第32話 油断の末路
何で新しくシリーズ作る時の初期設定って「誤字報告を受け付けない」なんでしょうかね。
[誤字報告お待ちしております]とか書いてたっていうのに、こないだ受け付けない設定になってるの知って戦慄する羽目になったんですが( ̄▽ ̄;)
#######################
「ようやっと一体目か……全然いねぇ。まあもう大分寒くなってきてるし、仕方無いか」
季節は冬の始め頃。この時期動物達の多くは既に冬眠の準備を始めているはずであり、そのため姿が殆ど見られなかった。おかげで夏とは違い、森の中は非常にひっそりとしている。
今しがた倒した猪ーーもとい鍋用の食糧だって、昼食後の運動がてら二時間程野山を駆け回ってやっと手に入ったものだ。兎とかならある程度見つかったのだが、猪だけは何故か全然見当たらなかった。確か爺ちゃん達も猪がいないのなんのって愚痴ってたな。
うーむ……これ以上浅い所を探しても、大物はそうそう見つからないかもしれないな。
「ぬんぎぎぎぎ……! ……ふぅ。おし、やっと出来た」
頸動脈を切り根性と滑車の原理を利用して木に吊るし、血抜きの処理を済ませ一息つく。爺ちゃん達は猪程度簡単に吊るしていたが、いくら鍛えているとはいえ俺はまだ七歳なので、純粋な力だけでそんな芸当は出来ない。
……さて、これからどうしようか。辺りに気配は感じないから狩りはそんなに出来ないだろうし、かといってこのまま走り回るっていうのはいつもの訓練と変わり無いからつまんないし。
「せっかくの休日だし……今日はもう少し深い所まで入ってみるか。爺ちゃん達からは奥深くは行くなって言われてるけど、まあちょっとなら大丈夫だろ」
地獄の修練が続く毎日ではあるが、一週間の内唯一日曜の午後だけは、気分転換と称し自由に狩りをする時間が与えられている。それでも行く許可が出ているのは麓から見て浅い部分だけなのだが、大物を狩りたいという気持ちや奥地に対する好奇心には勝てず、特に見張られているわけでも無いので悠々と歩を進めたのだった。
進んでいくにつれ辺りはより鬱蒼としており、まだ日は出ているというのに大分薄暗い。時間が経てばより暗さは増し、夜ともなれば帰れなくなることも有り得そうだ。最近日が沈むのも早くなってきたし、こりゃ考えてたよりも早く引き上げた方が良さそうだな。
……まあ、それは良いとして。
「おー……やっぱし奥地は凄ぇな。数が全然違うわ」
気配を探ると、いきなり複数の反応が引っ掛かる。生憎正確な距離までは分からないが、この調子ならすぐに大物も見つかるはずだ。
木々の間を跳んでいくと、様々な獣の姿が見える。猪に兎に狸に狐……確か二~三十年前までは僅かでも人の手は入っていたはずだが、完全に放置されてから随分とサファリパークチックになったものだ。
だけど……こういうのじゃないんだよなぁ。確かに獲物にはなるけど、俺が今会いたいのはこういった奴らじゃ無い。もっとこう、大きな奴なんだ。例えばーー
(……ん?)
ふと立ち止まり感覚を研ぎ澄ませると、遠くから木々が倒れる音と振動が感じられた。声までは聞こえないが、獣同士が争っているのは確かだろう。
そして、木々を倒せる程ともなれば……ターゲットであることは明白だ。
「キタァ! おぉっし、待ってやがれ!」
枝から飛び降り、全速力でその場所へと向かう。途中何体か獣がこちらの存在に気付いたが、構わず突っ走る。サバンナの猛獣でもあるまいし、危害を加えず遠ざかっていく奴相手にわざわざ追ってくる程の根性は無いだろう。まあ、来たら来たで遠慮なく食糧に変えさせてもらうが。
気配を追い辿り着くと、そこには一頭の熊と二体の猪がいた。猪は片方は既に息絶えており、もう片方は熊と対峙している。
とばっちりが来ても嫌なので、気付かれない内にするすると無事な木に上り、高見の見物をする。熊は鼻は良いが目はあまり良くないはずなので、目の前の猪に集中してる以上俺の姿を確認出来てはいないはずだ。
「つーか……何だこの状況? 何で熊と猪が戦ってんだ? 特徴的にヒグマに見えるけど、ヒグマが食うのって鮭とか鹿とかが基本なはずなんだが……」
辺りにいなかったからやむ無く猪を襲った……って風じゃないな。見た感じ肥太ってるし、わざわざ主食でもない猪を襲うとは考えにくい。
……いや、そうとも限らないか。もしかしたらこの熊は猪を主食にしているのかもしれない。過去の事例として、人間の味を知った熊が以降人間ばかりを襲うようになったっていうのもある。それと同じパターンなら、偶然猪の味を知って好物になって、それから食いまくるってことも考えられーー
ちょっと待て。麓付近に猪が見当たんなかったのって……まさかこいつのせい? こいつが食いまくったからいなくなったの?
