第28話 宙を舞うSランク
数メートル程離れ両者は向かい合う。クルツはボクシングのような構えを取っているが、一方の佐々木は足を肩幅に開き、両腕をだらんと下げている。一見何の構えも取っていないその様子に対し、クルツは訝しげな表情を浮かべる。
「うん? 構えないのか?」
「いえ、気にしないで下さい。下手に構えるより、自然体で迎え撃つのが一番僕に合ってるんです」
「そうか、分かった。ではーー始めようか」
言うが早いかクルツは駆け出し、一瞬で間合いを詰め右の拳を繰り出した。普通ならここで慌てて仰け反るか防御をするところだが、佐々木は拳が自らの顔の位置に届くその一瞬前に体を左にスライドさせかわす。そして外側から突き出された腕を掴み、足を払って地面へと転倒させる。
うつ伏せの体勢で倒れ込んだもののクルツは直ぐ様起き上がり、即振り返って再び拳を繰り出す。だが既に予測されており、佐々木は体を反転させ腕を取って背負い投げの要領で背中から地面へと叩き付けた。
「ぐあっ!?」
「まだまだ行きますよ」
「うぉっ! あぶなっ!!」
衝撃でむせようとしたところに踏みつけが迫り、地面を転がって何とか回避する。立ち上がりながら足払いを仕掛けるが、佐々木は落ち着いてバックステップをし難なくかわした。
「ふっ!!」
再び構え何発も放つーーと思いきや、ラッシュの最中に強烈な蹴りを繰り出した。恐らく拳はフェイントで蹴りが本命だったんだろう。
だが残念、佐々木はまたもそれを見切っており、予め一歩引いてかわし浮いたかかとを下から更に持ち上げ、クルツの体を一回転させ再び地面へと叩き付ける。苦悶の声が上げながらも佐々木の足首を掴もうとするが、苦し紛れの攻撃が通用するはずも無くまた距離が空く。
尚も立ち上がり、攻撃を仕掛けるクルツ。しかし今度もかわされ、顔を掴まれ足を後ろから払われ、地面へ投げられるかのように仰向けに倒された。攻めているのはクルツのはず、だがそのことごとくが軽くあしらわれるといった状態が、何度も何度も続いていく。
「あーあー、こりゃ完全に遊ばれてんな」
「さ、沢渡君。あれが合気道っていうやつなの?」
「ああ。相手の力に自分の力を上乗せしてカウンターを行う、古武術の一つ。実際に使える奴はそう多くないけどな」
「名前を聞いた事はあるんだけど……ここまで一方的になっちゃうものなの? 手も足も出てないように見えるんだけど。いや、実際は凄い動いてるけどさ」
「仕方無いさ。色々調べてみたが、この世界は俺達のいた日本とは違って正式な武道なんてもんは存在しちゃいない。ましてや相手の力を利用するなんて概念、自然に思い付く奴がいるかどうか。……かわしたり剣でいなす事はあっても、基本は力一辺倒。合気を前にしちゃ相性最悪だ」
まあ魔物相手にそんなもん身に付けてもほぼ意味無いから、まともな武道が育たなかったのも当然っちゃ当然だがな。いつか出会うかもしれない暴漢や盗賊を、怪我をさせずに捕まえる事を想定して鍛練する暇があるなら、少しでも剣を振ったり魔法を練習したりするはずだ。
街の人間や冒険者達を見てみても、相手の攻撃をさばく体術は身に付けてる奴はちらほらいるが、格闘術となると十分に使える奴なんて殆どいない。ギルドの教官は冒険者の実技試験があるし、騎士達は犯罪者を生きたまま捕まえなきゃいけないから仕方無く身に付けてるだけで、一般の人間はわざわざ素手で戦おうなんて思いもしないだろうな。だって魔法で殺した方が早いんだもの。
「な。心配する必要なんて無かっただろ?」
「確かに……むしろ何度も叩き付けられてるクルツさんの体の方が心配になるね。というかもしかしなくても、沢渡君も合気道使えるの?」
「無論だ。まあこっちの世界に来てからは殆ど使わなくなったけどな。魔物相手に使えないし」
「でも人と戦う事も何回かあったでしょ? その時には使わなかったの? ほら、騎士団の人達と戦った時とか結構投げてたじゃん」
「あれは合気じゃなくて、単にひっ掴んでぶん投げてただけだ。腕が落ちてないか試しに一回使っただけで、それ以外は全く。合気道ってのは護身術みたいなもんだからな。単純な力量で劣ってないと使う必要自体無い」
「あー……それはそうだよね。かなり強いはずのクルツさんにすら普通に勝っちゃうんだから、真っ向から戦った方が早いのか」
八雲の言う通り、正直言って普通に戦って普通にぶん殴った方が楽だし早い。俺が合気を身に付けたのは、あくまで元の世界で相手になってたのが俺よりずっと強い人達だったからこそ。
