休暇
更新が随分空いてしまい申し訳ありません。
書き溜め分の投稿を予定しております。
一方的に休みを取ったナルメルアは、ハーシェル夫人が世話をしている子どもたちに会いに向かった。
五人の子どもたちの中で年長は八歳、一番下は二歳と聞いていた。
しかし年長の男の子、六歳の男の子と女の子は名前を教えてくれない。名前によって自分や家族が罰を受けるのではないかと疑っているのだろう。
人懐こい女の子は四歳でこの子はティティと自分の名前を口にしていた。
「ティティはめがあいたらね、おふねのなかだったの。おばあちゃんがいなくてね、さがしたんだよ。そしたらこわいおとこのひとが、ティティはうられたんだっていうのよ」
ナルメルアの膝に座ったティティは話を聞いて貰えるのがうれしいのか、足をバタバタさせながら話す。
「ティティ、おばあちゃんがまってるからおうちにかえらないといけないの。おばあちゃんはあしがわるいからティティがいないとこまるの」
ナルメルアは肩を小刻みに揺らしながら、溢れそうな感情を圧し殺しティティの話に相槌をうっていた。
「そうね、ティティはしっかり者ね」
ハーシェル夫人は子どもたちに食べ物を用意していた。
まだ二歳の下の女の子は侍女が抱っこしてあやしている。
顔立ちが整っていたり、外見が目をひく子、ティティのように売られた子と様々な容姿の子どもたち。
この中に兄弟姉妹はいないようだ。
ハーシェル夫人はテーブルに料理を並べていく。
パンにフルーツにスープにハムとスプーンとフォークで食べられる食べやすい食材が並ぶ。
それにしても5人分にしては多い。
「さぁ、頂きましょう」
ハーシェル夫人はテーブルにつくと給仕していた侍女にも声をかけた。
「ナルメルア様も」
手を出していいか迷っていた子どもたちも周りが食べ出すと食欲に負けたのか手掴みでパンにかぶりつく。
ナルメルアは膝に乗せたティティを手伝う。
ハーシェル夫人は目を細めて子どもたちを見ていた。
ナルメルアは孤児院での食事を思い出した。
一つのテーブルを囲って食べた温かなスープの味を。
ハーシェル夫人は子どもたちが萎縮して手をつけないことを考えて皆で食事を取らせたのだろう。
ナルメルアも行儀を忘れて久しぶりにパンを手掴みで食べた。
身分を越えて差しのべられる手がある。
たとえ独りよがりの偽善者と言われても、この子たちの責任は自分がきちんと取る。
城に帰り自室に着いたのは侍女たちが寝静まる深夜のこと。
先に休むよう言っていてもイリスはナルメルアの部屋で帰りを待ってくれている。
「お疲れのところ申し訳がないのですが」
前置きをベッドに倒れたナルメルアの後頭部に投げ掛ける。
「皇太子殿下より婚約を申し込まれたそうではないですか」
イリスの言葉には無断外泊した上に相談もなく決まった婚約の話を問い詰めるような険が込められていた。
「それはわたしにもわからないの!」
枕にうつ伏せで話すナルメルアをイリスはひっくり返す。
「あなたは今、ご自分が置かれている立場を理解しているのですか?」
イリスは鼻と鼻がくっつきそうなくらいに顔を近づける。
「レイスの血を脅しに、何者かに立場を利用されようとしているんですよ」
ナルメルアはイリスの真剣な顔に、ベッドに張り付けられたように動けない。
「皇太子妃を目指すなど夢の域を出ない時ならまだしも、婚約者ともなれば反皇太子派がどう動くか、あなたの身が更に危険に晒されるかもしれないのよ」
イリスは主を諌める言葉から妹を案ずる言葉に変わっていた。
「ねぇ、イリス。今日ね、子どもを保護したの」
「ちょっと、話をそらさないで」
今度はイリスの言葉をナルメルアが遮る。
「流民の子どもたち。王都で人身売買が行われてるって知ってた?」
イリスはナルメルアの声に力がないことに気づく。
「知りませんが、あっても不思議には思いませんね」
ナルメルアはイリスを見上げる。
イリスは腰に手を当て、ナルメルアを見下ろす。
「シュトレッセンの孤児院が特別なのは、身分が保証されるからです。普通孤児は身分を保証するものは何も与えられませんからね」
シュトレッセンでは孤児院の子は養子に迎えられたり一定年齢を超えていれば働き手として迎えられる。
