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アリアの到来Ⅰ

 



 急激に仲を深めた冥と命を見つめながら、祢音は安堵の表情を浮かべる。


 元々初対面ということや相手が魔天八家の者だということもあってか、冥は命のことを少しだけ警戒していた。加えて、命も命であまり自分から進んで他人に関わることはしないタイプだからか、祢音は二人がどうなるのかと若干の心配をしていたわけなのだが……どうやら杞憂だったようだ。


 眼前ではすでにお互いがお互いを名前で呼び合うような関係にまで仲が深まっていた。冥も命も祢音達とは親しいが、同性の友達はいない。二人が二人とも、高等部初の女友達ということになる。


 そのせいもあってか、彼女たちは夢中になって会話を続けていた。対面に座る祢音と炎理を忘れて……。


 そんな様子の彼女たちを見つめながら、炎理が口を開く。


「なぁ、祢音。いつの間にか俺達置いてけぼりにされてないか?」


 その様子はどこかつまらなそうで不貞腐れているようだった。へそを曲げている炎理に祢音は苦笑を浮かべて言い聞かせる。


「一応この食事の趣旨には適ってるんだからいいじゃねぇか。友好を深めるためだろ?」

「そうだけど……にしてもなんかあの二人仲良くなるの早くね?」

「まぁ、そこは同性同士だからとかじゃないのか?」

「そんなもんかなぁ?……くそっ!暗条の奴め、俺より命ちゃんと仲良くなるのが早いとは……ぼっちだったくせに生意気だぜ」

「いや、なに張り合ってんだよ……」


 この男どれだけ冥のことをライバル視しているのだろうか。ぶつくさと不満を垂れる炎理に祢音は呆れたような目で彼を見つめた。


 そんな二人の会話が聞こえたのかはわからないが、冥がそれまで続けていた命との会話を止め、唐突に祢音に話しかけてくる。


「ねぇ、無道君。ちょっといいかしら?」

「ん?」


 応答するように、祢音は視線を冥に向けた。


「無道君は命が使った身体強化のことを知っているかしら?」

「えっと……なんで俺に聞くんだ?」

「いえ、少し命と戦闘や魔法のことについて話をしていたのだけれど、命自身が先ほど使った技をあまり知らないというの。どうやら偶然できるようになったらしいわ。無道君、命があの技を使っていた時、何か知っていそうな雰囲気を発していたじゃない?だから、もしかしたらと思って……」


 どうやら二人はガールズトークにあるまじき過激なお話をしていたらしい。そこはやはりさすが魔法師を目指す女学生というところか。


 冥の鋭い洞察力に祢音は舌を巻いて、彼女の質問を肯定するように頷いた。


「目ざといな……まぁ、知らないわけでもないぞ」

「……ん!本当?」


 祢音が知っているということに命が興味を惹かれ、顔をずいっと近づけてくる。さらに引き継ぐように冥が続きを促した。


「それで、無道君。一体あれはなんなのかしら?」

「多分、身体超化っていう技術だと思う」

「身体超化?」

「ああ、身体強化の上位版と考えてもらえばわかりやすいかな――」


 そう言って前置きを置くと、祢音は三人に説明を始めた。


 身体強化は心想因子(オド)を体に纏うことによって、耐久力、筋力、速力、といった身体機能を上昇させる技術だ。魔法師はこの技術を戦闘に用い、魔法と併用して、魔法の補助目的に使うことが多い。


 対し、身体超化はそれ単体で戦闘する目的で考えられたものである。


 通常の身体強化よりも高出力で心想因子(オド)を放出し、体に纏うことによって、常よりも大きな身体機能の上昇と、さらには普通ならできない属性の特性を宿すことができる高等技術。


