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伯爵令嬢は侍女で身をたてる  作者: 黒兎 アリス
10/17

失踪

夕刻に外出したナルメルアは夜間に帰城することなく翌朝を迎え、代わりにナルメルアの使いだと言う者からナルメルアから手紙が届けられた。

その使いの者は門兵に手紙を渡すと名も告げず走り去ったという。

ナザレ侍女長は手紙を受け取り、内容を確かめた後にルイスの元へ訪れた。

手紙には体調が優れないため城へ戻れなくなったということ、数日療養の申し出とナルメルアしか知らないような仕事の内容が代理への指示として書かれていた。

手紙に視線を落としているルイスの前にはナザレが手を前に構え立っていた。

「ナルメルアの筆跡ではあるのですが」

ナザレの含みのある言い方にルイスの視線が上がる。

「別段おかしな内容には思わないけど、何か思うことがあるような口ぶりだね」

机の上に置かれた手紙は飾り気のない無地の便箋だった。

「昨日ナルメルアから家の用事で外出許可の申し出がありました。詳しくは聞いておりません」

重ねられた手は微動だにせず、ただ口だけが言葉を紡いでいた。

「これまでの態度からその必要はないだろうと判断しました」

ルイスはその判断が間違っていないだろうことを口にするまでもなかった。

それほど侍女長としてのナザレを信用していた。

「外出理由もですが、手紙一つで仕事を休むようなことは、これまでの彼女からは考えられないこと」

ナザレは侍女長という立場に責任と誇りを持っている。

口数も少なく一見するときつい印象を持たれるが、人を見る目は抜きに出ていると宮廷に仕える官吏なら誰もが知るところである。

最初は腰掛けづもりで入った侍女が、いつの間にか一端の宮廷侍女として相応しい振る舞いができるようになっているのはナザレの教育の賜物と言われる。

貴族出身の侍女など気位も高く、仕えられることにはなれていても誰かに膝を折ったことはない者ばかり。

一筋縄ではいかない侍女教育を、ナザレは自身の仕事をこなしながら行うのだから官吏といえど頭が上がらないのだ。

そのナザレがわざわざ報告にくるのだから決して聞き流してはいられない。

「しかも手紙には逗留先が書かれておりません。確認したところルシエールにも行き先を告げておりません」

崩されない姿勢の中で、普段感情を出さない顔には案じる気持ちが現れていた。

「こちらから連絡する術はないということか」

ルイスは眉間を寄せため息を吐く。

「わかった。シュトレッセン伯爵へナルメルアの体調を気遣う文を出して、状況を把握しているか、それとなく伺いを立てよう」

ナザレは丁寧に頭を下げた。

「わたくしの思い違いかもございません。どうかご内密にてお願い致します」

ナザレがルイスを頼ったのはシュトレッセン伯爵とレイドリッヒ公爵の関係を考えてのこと。

昨夜の夜会でナルメルアの後ろ楯にレイドリッヒ公爵がなったということはナザレの耳にも入ってきた。

あり得ないとは言い切れない事態のひとつが、ナルメルアが侍女としての職務を放棄して出ていった場合。

陛下に仕える身でありながら城から勝手に姿を消すようなことがあれば、シュトレッセン伯爵家もその責任を問われることとなるからだ。

ナルメルアは家名を背負って登城している。

これまで陛下への忠義が疑われるような噂があったため、醜聞一つで伯爵家の存続の如何にも関わらないとも言えない。

ナザレもそういった事情をルイスが鑑みて手を差し伸べてくれるだろうと踏んでのお願いなのだ。

「善処しよう」

ルイスの了承を受け、ナザレは頭を下げた。



足音も静かにナザレが立ち去るのを、ルイスは椅子に腰掛けたまま見送った。

完全に気配が消えたのを確認すると、執務室の隣に設けられた部屋へと繋がる扉を叩いた。

中から返事はない。

ルイスは気にせず扉に手を掛けた。

「聞いておられましたか」

扉の向こう、窓を背に外光に照らされ銀色の髪を輝かせている人物が目にはいる。

「聞かせているのはお前だろう」

不機嫌な声でそれは答えた。

扉一枚隔てた隣室には、ルイスの執務室とそっくり同じように誂えられた空間が広がっていた。

最初こそ正式に用意された執務室を使っていたが、移動時間も無駄だとルイスの隣に無理やり執務室を移動させたのだ。

図らずともその隣室は、ルイスの執務室での会話が筒抜けになっていた。