その際にシュトレッセンの民であるという証明が出される。領民として受けられる支援もあれば領民として税を納める義務が生じる。
普通は領地に定住することが許されるというのは、流民という立場であれば難しいものなのだ。
多額で定住権を買わなければそれが得られないからだ。
土地に住む権利がないということは人として扱われないということ。
孤児とは愛玩道具や税の掛からない労働力で売り買いされる商品扱い。
流民ともなれば元手も掛からない上に貴族に高く売れる。だから孤児院は必要なくて人身売買はなくならない。
「王都でも流民救済処置がなされれば、孤児を支援できるかしら。子どもを欲しいと願う夫婦や若い働き手を求める人の元に孤児が行けるように、市民権を持つ保証人が引き取れば高額の定住権をなくし市民権を与えらるとしたら……」
まずは流民という立場から見直せればとナルメルアは考えた。
しかしイリスは腕を組み思案する。
「簡単なようで難しいでしょうね。奴隷身分こそ廃止されましたが、流民がいわばその階級を補う労働力であることに違いありません。流民の子は流民。中には身分を与えるために、子を手放し孤児にするなどと考える者も出ないとも限りませんから」
イリスの顔が不快感を表し曇る。
「流民全てに市民権を与えるというのは、貴族が幅をきかせる王都においては、あまりに反対が多いでしょうから」
ナルメルアの中では答えが出つつあった。
流民がいつまでも流民である、それこそが問題なのだと。
翌朝、ナルメルアはイリスを連れて城下街の宿屋に向かった。
旅行者が気軽に泊まれる平民向けの宿屋で、大衆食堂は宿泊者に限らず客で賑わっていた。
ナルメルアは飾り気の全くないシンプルなワンピース姿で、それで伯爵令嬢と気づく人はいないだろう。
朝食の時間で人の出入りが激しい食堂にナルメルアは抵抗なく入っていく。
「おかみさん!パンとスープと卵のプレート!二人分ね」
カウンターの向こうに声をかけ、慣れた様子で進んでいく。
「あいよ!」
店主の威勢のいい声が店内に響く。
食堂の一角、行商人の団体の横に座る。
「お嬢さま、ご機嫌麗しく」
ニヤリと見た目は強面の男が話しかけてくる。
「ちょっと見ない間に別嬪になられて」
眼鏡の優男は朝から酒でも飲んでるのか舌がよく回る。
「王都までご苦労さま。街に待機させている何人かをシュトレッセンまで一旦戻して欲しいの」
「それは敵方の動向が変わったとかで?」
皇太子暗殺を企てナルメルアを利用しようとする相手をはっきり敵と言う。
彼らも出身はレイスの者、それでも考え方も立場も違う。
ナルメルアたちを囲むように食事をとっているのは全てシュトレッセンから送られた兵だ。
目の前に座る強面の男も優男の男も領内で腕の立つ剣士、ナルメルアの護衛として仕えてきた臣下でもある。
「子どもたちをシュトレッセンの孤児院に運んで貰いたいの。シュトレッセンから行商に来た商人にわたしが依頼をした体でね」
ナルメルアは昨日のことを話した。
「お人好しも時と場合によりますよ。敵方がどう動き出すかわからないのにそちらに人を割くのは僕は反対です」
強面の男は見た目に反して優しい声音でナルメルアを諭す。
向かいに座ったイリスは激しく同意する。
「それについても考えがあるわ。相手の行動を待つばかりではこちらも得られる情報が少ないから、これからはわたしの方から動いてみるつもりよ。相手がそれなりの立場なのは分かっているし、公の場所に顔を出すことで下手に手を出してはこれないでしょう」
ナルメルアの神妙な表情と反して二人の臣下は口元を緩める。
「うちの姫さんが行動的なのは今に始まったことじゃないにしろ、どうやったら皇太子の婚約者なんて話しになるんだ?」
「下世話はお止めなさい」
イリスは低く苛立ちを含めた声で制す。
「僕らも嬉しいのですよ」
強面の男、同じ孤児院出身のグエンがイリスを制す。
「お嬢さまは我らには主というだけではない、特別な存在ですから。恐れ多くも妹が嫁に行くような気持ちと申しましょうか」
「そうだな。城に来たばかりの頃はチビで乳臭いガキだったしな」
「ヒューイはお黙りなさい!」
ナルメルアは苦笑する。
眼鏡の優男、ヒューイは父親とシュトレッセンに流れ着いたレイスの民で、武芸の腕をかわれて親子で伯爵家に仕えている。
暇潰しと称してナルメルアに剣術を教えた男だ。
