泉 鏡花「売色鴨南蛮」現代語勝手訳 一
泉鏡花の「売色鴨南蛮」を現代語訳してみました。
自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。
超意訳と言うよりも、ある意味勝手な訳となっている部分もあります。
素人訳ですので、大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸いです。
本来は、原文で読むべしですが、現代語訳を試みましたので、興味ある方は参考までにご一読くだされば幸いです。
この作品は新潮文庫「歌行燈・高野聖」を底本としました。
泉鏡花はいわゆる「当て字」を多用していますが、この現代語勝手訳も、できるだけ原文の雰囲気を保つため、極力「当て字」もそのままにしました。
一
最初、目についたのは――ちょっと言いにくいけれど――とにかく緋縮緬であった。その燃え立つような色に、朱で処々ぼかしが入った長襦袢であった。女は裾を端折っていたのではない。膝を合わせたあたりから長襦袢がしっとりと垂れて、白い足首を絡っていたが、どうやらびしょ濡れの気持ち悪さに褄を高々と引き上げたようである。その紅い色に染まって見えそうな素足が、藤色の緒の重くて厚ぼったい泥まみれの駒下駄を、弱々と内股に揃えて、女は腰をちょっと捻った姿で、降りしきる雨の待合室の片隅に腰を掛けていたのである。
日の長い頃だから、まだ暮れかかりはしないが、やがて五時も過ぎた。場所は院線電車の万世橋の停車場の、あの高い待合室であった。
柳がほんのりと萌え、花はふっくりと莟んだ昨日今日、緑、紅、霞の紫は、春がまさに闌になろうとする気を籠めて色は濃く、その濃さが強いほど、五月雨か何かのような雨の灰汁に包まれ、景色も人も、神田川の小舟までも、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも違う、血の滴るような紅木瓜が、横なぐりの雨の中に、濡れながらもぱっと咲いた風情は、見るものの顔が火照るほどに目を惹いた。
この目が覚める光景を見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤め、学識と手腕で世に知られる、最近留学して帰国した泰宗吉氏である。
見栄を張らず、質素な人柄で、その住まいが芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのにこの院線を使っている。お茶の水で下車して、そこから大学の所在地まで歩いて行くのが習慣であったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥海のようなので、大きな道を往き来している勤め人が茶や黒の背広と靴で歩いているのを見ると、まったく大げさだけれど、狸に土船といった趣きである。秦氏もご多分に漏れず――もっとも色が白く鼻筋が通ったところは寧ろ兎の部に属してはいるが――歩行き悩んで、今日は本郷通りの電車を万世橋で下りて、例の銅像を横に、大きなレンガを潜って、高い石段を昇った。……これだと、ちょっと歩行いただけで甲武線は東京の大中央を突き抜けて、一気に品川へ……
が、それは段取りだけのこと。時間が時間だし、雨は降る……ここも出入はさぞかし籠むだろうと思ったが、それ以上に夥しい混雑で、ただの停車場が宿場みたいになっていると澄ましてはいられない。川留か、火事のように湧立ち揉合う群集の黒山。中野行きを待つ右側も、品川の左側も、二重三重に人垣ができて線路の上まで押しかぶさっている。
これではすぐに電車が来たところで、どうせ一度では乗れはしない。
宗吉はそう断念めて、洋傘の雫を切って、軽く黒外套の脇に挟みながら、薄い皮の手袋をスッと手首へ扱いて、割合透いているように見える、何故か硝子囲いの温室のような気のする、雨気と人の香のムッと籠もった待合の裡へ、コツコツと――やっぱり泥になった――侘しい靴の先を刻んで入った時、ふとその目が覚めるようなのを視たのである。
確か、中央の台の上に、まだ大きな箱火鉢が出ていた。……そこで、ハタとぶつかったその縮緬の炎から急に眼を傍に外らして、横方向のプラットホームへ出ようとすると、戸口の柱にポンと出たもう一つの赤いもの。
つづく




