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アリアの到来Ⅱ

前話の題名を変えました。

 



 突然、空から人が降ってきたら当然誰でも驚くことだろう。それは魔法に慣れ親しんだこの武蔵の住人も同様で――空から落ちてきた謎の人物に周囲は一様にしてシーンと静まり返っていた。


 しかもその人物は果てしなく美しく、清廉で高潔、さらには煩悩をも刺激してくるような妖艶さを持ち合わせている女性であるからして。


 その場にいた老若男女問わず、皆が皆その女性に見惚れた。


「あぁ……袮音だぁ。祢音の体だぁ。袮音のにおいだぁ。はふぅ~最高……」


 が、そんな周りを無視して、この原因の中心である女性――アリアはただ腕に抱く愛しの息子を堪能していた。


 蕩けるような甘い笑顔に艶やかなため息。仕草一つ一つが刺激となって辺りに散漫していく。


 余計に増す四方八方からの視線の数々。祢音の隣に立つ炎理も言葉を無くし、目をカッと見開き、二人を凝視していた。ガン見である。


 周囲の状況を背に感じ、祢音はため息を吐くと、アリアに声をかけた。


「おい、アリア」

「あぁ、祢音の声も聞こえるよぉ」

「おい!アリア!おい!」

「ふへへ、幸せぇ」


 しかし、祢音が何度呼び掛けてもアリアからきちんとした反応は返ってこない。それどころか、祢音の声を聞くたび、彼女はどこか夢見心地のような気分に陥っていた。


 どうやら久々に会った祢音を堪能するのに集中しすぎて、完全にトリップしているようだ。


 この症状を見るに一体どれだけ我慢を重ねていたのだろうか。ほとんど生活もままならない状況だったかもしれない。


 ただでさえアリアは家事が壊滅的なのだ。唯一の弱点と言ってもいい。


 それが祢音不足という下らない理由で加速していたら?


 祢音はアリアと暮らしていた時の家が今どのような惨状になっているかを想像して――止めた。


 きっと想像しても意味のないことだから。もうあの家は……。


 そんなことを考えているよりも今はまずやらなければいけないことがある。この状況をどうにかしなければならなかった。


 すでに手遅れなほど目立っているが、まだ騒ぎになるほどではない。周囲はただ唖然と静観しているような状況だが……しかしいつまでもこの状況が続くとも限らなかった。


(とりあえず、このままじゃあまずいな。人目のないところに行かないと……)


 祢音はそう結論づけると、


「炎理、一旦ここを離れるぞ」


 炎理に声をかけた。


「……」


 だが、アリアの美貌に見惚れて、完全に思考停止に陥っている炎理の反応は鈍い。


 まだ周囲にそれほど動きはないが、このままでは目立ちすぎて、後々絶対面倒なことになると予想した袮音は一度ため息を吐くと、片手にアリアを抱きしめ、もう片方の手で炎理の腕を掴んだ。


「ちょっと荒くなるが勘弁してくれよ!」


 そして、腕と足に身体強化を施し、地を蹴り、その身を空に踊らせた。

 



 我に返った途端、感じる浮遊感。さらには心地よい風切り音。眼下には賑わいを見せる多くの人々。


 炎理は意識を取り戻すと、自分が何故か空の上を(・・・・)進んで(・・・)いることに気がついた。


「え……うおっ!?なんじゃこりゃ!?」

「お?気が付いたか炎理?」


 突然の出来事に炎理が絶叫を上げれば、その頭上から祢音の呑気な声が降ってくる。


 その声に反応して、炎理が驚いたように上を見上げた。


「って!?祢音!?これは一体……」


 炎理の戸惑いに答えるように祢音は苦笑をその顔に滲ませ、困ったように呟く。


「あー見ての通り飛行中だぞ」

「いや、なぜに?」

「まぁ、逃走中ってとこだ。あのままじゃあ、あそこで軽いパニックが発生しそうだったからな」

「逃走?パニック?……あ!?」


 そこで炎理は自分の意識が今の今までなかった理由を思い出した。――空から降ってきたこの世の者とは思えない美貌の、まさに女神と言ってもいい女性を見て固まっていたのだと。


 腐っても美女や美少女が大好きな炎理のこと。思い出した途端に声を上げた。


「そうだ!あの女神様は!?」

「おいおい、女神って……」


 アリアのことを詳細に知っているからこそ、その炎理の大袈裟なまでの過大評価に祢音は首を傾げざる負えなかった。――どこをどう見たらそう思えるんだよと。


 だが、祢音は一度考えてみる。


(……確かに初対面の人ならアリアが女神に見えるのも不思議ではないか?)


 アリアの容姿だけを見たならはっきり言って、それもあり得るだろう。それほどまでにアリアという女性の美貌はずば抜けている。

 

 けれど――


「スゥ……ふぅ。ふへへ」


 ――今も自分の首元にギュッと抱きつき、匂いを嗅いでは恍惚の表情を浮かべる姿を見れば、百年の恋も冷めると言うもの。


(……いや、やっぱ無理だな。だってこれだぞ?)