こうして話をしているとナルメルアは肩の力が抜ける。
「わたしが婚約者だなんて、レイスの民からすれば恥さらしと詰られても仕方がない。裏切り者と言われても反論なんてできない」
ナルメルアは伯爵令嬢ではなく、同郷の友として話していた。
「ははっ。今さらなにを迷うんだ?伯爵家に迎えられた時にお前はすでに覚悟を決めてるって思ったけどな」
ヒューイは当時を思い出し笑う。
「むしろ俺を軟弱者だと笑ってたお前の方が未来を見てたように思うよ」
グエンがそれに頷く。
「僕も強かに上を目指すナルメルアを誇りに思う」
「わたしはレイスなどに縛られる必要などないと、ずっと申し上げています。ただ地位や役割に目が眩んだ婚姻はするべきではないと思ってます」
「イリスは固いんだよ。こいつが恋だ愛だで動くたまかよ」
「ヒューイ!」
ヒューイを除くみなが声を揃えて非難した。
「だってそうだろう?鉄壁のイリスでさえ好きな男の前だと女なんだぜ」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ!」
イリスは冷めた口振りと反して、耳の先まで真っ赤だ。
「もういい加減にしなよ。子どもじゃないんだから」
イリスとヒューイが喧嘩してグエンが間に入るのは昔から変わらない図式だ。
ナルメルアは恥じらうイリスを羨ましい気持ちで眺めていた。
恋も愛も知らないか……。
胸がざわつくのは恋とは違うのか。
会いたいと思うのはどうしてか。
リーデンとの婚約を望んで宮廷侍女になったのに喜べないのはなぜか。
一瞬ナルメルアが見せた憂いの表情をヒューイが横目で捉えていた。
ナルメルアとイリスはヒューイたちとわかれて、王立図書館に向かった。
王立図書館に入った瞬間、古い紙の臭いと埃っぽい空気に包まれる。
王立図書館にあの人が居るかもしれないと一瞬頭を過って、そんな筈はないのだと現実に呼び戻される。
「それではわたくしは先に失礼致します」
ナルメルアの本の虫はイリスも重々承知、それに付き合っていたら時間がいくらあっても足りない。
イリスは用事を済ますのに別行動を取ることにしていた。
「それじゃあ夕刻の鐘の音がしたら迎えをお願い」
「適度に休憩をお取りくださいね」
ナルメルアの視線はすでに書棚に向けられていた。
イリスはため息と苦笑を混じらせ礼をして図書館をあとにした。
調べたいことは幾つかあった。
その中で一番は、独りよがりな正義感で済まされないように知識の地固めが必要だった。
昼食を取るのも忘れて本に埋もれていた。
王立図書館は平民が閲覧可能な一般書庫と貴族階級以上が許される特別書庫、貴族でも上級にあたる伯爵から侯爵までが閲覧可能な禁書庫がある。
ナルメルアは特別書庫と禁書庫を行ったり来たりを繰り返していた。
特別書庫の利用者はまばらで、禁書庫に至ってはナルメルア以外の利用者は皆無だ。
なので特別書庫の書物を禁書庫の閲覧室に運び込んで、じっくり読書に耽っていた。
「やはりナルメルア様でしたか」
日差しを遮る人物に何時間かぶりにナルメルアの視線が文字から離れた。
「トッケビ様」
仙人のような髭をフォッフォッと揺らした老官吏は随分久しぶりに顔を合わす。
「なにやら本に食い入る令嬢がおられると書官が話しておるのが耳に入りましての。確かわしが知る令嬢も本好きだったので覗いてみたんただが予想通りじゃったな」
掠れた笑い声が静かな室内に響く。
「こうして書を食い入るように眺める姿は殿下と重なるわい」
トッケビは髭を撫で微笑む。
「ウォルフ殿下ですね」
ナルメルアは書庫での出来事を思い出していた。
しかしトッケビは笑いながら首を振る。
「いや、リーデン皇太子殿下じゃ」
「リーデン殿下が?」
そんなに本に夢中な方だったかしら。
ナルメルアの問うような視線に閉じかかったような瞼の下、白く霞がかった瞳をナルメルアに落とす。
「あの兄弟殿下は見た目と中身が全く逆なのじゃよ」
トッケビは幼い頃の王子たちを懐かしむ。
「リーデン殿下は勉強も剣も周りの声なぞ聞かず独りで何でも決めてきたようなお人に見えるが、そうではない」
トッケビはナルメルアの向かいの椅子に腰かけると古い書物をいとおしそうに撫でる。
