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伯爵令嬢は侍女で身をたてる  作者: 黒兎 アリス
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伯爵令嬢ナルメルア


王宮に仕える侍女たちは、粛々と職務にあたる。

その姿は決して目立つことはない。

宮廷侍女は貴族の令嬢が担う仕事である。

王族の身のお世話だけでなく、王宮の様々な仕事に携わる。

嫁ぎ先が決まらない下位の貴族出身の令嬢や、玉の輿を狙う高位の貴族令嬢など、各々が事情を抱えた令嬢が多い。

ある者は献身的にまたある者は野心を秘めて仕えている。



ナルメルア・シュトレッセンも秘めたる想いを以て城仕えをしている一人である。

シュトレッセン伯爵家は名家ではあるものの、長きに渡り中央政権とは関わりも持たぬ辺境の田舎貴族だった。

中でも現当主に関しては祭事のみならず、貴族が出席を命じられる国王の戴冠式でさえ登城しなかった。

伯爵を拝しておりながら狼藉者と悪名は名高い。

ナルメルアはその伯爵家の養女であり、唯一の後継者でもある。

その養女を王宮に差し出したのは、これまでの汚名を雪ぐためではと囁かれていた。

王宮への献上品がわりなら納得できる話だということで噂話は纏まった。


ナルメルアが献上品さながら王宮に登城する日。

シュトレッセン伯爵の外見を知るものは少なく、その容姿は人ならざる悪魔のように恐ろしいとも噂されていた。

悪魔と称される者の娘なら、面妖な、あるいは魅力的な風貌なのではと。

王宮に仕える面々はその噂の伯爵の令嬢に興味津々であった。



ナルメルアが門兵に連れられ通されたのは城の大門ではなく、使用人用の小さな扉だった。

質素な装いで馬車や従者に見送られることもなく、一人で門まで歩いてきたナルメルア。

門兵もその娘が登城予定の伯爵令嬢とは気づかなかった。

ごくごく普通の街娘とみまがう地味で、令嬢特有の華やかさの一切を感じさせない凡庸な姿だった。

地味な風貌の中で明るくて燃え立つ炎のような赤毛だけは珍しく、人目を引いた。


「ナルメルア・シュトレッセンと申します」

その声は耳に心地のよい低めの声だった。

真っ直ぐ目の前の門兵を見据えたシュトレッセン伯爵令嬢は、膝を折り礼をすると軽やかな足取りで門を抜けた。

いち門兵に略式とはいえ礼をする姿に、彼女が宮女として登城してきたことは知れた。

貴族の令嬢として登城の際は兵や侍女への礼は取らないもの、しかし同じように仕える従者となれば別である。

仕える者が貴族の子女子息であるからこそ、礼は必然なのだ。

たまに考えなしに不遜な態度をとり、後々自分より家柄が上だったと分かるなり頭を下げてくるという者がいる。

貴族とは家柄が物を言うもの。

その絶対な上下関係はひと度王宮に従事すやれば同格、ともすれば役職によっては家柄と逆になることもある。

家柄にこだわる下手にプライドの高い者には務まるものではなく、早々に去ることになる。

その点でいうとナルメルアは及第点はクリアしていた。



使用人口から通されたナルメルアは迎えに来た侍女に連れられ王宮を歩いていた。

妙に視線を感じるのは思い違いではないとすぐに分かった。

ナルメルアを見るためだろう者があからさまに眺めては去っていった。

鮮やかな赤毛に深い碧の瞳、伯爵家の養女にしては毛色が変わっているが、見た目に関しても別段麗しいとも言えない顔立ち。

興味を削がれた使用人は早々に持ち場に戻っていった。

通された部屋には侍女長と名乗るナルメルアより二周り上くらいの女性とナルメルアと同じくらいの年頃の女の子がいた。


先に口を開いたのは女の子の方だった。

「ルシエール・ハミルトンよ。よろしくね」

ルシェと呼んでと気さくに微笑みかけてきたのはハミルトン子爵の三女だ。

ナルメルアより一つ上の17歳。

「わたくしは侍女長のナザレ・ギュリムです。ルシエールについて教わるように」

ルシエールと対極の近寄りがたく神経質そうな長身で妙齢の女性はギュリム伯爵家の子女だ。

歴代王家へ仕えた高官を輩出してきた名家。

ナザレが侍女長という女性貴族では名誉な地位に収まっているのも納得だった。


侍女長から教育係として面倒を見るように言われたルシエールに連れられて来たのは西の外れの棟だった。

ルシエールは申し訳なさそうにナルメルアに声をかけた。

「こんな部屋でごめんなさい。今は侍女用の部屋に空きがなくて…」

聞けばルシエールたち侍女は王宮の中央棟から近い棟に寮が設けられており、この西の外れの棟は国賓用の客室や書庫などが入っていた。

人気もなく通されたのは物置部屋という表現があうような一室だった。

これが普通の伯爵令嬢なら怒り狂うか涙ながらに逃げ帰る待遇だろうが、ナルメルアは気にする様子もなく申し訳け程度に設えられた机に荷物を置くと、

「ルシェ、お仕事について教えて下さいますか?」

