水路
「なにがどうなってるんだか」
バンズが面白おかしく話しているのを横目にナルメルアは名簿にかかれていた石材店を訪ねていた。
リーデンが領館に泊まると聞かされ騎士団も離れで一晩過ごしていた。
それが朝から屋敷が騒がしいというので侍女を
捕まえ聞き出したところ、リーデンとナルメルアが婚約するというので騎士団はその話題で持ちきりだ。
リーデンが懇切丁寧答えてくれるはずもないため、ナルメルアに根掘り葉掘り聞きたい者が押し寄せてくる。
リーデンもナルメルアも婚約者となったからどうというような変化はなく、朝から普段通りに職務をこなしていた。
ナルメルアは石の出所が気になっていたので、バンズをお供に街に出ていた。
「ここがその石材店のようですね」
蔵が三棟ある規模としては大きな石材店で、店先では荷積みと荷下ろしがひっきりなしで活気がある。
「いらっしゃいませ」
浅黒く日に焼けた男が出迎える。
重労働に鍛えられた屈強な身体は、騎士団長のバンズと比べても大差がない。
「昨日工事に使われた石がこちらから出荷された物だということで幾つか話を聞きたいのですが、石の出荷に詳しい方はおられますか?」
ナルメルアは提出されていた帳簿を見せる。
男はそれには目を向けず、
「それなら店の中のやつに声をかけて下さい。出荷ならダンテという男が詳しいので」
商談に使うのだろう木製の素朴なテーブルと椅子が置かれている。
奥には作業場があるようで石を削る男が響いている。
石からでる粉が風の流れに舞い上がり、バンズが盛大なくしゃみを連発した。
その音に作業場から長身の男が駆け寄る。
「いらっしゃいませ、ご用件は如何致しましょう」
筋肉隆々なバンズに反して、この男の身体は痩せて貧相に見えた。
「ダンテという方にこちらの帳簿の石について話を聞きたいのですが」
ナルメルアが差し出した帳簿を男は受けとると、
「これはアルバート商会に卸した石ですね。確かにうちが卸しましたよ」
戸棚を開くと帳簿の束をめくり、受け渡し書を開いて見せる。
「この石がなにか?」
帳簿には石の産地が記入されている。
それは国の南西の山脈名となっている。
「この石は商人から仕入れているのでしょうか?」
男は別の帳簿を出してきてパラパラと捲る。
「買い付けは色んなとこからするんでね……あ、あった!この時は船商人の口利きで大量に良い石が手に入ったとありましてね。売り主はクシュ……何で書いてるのか滲んで読めないですね」
見せて貰うと走り書きのように書かれていて、名前の欄は滲んでいた。
「この石は普段から水路に使われていますか?あまり見かけないような材質に見えたのですが」
男はナルメルアの言葉に眉を上げた。
「お嬢さん石には詳しいので?」
「故郷で水路の工事に携わっていたので、石というよりは水路のことの方が知識はあります」
男はナルメルアに視線を合わすと、
「挨拶が遅れました。ダンテと申します」
軽くお辞儀をする。
ナルメルアが戸惑っていると、
「以後、お見知りおきを」
ダンテは白い歯を見せて笑う。
ナルメルアは石について訊ねにきた訪問者から、お客になるかもしれない相手に変わったということか。
ナルメルアは肩を震わせ笑った。
商売人だ。
「それで石のことなのだけれど……」
ダンテは小さな石の塊を取り出すと、テーブルに並べた。
「通常水路や敷石に使うのは近郊でとれる、この石が多いです」
見慣れた灰色の石を指す。
「それで今回仕入れたのがこちら、国内では見慣れないロウ鉱石と呼ばれる石です」
白みの強い薄灰の石を指す。
ナルメルアはその石を撫で粉を灯りにかざした。
あの石と同じように光り輝く。
ダンテはその様子をしばし眺めて口を開いた。
