因縁の相手Ⅰ
「遅いから来てみれば、一体何をやっているんだい?恐怖」
その声は唐突に冥の背後から聞こえた。
声音を聞いた瞬間、冥の脳裏に焼き付いた過去の記憶が蘇る。
それは穏やかなのに狂気に満ちた声。それは楽しげに兄を殺した声。それは地獄に誘う悪魔のように自分に迫った声。
恐る恐るゆっくりと振り向いた冥の視線の先に映った人物。
冥が殺した恐怖の死体を眺めながら、穏やかな顔立ちを呆れるように歪めた赤髪の男。
あの日から焦がれるように冥が会いたいと思っていた相手。ずっと復讐を夢見ていた人物。いつも殺したいと願っていた男。
二年前からちっとも変わらない姿で、篠原遊星という偽名を用いて、警察官に成りすまし、自分の家族を惨たらしく殺した男がそこには立っていた。
「あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
喉が潰れんばかりの叫びが、天地に轟いた。
溜まりに溜まった心の闇が噴き出す。抱えていた憎悪が爆発するとはきっとこういうことを言うのだろう。考えるよりも先に身体が動くのを冥は残っている少ない理性で初めて実感した。
疲れていたのが嘘のように冥は黒睡蓮を構え、全力で地を蹴る。
そしてこの二年間で積もりに積もった恨み、つらみ、悲しみ、ありとあらゆる負の感情を乗せて、未だ自分に見向きもしない目の前の男に黒睡蓮を力いっぱい振り下ろした。
しかし、
「愛がないねぇ……いきなりそんな攻撃をしてくる君は一体どこの誰なのかな?」
慈愛と呼ばれる男はその冥の攻撃を見もせず、後ろに一歩下がることで簡単に躱す。
「あああぁぁぁ!!!」
相手の疑問には答えず、空を切る黒睡蓮を気にすることもなく、冥は怒りの咆哮を上げ、続けざまに心臓目がけて刺突を放つ。それを慈愛は完璧に見抜いてるかのように横に一歩ずれ、紙一重のすれすれで避けた。
無視をされる形になったが、落ち着いた様で冥の初撃、次撃を避けた慈愛。
「う~ん?聞こえていないのかな?僕は君が誰なのかって聞いてるんだけどなぁ」
狂乱状態の冥に言葉を投げかけるが、聞いてくれないことに、慈愛はめんどくさげな表情を浮かべる。
その間にも冥は攻撃の手を緩めない。振り下ろし、刺突、薙ぎ払い、殴打、石附での打突。顔や心臓、両手両足など、様々なところを狙い、がむしゃらに冥は黒睡蓮を振るう。
疲れや理性がきいていないこともあり、すでに型などはめちゃくちゃだ。ただ子供が遊びでおもちゃの刀を振り回すような、そんな雑な戦い方だった。
当然、慈愛には当たるはずもない。
「はぁ、仕方ないか……」
それまで冥の攻撃をめんどくさそうに躱しているだけだった慈愛はそこで初めて動きを見せた。
何回目かの黒睡蓮からの刺突を首を傾げるように易々と避けると、そのまま冥の間合いのさらに奥に一瞬で潜り込む。そして隙だらけの彼女の腹部に拳を打ち込んだ。
「ごふっ!」
強烈な衝撃を受け、弾けるように後ろに吹き飛んで倒れる冥。すぐに起き上がるも、口の中に広がる血の味や込み上げる吐き気、さらには鈍痛のせいで顔を顰める。けれども、痛烈な一撃は彼女に少しの冷静さを取り戻させた。
よろよろと黒睡蓮を支えとして立ち上がった冥はキッと殺意溢れる鋭い視線を慈愛に向ける。
その様子を見て、慈愛は再度、同じような質問をした。
「まったく、愛のない攻撃をいきなり仕掛けてきて、君は一体誰なのかな?」
「……忘れたのかしら、私を?」
「そう言われても……わからないなぁ」
「そう……覚えてないならいいわ。どっちにしてもあなたは殺す!そこの仲間である恐怖のように地獄に送ってあげるわ!!」
殺意と戦意を漲らせ、冥は黒睡蓮を構える。心想因子量や体力はほとんど空に近いが、気力は萎えるどころか増すばかり。念願の仇を前に、冥の心は燃え上がっていた。
だが、慈愛は構えるどころか、冥の宣言を聞いた瞬間、腕を組んで何かを考えこむように、首を傾げる仕草を見せる。
そして――
「君の言うそこの仲間である恐怖って一体誰の事を指しているんだい?」
――心底不思議そうに、慈愛は冥に尋ねた。
「え?」
逆に戸惑いを覚えたのは冥だ。自分の近くにある死体が恐怖だと理解できていないかのような慈愛の顔に、冥は思わず呆け顔を浮かべる。
「まさか、この死体が恐怖?」
そこで冥が指し示す恐怖が近くに倒れている死体だとようやく気付いた慈愛。
驚きの感情を含んだその言葉に、冥は勢いよく返答した。
「当たり前でしょ!本人も肯定していたわ!恐怖は私が殺したのよ!」
「!?」
冥の言葉にまるでショックを受けた様な表情で慈愛は顔を俯ける。
それを見た時、冥の心に少なくない歓喜が湧いた。
「ふ、ふふ、自分の仲間を殺されて、どんな気分なのかしら?あなたが大切に思っている者を壊されてどんな気分なのかしら!?」
心の底から、楽しそうに、嬉しそうに、おかしそうに、冥は喜悦に歪んだ表情で慈愛に向かって叫ぶ。どこか狂気的めいたものを宿すその表情は普段の毅然とした冥からはあまりに想像がつかない一面だ。
だが――
「……ぷっ、あははははは!!!!!」
――顔を伏せて、ショックを受けているかのような雰囲気から一転、顔を上げた慈愛の反応は、大声を上げた爆笑だった。
その反応に先ほどまでの興奮から打って変わって、逆に冥が大きく狼狽する。
ショックを受けていたのではなかったのか?悔しかったのではないのか?憎かったのではないか?