と満面の笑顔でたずねた。


養父の悪名は王都についてから噂を耳にするまでナルメルアは知らなかった。

伯爵令嬢という名前で扱いこそ丁寧だったが、シュトレッセンのお嬢さまと掛けられる声からは、探るような嘲るような嫌な感情が伝わってきた。

ナルメルアにしてみれば内心は穏やかではなかった。

確かに養父は変わった人ではあるものの、ナルメルアには神にも等しいチャンスを与えてくれた人だ。

ルシエールに案内された部屋からも、周りがシュトレッセンの名前から持つ感情を理解した。

シュトレッセンの人間にはこれがお似合いでしょ、との扱いがこの部屋なわけだ。

ナルメルアは笑顔の裏で毒づく。

宮廷侍女とはいえ所詮は噂好きの自己顕示欲の高いお嬢さま。

ナルメルアは微笑む。

上等だわと。



王宮に仕えるようになり一週間がたった。

ナルメルアの仕事はこれまでのシュトレッセンの功績から考慮されたのか地味で目立たない内容ばかりだった。

汚れ仕事や体力仕事は下女と呼ばれる者が当てられる。

下女とはいえ、宮仕えができる名誉ある仕事で平民の中では憧れの職種だ。

彼女たちからは仕事に対してのやる気やプライドを感じられる。

宮廷侍女とは床にかしずくことまではせず、貴族子息が仕える侍従ほどの立場も与えられない。

求められるのは貴族という生まれながらに与えられた位と、その生まれに合った品格とも言える。

王宮内の秩序が乱れることがないのも、生まれながらに社交性を身につけ処世術で乗り切ってきた図太い神経も善きに働いているからなのかもしれない。

ナルメルアも伯爵令嬢という立場もあって、表立って楯突くような者はおらず、へつらうような低俗な真似をしてくる者もいない。

しかし、そこは新入りとばかりに誰もがやりたがらないだろう仕事がまわされる。

ナルメルアにはむしろ好都合ではあった。


宮廷侍女の仕事は王家へ仕えること。

それぞれの貴族たちの忠誠の現れでもある。

陛下や皇后妃は侍女とは別に専任の側仕えがおり基本ナルメルアのような経験の浅い侍女は直接お世話を賜ることはない。

また皇太子には専任の侍女がおらず、その席を狙う侍女は少なくはない。ナザレ侍女長の取り巻きなどは特にその意識が強い。

皇太子は身辺への世話に侍女をつけないことで有名で、下手に手を出そうものなら2度と近づくことさえ許されないとも聞く。

だから侍女で皇太子と接見が許されているのはナザレ侍女長ただ一人。

だから侍女長に気に入られ結果的に皇太子への信頼を得ることが皇太子専任の侍女への唯一の道なのだ。

そういう意思のない上級貴族子女、またはその競争から外れた下級貴族子女は『王宮』の使用人の名のとおりの、人ではなく王宮の運営に携わる仕事につく。


ナルメルアが任されたのは自室から近い来賓の部屋の管理と書庫の手伝いだ。

来賓客のお世話にはナルメルアより経験のあるルシェたちがつく。

空っぽの部屋の管理が仕事なのだ。



地味ではあるがナルメルアからしたら願ってもない配属。

特に書庫の手伝いと聞いていてもたってもいられないくらい。

ナルメルアはシュトレッセン伯爵家での懐かしい思い出に思いを馳せた。

「学びなさい。それがお前の後ろ楯になる」

養父であるシュトレッセン伯爵の言葉だ。


王宮の書庫には史書官がいる。

長い顎髭は真っ白で書庫の聖霊と揶揄されるご高齢の御仁。

王都に立派な王立図書館があり、貴重な蔵書もそちらに厳重管理されており王宮の書庫は普段から人気もなく閑散としている。

老史書官は王立図書館へ出向くことも多く、ナルメルアは書物の手入れの仕方を教えて貰ってからは時折留守番を任されるようになった。

仕事に手を抜くのは信条に反するので、仕事が終わってから改めて書庫に向かう。

侍女が書庫の書物を勝手に読んではいけないとは聞いていないものの、ナルメルアは利用に関しては確認を取らなかった。

侍女が書庫に興味を持つとは考えていないだろうから、いちいち許可が必要などと言われたらやぶ蛇。

いざ見つかった場合は、知らなかったので以後気を付けますと謝れば何とかなるだろう。


書庫室から階段を下り廊下の突き当たりにある自室の扉をあけ、燭台に火を灯す。

仄かに揺れる炎に照らされた薄暗い部屋を見渡す。

仕事が終わってから少しずつ不要品を片付け整理して数日、だいぶん居心地のよい部屋に仕上がった。

養父が前もって送ってくれていた荷物も生活に必要なものが最小限入っているだけ、侍女には必要ないだろうからと手荷物も僅かで、身の回りは質素だった。

それを見たルシェが、あまりに飾り気がないのでくれたくまのぬいぐるみがナルメルアの胸を温かくしてくれた。

「あなた本当に伯爵令嬢なの?」

嫌みではなく本心からの疑問を口にしたルシエールにナルメルアは口許を緩めて笑った。

本来なら伯爵令嬢なんてなれるような人間でもなかったのだ。

「ええ、一応はね」


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