「あれほど人のことを考えておる御仁はおらん。周りの声に耳を傾けすぎじゃと、わしは思っておる」
あのリーデンがとナルメルアは信じられない。
「弱い心と向き合い、また強くあろうとするのがリーデン殿下じゃ」
今度は書物を照らすランプに目を向けた。
「ウォルフ殿下は一見すると辺りを照らすこのランプのように、華やかで人に好かれるお人じゃ」
ナルメルアの知るウォルフが社交的かはわからないが、社交界や噂のウォルフではそうかもしれない。
「だがウォルフ殿下は周りなぞどうでもよい、自分の大切な者が幸せならば他人なぞ捨て置いても構わんと思う方じゃ」
トッケビの顔に憂いが宿る。
「ウォルフ殿下は兄であるリーデン殿下を慕っておる。きっとリーデン殿下が考えておる以上になぁ。ウォルフ殿下はリーデン殿下のために知識を集めとるに過ぎん。いうなれば大切な人間以外はどうでもよいとお考えじゃな」
ふとトッケビはウォルフのことをあまり良く想ってはいないのだろうかと胸に引っかかる。
「あんな夜中に書庫に通われているのに知識集め?わたしには本がお好きなように見えましたが……」
ナルメルアの言葉にトッケビの眉がヒョコッと上がる。
「あぁ……、そうだの」
トッケビは再び髭を丁寧に撫でる。
「わしが見ている殿下たちの姿が正しいとは限らん」
ナルメルアに笑いかけるトッケビは楽しげだ。
「ナルメルア様の見ている殿下もまた正しいとは限らぬがの」
トッケビは本を手に取ると、
「本もそうじゃ、この本がどのような本かは読んでみなければ分かるまい?」
パラパラ中身を捲ると、
「人から面白いと聞かされた本ほどつまらぬ物はない。読む者だけがその本の本質に触れられる」
パタンと閉じてフォッフォッと笑う。
「周りの声に惑わされんことじゃ。相手を知りたくば相手の扉をまずは開かねばな」
ポンポンとナルメルアの肩を叩くと、
「また城の書庫を使いなさい。迷ったり悩む時は本が師となり導いてくれるじゃろ」
老齢にしては軽やかな足取りで書庫を出て行った。
トッケビもリーデンとナルメルアの婚約を耳にしたのだろうか?
リーデンの良いところを勧められたのかしら?
老師の考えはナルメルアは予測さえつけれなかった。
夕刻の鐘の音までナルメルアは書庫から一歩も外に出ることはなかった。
「イリス、城に帰る前に何か食べて行きましょう」
空腹に耐えかねてイリスの手をとると飲食店が並ぶ繁華街へと足を向けた。
王都は中心から離れれば離れるほど治安も悪くなる。
反面中心に行けば行くほど治安は良いが貴族が幅をきかせている。
女二人だから危なくないようにと向かったのは王都の真ん中、貴族街から目と鼻の先にある高級料理店だった。
ナルメルアは客が酒に酔いつぶれたりして絡んできそうな店を避けただけのつもりだった。
「失礼ですがシュトレッセン伯爵令嬢でございますか」
入り口に立つ店員から、そう訪ねられて驚く。
「そうだとして食事をするのになにかあるのでしょうか?」
ナルメルアに代わってイリスが前に出る。
店員は慌てる様子もなく、
「滅相もございません。むしろシュトレッセン伯爵令嬢をお迎えできて光栄にございます」
店員は丁寧に頭を下げるとと店内に向けて手を叩く。
すると給仕をしていた者がナルメルアたちを並んで迎える。
やだ帰りたいとナルメルアが足を動かせないでいるとイリスがすっとナルメルアの手をとり中へ促す。
目映く輝くシャンデリア、ゆったりとした店内はどこもお金がかけられた造りで、椅子一つも革と毛皮で誂えられた一級品。
その店内でも奥に設けられた一角、衝立に囲われソファーが置かれた一際豪奢な席に通される。
「あれがシュトレッセン伯爵令嬢」
「異国の血が入られているのね」
通される間、座った客が口々にナルメルアのことを口にしていているのが嫌がおうにも耳に届く。
「なんて真っ赤な髪、まるで血のよう」
中には侮蔑的な声も上がる。
イリスは睨み付けていたが、ナルメルアは無表情で席まで歩いた。
貴族が好む噂話、貴族が共有する情報網は侮れないとナルメルアは内心感心していた。
リーデンとの婚約話がここまで広がるのが早いとは思ってもみなかった。
「ちょっと宜しいかしら」
席に座るのを待っていたかのように素早く近づいてきた女性。
ナイトドレスはシックで大人びた魅力を振り撒いていた。
