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56話




 現在、祢音は冥達と共に武蔵ではないとある小さな場所にいる。


「……く、空間転移……すげぇ、初めて見た」

「……」

「……」


 辛うじて声を出して驚いたのは炎理のみであり、残りの二人である冥と命は周囲に視線を転じながら、無言の驚きを示していた。先ほどまで学生寮の一室にいたというのに、数秒もせずに森の中に場所が変わったのだから、仕方のないことかもしれない。


 そんな三人を苦笑した様子で横目で伺いながら、祢音はこの現象を引き起こした張本人であるアリアに小声で尋ねた。


「頼みを聞いてくれたのは助かったけど、本当に良かったのか?アリア?ここで俺以外に力を披露したら、正体がバレる可能性もあるぞ?」

「ふふふ!祢音は心配性だね。でも平気よ。今回見せるのは空間属性だけ。それだけで私を大魔法師だと特定できるはずなどないわ。だから安心してなさい」

「……」


 アリアの説得に祢音は一応の納得を見せる。だが、内心ではボロを出さないかという不安が少なからず残ってもいた。普段からずぼらでだらしなく、おっちょこちょいな性格をしているアリアだ。自信満々にフンスと鼻息を出しながら、気合を入れる彼女を見て、祢音の不安は募るばかりである。


 さて、問題は何故祢音達がこんな辺鄙な地にいるのかということだ。


 日は数日前、祢音が実習講義で冥を派手に怒らせたところに戻る。


 あの後、恥ずかしさやら腹立たしさやら等の感情をすべてぶつけてくる様子で暴れた冥を祢音は宥めるのにかなりの苦労が必要だった。未だに一体何がいけなかったのか祢音は頭を悩ませている。


 そこで本題に入るのだが、冥は祢音の何でも言うことを聞くと言う要望に対し、文字通りで自分の要求を突き付けた。その主な内容が二つ、『二人の呼び方の変更』と『祢音の義母であり師匠でもあるアリアとの鍛錬の申し出』であった。


 後者については薄々の理由は察していたのだが、前者については正直今更感もあり、なぜという気持ちが湧いた祢音。


 それを尋ねると、冥は羞恥で顔を染めながら、いつもながらの毒舌を発揮した。彼女曰く、前者の理由は友人の中で自分だけ苗字呼びが気に入らなかったようであり、後者の理由は祢音の予想通り、週末に控える風紀委員会の役員試験本選に向けてのことだ。


 何やらそれだけではない気もした祢音だが、これ以上を尋ねるなという強烈な眼光に射竦められ、早々に口を閉ざすした。


 そんな裏があり、今祢音達はこの森に囲まれた辺鄙な地に訪れているのである。


「……祢音君とアリアさん。今日は私の我儘を聞いてくれてありがとうございます」


 驚愕からようやく目覚めたのか、冥がかしこまった様子でに祢音とアリアに頭を下げた。

 その後ろでは命と炎理も同じようにして、冥の後に続く。


「ふふ、別にいいわよ。祢音への頼みは私への頼みでもあるからね!」

「俺も久々にアリアに鍛錬をつけて欲しかったからちょうどよかったしな」


 祢音とアリアの言葉を聞いて、冥は少しほっとしたように息を吐いた。内心で知り合ったばかりの人にかなり迷惑なことを頼んだのではないかと少しばかり戦々恐々していたのである。祢音のことが大好きなアリアが彼の頼みを断るはずもないので、考え過ぎではあるのだが……。


「――それでどうするんだ?アリア?」

 

 早速、祢音がアリアに尋ねると、彼女は悩まし気に頭を捻り、冥達に言葉を投げかけた。


「う~ん……貧乳ちゃん達は強くなりたいのよね?」


 ちなみに冥達の呼び方はそれぞれ貧乳ちゃん、ニワトリ君、おチビちゃんとなっている。誰がどの呼び方かは察しが付くだろう。

 当初、冥と命は抗議的な視線を向けていたが、アリアの威圧を受けてからは文句を止めた。意識してか、それとも無意識か、気が付けば上下関係を作り上げた大魔法師はさすがと言っていいのかもしれない。


 さらに蛇足だが、炎理は最初からアリアのすべてを肯定していた。

 冥にはあれだけ文句を言っていたのに、アリアに対しては抗議らしい抗議もせず、ただ目をハートにする炎理にさすがの冥も何度罵倒をぶつけた事か。


「はい、私は悲願のためにも必ず魔法師になりたい」

「おう!俺が目指すのは最高の魔法師だからな!」

「……ん……もう弱いままじゃ、いや。私も、みんなと並べるように、強くなりたい」

「そう…………じゃあ、貧乳ちゃん達は命を懸ける気があるかしら?」


 突如、空気が震えるような覇気と共に脅しをかけてくるアリアに、冥達は体に怖気が走り、気圧される。まともに立てなくなるほどの威圧感に、しかし、冥はすぐに脳裏に憎き仇の姿を思い浮かべ、炎理はパンと自分の頬を叩き気合を入れ、命は目をギュッと瞑って、体の震えを落ち着かせるように深呼吸を入れた。