「おのれ……許すまじ! 熊鍋にして食ってやる!」
俺が熊に対し執念を燃やしていると、その直後とうとう猪が熊の爪の一撃を受け倒れ伏した。突進で怯ませたり逃走を計ったりしていたが、流石に熊相手にはどうにもならなかったようだ。南無。
そして熊は俺に対し完全に背を向け、呑気に猪を食べ始めた。食事に夢中で、気付いているのかいないのかは知らんがこちらの存在などまるで意に介していない。
怒りを胸に秘めつつ気付かれないように、気配を消しつつ木を降りる。そして一気に肉薄し、熊の後ろ足をナイフで切り裂いた。
「グォォオオオオ!!??」
「婆ちゃんのぼたん鍋が好物の俺を前にしてその態度……良い度胸してんじゃねぇか! ぶっ殺す!」
厚い毛皮と脂肪に阻まれ大したダメージは与えられなかったが、別に構わない。一発一発は小さくとも、積み重ねればそれは大きなものとなる。
突然の襲撃に対し未だ体勢を立て直せていない熊に対し、俺は次々と攻撃を仕掛けていく。一発目で与えた傷に重ねるように大量の斬撃と刺突を打ち込み、やがてその足からは力が抜け膝を折り、完全に体勢を崩す。多分腱が切れたのだろう。
同じように反対側の足も攻撃し、逃走を防ぐ。仮にナイフが一本だったら相当時間はかかっただろうが、膂力が小さい俺は爺ちゃん達とは違い、狩りの際は両手にナイフを持ち手数で攻める戦法を取るので問題は無い。
まあその分一気にではなくチマチマ殺していくというえげつないことにはなっているが、そこら辺は我慢してもらおう。いきなり急所攻撃しようとしたら反撃にあうことは目に見えてるし。
さて、次は前足を沈めるか……と思って正面に回ろうとしたところで、ちょっとした違和感を覚える。
(こいつ……やけにでかくないか?)
ヒグマというのは、大きさは二メートル前後が平均であり、大型のものでも二メートル八十かそこらなはず。だが、この個体は軽く見ただけでもゆうに三メートルを越えている。
天敵という天敵がいない場所では、生物は得た栄養を成長に回し過剰に大きくなる傾向がある、というのを聞いたことがある。基本的に草食動物に見られるものだった気がするが、同じ生物である以上熊にだってそれが起こってもおかしくはない。
まあ普通は起こらないんだろうが、他の熊と違い猪を主食とするのなら、餌が被らず他の熊と争うことも無くなるだろう。現代の熊にとっての最大の敵とは同種か人間なのだから、実質的に天敵が少なくなっていると言っても過言ではあるまい。
俺はそう結論づけた。いや……そこで推測を止めてしまった、と言った方が正しい。
体が大きいということは、つまりはその分生命力が強いということ。その時の俺はそれを十分に考慮せず、普通に戦ってしまった。確かにそれは他の熊に比べて僅かな差だったかもしれない。されど差は差であり、俺はそこを軽んじてしまった。
「ふっ、ほっ!」
繰り出される爪をかわしつつ、支えにしている側の腕を切り裂く。ここさえ落としてしまえば、もうこいつは満足に動くことは出来ない。そして肘が折れ曲がるその一瞬前に脇から手を滑り込ませ、片方のナイフを立たせつつそっと置き手を引き抜く。次の瞬間熊は倒れ込み、自らの重みでナイフの刃が体に深々と突き刺さった。
「グルォォオオオオ!? オオォォォ……」
苦しみからか無事な方の前足で宙を掻くが、それもすぐに止まった。心臓にまで達したのだろうか、息も絶え絶えといった様子である。
刃渡りの長さ的に致命傷を与えられるかどうかは分からなかったのだが、どうやら成功したようだ。力の弱い俺が決定打を与えるには、これともう一つの方法しか無かったからな。