「これは魔鉱石が採れる鉱脈にある石でしてね。その周辺は石の建造物が一般的で出回ることがなかったんですが、今は石材が余るようになって市場に流れるようになったんですよ」
やはりレイスの石なのだ。
砂漠地帯なので木は貴重なため石材で家を建てる。レイスが国として崩壊して、街の工事に石が使われることも少なくなったのだろう。
「強度は申し分ないし値も安いが、扱いが難しい。普通の石のつもりで扱うと亀裂が入って使い物にならない。だから石と一緒に加工に慣れた職人も流れてきてるって話ですよ」
安くで仕入れた石を扱うことができるのが、流民として入ってきた石工職人というわけか。
レイスの民が石と一緒に王都に流れ着いている。
「この石に魔鉱石は含まれていないのかしら?」
あの時に走った稲光の理由は何なのか。
「あれは市場でも滅多に見られない貴重な石ですよ。魔鉱石が含まれてたら安価で取引なんてできませんよ」
「石が崩れた時に稲光のようなものが見えたのだけど」
ダンテはロウ鉱石に思い切り金づちをを打ち込む。
すると一瞬だが光って見えた。
「光った!」
ナルメルアとバンズが砕けた石を拾う。
「ロウ鉱石は強い力が加わると発光するんですよ。ただ光るだけで害もない。まぁ扱いにくいだけでなく光るなんて気味が悪いっていうので安いのもあるんですよ」
それならば崩落は事故だった可能性が高くなる。
気になるのはリーデンが赤子の泣き声がすると言っていた点。
「ありがとうございました。聞きたいことは全てです」
ナルメルアは歩き出そうと踵を返した。
「あの、昨日のあれ。誰かがやったって話になってるのでしょうか?」
ダンテは難しい顔をしてナルメルアを見ていた。
「事故かもしれないとは思っています。でも事故でなかった場合も確たる証拠がなければ否定はできませんから」
リーデンは事故のまま処理をしようとしている。ナルメルアも公に犯人探しをするつもりはない。
ただ事故でなければいいと、その想いで動いてはいる。
「流民が疑われるのではと周りは噂してます」
ダンテの声に恐怖が滲んでいた。
「流民だからと疑うのは浅慮でしょう」
ナルメルアは思ったままを口にしていた。
リーデンが疑わしきも罰するという話はナルメルアの耳にも届いていた。
だから疑われることさえ恐れるのだろう。
「でも領主から苦言があれば、アルバート商会は流民の職人を切り捨てるって話です」
確かに昨日あった商人はナルメルアが取り仕切るのに不快感も表していた。
元来商人は男社会、女がしゃしゃりでるなということだとは分かっていたけれど、雇い主としても責任や情とは無縁なのね。
「愚行極まりないわ。もし流民が犯人だとして、同じように働く同郷をも巻き込んで謀反なんて企てる方が馬鹿らしい。職人として仕事を得られたというのに、何の利益もなく領主の首を狙える訳がない。むしろ尻尾を切るようなら疑わしきは大本である雇い主ではないの」
ナルメルアは憤慨していた。
保身のために流民を切るのが世の常であってはならない。
リーデンは何も言わなかった。
苦言一つも言ってはいない。
ナルメルアは昨日の作業場に向かった。
昨日の商人はいなかったが、アルバート商会の者が責任者として現場に立っていた。
「ご視察でしょうか?」
騎士団の装いをした有名な団長を連れていたからか、すぐに商会の男が駆け寄ってきた。
ナルメルアは馬から降りると、にっこり微笑んだ。
「昨日はゆっくり視察ができず、わたくしだけでも見てくるよう主に申し付けられ参りました」
バンズは面白そうに側で眺めている。
「左様ですか……。ご一報頂けましたらこちらも何かしら用意を致しましたのに……」
言葉の裏に、連絡もなく来るなと言っている。
「特別な配慮は不要ですわ」
笑顔で言い捨てたナルメルアは石を加工している職人に近づく。
みな怯えたような表情をしているように見えるのはダンテの話を聞いたからか。