「ぼくがわざとしているとでも?」

心外だとルイスは肩を竦めた。

「殿下はどうお考えです?」

ルイスは銀髪の青年の座る机の前に立った。

決して見下ろす形にならぬよう、一定の距離を保つのはルイスより上の立場であるからだ。

そして座る彼の周りの温度が低く感じられるのは纏う空気がそうさせていた。

深い海の底、淀みなき蒼い瞳は見るものを凍らせるほど冷ややかだ。

その目尻は切れ長で、精巧に彫られた彫刻作品のような美しさがある。

しかし日の当たらないような美術館にある華奢な彫刻作品なのではなく、鍛え上げられたしなやかな筋肉を纏っているのが服の上からでも分かる。

リーデン・クロイツ皇太子。

エストニア公国の次期国王である。

リーデンは机に積まれた書類の上で腕を組んでいた。

「どうもこうもない。シュトレッセンに文を出すのだろう」

抑揚のない声はなれていない臣下なら身を震わせるほど威圧的だ。

しかし、なれているルイスは気にもせず口を開く。

「相手はナルメルアですよ?」

「だからなんだ?」

不機嫌なのは最初からであるが、ルイスはそれを助長させてもいた。

「気にはなりませんか」

ルイスはナルメルアの手紙をリーデンに渡す。

リーデンは静かに目を通すと手紙を握りつぶした。

「姿が見えないのですから心配ではありませんか」

ルイスは窓の外に視線を向けて意地悪く尋ねた。

リーデンの背後にある窓からは東の棟がよく見えた。

また東の棟に向かう道にある森も眼下に確認できた。

「言いたいことはそれだけか」

ルイスはあからさまに残念そうな顔でリーデンを見つめた。

「放っておいてよいのですか」

リーデンの視線がルイスを捉える。

「体調が悪いなら治るのを待てばいいだろう」

リーデンは握りつぶした手紙をくず入れに捨てた。

「戻ってこなければそれまでだ。伯爵家ごと処罰すればよい」

ルイスは盛大なため息を吐く。

「昨日の話を聞く限り、ぼくはナルメルアが自分から出ていくようなことはないと思ってるのですがね」

ナルメルアから伝わってきたのは、宮廷侍女は彼女が望んで得た立場であり、またそれ以上に国の行く末にまで携わりたいという意欲だ。

「ああいう物怖じしない臣下は貴重ではありませんか。現政権を無能だとさえ言い切れる侍女、ぼくなら簡単に捨てたりはしませんよ」

ルイスの軽口は捨て置くが、今回のように茶化さず進言する時は耳を傾ける。

飄々としていながらも、実に内面は頑固な男なのだ。

「ならばこうしよう。もしナルメルアが数日の内に戻ってきたら、昨日あれが望んだお目通りとやらを叶えてやろう」

リーデンは席を立つと窓の外に目を向けた。

「あれの目的とやらを試してやろうではないか」

リーデンが口にした言葉を聞くのは、窓に映った我が身だけだった。



翌日になってもナルメルアは城に戻らなかった。

その日の午後、一人の女性がナルメルアに会いに城を訪れた。

取り次ぎの兵がナザレに声を掛けた。

居合わせたルシエールもナザレと一緒に訪問者を迎えた。

その来訪者は両手に大きな鞄を持ち、赤茶色の髪は整え結い上げられ、質素で飾り気のないワンピースと実に地味だった。

そしてその風体は誰かを彷彿とさせた。

「イリスと申します」

薄い化粧では消えないそばかすが、微笑みを浮かべた顔で目立っていた。

「シュトレッセン家からナルメルア様付き侍女としてやって参りました」

イリスはナザレと変わらないくらいの年頃で、シュトレッセン家で侍女としてナルメルアに仕えてきたという。

「ナルメルアはいないのよ」

ルシエールはイリスがナルメルアの今の状況を伝えに来たのだと期待していたので、何も知らないことに落胆して肩を落とした。

「シュトレッセン伯爵には連絡を差し上げたのだけれど、すれ違ったのかもしれません」

ナザレはルシエールほど落胆な態度は出さないものの、表情は暗い。

イリスはナルメルアが今城を開けていることを二人から聞いている間、動じる様子もなく黙って聞いていた。

聞き終わるやいなや、イリスは床に置いていた荷物を手に持つと、

「お嬢様のお部屋に案内を頂けますでしょうか」

荷物の中からシュトレッセン伯爵からの紹介状を取り出すとナザレに手渡す。

イリスの身元を保証する書面で、通常ならナルメルアから侍女長に渡すのが正式な形なのだが、まず王宮に足を踏み入れる許可を得るには直接渡すしかないと判断してのことだった。