「さて……そんじゃもう終わらせようか。無駄に時間かかっちまったせいで、もう大分暗くなってきちまってる。遅くなるわけにはいかないし、さっさと決着つけさせてもらうぜ」
近くの木の幹を蹴り高く飛び上がりつつ、三本目のナイフを抜き再び両手に武器を構える。そしてそのまま回転しながら熊の首目掛けてナイフを振り抜いた。
もう一つの方法ーーそれは脊髄を破壊すること。どんなに屈強な獣だとしても、動物である以上脳からの指令で全身を動かしている。ならば動けなくするには首に一撃を与え、脊髄を切断してしまえば良い。
ただし、成人ならまだしもまだ幼い俺では熊相手に腕の力だけでそれをするのは不可能。なので、宙を舞い重力を利用して、全体重を首目掛けて一点集中させる。
(これで……終わりだ!)
相手はもう瀕死で満足に動けない。反撃なんて繰り出せるような状態じゃない。だから大丈夫……そう油断していたからこそ、その後に起こったことに俺は対応することが出来なかった。
「グ……ォオッ!」
「ーーえ?」
動けなくなっていたはずの熊が突如起き上がり、落下中の俺に対し爪を振るってきた。身を捩ってかわそうとするも、予想外の事態に一瞬硬直してしまい反応が遅れーー結果、胴体の肉が熊の爪によって深々と抉られることになった。
だが、それでも尚俺がナイフを手放すことはなく、直後それが首に突き刺さり熊は完全に動かなくなった。要するに相討ちである。
仮に手放していたとすれば、自分のすぐ側に落ちた俺を熊は食らっていただろう。そうならなかったのは喜ばしいことだが……俺はそんな事を考えていられる状態ではなかった。
「がっ……ふ……。ぐぅぁあああ!!!!」
深々と付けられた傷から大量の血が流れ出し、大地を赤く染めていく。まもなく訪れるであろう死に対する恐怖を感じる余裕も無く、ただただ猛烈な痛みと熱を味わっていた。だが……。
(痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱ーー寒い痛い熱い痛い寒い熱い寒い)
傷口から感じる熱さとは逆に、体全体からは急速に熱が奪われ体温が下がっていく。感じられる感覚が増えたことで時折痛みから意識が逸れ、その瞬間に絶えず流れ出ている自分の血を見て、「ああ、自分はここで死ぬんだな」とようやく実感することが出来た。
そう受け入れたからか徐々に痛みが薄れていき、代わりに俺は頭の中でさっき起きたことを振り返っていた。
何故瀕死だったくせに、熊はたとえ少しの間であっても起き上がることが出来たのか。爺ちゃん達の狩りに何度も同行して獣の死に際は沢山見てきたから、そこを見誤ったとは思えない。本当の本当に瀕死だったはず。
なら……あれは野生に生きるものとしての最後の意地、ということなのだろうか。思えば今まで狩ってきた熊は最後は全て爺ちゃん達が殺していたし、そんなものがあるかどうかなんて考えたことは無かった。
猪や兎がそんな様子を見せたことは無い、ならばあれはきっと巨大で生命力が強いものこそが行えることなのだろう。
そういやさっき、この熊妙にでかいって思ったっけか……。成る程、でかければでかいほど生命力が強いなら、他の熊じゃ考えられないことをしても不思議じゃないってことか。それを考えずに油断してこんなことになったっていうなら、こりゃ完全に俺の自業自得だな……。
油断なんてするべきじゃなかった。
もっと慎重に攻めるべきだった。
まだ熊になんて挑むべきじゃなかった。
爺ちゃん達の言いつけをきちんと守るべきだった。
いくつもの思いが頭に浮かんでは消えて行きーー誰かの声が聞こえた気がしたのを最後に、俺の意識は途切れたのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「……ん…………あれ……?」