武術面で上を行く奴と未だに会っていないこの世界じゃ、必然的に出番も無くなるってわけだ。元の性能からして違う獣人族や鬼人族と戦うことになったら使うかもだけど。
「だな。あとは単に調整がめんどい」
「調整?」
「佐々木は今普通に使ってるが、あれは相手であるクルツが素手だからこそ実現してるんだ。この世界の戦闘は基本的に武器を用いた時だし、何も考えずに投げたり転ばしたりしてると武器が刺さって相手が死ぬからな。ただでさえ打ち所が悪けりゃ死ぬんだ、それを更に配慮するってのはめんどくさすぎる」
この世界に来てから相手にした人間と言えば、騎士団連中に実技試験の時のパーティ、あとクルツのみ。殺したらヤバい相手だったりシチュエーションだったりしたわけだし、そう易々と使えるわけではなかったのだ。試験の時やったのは今さっき言った通りあくまで試しだし、やった後に「自分からわざわざ気にかける要素を増やすってアホらしいな」と後悔したから、必要がなけりゃもう二度とあんな事をする気は無い。
「それに、達人レベルの相手と武器での戦闘やってる時なんかは、変に素手使おうとすりゃ肘辺りから先が無くなるからな。だから使うとすりゃ、双方が素手の場合、もしくは相手を殺しても良い場合だけだ」
「殺っ……!」
「ん? どうかしたか?」
「いや、その……凄い事をサラッと言うんだなって。魔物ならともかく、人を殺すなんてこと、私達は考えもしないから……」
説明をしていたら、八雲が突然俯いてしまった。ってそうか、現代社会の中に生きていたこいつには、少しばかり刺激が強いワードだったか。
「なあ八雲。聞きたくないかもしれんが聞け」
だが俺は言葉を続ける。このまま放っておけば、いざって時こいつは行動を躊躇ってそのまま死ぬだろう。それは俺としても寝覚めの悪い事だし、ならば今の内にその道を潰しておかなければならない。
「殺人に抵抗を持つのは分かる。というか、現代に生きていた以上、それは持って然るべき感情のはずだからな。……だがここは異世界、命の価値が軽い世界だ。盗賊に襲われて死ぬってのも良くあることらしい」
「! そう……なんだ。やっぱりそういうのもあるんだね」
「人ごとみたいに言ってるように聞こえるが、全くそんな事無ぇぞ? この世界に来た以上お前だって例外じゃない、今日の帰りにも襲われて死ぬかもしれないな。……そうなった時、お前はどうする? 勿論知り合いが誰も側にいない事を仮定してな」
「そ、そういう時は魔法で……いや、ダメだ。精霊魔法じゃ死んじゃう。なら追い返す?」
「相手はこっちを殺すつもりで来てるんだぞ? そう易々と引き下がるか?」
「確かに。じゃあえっと……どうにかして捕まえる?」
「相手も素人ばかりじゃない。しかも確実性を高めるために、自分が有利になるタイミングで仕掛けてくるはずだ。それを捕まえられる自信がお前にあるのか?」
「……………………」
その後もいくらか問答を繰り返すが、全ての案が俺に反論されて終わり、黙りこくってしまう。分かってはいたことだが、こいつが出した案の中に相手を殺すという選択肢は存在しなかった。
「もう言わんでも分かるよな? 相手が自分の命を狙ってる場合、どうしても殺すっつー選択肢は視野に入れなくちゃならない。この世界の住人は皆やってることだ」
「それは……でも、私には……」
「別にいつもやれとは言わん。殺人なんて、避けられるに越した事は無いしな。……だが、やらなきゃいけない時ってのは必ず存在する。その時には全てを振り切って力を振るえ。躊躇ったが最後、大事なもん無くす事になるぞ」
「……沢渡君。今の言葉、やけに実感がこもってるけど、それって」
「いや、俺の話じゃない。俺の知り合いのそのまた知り合いの話だ」
昔、爺ちゃん達に任務関連の話を沢山聞かされた。疲れきってはいても痛みで寝れない時、子守唄代わりに色々聞いたっけ。
今八雲に話したのは、爺ちゃん達の親友である例の長官の若い頃の話の結末。エージェントとして駆け出しだった頃の事らしい。
「その人は暗い夜道、婚約者と家に向かっていたんだと。そんな時、突如通り魔に襲われた。揉み合いになった末刃物が相手の心臓に刺さるとこまで行ったが、人を殺す事を恐れたそいつは怖くなって力を緩めちまったらしい。その隙に抜け出されて……結果的に婚約者は殺された」
「そんな……!」
「元の平和な世界ですらそうなんだ、この世界はその比じゃない。だから八雲、いざという時には覚悟を決めろ。それがお前や、お前の周りの人間を助ける事に繋がる」
「うん……全然自信無いし勇気も無いけど、その時は頑張ってみる」