「これは普通のノミと違いますね」
ナルメルアがノミを指すと、持ち主の職人が慌てた様子で背筋を正して畏まる。
「これはロウ用のノミなんで」
「ロウ鉱石は普通に手を加えると亀裂が入るって聞いたのだけれども、それでそのような刃先になってるのかしら?」
ナルメルアはずいっとノミに顔を近づけた。
職人の顔が少し和らぐ。
「そうです。刃先をあえて潰して細かなノコギリ状に切目を入れるんで、すると一点に力が入らず削れるんです」
カンカンと叩いて見せる。
ナルメルアはふと先ほどみた光が出ていないことに気がつく。
「光ってないのはなぜ?」
周りの職人もナルメルアの言葉に耳を傾けている。
なぜこうもこの石に詳しいのかと。
「それはこのノミがロウ鉱石を混ぜて作られてるからですよ」
「お前、それは……」
横の男が慌てて止めようとしたが、ナルメルアに話しかける男は構わないと首を振った。
「こんなにお調べになったのだから、お話して差し上げるのが礼儀だろう」
ナルメルアは二人のやり取りでノミに隠された秘密、これが特別な職人として招かれた理由なのではないかと気づく。
「わたくしはそれだけの理由であなたがたが雇われたとは思いません。並べられた石の美しさを見ればどれほど腕を磨かれたか知れませんもの」
ナルメルアは規則的に削られた表面に手を這わす。
「わたくしも幼い頃から川の治水工事によく顔を出しておりましてね」
シュトレッセン伯爵はナルメルアを連れてよく視察に出ていた。
「毎年雨季に川が反乱するから石工の職人は年中石を削って備えていたわ。積み上げられた石の面が均一でなければ水は漏れでて、バランスを崩せば水は一気に溢れる。石工の職人はたった一つの石でも雑に扱えば人が死ぬ、だから一つとて手を抜かないのだと言っておりました」
職人の手はマメができる度に太く固くゴツゴツの岩のようになる。
目の前の職人たちも皆、石と向き合ってきた職人の手をしていた。
「あなたがたのお陰で、街の者の命が救われます。丁寧なお仕事、領主に代わり感謝申し上げます」
ナルメルアは心から頭を下げた。
職人の中には涙をぬぐう者もいた。
ナルメルアは丁寧に一つ一つの作業を見て周り、一つの答えを出した。
昨日の崩落は事故だと。
その上で再び水路の奥を目指した。
「お嬢、あんまり奥へ入るとまた崩落したり危ないです」
入り口で借りたランプを手にバンズがナルメルアの体を覆うように背後から支えた。
「おおっと、婚約者には内緒ですよ。下手に疑われたら命が危ないんで」
笑いながら言うことかとナルメルアはため息で返す。
「この先は確か市場ね」
王都の市場は海産物や船から下ろされた品が並ぶ海側と陸路を通って入る品が並ぶ街道側の二ヵ所にある。
水路の先は街道側の市場の地下に繋がっていた。
小一時間ほど歩いただろうか市場の地下に近づいていた。
地下まで響いている市場を行き交う馬車の車輪の音や呼び込みの声。
この声が水路を伝わってきたのだろうか。
引き返そうと立ち止まった時に、布だろうか擦れる音がした。
一足早くバンズが音のする方へ駆け出していた。
水路の脇に板が打ち付けられていた。
奥には空間があるのか微かに風が吹いてくる。
バンズはその板を蹴破る。
すると馬一頭が入るくらいの空間に子どもが5人肩を寄せ合い座っていた。
赤子はいなかったが、乳離れして幾らも経っていない幼い子どもがいた。
「なんてこと。王都では人身売買は禁止されているのではないの」
膝を折り、子供たちに近づく。
怯えた表情に安堵の表情、それぞれが浮かべる表情に胸が締め付けられる。
「お嬢、王都が禁じてるのは市場での人身売買だ。裏じゃ貴族連中に向けた競り市なんてのもあるらしい」
バンズも嫌悪に顔を歪ませる。
「うちにもこいつらと変わらない年の子どもがいる。まだまだ人恋しい年じゃねえか」