目を開けると、視界に飛び込んできたのは真っ白な天井だった。少なくとも自宅ではない。
「ここは……づぅっ!?」
直後襲ってきた激痛に顔をしかめ、目線を下げると包帯でぐるぐる巻きになった胴体と点滴の管がついた腕が見えた。痛みを感じるということは、ここは夢の中でもあの世でも無いらしい。
「修哉! 気が付いたのか!」
「……斗真爺ちゃん? ここは一体……」
横を向くと、爺ちゃん達四人が揃っていた。斗真爺ちゃんと一葉婆ちゃんは心配そうに俺を見つめているが、刃雨爺ちゃんと秀穂爺ちゃんは腕を組んだまま目を閉じており、何を考えているかは窺えない。
「麓の病院さ。家で処置出来るレベルを遥かに越えてたから連れてきたんだ。まあ意識失ってたから覚えてないだろうけども」
「……そうか……最後聞こえてきたのは、あれは斗真爺ちゃんの声だったんだね」
「僕だけじゃないさ。刃雨と秀穂と三人がかりで探したんだよ」
斗真爺ちゃんの話によると、帰ってくるのが妙に遅いので軽く見て回ったところ、吊るされたままの猪と奥へと進む俺の足跡を見つけ、応援を呼び三人で探すことになったらしい。
普通の人間なら薄暗い山の中なんて探しようが無いのだが、そこは流石の元最強のエージェント達。俺が残した僅かな気配を辿り、その最中にくぐもった声と苦痛のこもった雄叫びが聞こえ、急いで駆け付けるとそこには猪と熊の死体、そして死にかけの俺がおり、急いで病院へと搬送したのだとか。
「そういうことだったのか……完全に死んだと思ってた……」
「僕らだってそう思ったさ。というか、実際あのままだと確実に死んでたし。……それで、何があったんだい? 勿論話してくれるよね?」
「……うん。えっとねーー」
俺は自分のしでかした事を一つ残らず白状した。
好奇心に勝てずに言いつけを破って奥へと足を踏み入れたこと。爺ちゃん達と一緒に狩ったことはあっても、一人ではまだ狩ったことの無い熊相手にサシで戦ったこと。そして最後油断したところに一撃を貰い相討ちに至ったこと。
話していく内にその場にいた全員の額に青筋が立っていくのが見え、俺の背にも冷や汗が流れていく。アカン、どう考えてもヤバいやつだこれ。
「この…………」
「え?」
「この……大馬鹿もんがぁぁぁああああああ!!!!」
やはりというか何というか、刃雨爺ちゃんによって俺の脳天には怒りの鉄拳が炸裂した。
「いいいぃぃぃぃっっってぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!! ちょ、爺ちゃん! 俺怪我人、怪我人だって!」
「やかましい! 儂らがどれだけ心配したことか……危険だから奥には行くなとあれほど言ったろうに!」
「そ、それは……本当にごめんなさーー」
俺が謝ろうとすると、今度は秀穂爺ちゃんによって鉄拳が繰り出された。勿論脳天に。
「ぎにゃぁぁあああああああ!!!!! 何で秀穂爺ちゃんまで!?」
「何で、じゃないだろうが! 怪我人じゃなかったらあと十発は撃ち込んでるところだ! ……ったく、三日も眠りこけやがって」
「えっ!?」
脇の台に乗せられた電子時計を見ると、確かに水曜日と表示されていた。熊と戦ったのは日曜日だから、本当に三日経過しているわけだ。おまけに時刻はもう夜の八時過ぎ。
約八十時間も意識失ったままって……ヤバすぎるだろ。良く生きてたな俺……。
その結果に驚愕しているとふと背後から殺気を感じ、横目で見ると斗真爺ちゃんがゆっくりと立ち上がっていた。斗真爺ちゃんがキレたとこなんて見たことが無いけど……これはまた鉄拳を食らうのか?