 身体強化よりもはるかに心想因子(オド)の消費率が大きいが、その分、身体強化時より身体機能は各段に伸び、加えて属性の特性を有するという利点がある。


 例えば、火属性なら特性である『破壊』が身体に宿り、攻撃力が格段に増したり、地属性なら特性である『堅牢』が身体に宿り、防御力が格段に増したり、といったように。


 難易度も身体強化の時以上に心想因子(オド)を使うため、操作難度は高くなり、維持形成が困難になる。


 その為、魔法よりも断然に心想因子(オド)の消費率が高く、身体強化を軽視しがちな現代の魔法師社会で身体超化という技術はあまり馴染みがなく、知られていないのだ


 祢音もアリアに見せてもらったことがあるだけであり、だからか命が身体超化を使ったことに驚嘆していた。


「――俺も師匠以外でその技術を使える人を初めて見たよ。しかもそれが同学年にいるとはな……正直驚いた」

「そんな技術があったのね……属性がわからないハンデを補って余りあるじゃない。すごいわ命」

「へぇ!そこまですごい技術だったのか!命ちゃんすげぇな!」


 祢音の説明を聞き終えた冥と炎理は素直に感嘆する。


 三人の言葉の端端から浮かぶ純粋な敬意や真摯な感情を称えて自分を見つめる視線。


 命は恥ずかしそうにそれらを受け止めた。


「……む、むふぅ!……照れる!」


 表情の変化に乏しいが、泣いたり、喜んだり、恥じたりと案外感情表現が豊かな少女だ。


 冥は命のそんな姿を微笑まし気に見つめると、次に感心したような視線を祢音に送った。


「……それにしても無道君はよくそんな技術を知っているわね。知識には貪欲だったつもりだけれど、身体超化という技術は初めて知ったわ」

「ああ……知っていると思うが、俺の属性は無属性だろ?」

「ええ」「ああ」「……ん」


 祢音の言葉に三人が三人とも相槌を打つように頷く。


 祢音が無属性だということはこの場にいる全員が知っていた。あの襲撃でここにいる三人は祢音の力を少なからずが見ているし、それに別段絶対に隠していることでもなかったため、教えていたのだ。


「……まぁ、当然魔法なんかできるはずもなく、できることと言えば身体強化だけだったからな。幼い頃から身体強化のことについてはかなり鍛錬したし、研究もしたんだ。師匠にもいろいろ教えてもらってな」

「なるほど……無道君の強さが少しわかった気がするわ」


 魔法が使えないからこそ身体強化という一つの武器をひたすらに磨いた祢音。腐ることを良しとせず、ただ目的のためだけに邁進し、結果今の強さを得た。


 それがどれだけ大変だったか簡単に実感はできないが、並大抵のことではなかっただろう。


 料理を口に運びながらこともなげに話した祢音だが、きっと口で言うよりそれははるかにつらく厳しい日々だったに違いない。さもなければあれほどの強さを体得なんてできないだろうから……。


「俺は最初から分かってたけどな!祢音がいかにすげぇ奴なのかを!」


 うんうんと頷きながら、調子のいいことを吐く炎理。なぜか得意げに冥を見つめているのは、大方冥に対抗してのことだ。


 もう炎理の冥への対抗心に理由はないのかもしれない。これはただの感情の問題なのだから。


 ドヤ顔の炎理を冥は煩わしそうに見据えた。


 後はお分かりいただけるだろう。


 ――結局この後、冥と炎理の罵り合い(冥の勝利)が始まり、祢音と命は横で呆れるように終わるのを眺めているのだった。


 なんだかんだと四人の仲が深まった一日である。




 ♦




 上空から眺めるとひし形のように見えるこの武蔵という人工島には四つのエリア区分が成されている。


 中央一帯が学園エリア。ここは武蔵学園を中心に様々な学校が立ち並んでいるエリアだ。


 北東一帯が遊覧エリア。そこはデパートやホテル、食品関連施設、アミューズメント施設、博物館、美術館などといった遊覧や観覧、宿泊を目的とした施設一帯のエリアだ。


 南一帯は居住エリア。祢音達の学生寮などが存在する一般住宅街一帯と一部の格式の高い身分の者達などが住む高級住宅街一帯に分かれたエリアだ。


 最後に西一帯が研究エリア。ここは魔法の研究やMAWの開発を主にする領域であり、武蔵でも最重要施設が多く存在するエリアだ。


 祢音と炎理は現在、遊覧エリアでもアミューズメント施設が多く集まる一帯を回っていた。


 あの四人での夜の特訓からすでに五日程が経ち、今日は休日の土曜日。


 来週から中間が始まるため、朝から勉強を教えてくれと泣きついてきた炎理の面倒を祢音は見ていた。にもかかわらず、なぜ二人は外に繰り出して遊んでいるのか。


 (ひとえ)にそれは炎理の集中力切れが原因だったりする。昼前までは赤点回避という何とも志の低い鉢巻をしながら勉強していた炎理だが、腹の減りと同時に集中力が低下し、結果的に何も手がつかなくなった。


 食事をとった後もそれは続き、ならばと勉強は夜に回し、気分転換に二人は外に遊びに出かけることになったのだ。


 そんなこんなで街を遊び歩いていた二人。休日だからか人が溢れかえっている遊覧エリアを練り歩きながら、炎理は先ほど知った祢音の意外な弱点を思い出し、おかしそうに笑った。


