門番と同じく深刻な顔をしていた。
「分かった。で、どうやって執務室に行くんだ?」
「そういやどうやって執務室に行ったんだっけ?」
「……根性で?」
……根性論なの? いや陛下ならありそうだけど……
俺達騎士は無駄に鍛えているとは言え痛いものは痛い。とりわけ身体が筋肉で重い分ダメージもでかい。打ち身とか正直嫌なんだが……と思っているとライアーが器用にスイーッと滑り始めた。
「コレあれじゃん、こういうスポーツだと思ったら良いんじゃない? 冬とか氷の上でやるじゃん」
「なるほど……?」
ライアーは俺の上着を掴んでスイスイ滑り始めた。上手すぎない?
「階段はどうすんだよ階段は」
「ん? 行ける行ける」
ライアーは勢いを付けて階段まで滑り込むとそのまま手摺りを滑り上がった。
「……器用だな」
その後も途中の騎士団仲間を踏み台にしたりしながら根性で陛下の執務室までたどり着いた。最早全身ヌメヌメである。
執務室の手すりを引こうとするも全然掴めない。
「……入れないじゃん」
「んー、ぶち壊す?」
「……壊すって……陛下の執務室のドアだぞ??」
「でもさー、入れないと困るんでしょー?」
「……まぁ、確かに」
とは言え何で壊せば良いのだろう。剣も滑って握れないし……
何かいい物は無いかと収納魔法をゴソゴソ探した。あーん、収納魔法内が汚れるー……
収納魔法を漁ると例の黒い魔法陣が彫られた魔石があり、ギリギリ掴めたので俺はそれを使う事にした。
「何それ、魔石?? カッチョイイー」
「ん? そうだろ。コレは黒い炎が出るアイテムでな。魔塔主から貰ったんだ」
「ヤバ! 年頃の男の子が欲しがりそうwww流石漆黒の騎士じゃん」
お前、ほんのりバカにしてないか……? 陽キャのチャラ男よ、この威力を見たら笑って居られないぞ?
俺は黒い魔石を執務室のドアに向けて力を込めると黒炎が勢いよく噴き出て、執務室のドアを溶かすように消滅させた。
「うわー、勢いヤバ……引くわぁ」
笑って居られないとは思ったが、引かれるのは何か違うと思い少し落ち込んだ。
消滅したドアの向こうでは執務室の机に向かい、頭を抱えていた陛下がこちらを凝視している。隣にはエースも居た。
「陛下、ただ今戻りました」
「いや……え? 君何してるの……??」
「えっ? だってヌルヌルしてドアが開けられないから……」
陛下はため息を吐いた。
「……普通に窓から入って来れば良いのに……」
見ると窓が開いていた。そうか、それは盲点だった。根性論じゃ無いじゃん……コレって俺のせいなのだろうか?
「すみません……それはそれとして、何か帝国始まって以来の危機って聞いたんですけど、何が起きているんですか?」
「……見ての通りだが」
「見ての……?」
周りを見渡してもヌルヌルヌメヌメとしかしていない。エースも何とか掃除をしようとしているが物がヌルヌルして掴めていない。
陛下がハンコを持つが、つるんとすっぽ抜けて部屋の隅に飛んで行った。
「……えーと……まさかとは思いますが……」
「そのまさかだ。仕事が、一切出来ない」
「……それはヤバイですね」
「最悪だ……」
武力で幾ら攻撃されようと決して負ける事はない陛下だったが……まさかこんな嫌がらせで帝国が危機に陥るとは……恐るべし襲撃犯……
「君はシュパースでちゃんと仕事をしてきてくれたんだね。悪いけれど、その件にも取り掛かれそうに無い」
「えっ?」
「え?」
仕事……???
「仕事って何でしたっけ??」
「……何言ってるの? まさかとは思うけど、君、何しに行ったか忘れたとは言わないよね……」
「……何しに行ったんでしたっけ……?」
陛下とエースは同時にため息を吐いた。
「……君さぁ、いい加減騎士団長から下ろすよ……? だから、シュパースの持ち主を探しに行ったんだよね??」
陛下の言葉に俺は手をポンと付いた。
「あー! そうでした! 色々有りすぎてすっかり忘れてた! そういやナスカとかいう奴を探しに行ったんだった!」
「……君に何があったのか全然分からないけど、忘れていたその捜索人はもう執務室に来ているんだけど」
「……ん?」
陛下が指差す先……俺の後ろにいるライアーが震えるほど笑いを堪えている。
「……ぶっ……っ……」
「……お前……ナスカだったのか!??」
驚愕してライアーを見る俺を訝しげに見る陛下とエース。
微妙な空気の中ライアー……じゃなくてナスカだけが笑っていた。