「修哉……」
「な、なななな何?」
震えながら後ろを振り向く。すると、何故か斗真爺ちゃんは満面の笑みを浮かべ……あれ? でも額には青筋が……。
「安心して。僕は殴ったりしないよ」
「そ、そう。それなら良かーー」
「大丈夫! 傷が治った後、しばらくの間ちょっとだけ訓練をキツくするだけだから!」
そう言って、元気良くサムズアップをしてきた。
……え? ちょっと待って爺ちゃん。爺ちゃんが言うちょっとって全然ちょっとじゃないよね? 怪我に例えれば突き指と骨折位差あるよね? 俺今度こそ死んじゃうんだけど。
「まあまあ、三人とも。生きて帰ってこれたんだから良いじゃありませんか」
「婆ちゃん……」
「勿論傷が治った後で山ほど説教はしますけど……今はゆっくり休んで傷を癒す方が先でしょう?」
「むぅ……それはそうだが……」
「まだまだ言いたいことはあるが……一葉さんがそう言うんじゃ、そうするしかねぇな」
「そうだね。まずは元気にならないと何も出来ないし」
一葉婆ちゃんの一言に、三人のボルテージが一先ず沈静化していく。うちはいつも大体こんな感じで、たまに言い合いをすることはあっても誰かが仲裁に入り、すぐに元通りになるという仲良しっぷりを見せている。
「あのー……皆さん」
ふと聞こえた声に反応し、入り口に目を向けると……そこには白衣を着た初老の男性が立っていた。聴診器を首にかけているところから、恐らくはここの医師なのだろう。
「ん? 何じゃ?」
「確かにもう他に患者さんはいませんが、一応夜なのでお静かに……」
「「あっ……も、申し訳ない……」」
男性の言葉に対し声を荒げていた刃雨爺ちゃんと秀穂爺ちゃんの言葉がシンクロし、そこで笑いが起こる。同時に空気が弛緩していくのが感じられた。
俺が色々やらかしたせいで起きた今回の一件だが、どうやら一応は一段落ついたらしい。その証拠に、爺ちゃん達は揃って伸びをしてリラックスし始めた。
「さて……お医者様も来たことだし、私達は帰りましょうか。修哉が倒した熊の解体作業もまだ途中だしね」
「あ、結局持って帰ったのね」
「それはそうよ。せっかく修哉が頑張って手に入れたものだし、皆で有り難くいただきましょ。……それと修哉」
「ん? 何?」
「退院したらそのお祝いに、修哉の大好きな唐辛子ベースのぼたん鍋を作ってあげるから、楽しみにしていてちょうだい。うんと美味しくしてあげるからね」
そういって一葉婆ちゃんも斗真爺ちゃんのように、満面の笑みを浮かべながらサムズアップしてきた。
……………………………………え?
「あ、あの……婆ちゃん? 唐辛子って……え?」
「それじゃお医者様、後のことはよろしくお願いいたしますね」
「分かりました。お任せ下さい」
「そんじゃ、儂らも帰るか。のう?」
「うん、そうだね。それじゃ修哉、また明日」
「殴った俺が言うのも何だが、安静にしてさっさと傷直せよー」
皆口々にそう言いながら病室を出ていく。医師も医師で軽い確認に来ただけのようで、「何かあったらボタンを押して下さいね。誰かしらすぐに駆け付けますから」という言葉を最後に病室を去り、後には俺一人が残される。
「いや、あの……婆ちゃん? 唐辛子鍋なんて食ったら俺死んじゃうんだけど……」
明らかに怒ってたのに一人だけ何も無いのはおかしいとは思ってたけど……まさかこういう形で来るとは。単純なしごきより遥かにキツいんですけど。
この日、退院後の食事が実質一食抜きになることが決定したのだった。
#######################
「いやー……あれはキツかったよなぁ。冗談が通じない人だってのは知ってたけど、本当に唐辛子鍋用意するんだもんな」
俺は小さい頃から基本何でも食えていたが、唯一辛い物だけは大の苦手であり、最近ようやっと平気になってきたという感じ。辛みは痛覚によるものだとは言うが、訓練で味わうような痛みとはまた別のもの。身体中に傷を負っているこんな男でも、駄目なものは駄目だったということだ。
とは言っても、その後の説教に比べれば辛さなんて全然大したものでは無かったのだが。本物の殺気三人分に婆ちゃんの怒りのオーラが上乗せされ、気を抜けば死ぬんじゃないかと本気で思ったものだ。