「ああ、その意気だ。そうでもしなきゃ、この世界は生きていけない」
ちなみにその長官、婚約者という大事な人間を失ってから、人の命を奪うのに一切の躊躇いを持たない残忍な暗殺者へと変貌を遂げたらしい。まあだからこそ、爺ちゃん達の親友にも組織の長官にも成り得たんだけどな。爺ちゃん達初めから殺しまくってたみたいだし。
それから十分程経過。途中から合気を理解して対抗しようと色々調整を加えているところが窺えたが、そんな一朝一夕で攻略出来るほど甘いもののはずもなく、戦況は何ら変化を見せていなかった。だが双方結構息が上がっているところを見ると、そろそろ終わりそうだな。
佐々木はともかくクルツは体力的にもっと動けるはずなのだが、何度攻撃しても通らない事からの精神的な負担と、痛みが走る中でも動き続けてる影響で、普段以上にキツい思いをしてるのだろう。身体強化は今回使用禁止だし。
それに、恐らく強引に突破しようとして、ある程度無理をしてしまったんだろう。俺に負けてから鍛え直してはいるみたいだが、まああいつも歳だしな。自分の思うように体が動いてくれるはずも無い。
そんな中、遂に決着が訪れる時が来た。佐々木が攻撃を払うタイミングをミスって、腕を掴まれてしまったのだ。クルツも息を荒げながらも口角を上げている。
しかし次の瞬間、佐々木は大外刈を仕掛けてクルツの体を宙に舞わせ、着地と同時に腕を回し掴んでいる腕を思いっきりひねった。苦悶の声を上げ一瞬動きが止まったところにはだか締めを仕掛け、腕を叩いてギブアップが示されたところで勝負は終了した。あのひねる奴痛いんだよな……俺も昔良くやられたわ。
安全を確認し、戦闘を終えた二人に近付き会話を再開する。クルツはあちこち痛めているが、八雲が治癒魔法をかけているのでほっといても問題無いと思う。俺とやり合った後に笑い出すような奴でもあるし。
「……ふむ、割と長引いたな。攻撃が通じないならもっと早く諦めるかと思ったんだが」
「げほっ、げほっ……。まさかここまでとは、恐れ入った」
「私もビックリしたよ。沢渡君だけじゃなくて、佐々木君もあんなに強かったなんて」
「それほどでも無いーーと言いたいところだけど、これでも実家の柔術道場の師範代やってたからね。あれくらいは出来ないと」
「てことは、順調に行けば師範になってたって事か?」
順調に行けば、すなわちこの世界に呼ばれなければ、ということ。佐々木はその意味を汲み取ってくれたらしく、けれども首を横に振った。
「いや、無理だよ。僕は何があっても師範にはなれない」
「難しい試験があって、それが突破出来ないってこと?」
「ううん。修哉君なら分かると思うんだけど、柔道と柔術は名前は似てても中身は全く違うんだ。投げ技を中心とした格闘技で、反則とかそういうのがあるのが柔道。対して投げ技は勿論のこと、武器の技能も扱って戦場を生き抜くために用いられた技術っていうのが柔術。僕らの時代にはもう戦国時代の戦みたいなものは無いけど、技術自体は残っててね。それを受け継いでるのがうちの道場なんだ」
「なら、武器の技能を身に付ければ良いだけの話なんじゃないのか? 道場とやらの仲間は勿論、教われる人間は周りにいたんだろう?」
「あー……クルツさん、それが無理なんですよ。人の有無じゃない、僕に武器ーー特に刃物は扱えないんです」
そう言いながら、やれやれと言った様子を見せる佐々木。そういやさっきギルド長室でも、近くに置くのも嫌だって感じで身に付けていた剣を即行で外してたっけ。使えないというのなら、あれはナメられないための見栄とかそんなんなんだろうか。
「昔色々あってね。包丁を持つ程度なら大丈夫なんだけど、刃物を人に向けるっていうのが出来なくなっちゃったんだ。やるとどうしても手が震えて、まともに戦うことも出来なくなる。向けられるのは平気っちゃ平気なんだけどね」
「つまりはトラウマか。そりゃま、刃物なんて扱えるわけもないな」
「うん。だからこそ、道場の中で唯一僕は合気に特化したんだ。その実力を買われて師範代に任命されて、でも柔術を極めることは出来ないから師範にはなれないってわけ」
「騎士さん達と訓練してた時、一方的にやられてたのはそれが原因だったんだね。遠くから見てもおかしいとは思ってたんだけど」
「……お前、精霊魔法あって良かったな。じゃなきゃ終わってたぞ」
「うん、本当にね……」
はぁ……とため息を付く佐々木を前に、誰もそれ以上突っ込もうとはしなかった。過去に何があったのかは知らないが、他人の過去というものはそう簡単に背負えるものではない。それを分かっていたからこそ、誰も聞こうとはしなかったのだ。
