一日の始まり
某県の山奥にある木造家屋の一室。
そこでは現在一人の女性が片手に持つ携帯情報端末とにらめっこをしながら、落ち着きのない様子で部屋の中をうろちょろと動き回っていた。
散乱した衣服。食べかけの食事。そして……ところどころに散りばめられた幾何学模様の入った金属。
生活感のありすぎるその部屋は普段ならばもう少し整理整頓された小奇麗な一室なのだが……。
残念ながらその清潔さを保ってくれていた張本人は今現在離れて暮らしていた。
そんな汚部屋でその女性が行ったり来たりを繰り返すことしばし。
すると、
「うわぁぁぁんんん!!!なんで袮音から連絡がこないのよぉぉぉ!!!離れ離れになってもう二ヶ月も経つのにぃぃぃ!!!」
まるで火山が噴火したかの様に彼女――アリア・バルタザールはここ数ヶ月で音信不通になった最愛の息子の顔を思い浮かべながら、天井を見上げて、叫んだ。
「なんで電話がないの?どうして返信が来ないの?私は毎日毎日必ず送ってるのに!一秒たりとも携帯手放さないで待ってるのに!ずっとドキドキワクワクして、息子からの連絡を楽しみにしてるのに!」
その駄々をこねる子供の様に喚く様は、世間から尊敬され、羨望を向けられる大魔法師様にはとても見えない。
祢音と別れてからはや二ヶ月。
自分から提案したにもかかわらず、アリアは今、軽く後悔を覚えていた。
送り際に渡した携帯情報端末は離れていても祢音を近くで感じたいというアリアの親心(?)からくるプレゼントだったのだが、実は未だに一回も連絡が来ていないのだ。
アリアの方からは何度かメールや電話をしたのだが、一向に返事はなく、電話にも出ないため、彼女は現在祢音欠乏症に陥っていた。
二か月前までは愛しの息子の声も聞けたし、手料理も食べれたし、近くで眺めることもできたし、それにいっぱい触れられたというのに……。
それがここ最近は全くできていないのだ。
かなり祢音に依存していたアリアからしたらこれは重大問題だった。
「うぅ……祢音の声が聞きたい!祢音の料理が食べたい!祢音を眺め回したい!祢音をこの胸に抱きしめて、もふもふしたいよぉぉぉ!!!」
瞳を潤ませて、一瞬たりとも携帯情報端末を離さずに来るか来ないかわからない振動を待っていた――そんな時。
「はっ!そうだ!」
アリアはまるで天啓が降りてきたかの様に何かを閃く。
「だったら私から祢音に会いに行けばいいんじゃん!なんで今まで気が付かなかったんだろ!」
自分の正体を極力知られたくないアリアはあまりこの山を出ることはない。外出したとしてもそれは基本すべてが祢音のため。
だが、現在はその祢音が家にはおらず、ここ数年は自分の癒しだった我が子の存在が消えたことにアリアは尋常ではない渇きを覚えていた。
砂漠を彷徨っている者が水を求めて偶然オアシスを見つけたかのように、アリアの表情はパァッと明るくなる。
そう思ったが一直線。
行動は早かった。
「ふふふ!待ってなよ、祢音!今、愛しのお義母さんが会いに行くからね!!!」
大魔法師が武蔵にやってくる。
♦︎
月曜日。大多数の人間が一週間の内で最も憂鬱だと思うだろう最初の曜日。
そんな曜日の朝の時間帯にも関わらず、日差しが強く照り付ける今日この頃。五月も半ばほどに入り、もう夏一歩手前という季節。
だというのに祢音は何故か背筋が凍える様な感覚を覚えた。
「?」
少しぶるっと寒そうに震える袮音を見て、隣を歩く炎理が訝しそうに訪ねてくる。
「どうした?袮音?」
「なんか唐突に寒気がしてな……」
「風邪か?」
「いや、具合は悪くないんだけど……」
「じゃあ、誰かがお前の噂でもしていたとか?」
「俺の噂?……奇特な奴もいたもんだな」
「お前、奇特って……まぁいいけど……」
