公爵令嬢リリアナ
ルシエールは侍女として優秀だが、その手腕は行動力からも伝わる。
朝食の席でルシエールから渡されたのは招待状だった。
「レイドリッヒ公爵の誕生パーティーなんて、社交界デビューには最高じゃない」
ナルメルアが倒れた後にルイスの元に向かったルシエールはナザレ侍女長が動くより早く、ナルメルアの体調不良を報告しその日の連絡役の代理を申し出てきた。
ナルメルアが一番気にするだろうことがこの連絡役と分かっていたので、他の侍女より先にと先手をうってくれたわけだ。
夕刻の報告書を提出した際に、招待状と簡単な経緯を聞かされたルシエールは、ナルメルアの体調を慮って朝まで待ってくれていた。
「まさか社交界に出たいとか悩んでたなんてね。言ってくれれば良かったのに」
改めて相談したナルメルアにルシエールは水くさいと言いながらも笑う。
「そうそう、初めての社交界に不安だろうからって、わたしも招待されたから」
フルーツを頬張りながら話すルシエールは、貴族令嬢かと疑うほど恥じらいがない。
「ルシェも一緒に出てくれるの?」
緊張が和らぐのを感じ、自然と笑みが溢れた。
モグモグと口に入れたまま頷き、しばらく沈黙。ゴクッと飲み込むと、
「あと今日はわたしたちお休みを頂戴したから」
ナルメルアの両手を掴むと、その手をプラプラ振る。
「えぇ?それって…」
ナルメルアの言葉を待たずにルシエールは手を引っ張り立たせた。
「さぁ食べたら急ぐ!あまりお待たせしていい方ではないからね」
ぐいぐい引っ張られるナルメルアにはさっぱり分からず、ルシエールが子どものようにはしゃぐ姿をただ呆然と眺めるしかなかった。
ナルメルアはルシエールに腕を組まれたまま、城の大門の端にある使用人専用の入口に向かった。
「ジェド!迎えは来てるかしら」
扉にある覗き窓からルシエールが声をかける。
門兵が扉の向こう側から扉を開く。
「ルシエール様、もう着いておられますよ」
日に焼けて真っ黒な顔の青年がナルメルアたちを案内する。
ジェドと呼ばれた青年はナルメルアの顔を見るなり、
「あっ!あの時の。あれ以来お見かけしなかったからどうされてるのかって気になってたんですよ」
白い歯が眩しい好青年は、登城した際に通してくれた門兵だったようだ。
「ナルメルア、あなたあれから城外に出たことがないなんて嘘でしょう?」
ルシエールは眉をひそめて、嘘でしょうと呟き続けた。
ナルメルアはそれに素直に頷く。
「だって服は、化粧は、いつ買いに行ってるの?ずっと城内で過ごすとか、あなたは囚われの身でもないのよ」
ルシエールが興奮する理由は分からないが、取り敢えず笑う。
「服は持ってきたものがあるし、化粧は紅を差す程度だし、休みは読書ができればいいだけで、別に外に出る必要もないから」
ナルメルアにしたら王宮暮らしで入り用な物は全て王宮に揃っていて、何をしに外出するのか、そちらの方が浮かばない。
シュトレッセン伯爵家から出るときに持たされた生活用品だって、侍女に支給される品が分かっていたら不要なくらい宮廷侍女の扱いは手厚い。
ナルメルアは側つき侍女がいないので、下女と混じり洗濯もする。
宮廷侍女で側つき侍女がいないのはナルメルアくらいだ。
ルシエールも身の回りのお世話に侍女が着いているくらい、どの侍女でも当たり前なことなのだ。
任される仕事にもよるが、どの侍女も休日が与えられている。
近郊に屋敷がある者なら帰宅をするし、ルシエールのように街に繰り出すのは年頃の女の子たちなら普通なのかもしれない。
ナルメルアはここぞとばかりに書庫室で読書と、結果的に仕事も休日も変化はない暮らしが数ヶ月続いていた。
ナルメルアにはそれで不満どころか気晴らしになるので至極幸せだった。
「このままじゃあっという間に歳を召して、気づいた時には宮廷老侍女長とかなっちゃうわよ」
ルシエールの真剣な忠告にナルメルアと、後ろで二人の会話を聞いていたジェドまで吹き出し笑い声を上げた。
「笑いごとじゃなくてよ」
キイキイ言いながらルシエールは扉の向こう側、城の大門の街道に着けてある馬車にナルメルアを連れて行く。
「ジェドお見送りありがとう」
ジェドは従者がルシエールを迎えに馬車を降りるのを待って、
「お気をつけてお出かけ下さい」
と軽く腰を折ると門まで駆け戻って行った。
「ねぇ、ああやってわざわざ見送られるのは普段から?」
ナルメルアが口にしたのは、城に同じく従事している侍女には過分な対応ではないかと思ったからだ。
ルシエールは先に馬車に乗り込み、ナルメルアが乗るのを座って待っていた。
「ジェドは別よ。他の門兵も礼くらいはするけど門から離れて見送ったりはしないわね」