「わたくしロッデンワイマー家がアマリーナと申します」
ロッデンワイマーとは、貴族名簿で上位にあった伯爵家だ。
ナルメルアは席を立つと膝を折り挨拶をした。
「お初にお目にかかります。わたくしはナルメルア・シュトレッセンと申します」
アマリーナはその挨拶を鼻で笑った。
「どこの国の挨拶です?それは」
ナルメルアの側で囁くように小さな声で、
「田舎の匂いが致しますわね」
クスクスと見た目だけで言えば品のある笑い方をする。
イリスが立とうとしたのをナルメルアは手で制した。
「座っても宜しいかしら」
相手に聞きながらもナルメルアはすでに腰を下ろしていた。
「皇室の方に取り入った女がいると聞いてみれば、同じ伯爵家を名乗るのが恥ずかしくなるくらいの田舎貴族ではなくて」
離れたテーブルの客が好奇の目を向けている。
派手派手しいアマリーナはきっと有名な令嬢なのだろう、中には同情のような哀れみの視線も紛れているようだった。
「そのような田舎貴族に高貴なアマリーナ様がなにようにございます」
椅子に腰を下ろしたナルメルアは無表情でアマリーナを見上げた。
「まぁ図々しい。教えて下さいと頭を垂れるのが礼儀というものじゃないかしら」
アマリーナは胸を反らせ、お世辞にも美しいとはかけ離れた笑みを浮かべていた。
「別に興味はございませんので結構です」
ナルメルアは疲れていた。
何より苛ついていた。
ただ意地悪を言いたかっただけのアマリーナにこれ以上付き合う義理はないと見限る。
「なんですって!田舎者が皇太子と婚約したからと図に乗って!ウォルフ様もウォルフ様よ、このような女狐にたぶらかされて。権力に目が眩んだ女の踏み台にされるなんて可哀想なウォルフ様」
なるほど、アマリーナはウォルフに気があるようだ。
ナルメルアがウォルフからリーデンに鞍替えしたと腹を立てているのだ。
ナルメルアの眉間に深いシワが刻まれた。
今は一番触れられたくない話題に、ナルメルアは怒りを滲ませた瞳でアマリーナを睨み付けた。
「な、な、なんですの」
ナルメルアはアマリーナの目の前に立ち上がると、
「これ以上余計なことを話されるのであればシュトレッセンの名にかけてロッデンワイマーに正式な抗議を入れさせて頂きます。婚約に意義があるようなので、その意義申し立てはロッデンワイマー伯爵家からとしてリーデン殿下にもお伝えすることとなりましょう。確かロッデンワイマーは昨年長子が家督を継がれたようで、殿下の覚えもこの件でより鮮明となるでしょうね。お兄様もお喜び申されますでしょう」
ナルメルアの言葉一つ一つにアマリーナの顔色から血の気が退いていく。
「あ、あの。そ、それは……っ」
反論しようとしたアマリーナは終には手元を震わせ俯いた。
「アマリーナ様、わたくし田舎育ちで作法に疎くて伯爵令嬢として立ち振舞いも田舎仕込みですから」
先ほどまで田舎と笑っていたアマリーナは、その言葉の繰り返しに張り付けた笑みが氷った。
「ですから、宮廷侍女として皇后陛下や外国からの貴賓の方々から礼儀を見習っておりますの。アマリーナ様の礼儀作法の師はさぞ高貴なお方のようで、宜しければ教えて頂けますでしょうか?」
イリスはアマリーナに哀れみの目を向けた。
ナルメルアがここまで腹を立てているのを見るのは久しぶりだ。
こうなったら養父のシュトレッセン伯爵でも手を上げるくらい、ナルメルアは持てる手で以て全力でねじ伏せてしまう。
案の定、堪えられなくなったアマリーナは負け犬の遠吠えよろしく喚き散らしながら店から出て行った。
ようやく静かになったとナルメルアは何事もなかったように注文を入れ、食後のデザートまで堪能した。
「これもすぐに噂となって広まるでしょうね」
額に手を当てたイリスは深く息を吐く。
「色恋に周りが見えなくなるとは聞くけれど、あれでは家名に泥を塗って更に恋の成就から遠ざかるでしょうね」
ナルメルアは立派な皿に盛られた一口サイズのメインの肉を、目を細めてフォークで一突きした。
「立派な家柄、権利を賜るだけの器量、信頼される人柄……、全て周りが決める評価ね」
「ナルメルア様?」
ナルメルアは皿の上の料理を次々口に放り込んでいく。
分からなければ知ればいい。
知らなければ好きか嫌いかもわからない。
トッケビの言葉を反芻していた。