「ーーで、クルツさん。合否は」
「だから何でそこを今更気にするんだ。私に勝っておいて不合格などにするわけがないだろ。剣を使えないというのは少し危なっかしいが、精霊魔法もあるし大丈夫だろう。てことで二人とも、後でGランクの冒険者証を発行するから、これからも励んでいってほしい」
「……ああ。そこはやっぱFじゃなくてGなのな」
「君はあくまで特例だったからな。見た感じこの二人は、実力はあれど色々と経験が足りないようだし、まずは冒険者としての基本事項を押さえていってもらいたい。Gランクっていうのはそのための期間だからな」
「分かりました、頑張らせていただきます」
「うむ。ではそろそろ戻るとしようか」
四人揃って建物へと戻り、受付に試験合格の旨を伝える。クルツとはそこで別れることとなり、貼り出された依頼を確認などして時間を潰していると、諸々の用事が終わったのか二人が近付いてきた。その手には木製のカードが握られている。
「Gランクのギルドカードか」
「うん。最初見たとき強度が不安だったんだけど、意外としなやかな素材みたいだね。これなら壊れる心配はあんまり無さそう」
八雲が見せてくるそのカードを鑑定眼で見てみると、確かにスギヒノキという名のしなやかな木材で出来ているらしい。俺はFランクから始めたから良く分からなかったが、流石に適当に木を切って渡すほどギルドも酷くは無いか。
……てかスギヒノキて。何かはっきりしない名前というか、春に嫌われそうな名前というか。
「……さて。それで、修哉君はこれからどうするの?」
「適当な依頼受けて、二~三日したら城に戻るつもりだ。お前らは?」
「考え中。依頼を受けるのは勿論だけど、どれくらい外にいるのかまではね」
「そうか、まあ精々頑張りな。だが、少なくとも二週間後には一旦城に帰ってこいよ。上手く合流出来なくなるからな。あとーー」
「分かってるって。夜の街は危ないから気を付けろ、でしょ? 何度も言われたから覚えてるよ」
「なら良い。それじゃ」
用紙を一枚剥がし、仲良く依頼を選ぶ二人に背を向けその場を後にする。ここからはしばらく別行動、何故ならGランクは上のランクの者とパーティを組むことが出来ないから。今までずっと別だったんだし、ここからって言うのは変な気もするが。
試験により俺がすっ飛ばしたGランク、実は正式な冒険者というわけではなく仮免のようなものなのだ。そのため他ランクとは違い色々制約が存在するのだが、その一つが今言ったパーティのことである。
Gランクは冒険者としてのいろはを身に付ける期間、なのに高ランクの冒険者と組んでしまってはそちらに頼りきりになる場合も起こってしまい、設けている意味が無くなってしまう。そこでギルド側は、Gランクは単独推奨、パーティを組むとしても同じGランクのみ、と定めている。このため俺は二人には同行することが出来ない。
……まあ、規約が無くとも初っ端から手伝うつもりは無かったけどな。物事は始めが肝心、そこで余計な手を入れるわけにはいかない。というか正直めんどくさい。俺だって暇なわけじゃないし。
いくら現代っ子とはいえ、基本知識は教えたし大丈夫だろ。つーかそんくらいやってもらわなきゃ困るし、ここでつまづくようなもんならそれまでということ。俺が昔された荒療治なんかに比べればイージモードも良いとこだ、これ位は乗りきってもらおう。
そんなこんなで、二人は無事冒険者としての道を歩み始めた。試験の様子を見ていた教官や冒険者達から、またヤバい新人が現れたという噂が広まったのは言うまでも無い。
ーーそして五日後の夜。俺はベッドの上で能力生成発動の準備を着々と進めていた。
今回作るのは魔力回復。俺は未だに出来ないが、修練を積めば魔力の回復速度を微量ながらも上げられる。能力生成は大元の原理さえ存在すれば問題ないらしく、その程度は一定の限界値までなら自由に操る事が出来るから、生成した能力なら魔力の大幅な回復が望める。
魔力の自然回復速度はかなり遅い。これから魔法を鍛えていくにあたって、この能力は必須級のものとなるだろう。ならば、作らない手などどこにあるだろうか。
「ふぅ……」
少々昂ってしまった気分を落ち着かせ、意識を集中させる。喜ぶことなど後にすれば良い、今はイメージをしっかりと固めなければな。
そうして能力生成を発動させ、体力と魔力が抜き取られるあの感覚に備える。さあ、これで明日からーー
「…………え?」
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