第24話 生還
「ワン、ワンッ!」
「…………あん?」
すぐ近くから聞こえてくる高い鳴き声に気付き、重い瞼を上げる。空はオレンジ色に染まっており、既に夕暮れ時になっていることが伺えた。
続いて濃い血の臭いを感じ、鈍っていた意識が一瞬で覚醒する。そうだ、確かヒュドラに止めを刺して、死んだのを確認したと同時に力尽きてーー
「ーー痛だだだだだだだ!!! ちょっ、が、あぁ……」
慌てて体を起こした直後、全身に激痛が走り悶絶する。特に左腕の痛みが酷く、歯を食い縛り痛みに耐えながら目を向けると、赤黒く炎症を起こしており腫れ上がっていた。触腕に吹っ飛ばされた時地面に打ち付けた脇腹も、程度は違えど同じような症状だった。
「ぐ、ぬうぅ……狂化ァ!!」
ホルモン分泌で痛みを軽減し何とか立ち上がる。体力も考え全開ではないので完全には消えていないが、まあこれくらいなら大丈夫だろう。というか全開にするとまともに会話も出来ないし。
周囲を見回すと、夫婦のみならず子供までもが俺を取り囲み心配そうな目を向けてきていた。最大の危険因子であるヒュドラが死に、安全が確保出来たからこそ出てくることが出来たのだろう。
「クゥン……」
「ああ、心配すんな。こいつは単に俺の力不足が招いたもんだからな」
「オン…………」
「……いや、何でお前らが落ち込んでんだよ。自分のせいとか思ってんなら勘違いも良いとこだぞ? 俺自身が立てた作戦でこうなった、なら普通に自業自得だろ。別に俺一人がボロボロになってるわけでもないしな」
整った毛並みを持っていたクロトとシズク。だが戦いを終えた今となってはあちこちが傷付いており、ブレスの影響か一部焼け焦げてもいた。重心がずれているところからも、恐らくどこかを痛めているのだろう。
治してやりたいところだが……まあ治癒魔法が使えない俺にそんなこと出来るはずも無いか。もし出来てたら俺自身の怪我だってとっくに元通りになってるし。
「つーか、もうこんな時間なのか。長時間寝こけてて悪かったな。添え木をしたいから、すまんが丁度良い大きさに木を切ってくれねぇか? 折れた大剣だとやりづらくてな」
「オン!」
作業を任せている間に俺は洞窟へと戻り、荷物の中から着替えとタオルとして使っていた布を取り出す。そして一家の所へ戻り、シズクの水の魔法で布を濡らし全身を拭いた後応急措置をした。戦闘の最中にヒュドラの血を全身に浴びていたため、この姿のまま街に戻ると大騒ぎになってしまうからだ。
唯一運が良かったのは、状態異常耐性が常時発動出来る異能だったということだろうか。数ある異能の中でこれだけは、発動時ではなく無効化する時のみに効力を発揮し体力を消費するものであり、常時発動が可能かつとっさの攻撃や罠などにも対応する事が出来るので、よほどの事が無い限りは寝ている間も発動しっぱなしだったりする。もしそうでなければ、意識を失っている間に血と共に浴びているであろう毒で確実に死んでいたな。
ある程度問題なく動けるようになり、その流れでヒュドラの剥ぎ取りを行った。といっても無事な部分など殆ど残ってないから、潰れた頭から眼球と牙と少量の血液を抜き取った位のものだが。あと触腕の一部もか。
まあこれでもそこまで問題は無いだろう。ヒュドラの討伐証明部位なんて知らないし、仮に知っていたとしても再生しまくるあいつの素材を持ってったところで倒したかどうかなんて判断出来ない。
後々ギルドの職員を派遣してもらって、この死体そのものを見てもらうしか無いだろう。それまでに森の魔物に食い尽くされてなければ、の話だが。
全ての作業を終え、洞窟に戻りそのまま一夜を過ごす。明くる日の朝、俺達は全員揃って外に出てきていた。