「意外だったぜ!祢音ってゲームがめちゃくちゃ弱いのな!」

「仕方ねぇだろ。今までそういうのやったことがなかったんだから。それに俺はどうも機械ってもんがいまいち理解できないんだよ」

「そういえばオリエンの時、卓式電子情報端末に苦戦してたよな。今時端末を使えないやつがいるなんて正直あの時は信じられなかったぜ」

「……」


 苦手分野を炎理に揶揄われ、祢音は渋い表情を浮かべた。


 そんな時だ。袮音のポケットに入れてある携帯情報端末が振動し始めたのは。


 けれど、祢音はいつも通り(・・・・・)それを軽く無視した。


「ん?祢音のか?出なくていいのか?」


 振動し続ける祢音の携帯情報端末の音に気付いたのか、炎理が訝しんだように尋ねてくる。祢音はそれに対し、不思議そうに眉を寄せた。


「出る?」

「えっと……電話出なくていいのか?ずっと鳴ってるみたいだけど」

「え、これ電話できるのか?」

「は?」


 祢音の信じられない返答に炎理は間抜け顔を晒す。呆れてものも言えないとはまさにこのこと。


 目を点にして祢音を見つめる炎理は疑問を解消するため、震える声で祢音に質問した。


「え、ね、祢音……携帯情報端末が通話やメールできることくらい知ってるはずだよな?」

「なんだと?これって調べものしたり、メモを取るように使うだけのものじゃなかったのか?」


 祢音はいったいいつの話をしているのだろうか。


 確かに過去では携帯情報端末はスケジュール、住所録、メモなどの情報を携帯して扱うための小型機器を指していたが、今は電話としての音声通話機能や電子メールなど多種多様な機能を付加し、より高機能化した物が一般的なのだ。


 それが現代の常識。


 祢音の知識は何世代も前の話だった。


 ポケットから自分の携帯情報端末を取り出し、それを凝視するほど見つめている祢音。すでに先ほどまでのバイブレーションは止まっていた。


「……」


 その反応を見るに、炎理は祢音が本当に携帯情報端末で電話やメールができることを知らなかった事実にもはや驚きを通り越して絶句した。


 実は祢音はアリアから貰った携帯情報端末をまだ一度(・・)も使ったことがなかったりする。


 武蔵に着いた日からこの携帯情報端末が震えることは何度もあった。だが、使用用途や振動が意味することをほとんど知らなかった祢音はその間すべてを無視して過ごしていたのだ。


 悪いと思いつつも、炎理はひったくるようにして祢音の持つ携帯情報端末を奪う。そして、すぐさま開いて中を確認した。


「お、おま……ど、どんだけ放置してたんだよ!」


 中身を見た瞬間、炎理は絶叫を上げた。


 そこに表示されていたのは、膨大と言ってもいい程の着信履歴とメールの数。共におよそ三千件ほど。しかも見る限りすべてが同一人物からのだった。


 二ヶ月の期間でこれが貯まったと考えると、単純計算で一日当たり五十件ほどの電話とメールをしていたことになる。


 なんという執念か。いや、愛というべきかもしれない。


 その相手の強烈なまでの執着心を感じて、炎理は背筋が粟立った。


 横で自分の携帯情報端末を覗いて、状況を把握した祢音は現実逃避気味に暢気な声を上げた。


「おぉ……すごい数だなぁ」

「眼を逸らすな、祢音。現実を受け入れろ。とりあえず最新のメールを見て、すぐに返事を返した方がいいぞ」

「……そうだな」


 炎理の指示に従うように祢音は携帯情報端末を返してもらうと、メールボックスから最新のメールを開く。


 そこには――


『マッテテネ。』


 ――その一文だけが記されてあった。


 まるで怨念。字面から現れる狂気はそれだけで祢音と炎理を身震いさせる。しかも送られてきた日時を確認すれば、それはほんの数分前であり……。


 祢音の脳裏に嫌な予感がよぎった。


(まさか……)


 その瞬間だった――


「……――ぃん!」


 ――この島で聞こえてくるはずがない声がどこからともなく祢音の耳に届いたのは。


(はは、嘘だと言ってくれ……)


 聞き間違えるはずがない。もう何年も慣れ親しんだ声なんだから。


 その声は段々と、だが確実に近づいてくる……信じたくはないが、それも上空から。


「――音!祢音!祢音ぅぅぅ!!!」

「ハハハ……ハハ……はは……はぁ」


 乾いた笑い声を漏らして、祢音は空を見上げた。


 遠目からでもはっきりとわかる。シルクのように艶やかな白銀の髪。抜群と言ってもいいプロポーション。造り物のような人外の美しさを誇る顔。およそすべてにおいてが完璧な女性。


 まだ二ヶ月しか離れていないのにその姿がもう懐かしいと感じるのはきっと過ごした年月がそれだけ長かったからだろうか。


 否定したい気分だが、目の前の現実がそれを許してくれない。


 一体いつの時代の大衆文芸の設定だと言いたくなる。空からヒロインが落ちてくる設定なんて。


 だが、眼前で起きていることは物語の設定なんかではなく、現実で……。


「あぁ!袮音!袮音!袮音!会いたかったよぉぉぉ!!!」

「うごっ!」


 空から落ちてきた存在の強烈なハグが袮音を襲う。彼女は袮音にスリスリと頬ずりしながら、首元に顔を埋め、スゥと息を吸いこむと、彼のにおいを堪能して蕩けた表情を浮かべた。


 唐突に空から現れた女性。女神のごとき美貌を持ったその美女は祢音の恩人であり、義母であり、師匠でもある人物。


 その日、アリア・バルタザールは愛しの息子に会うために、空から袮音の元に舞い降りてきたのだった。




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