ナザレは内容を確認し、ルシエールに案内を任すと手紙を手に王宮に戻っていった。

ルシエールはイリスの足元を見下ろす。

「その荷物はあなた一人で持ってきたの?」

ルシエールの視線の先、一つで両手で抱えなければ持てないほど大きい荷物が2つ、足元に幅を効かせて置かれている。

「お嬢様の衣服などが大半なので、見た目ほど重さはございません」

そう言うや否やイリスはひょいっと荷物を持ち上げた。

「女手でも持てますから」

ほら!と見せられルシエールは堪らず吹き出す。

「あなたナルメルアの侍女なだけあるわね」

目尻の涙を拭うルシエールにイリスは声も出さずに静かに笑っていた。

大人の女性らしく所作は落ち着いていながらも、洒落が分かる人なのだとルシエールはイリスに好感を抱いた。

「ナルメルアがお嬢様と呼ばれているのに、伯爵家のご令嬢なのだと改めて思い知らされるわ」

イリスもまた飾り気がなくナルメルアのことを話すルシエールから、ナルメルアに親しい友ができていることに安堵した。

出迎えにしては切羽詰まった様子のナザレとルシエールを前にナルメルアに何があったのかと内心構えていた。

しかしナルメルア本人が意思を伝えられる状況での留守と判ると、イリスは二人ほど焦燥は感じていなかった。

シュトレッセン家に届けられたナルメルアから送られた手紙には、伯爵への最大限の要請がしたためられていた。


《親愛なるシュトレッセン伯爵様


宮廷侍女として日々忙しく過ごさせて頂いております。

お父様もお変わりはございませんか。

光栄にも陛下からお父様へ登城を勧めるようお言葉を賜りました。

僭越ながら身軽に動ける間に一度、こちらへ足を向けられることを娘としてお願い申し上げます。

わたくしは侍女としてお務めする中で、善き縁も得ることとなり、この度社交界へお誘い頂くことになりました。

出発する際にはお断り致しましたが、やはりドレスを持って来るべきだったと悔いております。

つきましては使いの者にドレスを持たせて頂けますでしょうか。

その際に飾りも一緒にお願い致します。お気に入りの腕輪は忘れずにドレスと一緒に送って下さいませ。

ナルメルア・シュトレッセン》


シュトレッセン伯爵は眉一つ動かさなかったが、横で読んでいたイリスは苦笑した。

娘から父に向けた『おねだり』が文字と全く異なるものであるのが分かった。

「なにも、ここまで取り繕わなくても」

イリスはまだ笑っていれたが、シュトレッセンはそうではなかった。

「イリス、至急準備をしなさい。兵は分けて送るから表だってはお前一人で王都入りするように」

席を立つなり早足で出て行った主の背を見送るイリスは一人また苦笑した。

見た目には無表情で無愛想でも、娘を案じて居てもたっても居れない様子で相当慌てていた。

ナルメルアが養女となり、シュトレッセン伯爵が形のみならず父としてナルメルアを庇護してきたのをイリスは側で見てきた。

シュトレッセン伯爵家に入ったのは同じでありながら、ナルメルアは養女になり、イリスは侍女と二人の立場は変わった。

ナルメルアより一回り上であるイリスは立場が変わっても、昔から姉代わりを努めてきた。