背後には洞窟ーーではなく、塞がれたような痕がある岩肌が存在していた。ゴブリンの巣穴となっても困るため、俺が昨夜シズクに頼み今の今まで土魔法で頑張って塞いでもらっていたのだ。
ステータス見てたから既に知ってたけど、人間でも勇者達含め八人しかいないはずの三属性者がまさかこんなところにいるとは。そもそも洞窟自体ここに来たときにシズクが作ったものらしい。道理で造りが真新しかったわけだ。
洞窟を塞ぐ、それはつまりもう使う事は無いということ。危険な存在は消え、けれども少ししたら人間達がやってきてしまう。というわけで、俺が帰ると同時に一家もここを去ることになったのだ。
元々ヒュドラがいたからこそ一家も移動を渋ってたわけだし、倒したのであればこうなるのは当然。今はまだ無いが、いずれ血の臭いを嗅ぎ付けて魔物達が集まってくるだろうし、そうなれば立ち去るのも難しくなる。今のうちに移動するのが一番良いと判断し、一家との話し合いでもそんな感じで結論が出たのだった。
まあ去るとは言っても、街に戻るまでの間は一緒にいる予定なのだが。俺の目的地は南西方向のキュレム王国、そして一家が向かうのは南方。なので、そのついでにと森を抜けるまで護衛を頼む事にしたのだ。
今の俺は片腕が使えない上に満足な武器も無く、魔石もヒュドラ戦で使い果たしてしまった。そんな無防備な状態で一人で帰れると考えるほど俺は自惚れてはいない。
ゴブリン程度なら右腕で絞め殺したり投げナイフで喉を切り裂いたり出来るだろうが、例えばCランク魔物とか出たらそこで終了してしまう。せっかくヒュドラに勝って生き残れたのにその結末は有り得ないので、迷惑をかけてしまうと思いつつ頭を下げたのだった。快く了承してくれたのがせめてもの救いだろう。
背中に乗って移動出来ればそれが双方にとって一番良かったのだが、重ねて言うが今俺は片方しか腕が使えないので、その要望が思い通りに叶う事は無い。もしやるとしてもゆっくりと移動することになり、むしろ自分で走った方が速いという結果になるだろう。もどかしいが仕方無い。
ちなみに何で南方なのかと言うと、他の方面は明らかにアウトであり南が一番安全だから。北は海に近い故魔族の被害が多く、西はキュレム王国やスラーンド王国があるため討伐命令が下るのは必至、東のグレイス平原は言わずもがな。
勿論南にも国はあるが、ここほどでは無くとも森なら沢山ある。そこに移り住めば十分安全に暮らせるとして、一家を説得した時に提案しておいたのだ。その先の状況までは分からないが、まあこの一家なら何とかやってくれるだろう。
ーーそして五日後。俺達は森を抜け、草原へと辿り着いていた。遥か遠くには、キュレム王国の王都であるシトロンを囲む城壁のようなものも見える。
「ここで大丈夫だ。見晴らしも良いし、危険な気配もしない。ここより先は、一緒にいるとお前らが人間に攻撃されちまうかもしれないしな。」
「……オン」
言葉は分からずとも雰囲気で別れを察したのか、子狼達は寂しそうな顔をしながらすり寄ってきた。夫婦も俺の怪我を気にして近寄ってはこないものの、同様の雰囲気をまとわせている。
恩人的な立ち位置でしか無かったのが、この五日間で更に距離が縮まったからな。予想通りに出現した魔物から守ってもらったり、狩った動物を一緒に食ったりしてたし。
だからこうなるのも分かるが……やはり連れていくわけにはいかない。ここからは人間の世界であり、更に俺はその中でも冷遇されている身、俺と一緒にいたところでロクな目に会いはしないだろう。
「……じゃあな。元気でやれよ」
「「「「オン!」」」」
一家に背を向け歩き出す。厄介な事に少々情が移ってしまったようで、途中何度か振り返りそうになったが、それを堪えてひたすら前へ進む。