祢音は今ではクラスどころか学園でも噂される存在だ。その理由は先日の闘技場前でのことを目撃していた生徒達が少なからずいたからである。
端正な容姿や高い戦闘能力、それだけでなく勉学の方も優秀であり、さらには性格面でも人当りがよく、落ち着いている。
襲撃事件のことがなくても、学園全体に祢音のことが広まるのは時間の問題だったのかもしれない。
今も学園の広大な敷地を歩く傍ら、周囲から少なくない視線が祢音に集まっていた。それも八割が女生徒だ。
にもかかわらず、祢音は全く気付く気配がない。
炎理はそのことに対し、嫉妬半分呆れ半分の視線を祢音に向けるも、本人は素知らぬといった様子。
戦闘時とは打って変わって、あまりにも普段の祢音は鈍感と言ってよかった。
(鋭そうに見えて、案外鈍いよな、祢音って……)
隣を歩く友人の意外な一面に炎理は内心苦笑し、そして話を切り替えた。
「もうすぐ中間か……実技はいいんだけど、筆記はどうしたもんかなぁ」
学生なら誰しもが顔を顰める悪魔のイベント――テスト期間。
わずか数日後に迫るそれに、炎理は嫌そうな顔で嘆く。
祢音はそんな炎理の様子を見て、ため息を吐いた。
「炎理……お前、俺があんなに少しは勉強しとけって言ったの忘れたのかよ?」
「だってよぉ!三年間しかない学生生活楽しみてぇじゃねーか!しかもまだ入学して二か月ちょいだしさぁ!」
「そういう気持ちが弛みに繋がるんだ。別に遊ぶなとは言わないけど、少しくらいは勉強もしろよ」
「お前は俺の親かよ……てか!そういう祢音はどうなんだよ?なんか最近までかなり忙しそうだったじゃねーか?中間大丈夫なのかよ?」
祢音はあの武蔵を襲った二つの襲撃事件の少しあとから、実は警察からの取り調べを受けていたのだ。
志摩拘置所襲撃と武蔵学園襲撃の二つの事件。
多くの警察の魔法師部隊が投入され、捜索に当たったものの、犯人達は見つからず、結局、あの事件を引き起こした彼ら、【狂気の道化達】が捕まることはなかった。
だが、完全に手掛かりが消えたわけでもなかった。それは彼らと接触していた祢音と冥という重要参考人がいたから。
兵吾からの頼みで二人は数日前まで警察に事情聴取という名の協力をしていたのだ。
しかし、それを炎理は知らない。
炎理は襲撃時に袮音が消えていた理由が冥を探しに行くためとは後に聞いて知っていたが、彼らが敵と対立していたとまでは知らなかったのだ。
だから袮音は何も知らない炎理を心配させないように、最近の事情はぼかし、彼に返事を返した。
「あーまぁ、忙しかったのは確かだが、俺はまめに勉強してたぞ?」
「うわぁ……真面目過ぎだろ。祢音ってホント俺と同い年かよ?普通、俺達くらいの歳って遊びたい盛りじゃね?」
「別に俺だってそんな勉強勉強してるわけじゃねぇよ。せいぜい必要な量を決めた時間にやってるってだけだ」
「それが真面目なんだよ。……にしても、襲撃があったせいでかなり変わったよな。なんつーか物騒になったていうか……」
教室に向かう途中、炎理は所々で目の端につくようになった警備員やSPAを一瞥して、話題を変えるようにそう呟く。
SPA――Security patrol automatonは民間を守るために開発された戦闘型ロボットだ。
小さなドラム缶を思わせるようなずんぐりとしたフォルム。左右から伸びる二本の腕。高さはわずか二頭身とかなり小さい。けれど、対魔法師を想定して設計されたこのロボットはその見た目からは考えられない程、多数の武器や防衛機能を搭載している。
先日の襲撃事件で武蔵全体の警備は現在かなり強化されていた。
以前よりも街の至る所にはパトロールする警官やSPAが増え、物々しい雰囲気を漂わしている。