最初こそ周りに求められてきたからではあるが、今となっては自ら望んでのこと。

ナルメルアの手紙の腕輪はイリスを指していた。ドレスは身に纏うものであり、古代語で身に纏うものと黒を表す言葉が同じであることから、シュトレッセン伯爵家の領兵を指していた。

シュトレッセン伯爵家の私兵は黒衣を纏っていたから。

イリスを寄越すように、そして兵に飾り、つまり武器を持たせるようにという意味を込めた内容なのだ。

この隠語が分かるのは、ごく限られた者。

そしてこの手紙が無事に届いたということは、レイドリッヒ公爵家には間者がいないだろうと一つ確認はできた。

しかしシュトレッセン伯爵家令嬢であり宮廷侍女であるナルメルアに接触してきたということは、相手方には貴族が関わっていると暗に示している。

向こうからすれば飛んで火に入るという絶好の機会なのだ。

ギリと歯を噛みしめたイリスは、ナルメルアの行く手を阻む者を憎々しく思った。

イリスはナルメルアほど相手への敬意はない。

イリスにとって大切なのはシュトレッセン家の者であり、妹同然のナルメルアである。

国や平穏を乱そうとする者など、どうでもよいのだ。

あの日、シュトレッセン領へと連れられてきた時からイリスの故郷はシュトレッセンなのだ。

ナルメルアは我が身を危険にさらしながらも、故郷を切り捨てられない。

長い年月を過ごしたシュトレッセン領ではない生まれ故郷。

ナルメルアに流れる血がそうさせるのだろうか。


部屋の前までルシエールに案内されたイリスは、ナルメルアの部屋の床に荷物を下ろすと、部屋を見渡たした。

物置部屋のように調度品が雑多に置かれた部屋。

ここに人が住んでいるのかと思うほど、生活感はなかった。

部屋の主を表すかのように、物がない。

元々住居として誂えられていないので家具は小さな机と椅子、ベッドと申し訳程度に誂えられた棚のみ。

丁寧に畳まれた仕事着と寝間着は棚に置かれていた。

ベッドに置かれた縫いぐるみだけが、その主の帰りを待っているかのように主張していた。

私物が少ないので、さっと手に取るなら確認はあっという間に終わった。

そう簡単に目につくところには置かれてないだろうとは考え付く。

ナルメルアが自らの城から出たのであれば、他に気づかれないようにイリスに何かしら情報を残しているはず。

それは分かりやすい場所にはない、そして持ち出せるような物に隠すこともないはず。

この部屋で持ち出せるような物ではなく、すぐに見つかるような場所でもなく、なによりイリスに分かるような場所。

イリスは床に寝転ぶとベッドの下に潜り込んだ。

ベッドの高さはナルメルアやイリスのような女性ならギリギリ入れるが、男性には無理だろう。

子ども時分、自分の物といえるのがベッドしかなかった頃に大切な物を隠すのは決まってベッドの下だった。

だからナルメルアが隠すならそこだとイリスには確信があった。

そして潜り込んだベッドの下、ベッドの裏側にピンで留められた紙を見つけた。


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