一家には本当に色々と助けられた。もし出会っていなければ、この一連の事件が解決することは無かっただろう。ロックワームにしろヒュドラにしろ、俺一人では普通に殺されていたはずだ。
助けられた事への恩を忘れずに、この先の戦いも無事に切り抜けて生き残っていこう。そう心に決めつつ、俺は街へと帰還した。
ガチャッ。
「おお、シュウヤ君! やっと帰っ……て…………」
ギルドの扉を開くと、そこではいつもの如くクルツが食事を取っていた。声をかけた俺へと全員の視線が集まり、そして揃ってフリーズしていく。一瞬あらゆる音が消え失せ、カラーンカラーンとスプーンやフォークが落ちる音だったり、バサッと書類が床にバラ撒かれる音だけが建物内に響き渡る。
「久しぶりだな、クルーー」
「ちょぉぉっっと待てぇぇぇええええええええ!!! 一体何があった!? 何なんだその大怪我は!!」
「え? ああ、これのこと?」
そうか、怪我を見て皆止まったのか。この六日間ずっとこの恰好だったから、すっかり痛みにも慣れてこれが普通だと思い込んでたわ。良く良く考えれば異常じゃん。
……痛つつ。何か意識したら痛み増してきた気がするわ。現代医療術を知ってるとはいえあの場じゃ出来ることも少なかったし、こりゃ早目に治療受けた方が良いな。
「……あれ? というか武器はどうした? 大剣を運びにくいのは分かるが、剣すら持ち歩かないのはいくらなんでも不用心では……」
「仕方無いさ、全部耐えきれずにポッキリ逝っちまったからな。おかげで完全に丸腰だ」
「…………はい?」
ここへ来てクルツも完全にフリーズしてしまった。このままでは困るので、無事な右腕で肩を掴み揺さぶって意識を取り戻させる。
「色々と報告しなきゃならんことはあるが……まず医務室に連れてってもらっても良いか? 後で代金は支払うから、魔法で傷を治してもらいたい。完全に治るかどうかは分からんが、とりあえずある程度は痛みを緩和させておきたいからな」
「お、おお。分かった、こっちに来てくれ。……あ、そこの君! すまんがそこの飯はそのままにしておいてくれ!」
どうやら残りは俺の治療中に改めて食うつもりらしい。良かった、もしここで捨てとけとか口にしてたらぶん殴るところだった。食材は無駄にするなって一葉婆ちゃんに散々教えられてきたからな。
「そ、それで……腕はどうなんだ? 痛みは?」
「そこそこ痛いが何とか我慢出来る位ではあるぞ。問題は全身だな。あちこち抉られた部分が服に擦れてちょいとキツい」
「全身!? というか抉られたってどういうことだ!? 後で色々話を聞かせてもらうぞ!」
「はいはい……」
こんな騒がしい姿初めて見るな。少々鬱陶しいが、それほどこのボロボロの姿にショックを受けてるってことだろうし、ありがたいことではあるな。城の俺を卑下してくる連中なんかが見たら手を叩いて喜びそうだし。
(……あっ。やっべ)
城で思い出した。クルツですらこんな風になるのだ、サーシャの奴が見たら卒倒しかねない。怒られるのは確実だろうが、せめてそんなにショックにならないよう粗方治してもらいたいものだ。
そんな事を頭の片隅で考えつつ、けれどもこうして生きて帰ってこれた事に対する安心感を覚えながら、クルツに先導され廊下を進んでいく。こんな事を考えられるのも、ボロボロになってはいても生きてるからこそ、だもんな。
周辺諸国をも巻き込み一度終結したと思われた大事件は、こうしてヒュドラという災厄の死滅と一つの謎と共に今度こそ幕を閉じた。そしてこの一件こそが、俺が次のステージへと進む鍵となり、また結果的に俺の命をも救うことになったのだった。
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