それは学園も似たようなもので……むしろ標的となった武蔵学園の方が街よりも警戒が厳重になり、以前よりもピリついた空気を醸し出していた。
その様子に少し感化されるように炎理も厳しい顔つきで、
「やっぱ今回の事件は襲撃犯が襲撃犯だったからなぁ。流石に犯人達が狂気の道化達だったとは驚いだぜ。まぁ、あの残虐非道な集団だったらこの異様な警戒もわからなくないか」
学園に漂う険呑な雰囲気に納得を示す。
ここ最近ニュースでずっと話題になっている武蔵を襲った凶悪犯罪組織、狂気の道化達。
連日テレビでは彼らのことが流れ、世間にもこの出来事は深く浸透していた。
拘置所襲撃は彼らの仲間の救出であること。幸い死者は出なかったが、負傷者が続出した学園襲撃も彼らが原因であること。現在も逃走中であり、捕らえられていないということ、などなど。
多少の情報統制などはあるものの、ニュースでは概ね真実が民間に報道されていた。
元々悪逆非道で有名な組織だったが、今回世界でも魔法技術の先進国である日本の――それも武蔵というトップレベルで魔法が進んでいる都市にある――施設を二つも襲撃したことでより名を馳せることになっただろう。
祢音は少しばかり間を空けて、炎理の言葉に相槌を打った。
「……そうだな」
脳裏に過るのは追い詰めたにもかかわらず、まんまと逃げられた苦い記憶。
事情を知る警察内の者や兵吾は祢音によくやったという。凶悪犯罪者に重傷を負わせたことに、学生でそれだけの力量を持つことに、賞賛や敬意を送るのだ。取り逃がしたにもかかわらず……。
それは彼らなりの慰めだったのかもしれない。
だが、それが余計祢音の心を悔しさで満たした。そしてそれは今もじくじくと続いていて――
「どうした祢音?着いたぞ?」
「え?ああ、悪い」
少しだけナーバスな気分になっていた祢音は炎理の声で我に返る。どうやらいつの間にか教室の前まで辿り着いていたらしい。入らずに立ち止まったことに対し、怪訝そうな視線を向けてくる炎理に一言謝罪を入れて、祢音は先に教室に入った。
二人が入室してすぐに。
「あら。おはよう、無道君。……それとニワトリも」
祢音達より早く教室に来て、勉強に励んでいた冥が顔を上げて朝の挨拶をしてきた。
「ああ、おはよう。暗条」
「だから俺の名前はニワトリじゃねぇ!」
それに応じるように、祢音と炎理も返事を返す。炎理のは完全に文句だが……。
実はこの炎理の返事も最近はよく見るようになっていた。
学園や島全体で警備体制が強化され、空気が変わったと同様に、祢音達の周りにも些細な変化が起きていたのだ。
あの事件以降、心境の変化でもあったのか、冥は少しだけ性格が柔らかくなった。
周りを寄せ付けないような冷たい雰囲気は和らぎ、人当たりが良くなった。以前なら話しかけただけで、鋭い視線を返され一言二言で会話が終わることが多かったが、今ではそれが無くなり、適度にクラスメイトと会話ができている。
特に祢音には、朝登校すれば必ずと言っていいほど挨拶を交わしてくれるようになったし、ちょくちょくと世間話や戦闘でのアドバイスを求めるように自分から話しかけてくるようになった。
簡単に言えば絡みやすくなったと言ってもいい。まぁ、炎理に対してはさほど変わってはないが……。
祢音自身、唐突と言っていいまでの冥の変化がいったい何をきっかけにしてかは掴みかねてはいるが、接しやすくなったのははいいことだと、まるで親が子の成長を喜ぶような気持ちを持った。
ここ毎朝見る光景――冥に呼び方の訂正を要求する炎理を横目に、苦笑いを浮かべながら、祢音は席に着く。
二人の、というよりは片方の凄絶な罵りをBGMに祢音の一日は今日も始まる。
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