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放課後の一幕

 



 放課後。


 一日の予定をすべて終えたⅤ組の教室内はテスト期間前ということもあり、慌ただしい雰囲気を醸し出していた。現在はクラブ活動は休止中になっており、学生たちは試験に向けての勉強や鍛錬で(せわ)しなくなっている。


 教室の中では、一日を終えた生徒達が思い思いの様相を見せていた。


 仲のいい者で集まり、これからの予定を話し込む者達。一人黙々と帰る準備をする者達(現代は紙の教科書などが廃止され、すべては情報端末のデータでの授業形式のため、持ち物はあってないようなもの)。友人と連れ添って、教室を退出する者達。


 様々な動きを見せる中。


「祢音ー!帰ろうぜ!」


 帰宅の仕度を終えた炎理が自分の席からすばやく立ち上がり、袮音の席に近づいてきた。そしていつものように元気の有り余る声で祢音を帰宅に誘う。


「ああ」


 それに応えるように祢音も頷いて、席を立った。


 ここまでは入学してからほぼ毎日見る光景だ。だが、珍しいことに今回はそれに待ったをかける声があった。


「無道君、ちょっと待ってもらえるかしら?」


 冥だ。


 教室を出ようとする祢音の背中に彼女の呼び止める声がかけられる。


 それに反応して、祢音は足を止めて振り返った。横では炎理も釣られるように止まる。


「ん?どうした、暗条?」


 祢音が尋ねると、冥はどこか遠慮がちに言葉を発した。


「夜の特訓のことなんだけど……」

「ああ、それがどうかしたのか?今日は確か、無い日のはずだよな?」

「ええ。でもやっぱり週に二回っていう回数は少ないと思うの。だから、もう少しだけ増やしたいと思って……その、迷惑かしら?」


 いつものクールな雰囲気ではなく、少ししおらしい調子で冥は祢音にそう尋ねる。


 あの事件以降、祢音は宣言通り、冥の鍛錬に付き合いだした。現在は週二回ほど、彼女の鍛錬を手伝っている。


 それ以外の曜日は基本休みだ。以前まではほぼ毎日、寝る暇も惜しんで、ただ暴走したように復讐だけを想い、鍛錬に明け暮れていた冥だったが、祢音が手伝いだしてからは、そんなことも無くなった(というより祢音が無茶な鍛錬を禁止した)。


 だが、冥に不満はなかった。一人ただ黙々と怨嗟を込めて鍛錬を熟していた時より、祢音に教わりながら、二人で組手やMAWを使った武器戦闘、魔法を混ぜた本格的な実戦形式の模擬戦をしていた方がはるかに有意義だったからだ。なにより祢音との鍛錬は思った以上に楽しくて、嬉しかった。


 ただ、二年間ほど日常の一部として繰り返してきたことを止めたためだからか、冥は少しだけ手持ち無沙汰のような気分にでもなったのかもしれない。


 それに来週のテスト期間、さらにはそれが終了した週末には襲撃で一旦中止になっていた役員試験が再開される。風紀委員会の本選はまだ終わっていないのだ。焦りも少しばかりあるのだろう。


 冥の言葉に、祢音は彼女を見つめながらしばし黙考すると、


「そうだな……一日は増やしてもいいかもしれない」


 と冥の提案に了承を示した。


「よかったわ……じゃあ、今日の夜でいいかしら?」

「ああ、俺はそれで大丈夫だ。……あと、俺が勝手に決めたことなんだから、迷惑なはずないだろ。そんなに気にしないでくれ」

「ふふ、相変わらずやっぱりおかしな人……でも、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」


 祢音の返答を聞き終えると、冥は小さく微笑んで、感謝を示した。


 二人がやり取りを終えた、そんな時。


「よ、よ、よ、夜のと、と、と特訓んんん!?!?!?」


 それまで珍しくも冥に突っ掛かることなく、横で黙って話を聞いていた炎理が至極驚愕した顔で狼狽えたような声を上げた。


 いきなりの大声に教室にいたクラスメイト達は何事!?と振り返るも、それが炎理だとわかるとすぐさま納得を示し、すぐに興味を無くす。常日頃から炎理の声の大きさに理解を示すクラスメイトはなかなかに鍛えられていると言えなくもなかった。


 クラスメイト達はまだ距離があったが、至近距離から大声を浴びせられた祢音や冥はうるさそうに耳を塞いだ。


 堪らず祢音が文句を飛ばす。


「い、いきなり耳元で叫ぶなよ!炎理!」

「だ、だ、だ、だって!よ、夜の特訓って!き、今日は無い日って!か、回数って!ふ、増やすって!……お、お前らいつの間にそんな関係になったんだよ!?」


 しかし、祢音の文句など聞こえていないのか、動揺した様子で炎理は糾弾するように祢音達に迫る。それに対して、祢音はきょとんと首を傾げると、素直に言葉を返した。


「いつの間にって……いや、あの襲撃事件の後からだけど」

「た、確かにあの後から祢音と暗条の仲が変わったようには思ったけど……まさかそんなに進んでたのか!?」

「ん?……まぁ、確かに着実に進歩はしてるな」

「し、進歩って!?ま、マジなのか!?」

「まぁ、それなりの回数を暗条とはやってきたからな。当たり前だろ?」

「う、嘘だろッ!?お、俺ら言うてもまだ入学から二ヶ月しか絶ってないぞ!?ね、祢音、お前がそんな手の早い男だとは思わなかったぜッ!?」

「手の早いって……こういうことは早くからやった方が身のためになるだろ?」

「な、何たる余裕!?こ、これが、高一で童貞を卒業した男の威厳ッ!?」

「は?……童貞?……卒業?」


 なにか微妙に話が食い違っている。そのことに祢音はようやく気が付いた。


(こいつ一体何の話をしてんだ?)