そして一日だったらまだ良かったのだが、何とそれが一週間続いた。訓練も苛烈さを増し、特に斗真爺ちゃんは宣言通り剣撃の鋭さがちょっと跳ね上がっており、気を抜けばマジで昇天するんじゃないかって位だった。
死にかけた俺を心から心配はしていたが、それはあくまで知らないところでそうなったからであり、本人達がぶちのめす分には欠片たりとも躊躇は存在しない。流石は厳しい世界で生きてきたエージェントってところだ。それに、現代は医療が発達してるから、目の前で倒れてもいくらでも対処のしようはあるっていうのもあったんだろうな。
生まれてから十七年間、未だにあの一週間を越える死の恐怖を味わったことは無い。熊の時も能力生成の時も瀕死にはなったが、あれはあれで種類が違うので別カウントである。純粋な恐怖じゃなくて、色々な感情が混ざりに混ざってたわけだしな。
まあそれは良いとして……ともかく、そういうことがあったからこそ、俺は戦闘中には一切気を抜かないようになった。今はもう、相手が完全に息絶えるか勝負が付くかするまでは欠片も気を抜いたりしない。どんなに瀕死だろうと、最後の足掻きを警戒して不用意なことは絶対しない。
確かに爺ちゃん達に鍛えられたからというのもあるが、割合としては多分熊に殺されかけたことの方が大きいと思う。何せ、推測でも何でもなく「こうすればこうなる」ということを身に染みて思い知ったのだから。
だからこそ、この傷は俺の人生唯一の汚点であり、同時に原点でもあり教訓でもあるわけだ。これが無ければ恐らく今の俺は無い。
死にかけはしたが、それでも爺ちゃん達がいるというあの安全な環境で油断の恐ろしさを教えてくれた熊には、実は感謝していたりする。まだ傷が治るのが早いあの時に知っていなければ、後々本当に取り返しのつかないことになる可能性もあったわけだしな。……まあ、後で美味しくいただきましたけど。
ちなみに傷はどんな感じだったかというと、本来なら熊の力に俺の落下速度が上乗せされて内臓もろともズタズタになっていたところだったが、遅れながらも僅かに体をひねったおかげで本当にギリッギリのところで内臓にまで傷は至らなかったらしい。正に根性が引き寄せた奇跡ということだ。
……というか今思うと、偶然とはいえあの時の俺って自分が熊にやったのと同じもん受けたのか。落下速度と凶器の組み合わせなわけだし。間抜けにも程があるだろ俺……。
「あー……思い出したら何か情けなくなってきた。寝よ寝よ」
布団を肩までかけ、考えるのを止めるとすぐに眠気がやってくる。そして、俺の意識はあっという間に落ちていったのだった。
次の日からもやることは同じ。朝起きて飯食って魔法練習して筋トレして風呂入って寝る。合間に城内を歩いて回り、道行く人間のステータスを覗き見て、その度に安堵する。その繰り返し。
勇者達の同行も佐々木にちょくちょく確認してもらってはいるが、今のところ特に異変は無いらしい。というか、未だに俺の名前を出すだけで顔が青ざめるのだとか。まあたったの数日じゃ仕方無いか。
書庫の許可については中々難航しているようで、毎朝サーシャに尋ねているが状況は変わっていない。やはり相当重要な書物が詰まっているみたいだ。
冒険者ギルドに関しては、魔物云々以前にそもそも二週間経つまでは何があっても城から出る気は無い。そこら辺はちょっと鑑定眼絡みの事情があるのだが、とにかく街になど出向きたくは無い。それをやったが最後、城内を見回ってるのが無駄になる可能性だってあるわけだし。
そんなわけで特に変わったことは無く……早くも一週間、つまり異世界生活十日目を過ぎた頃、ちょっとした奇妙な現象が起きたのだった。
ようやっと三日目が終了。ここまで長かった…。
一人称はそれぞれ
修哉・秀穂→俺
刃雨→儂
斗真→僕
一葉→私
ですね。なろう小説は良く「誰が話してるのか分かりにくい!」とか言われますが、話し方から何となく区別は出来ると思うのでお間違えの無いように。
それでは、今回は以上になります。
執筆の励みになりますので、良ければ評価やブクマ等してもらえると嬉しいです。
また、誤字報告や表現がおかしいところへの意見などもお待ちしております。