なぜ自分の仲間が死んだのに、目の前の男は笑っているのだろうか?
「な、何がおかしい!?仲間を殺されたのよ!なんで笑っているの!?」
怨嗟や憎悪を向けてくれたのなら、少しは自分の復讐心が満たされただろう。天国にいる家族も少しは浮かばれたかもしれない。でも、それとは正反対に位置する感情を向けられて、冥も困惑するしかなかった。
そんな冥を見て、慈愛は心底おかしそうに笑った後、見当違いのことを言う彼女に告げた。
「はぁ~久々に結構笑ったよ。……それで、僕の仲間を殺しただったかい――それは誰のことを言っているのかな?」
「な、何を言っているの!?そこにいる男、恐怖のことよ!」
「僕が一言でもこの死体を恐怖だと言ったかい?」
「は?」
その言葉に冥は今度こそ完全に固まる。
問われた言葉の意味がわからなかった。
自分は確かに恐怖と名乗った人物の心臓を突き刺して殺した。初めての人殺しだ。手には未だ生々しい殺しの感触が残り、脳裏には死にゆく恐怖の顔が未だこびりついている。
そんな愕然とした表情で動かない冥を見て、慈愛は楽しそうに口を歪め、隣の何もない空間に話しかけた。
「そろそろ姿を見せなよ、恐怖」
そう言葉を発した瞬間、慈愛の横の空間が歪むように撓み、何もないはずのそこから一人の人物が現れた。
「はぁ……なんで言っちゃうのかなぁ、慈愛?あの子をまだ僕の人形にしてないんだけど!」
出てきたのは冥が殺した男とは似ても似つかない子供。小柄なところは一緒だが、顔ははるかに童顔で、血色もいい。
「久々に再会したら、まったく……もう悲哀も憤怒も合流して、あとは君だけだというのに。一体何を道草食って遊んでいるんだい?」
「いいじゃんかよ!陽動って言うめんどくさい仕事をしたんだ!せっかく獲物が来てくれたんだし、このくらいのご褒美があってもいいでしょ!」
「はぁ、そんなんだから君は捕まったんですよ。さっさと殺して、戻ってくればいいのに」
「僕は綺麗な人形が欲しいの!ぐちゃぐちゃに潰しちゃったら、台無しだよ!」
まるで大人がわがままな子供に言うことを聞かせるような構図だ。傍から見れば、子供が親に人形を強請っている様にも見えなくはない。
最初の恐怖とは似ても似つかない性格。容姿に引っ張られるかのように無邪気で純粋そうだった。だからこそ、会話の端から漂う邪悪さが余計際立って見える。
そんな二人を見つめながら、冥はようやく口を開いた。
「ど、どういうことよ?」
「どういうこともなにも、本物の恐怖はこっちだったてことだけだよ」
丁寧にも教えてくれる慈愛。
「じゃ、じゃあ、私が殺したそこの男は……」
「考えてる通りだよ?そこの死んだ顔色の悪い男は僕の操り人形さ!言ったでしょ?最初から変わってるって?僕の戦い方は基本『死神の羽衣』で姿を消しての暗殺!人形を使って相手を弱らせてから、最後にいいとこを全部掻っ攫うのさ!その方が楽だし!まぁ、今回は慈愛に邪魔されたけどね」
冥の疑問を氷解させるように本物の恐怖はおどけて見せながらも、懇切丁寧にすべてを説明してくれた。
第六位階『死神の羽衣』。本物の恐怖を感知できなかったのはこの魔法のせいだったのだろう。自身の姿を見えなくするばかりか、気配や音、さらには心想因子も感知できなくする暗殺に特化した闇の上級魔法だ。
そんな自分の情報をぺらぺらと話す恐怖に慈愛は問う。
「いいのかい、恐怖?君の愛のない戦闘スタイルを教えて?」
「いいよ、どうせ殺すから。あと慈愛に言っとくけど、戦闘スタイルに愛もクソもないでしょ。必要なのは相手を恐怖に落として、殺すことだけ。ほんとわかってないなぁ」
「わかってないのは君だよ、まったく。愛のない戦いなんてクソほどにも劣るゴミみたいなもの。狙うターゲットは心の底から愛して、黄泉へ送ってあげなければいけない」
「殺す相手に愛するとかホント慈愛って頭狂ってるよね?僕には真似できそうもないや」
「恐怖に落として、殺した相手を自分の人形にする恐怖も十分気持ち悪いよ」
「なにぃ!?」
「なんだい?戦るのかい?」
話の途中から険悪な雰囲気を放ち、喧嘩を始める二人。
冥を他所に、今にも一触即発といった空気だったが……。
突然飛び込むように接近してきた冥によってそれは止められた。
語られた事実や唐突に始まった喧嘩に事態が呑み込めず、呆然としていた冥だったが、我に返った瞬間、キッと目を細め、猛然と二人に向かって駆け出し、黒睡蓮を薙いだのだ。
「あぶなっ!」
「おっと!」
息ぴったりといった調子で、冥の攻撃を後ろに跳んで避ける恐怖と慈愛。
そんな二人に冥は自分の意思を再確認するように強く固め、殺意をさらに濃く乗せた視線で睨みつけた。
「死んでなかったのなら、別にそれでいいわ。私の本命が目の前にいる。それだけで十分!慈愛……あなたは絶対に殺すわ!」
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