バンズの瞳に光る物を見て、ナルメルアは複雑な気持ちになる。
ナルメルアも親の温もりを知らずに育った。
ただ親以外にその温もりを与えてくれる人がいた。
「おいで、ここからでよう」
怯えた表情の子どもは胸の前で手を握りしめた。裏切られるかもしれない、善人の皮を被った悪人かもしれない。
そう心の声が聞こえてくるようだった。
ナルメルアは上着を脱ぐと、その子の肩に羽織らせ一番小さな子の伸ばしてきた手を取り抱き上げた。
「さあ、お姉さんについといで。お姉さんも一緒、お母さんもお父さんもいないんだ。意地悪な人がいないところに連れてってあげる」
バンズの視線を感じながら穴から子どもたちを出す。
バンズは片手に1人ずつ子どもを抱き上げた。
一番年が上だろうか、男の子は先ほどナルメルアが上着をかけてあげた子の手を取り後ろからついてきた。
行きの倍くらいの時間をかけて水路の入り口まで戻ってきた。
あまりに遅いので領館から知らせを受けた騎士が迎えに来ていた。
日は陰り水路の周りは篝火が焚かれていた。
人身売買摘発のため騎士たちは王都の警備兵を連れて水路に向かった。
子どもたちは領館へ連れて行くことになった。
ナルメルアは王都に孤児院がないことをここで初めて知った。
助けたはいいが預ける先がない。
ハーシェルは子どもたちを浴室に連れていくと、慣れた手つきで湯浴みをさせた。
「水路をくまなく点検などしたところで、ああいう輩は鼻がいい。大々的な捜査から身を隠すため水路から場所を移せば見つけるのは更に困難になる」
カイザルはナルメルアの意見に難色を示す。
「お前の仕事は街の警備兵と同じか」
リーデンは書類に視線を落としたまま口を開いた。
ナルメルアは俯く。
「助けられても一握りだからですか?巻き込まれたのが貴族の子どもだったら全力で当たるのでしょう。孤児は助けたところで無駄ということですか?」
「ナルメルア」
カイザルが止めに入る。
「今回助けた子どもは流民の子ども。国民ではありませんものね。対して買い手は貴族、貴族介入に弱気な警備兵が力をそそぐでしょうか。身の程を弁えることと、与えられた権限を公使することは貴族の矜持ですものね。貴族同士悪いことも目を瞑り耳を塞ぎ守り合えと?」
ナルメルアはリーデンを睨み付ける。
リーデンは書類から視線をナルメルアに合わせた。
空気を凍らせるくらい冷ややかな瞳がナルメルアに刺さる。
「自分が孤児で救われたから、だから放っておけないのではないか」
ナルメルアの目が見開かれ、頭に血がのぼっていくのを感じた。
「兄上」
カイザルは天を仰ぐ。
「私的な正義感を振りかざすのに肩書きが必要なら自分の責任で動け、騎士団も警備兵もお前に動かせる権限はない」
ナルメルアの握りしめた拳が血の気を失い冷たくなる。
「わかりました……、それでは明日は1日休みを頂きます!殿下の元で働きだしてから休暇を頂いておりませんから」
ナルメルアはリーデンに言い放つと、カイザルの前までツカツカ歩み寄る。
「カイザル様も宜しいですね」
カイザルは手でナルメルアを制す。
「ああ、構わないよ」
カイザルはこの険悪な雰囲気が収まりさえすれば何でもいい。
ナルメルアは一礼すると執務室から出ていった。
見送ったのはカイザルだけで、リーデンは手元の書類に視線を下ろしていた。
「言い方というものがあるでしょう」
ナルメルアがシュトレッセン伯爵の養女であることは公に知られていることでも、孤児であったことを知らされたのは限られた者だけだ。
ましてや婚約者として発表した相手、憚られることをよく口にしたものだ。
「わからなければそれまでだ」
「切り捨てますか?」
カイザルの顔は笑ってはいなかった。
リーデンはカイザルを見て、口元を緩めた。
「そうだな」