ショコラティエ伯爵家の鏡(前編)
「まぁ、なんて素晴らしい本なのかしら」
ショコラティエ伯爵家屋敷の応接間。伯爵夫人が行商人の売り込みに来た沢山の小説を吟味していた。
「でしょう? そちらは今人気の作家のものでしてねー、首都ではかなり流行っているんですよ」
「ふふ、地方だとこういう本は入って来るのが遅くてねぇ、助かるわ。これとこれと……そちらも頂こうかしら」
「いやー、沢山お買い上げありがとうございます」
夫人の目に1つの古めかしい本が止まった。
「あら? こちらは随分古いものね……」
「ああ、そちらは売り物ではないのですが……沢山お買い上げ頂いたのでオマケで付けましょう。暇つぶしにでもご覧ください」
「そうなの? ありがたく頂くわ」
伯爵夫人が買い上げた本をメイドに運ばせる。
残りの本を片付けながら、行商人はニコニコと笑った。
窓際に立てかけてある3人のよく似た青年の姿絵。
「ところで、あちらは息子さん達の絵ですか?」
「ええ。あ、もうすぐ里帰りで帰ってくるみたいなのよ。長らく離れて暮らしていたし、騎士団が忙しいみたいで中々帰って来られなくて……久しぶりに家族揃うから嬉しいわ」
「それは良かった。楽しくお過ごし下さいね。あ、所で……そこの鏡、曇っているみたいだから磨いた方が宜しいですよ?」
「え? あら嫌だわ。教えてくださりありがとうございます」
「いえいえ」
行商人は細い目で笑った。
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漆黒の騎士団長ジェド・クランバルと三つ子の騎士ガトー、ザッハ、トルテはショコラティエ領を目指し馬を走らせていた。
野営地を出発してしばらく進むと、やっと見えてきたのは山に囲まれた盆地である。
高台から見下ろすと盆地には沢山の果樹園が見え、花を咲かせるもの、実がたわわになるものと色とりどりに綺麗に並んでいた。
「凄い景色だな……」
「でしょう? ここから街中までは果樹園が沢山並ぶのでフルーツロードって呼ばれてるんですよ。この豊富な果実と、山から流れる美味しい水がこの領地の自慢ッス」
「山の方には菓子工房とかもありますから、後で陛下を喜ぶスイーツ探しに行きましょう! あ、果樹園も今旬の果物とか狩れますよ!」
「フルーツワインも作ってます!」
三つ子は久々の里帰りだからなのかテンションが上がっていた。この領地はスイーツ作りの他にも果物狩りや山の幸の美味しい料理も魅力らしい。花園もあるらしいが、男の俺が花を見てもなぁ。
「でも、とりあえずもうくたくただから……まずは家に帰ろうぜ……」
「確かに……」
「一理ある……」
野営地から休憩もせず一気に来たので、かなりの長い距離を走った俺達は疲れていた。
陛下のお使いとは言え急いだ話では無いので、とりあえず三つ子の家で休みスイーツ探しは明日からにしようと決めた。
盆地に降りると街並みが広がり、その中心部に屋敷が見えた。
豪華な建物では無かったが、とにかく敷地が広い。門の中にも果樹園が沢山見える。
門に着くと伯爵家の者達が出迎えてくれた。
「お坊ちゃん方、お帰りなさいませ! お待ちしていました!」
「旦那様と奥様もお待ちです、お客様もどうぞこちらへ!」
何か農作業をしている人がよく被る麦わら帽子姿のメイドや執事が案内してくれた。……メイドや執事だよな? 農家の人じゃないよな?
「ははは、ウチ……家の敷地でも作物や果物を沢山育てているから、皆総出で世話したり収穫したりしてんスよ……」
「うちの父さんが……何か作物育てるの上手いから何作っても豊作で……大変なんスよね」
ショコラティエ伯爵は農作物の普及や新種開発で功績を挙げている方である。噂じゃ神の手を持ち、どんな不作な年でも必ず豊作に導くと言われているのだが……本当だったのか。
客間に案内されると、ショコラティエ伯爵と夫人が俺達を迎えた。
「これはこれは……ジェド・クランバル様。ようこそお越しくださりました。私が伯爵家当主、シャトー・ショコラティエでございます。こちらは妻のスイートです」
「お会い出来て嬉しいですわ。いつも息子達がお世話になっております」
俺達を迎えたのは仲の良さそうな壮年の夫婦だった。伯爵は農業をしているせいか歳の割に体格がかなり良く小麦色に日焼けしていた。夫人はお菓子みたいに甘く笑う素敵な女性だ。
この間、うちの両親には色々ショックを受けさせられたから、こういう普通の夫婦を見ると何とも言えぬ気持ちになる。いや、自ら農業を行う伯爵が普通かどうかは分からないが……
「父さん、母さん! 久しぶり!」
「ああ、可愛い息子達! 相変わらずソックリね」
三つ子達は久々に会う両親と抱き合っていた。こんな中俺がお邪魔していていいのだろうか……
「何でも、皇帝陛下の仰せで我が領地に美味しいスイーツを探しに来られたとか。いやぁ、光栄な事です。さあ、明日は私がご案内しますので今日はゆっくりとお休みください。今夜の料理は私が腕に縒りをかけた郷土料理を振る舞いますぞ」
いや、貴方が縒りをかけるんですか。
言葉通り、ショコラティエ伯爵領の郷土料理は伯爵の腕に縒りをかけて作られた野菜たっぷりの麺料理だった。何でも宝の剣で麺を切る料理だとか……
夕食を終え、俺達は明日に備えて早い時間に就寝した。
★★★
深夜の廊下――トイレに起きたガトーは暗い中、ランプを持ちながら歩いていた。
トイレの場所など灯りを持たず薄暗くても分かるのだが、日中怖い話をしたせいか暗い廊下に寒気がしてランプの灯を揺らす。
(そういや、何でアイツ急にあんな話し始めたんだ? あんまりあんな話言い出さないけどなぁ)
考え事をしながら歩く廊下の途中、壁にある鏡に目が行った。
鏡に映るのはランプを持った自分のはずだった――だが、そこに映っていたのはランプを持たず鏡越しに必死で叩いている自分だった。
「――え?」
★★★
「……ちょー……団長!!!」
「何だよ……まだ早いだろ……」
日もまだ登るかどうかの早朝……三つ子の1人が俺を起こしに来た。
寝ぼけ眼を擦り見ると、そいつが必死の形相で俺を揺すっている。
「……何だ……何かあったのか?」
「大変なんスよ!!! ガトーとザッハが何処にも居ないんですよ!!!」
……なん……つまりお前はトルテか……? そうか。
「ああ! 団長! 寝ないでくださいよー!! 起きてー!!」