 今自分と炎理が話していたのは鍛錬の話のはず。それなのに童貞やら卒業やらとは一体どういうことなのだろうか?


 疑問を覚えて祢音が炎理に問い返そうと口を開きかけた時。


 それより先に冥がリンゴのように顔を赤らめ、猛烈なまでの毒を炎理に向かって浴びせた。


「こ、このエロニワトリッ!バカでアホで変態だとは常々思っていたけど、まさかそこまでだとは思わなかったわッ!蟻んこサイズの脳みそに詰まっているのはどうやら煩悩まみれの気色悪い妄想のようねッ!」


 冥は怒りも露わに、衝動的にMAWをその手に展開する。炎理はそれを見て焦ったように叫んだ。


「お、おいっ!暗条!ここでMAWの展開はまずいだろッ!」

「わ、私とむ、無道君が、セ、セ……なんてッ!そ、そ、そんな邪な考えしか浮かばない頭は今すぐこの黒睡蓮で半分に叩き割ってあげるわッ!」

「む、ムキになりすぎだろ……逆にそんな反応する方が怪しいぞ!」

「む、ムキになんてなってないわよ!これは変態ニワトリを矯正するためのしつけなのよ!」

「そ、それがムキになってるって……だぁ!待て待て待て!さすがにシャレにならん!」


 さらに言い繕おうとした言葉の途中だったが、冥の黒睡蓮の鋭利な刃を眼前に押し付けられ、炎理は恐怖に顔を引きつらせた。


 冥が炎理を見る目はすでにゴキブリを見るそれと同じ。ハイライトが消えた深淵のような深みのある瞳孔は見る人すべてを恐怖に陥れるだけの迫力があった。


 そんな今にも怒りを噴火させそうになる冥の横で置いてけぼりにされていた袮音はというと、


(童貞……確か性行為を経験していない男性を指す蔑称だったよな?それに卒業……この二つを組み合わせると……なるほど、炎理は俺と暗条が性行為をしたと勘違いしたのか。それですぐに気が付いた暗条は怒ったわけと)


 とようやくにも冷静に状況を理解していた。


 あまりにも鈍感。普段の鋭さやクールさとは違い、そっち方面にはかなり鈍かった袮音である。


 仕方ないと言えば仕方がないのかもしれない。


 幼き日に捨てられてから今までアリア以外の他人と接する機会がなかった祢音。その為、他人の機微にはかなり疎い。すぐに察しろという方が無理なのである。


 袮音が思考の海から現実に復帰すると、気が付けば眼前では炎理が冥の黒睡蓮の刃を必死に白刃取りで受け止めている状況であった。


「……なにしてんだよ?」


 呆れたように祢音が呟く。すると、炎理が懇願するような目を向けて、祢音に縋った。


「ね、祢音!よかった!この暴走女を止めてくれ!」

「はぁ」


 その嘆願に祢音は一度ため息を吐くと、


「暗条、さすがに教室でMAWを振り回すのは止めとけ」


 要望通り冥に声をかける。


「ね、祢音!」


 救いの手が舞い降りてくれたとばかりに、炎理の顔が輝いた。


 対照的に冥は邪魔をするなとでも言いたげに怒りの形相で祢音を睨みつける。


「止めないでくれるかしら、無道君?私は今そのニワトリを殺処分しないと気が済まないの」


 声音がマジである。本気と書いてマジ。その声質や光が抜け落ちた瞳からは嘘偽りない本気が見られた。


 その迫力にさしもの祢音も若干気圧される。噴出する謎の威圧感はベクトルは違うが、アリアの本気を見た時と似た雰囲気を感じたのだ。


 たが、祢音は冥を止めたかったわけではない。


 今回ばかりは炎理が祢音と冥の特訓を勝手に下品な方向に解釈したのが問題なのだ。自業自得というやつである。


 だから、


「いや、止めたいんじゃなくて、やるなら教室じゃなくて迷惑のかからない外でのほうがいいだろ?」

「え!?祢音さん!?助けてくれるんじゃないの!?」


 炎理が驚愕の叫びをあげる。


「いや今回は炎理の自業自得だ。素直に処罰を受け入れろ」

「そ、そんな殺生な!」


 炎理の希望の表情は一転、絶望の表情に変わった。


 監督者の許しも出たということで、これ幸いとばかりに冥は感情の籠らない平坦な声で囁いた。


「ふふ、どうやら許可が出たようだから覚悟しなさい?今日という今日こそは、その頭のトサカを刈り取ってあげるわ」

「ちょっ!?まっ!?」


 恐怖の笑みを浮かべ、冥は炎理の襟元を掴むとずるずると引きづるようにして教室を出ていく。


 祢音も一度疲れたように肩を竦めるとその後についていき、教室を後にするのだった。




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