ナルメルアは従者の手を支えに馬車に乗り込む。
行き先はもう聞いているのだろう、従者は何も言わず扉を閉めた。
「やけに親しいようだけど」
ルシエールは社交的で人脈も広いけれど、礼儀に関しては相手の立場を考えていた。
従事しているのは貴族子息であるので、気軽に声を掛けるのはナルメルアからしたら失礼なのではと思ったのだ。
ルシエールは馬車の揺れには慣れていて、揺れる度に体が傾くナルメルアと違って優雅に腰かけていた。
「ジェドもロイマーレ子爵の三男で、たまたま似た境遇で話もしやすかったから」
ナルメルアはルシエールの顔を見つめていた。
その視線にルシエールはサッと顔を反らす。
「言っておくけれど、そういうのとは違うからね」
お互い沈黙の後、
「社交界デビュー、素敵なものにしなくちゃね」
ルシエールの表情は言葉とは裏腹にどこか寂しそうだった。
馬車が止まったのは、王都の中心にある大きな屋敷の前だった。
そこが誰のお屋敷かはすぐ分かった。
ここまで豪奢な建物の主はレイドリッヒ公爵家に違いない。
執事に連れられて屋敷に一歩踏み入れる。
それだけで気後れしそうなくらいの調度品の数々がナルメルアたちを出迎えた。
立ち止まったナルメルアたちに足音が近づいてきた。
「ようこそおいで下さいました」
軽やかな足取りでドレスを翻し、陽だまりから生まれでた妖精のように可憐で美しい女性がそこにいた。
「ルシエールも案内ご苦労様でした」
ルシエールはスカートの裾を軽く摘まみ、サッと足をひく。
「リリアナ様の頼みとあれば喜んで」
ルシエールの言葉が建前でないのは、その顔で伝わる。
目の前のリリアナ・レイドリッヒ公爵令嬢も柔らかな微笑みを浮かべ、
「ご挨拶が遅れました。リリアナ・レイドリッヒと申します」
ふわっとドレスが空気をはらみ浮き上がる。
白くて華奢な手がドレスに添えられていた。
「ナルメルア・シュトレッセンにごさまいます。お招き頂き感謝申し上げます」
ナルメルアも同じく礼を取ったが、リリアナのようにひとつひとつが洗練された礼と比べたら別物だ。
細くウェーブのかかった金髪はリリアナが動く度に揺れる。
白い肌は日の光を浴びて輝いて見えた。
「さぁ、堅苦しい挨拶はそれくらいにしてこちらにいらして」
クルッと身を翻すと、リリアナは後ろの二人を振り向くことなく歩き出した。
惚けて反応が遅れたナルメルアを残して、ルシエールはすぐさまリリアナの後に続いた。
振り返ったルシエールは笑ってナルメルアに手招きをした。
リリアナに連れられた部屋にはドレスが所狭しとかけられていた。
見かけによらずリリアナはテキパキと動き回り、ナルメルアそっちのけでルシエールと何やら相談している。
「ナルメルアは好きな色はあるのかしら」
ドレスの束を抱えたリリアナは、体がドレスに埋もれた状態で話しかけてくる。
「いえ、特には…」
答え終わるのを待たずにリリアナが通りすぎていく。
「ルシエール!そっちにあるタイトなドレスを持ってきて」
ルシエールもナルメルアの相手どころではない。
リリアナの指示で右や左へと忙しなく動き回っている。
ルイスが言った世話焼きな家人がリリアナなのは、すでに理解していた。
そしてリリアナのドレスをナルメルアに貸してくれるつもりなのも状況から判断した。
「ナルメルアは赤い髪だから淡い色は似合わないわ」
リリアナは腰に手を当てナルメルアを頭から爪先まで眺めると、積まれたドレスの山をかき分け取り出してはナルメルアに当てる。
「リリアナ様、こちらはどうでしょう」
ルシエールが差し出したドレスは、先ほどリリアナに指示されていたリリアナのドレスの中では大人びたデザインの物だった。
リリアナはじっくり考えると、パッと笑顔を浮かべ、今度はウンウンと頷く。
表情が豊かな方なのだと、見ているナルメルアまで楽しくなる。
「それにしましょう!レースを取って変わりに刺繍を入れたらいいと思うわ」
その言葉にナルメルアが慌てた。
「そのようなお手を入れてはドレスのデザインが変わってしまいます。わたくしに合わせるなんて勿体ないです!」
リリアナに合わせたドレスなのに、それでは違う風合いになってしまう。
リリアナは榛色の、くすくす上品な笑いを浮かべた。
「ルシエールから話は聞いていたけど、ナルメルアは変わってるのね」
ルシエールもまた笑っていた。
「社交界デビューともすれば、普通なら特注でドレスを仕立てるものなのよ。他人の着古しのドレスに手を加えるなんて、むしろ嫌がってもおかしくないくらいなのに」
リリアナの言葉に、
「嫌がるなんて滅相もない」
首を振って否定する。