 

 そして、三人共がキッと真剣な眼差しをアリアに向け返した。


 彼女達の覚悟の決まったような瞳にアリアは一転して纏っていた空気を霧散させる。


「ふふ、冗談よ」

「え……冗談?……ってことは命云々は……」

「別にかける必要なんてないわよ……ただ少し痛みは伴うでしょうけど。私は貧乳ちゃん達の覚悟がどれくらいか見たかっただけだからね」

「覚悟……」

「うん!そう!貧乳ちゃん達は合格だよ!」


 相好を崩して朗らかに笑ったアリアを見て、冥達は気が緩んだ様子で地面に腰を落とした。まだ魔法師の卵と言ってもいい彼女達にはやはりアリアの覇気は強烈過ぎたのだろう。日常生活はダメダメなアリアだが、やはりそこは腐っても大魔法師だということだ。

 

 祢音は横目でアリアに非難の視線を送る。いくら何でもいきなりの脅しは可哀そうだろうと。

 ただ、止めようとしなかったのは祢音自身にもアリアが今から彼女達に教えようとする技術が未知の代物であり、また難易度と危険度が極めて高いということで覚悟を試す必要があったと理解していたからだ。


「ふふ、ちょっと驚かせすぎたかな?」


 だが、当の本人は座り込んだ冥達を見て、気にした風もなく暢気なものであった。




 ◇




「――さて、今回貧乳ちゃん達に教えるのは身体強化よ」


 冥達がようやく落ち着いて、話を聞けるようになってからすぐ、アリアは彼女達に今回の特訓の内容を教えた。

 それを聞いた三人は当然のように呆然とした顔になったのは言うまでもない。

 

 身体強化などは魔法が使えるならば、誰しもが少なからず使えるものなのだ。心想因子(オド)をコントロールし、身に纏うだけの技術であり、今更教わるべきことではない。

 

 そもそもの話、現代で身体強化は戦闘での補助的役割の技術でしかない。多くの魔法師が身体強化を主体として使うことはなく、ただ魔法を彩るための飾りとだけしか考えていない。その理由の一番がコストパフォーマンスの違いだろう。

 

 魔法が心想因子(オド)現象粒子(マナ)とを結合して事象を発生させる技術なのに対し、身体強化は心想因子(オド)をコントロールすることで身体強化を引き上げる技術である。

 内と外とを繋ぎ合わせた力と内だけで引き出された力ではどうしてもエネルギー効率や規模感に差が出るのは当然のことだった。


 冥達はそんな技術を今更教わっても、実力が伸びるとはどうしても思えなかったのだ。

  

 それが顔に現れていたのだろう。

 アリアは微笑みを浮かべて、彼女等に問うた。


「貧乳ちゃん達は祢音の実力を知ってるよね?」

「え……あ、はい。それは身をもって実感しました。正直、どれくらい差があるのか今の段階では分からないほどです」

 

 冥が率先して答える。


 アリアの口元がにまっと緩んだ。


「うんうん!なにせこの私が丹念に育てた愛しの息子だからね!」

「はぁ……」

「かっこよくて、強くて、おまけに家事も万能!こんなに素晴らしい息子はなかなかいないよ!他にもね、祢音は昔っからね――」


 祢音が褒められたことが嬉しいのか、アリアは上機嫌な様子で口を回す。

 しかし、話が脱線し始めたのを見て、すぐさま祢音がフォローを入れた。


「おい、アリア。話がズレてるぞ」

「――おっと、ごめんね。ちょっと祢音への愛が迸っちゃったよ。……それでなんだけど、祢音の実力を知っているなら話は早いね。貧乳ちゃん達は祢音の属性を知っているでしょ?」

「え……あっ!無属性!」


 アリアに言われて思い出したように冥は声を上げた。


「そう、祢音の属性は無属性。だから、魔法は使えない。使えるのは身体強化の技術だけ。だけどね……それも突き詰めれば魔法にも届く素晴らしい技術なのよ」

「……」

「今回あなた達に教えるのは祢音の強烈な身体強化を生み出す根底にある技術よ!」


 アリアが堂々と胸を張って宣言する。


 先ほどとは打って変わって、冥達の顔は一様に期待一色だ。

 彼女達は皆が祢音の力を間近で見たことのある者達であり、その身体強化の技術をこれでもかと見せられた者達である。

 その根底の技術を教われるとあっては、嬉しくないはずがなかった。


「ふふ、それじゃあ早速始めようか!」

 



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