 祢音はやはりないなと首を横に振った。


 自問自答でアリアの魅力について考えていた祢音だが、炎理の声で現実に引き戻される。


「祢音!さっきの超絶美女はどこだ!?」

「はぁ、お前なぁ……」


 祢音はこんな面妖な状況に陥っているにもかかわらず、優先するものが女だということに炎理らしさを感じると同時、強く呆れた。


「祢音祢音祢音!!!」

「美女美女美女!!!」


 片腕に抱くのは狂ったように息子を求める義母(へんたい)。もう片方の手で掴んでいるのは女を求める友人(へんたい)


 そんな変態を二人も連れて、自分は空の上を突き進む。


 俺はいったい何をしているんだ、と祢音は頭を抱えたくなった。




 ♦




 それからしばらく続いた三人の空中散歩も、学生寮に到着したことで終わりを迎える。


 人目を憚らず、内々での話をするならやはり自分の部屋が一番だと祢音は考えたのだ。


 そして現在。祢音の部屋では――


 テーブルを挟んだ向かい側、祢音の正面にはスッキリとした表情を浮かべるアリアが座っていた。さらに横にはなぜかピシッと綺麗な正座をしながら、キリっとした決め顔を浮かべる炎理の姿も。


 ここまで戻ってくるのに疲れた様子を見せていた部屋の主である祢音は戻ってきて早々、今回の根本的な原因の追究を始めた。


「……でだ、なんでアリアが武蔵にいるんだ?」


 そう。アリアの到来理由である。


 空の上の散歩中にこの二ヶ月分溜まりに溜まった祢音不足を解消できたからか、アリアは今やけに晴れやかな表情を浮かべていた。


 それを見て、今ならきちんとした反応も返してくれるだろうと祢音は考えたわけである。


 そんな息子の疑問に対しアリアは、


「なんでって……もちろん祢音に会いに来たに決まってるじゃん」


 当然のことのようにそう言った。


 だが、祢音もアリアが自分に会いに来たのだろうとは薄々察していはいる。世捨て人のアリアがこの島にそれ以外の理由でやってくるはずがないだろうから。


 祢音が知りたいのはなぜ自分に会いに来たのかという理由であった。


「いや、それはわかるんだが……どうして会いに来たんだよ?」

「ひ、ひどい!ひどいよ袮音!家族がせっかく会いに来たのに冷たい!そんな風に育てた覚えはないのに……しくしくしくしく」


 祢音の言葉を聞いた瞬間、アリアは大仰な仕草で悲観して見せるが、いかんせんそれはかなり芝居がかっていた。顔を手で覆って泣くふりをしているが、ちらちらッと指の隙間から祢音を伺っていることや自分で擬音を喋っている時点でわざと以外のなにものでもない。


 そのいかにも下手くそな演技を見させられ、祢音の額に青筋が浮かぶ。


 アリア自身祢音が言いたいことくらい分かっているはずだ。もう十年ほどの付き合いになるのだから。仕草一つ、顔色一つで息子の意図など簡単に読める。


 にもかかわらずこんなことをするのは、ただ久々に祢音と会って、いたずらという形で彼に甘えたいのかもしれない。また、この二ヶ月一通も連絡を返さなかったことへの仕返しという面もあるのだろう。


 普通ならばこんな演技は簡単に見破られるだろうが、残念ながら今ここにはアリアの美貌に目がくらんでそれができない盲目的な人間が一人――炎理(バカ)がいた。


「祢音君ダメじゃないか!せっかくお姉さんが会いに来たのにそんな冷たい態度では!」


 祢音を窘めるようにして、炎理は普段とはまるで違う口調でアリアに対しての気遣いを見せる。


 唐突に紳士ぶった振る舞いでアリアを援護する炎理。


 祢音は気味悪そうに半眼でそれを見つめると、口を開いた。


「炎理、なんだその気持ち悪い口調?てかそもそもアリアは姉じゃ――」

「まったく!自分のお姉さんをそんなぞんざいに扱うなんて!こんな美人にしていい態度ではないよ?祢音君!」

「だから何だよその口調?あと、アリアは――」

「祢音君の態度は普段から結構粗雑ですからね。困ったものですよ!」

「いやそれはおま――」

「でも大丈夫ですよ!お姉さん!この祢音君の親友である僕――火野炎理が彼をきちんと正して見せますから!」

「……おい聞けよ」


 全く噛み合わない会話。盲目的になりすぎた炎理はもうアリアしか見えていないようだ。


 祢音は内心嘆息した。


 だが、それも仕方ないと諦観を持つ。ただでさえ女好きの炎理が老若男女問わず大なり小なり惑わすレベルの美貌を持ったアリアを見たらこうなることくらい簡単に予想ができるから。


 対するアリアは、


「と、友達!それも親友!友人が出来たんだね、祢音!よかったぁ!」


 炎理の最後の発言を聞いて、先ほどまでの泣き真似などどこへやら、心底からくる安堵を祢音に送った。

 

 困惑やら怒りやら混乱やらといろいろな感情がごちゃまぜであった祢音だが、そのアリアの本気で安心する顔を見て、思わず毒気を抜かれる。


 先ほどまでの幼さを思わせる彼女の姿からは想像もつかない、それは紛れもなく義母(はは)の顔。


 いろいろ言いたいことがあった祢音だが、その顔を見ただけで全てがどうでもよくなった。


 ずるいな、と内心思いながら、


「……おう。まぁ、結構有意義な生活が送れてる」

「そっか……ならよかったよ」


 どこか恥ずかしそうに頬を掻きながら頷く祢音を見て、アリアは満面の笑みを浮かべた。




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