「確かに1つ1つに手が込んでいてリリアナ様だから着こなせるデザインで、袖を通すのに憚られる気持ちは分からなくはないけれど」
ルシエールが苦笑しながらナルメルアの肩に手を置く。
「まぁ!そんな言い方ではわたくしが作らせたみたいではなくて?」
もう片方の肩にリリアナは手を置く。
「わたくしを飾り立てて楽しんでいるのは父であって、わたくしが望んでではなくてよ」
ルシエールとは反対側からナルメルアを覗き込む。
「娘の好みは全く理解してないのだから」
するとルシエールが今度はナルメルアに顔を近づける。
「こう見えてリリアナ様は乗馬や剣を握られるのがお好きなのよ」
「えぇ!?」
ナルメルアはリリアナを見上げる。
この見目麗しく儚げな姿で馬を操ったり、剣を奮う姿が想像できない。
「王立学舎に女子の入学を訴えられ、抗議に向かわれる姿は男子顔負けで勇ましかったこと…」
ルシエールはお腹を抱えて笑いだす。
リリアナは眉を上げてルシエールを睨み付ける。
「ルシエールはただ後ろに隠れて着いてきただけではなくて?あなたは怯えて泣きそうになっていたではないの」
ルシエールは視線を反らすと、
「そうでした?覚えてないですね」
ススッと身を退くとドレスを抱えて戻しに行く。
「仲がよろしいのですね」
ドレスの丈を合わせていたリリアナを見下ろす。
「母同士が仲がよくて赤子の頃からの付き合いなの」
ルシエールが今度は重厚な箱を抱えて戻ってきた。
「小さな頃はこちらのお屋敷でルイス様にもよく遊んで頂きましたね」
ルシエールが開けた箱の中身は、これまた見事な細工が施されたアクセサリーが並べられていた。
そういえば、ルイスに会えたことを嬉しそうに話すルシエールの姿があった。
もしかして憧れの相手はルイスなのかしら。
でもルシエールは想い人の名を教えてはくれないだろう。
誰にも知られずに胸に大切にしまった想いか。
ナルメルアにはその気持ちがいかほどか察するには余りある。
「赤い髪には金や銀が似合うと思うのだけれど」
リリアナは両手に持った髪飾りを当てる。
ナルメルアの髪はリリアナの細くてふわふわとした髪と違って、一本が太く全体的に緩やかなカーブを描いていた。
この数ヶ月伸ばしっぱなしで長さは胸の辺りまで達していた。
普段は邪魔にならないよう、一纏めに括って巻き付けて止めている。
ルシエールがほどいたナルメルアの髪を手櫛で整える。
「きれいな髪ね。暗がりだと目立たないけど日の光に当たると本当に炎のような深紅をしてるのね」
ナルメルアは飾り気のない、心からの賛美に苦笑する。
この国でも赤みを帯びた金や赤褐色の髪色は見かける。
それでも目を引く色なのはナルメルアも重々自覚している。
「髪だけは…ね」
リリアナはナルメルアの髪を慣れた手つきで纏めると髪飾りを付けた。
銀色の小さな石が連なってシャラシャラと揺れる髪飾りだった。
「あなたは嫌がるかもしれないけれど」
リリアナは濃い青色のドレスをナルメルアに当てて鏡の前に連れていく。
「あなたに流れる異国の血は、決して恥ずべきものでも、誰かと比べて優劣をつけれるものでもないわ」
見てと鏡に映ったナルメルアと視線を合わせた。
「赤い髪に翠色の瞳、肌は白でも褐色でもない。それに対して顔のパーツは主張してない。かといって印象が弱いのではないのよ。彫りの深いわたくしが濃い化粧をすると下品になるけれど、あなたは逆、しっかりと色をのせたら華やかに化粧が引き立つ顔なのよ」
真っ赤な口紅をナルメルアの唇に塗る。
「すごく似合ってるわ」
ルシエールが鏡越しに笑い掛ける。
「ナルメルア、あなたは化けるわよ」
化粧道具を手にしたリリアナは満面の笑みを浮かべた。
レイドリッヒ公爵家から城へ戻ったナルメルアは自室の机に向かっていた。
昨晩置かれていた手紙を手に思案していた。
手紙には差出人の名前も書かれていなかった。
しかし宛名はナルメルア・シュトレッセンとある。
内容は一見すると恋文のようにも取れる。
『ナルメルア・シュトレッセン様
あなたはもしかしたらご存知ないかもしれません。
あなたには生まれながらの高貴な血が流れておいでです。
もし侍女として成し遂げたい想いがあられるなら、ぜひそのお力添えをさせて頂きたい。
あなたの存在はわれらの希望です。
どうかその気持ちをお受け取り頂きたい。
近々それをお伝えに参ります
あなたの僕より』
ナルメルアには予想がつかないような事態ではない。
むしろ、こういったことも起こり得て不思議ではなかったのだ。
起こらないには越したことはない、最悪の事態、それがこの手紙だった。
ナルメルアは筆を取り、文をしたためた。
ナルメルアは最悪の事態に最善の一手を見出だすため動き出した。