第7話 セーラお嬢様、苦難の始まり
「お前さんは、ずいぶんと不幸な身となったわけだ。それでも、ラルフ・クルーに大金を貸していてね。君の所有物から回収させてもらうよ」
バロー弁護士は特別生徒室へ入ると、じっくり検分をする。
父の訃報を聞かされて、少女は泣きじゃくっていたのに。
豪華そうな家具類や、ベニコンゴウインコのボナパルトを関心深げに眺めている。どれだけの値段で売れるのか、計算しているのだろう。
バースディパーティは豪華で楽しいものとなった。
アーメンガードやロッティちゃんも、心から祝ってくれた。
セーラお嬢様も12歳となり、これからの日々に目を輝かせていた。
最高の時だったのに。
パパの死を知らされて、悲しみの底へと落された。
多くの債権者が押し寄せて、ラルフさんの財産は奪われてしまった。
禿げ親父は、その娘からも絞ろうというのか。
「これらの本も売れば金になる。ホーリエ・モーンの本は必要ない。何が多動力だ。こんなものを読んでいたら馬鹿になるわ!」
「この絵は素晴らしい。いい値で売れそうじゃないか」
「この学院の備品ですよ」
ミンチンが苛ついたように声をあげた。
彼女も回収ばかり考えているのだろう。
パーティーにしても、マリア・ミンチンは大金をかけたのだ。ラルフさんに後で請求するつもりが。それも取り返せない。
セーラお嬢様は親を失って、とても辛いだろうに。
大人達は金のことばかり考えている。
抱きしめて慰めたい。
「そのフランス人形は残してやる。私も情ぐらいはあるのだよ」
エミリーちゃんと、ホーリエ氏の著作物だけが残された。
世間の目を気にして、ミンチンはセーラお嬢様を預かることにした。
表向きは生徒扱いだけど、実質的には使用人扱い。
メイド衣装は黒い中古品。
新しい物を支給するつもりはないようだ。
特別生徒室から屋根裏部屋へ移されて、働かされるばかりの日々が続くことになる。授業も受けられない。まだ幼い子供だというのに。
「あの子には同情するよ。でも、境遇が変わったんだ。いつまでもお嬢様気分でいられたら、彼女自身が苦しむことになるよ」
「でもなぁ。子供に長時間労働って、法律的に不味くないか?」
「まぁねぇ。お手伝い程度なら、やらせるべきだと思うけど」
「セーラちゃんはフランス語の授業で、ミンチンを激しく怒らせたらしいな。あの人はプライドが高いものだから、根に持つだろう」
「しっ。ミンチン院長に聞かれたら、不味いことになるよ」
モーリーさんとジェームスさんが、耳打ちをしあっていた。
ミンチン自らが命じて、セーラお嬢様に重労働をさせている。
一息を吐く暇すらも与えない。
ちょっとしたミスを探しては、しつこく嫌味を刺していた。
大きな声で怒鳴り、頬を打つことすらもある。
これも教育ですという詭弁。
2人は眉をひそめるも、自分達を拾ってくれた雇用者には逆らえない。
彼らは恐れているのだ。働く場所を失って、再び貧しい生活を送ることを。
使用人夫婦は、同情しながらも上司に従っていた。
セーラお嬢様と親しくならないように、冷たく距離を保っていた。
「院長先生。お願いがあります」
「何ですか?」
「私、お勉強がしたいのです。図書室の本を読ませてください。放課後の教室を使わせてください。もっと一生懸命に頑張りますから」
「まぁ、呆れたものだわ。図々しいにも程があります。貴方は働くことで、この学園に置いてもらえるのですよ。立場を分かっているのですか?」
「何をしているのです。さっさと仕事に戻りなさいっ!」
ヒステリックに怒鳴った。
ミンチンはテレビで、貧しくとも学ぶ権利はあると言っていたはず。
セーラとは口を聞くな。アメリアを通して、そう生徒達へ命じていた。
それが教育者のすること?
悪質な虐めじゃない。
今の姿を友達に見られるのは辛そうだ。
アーメンガードをはじめとしたクラスメイトは戸惑い、ロッティちゃんは大泣きしていた。セーラお嬢様を慕っているから辛いのだろう。
ラビニアは嬉しそうだった。
「セーラぁ。ずいぶんと落ちぶれたものじゃない。みんなも見てぇ。ぼろい服を着させられて、可哀想な元お嬢様を。同情しちゃうわー」
取巻きと一緒に笑っていた。
小さくて美しい拳が、ぎりぎりと震えていたのを覚えている。
セーラお嬢様は、辛い環境にも耐えていた。
強い子を演じていた。
でも、私は知っているんだ。
彼女が夜に泣いていることを。
朝、部屋を訪れると、エミリーちゃんが濡れていた。父親に買ってもらった人形を抱いて、悲しみに耐えていたのだろう。
そんなセーラお嬢様を支えていきたい。
モーリーさんに鍛えられたせいか、私はメイド仕事も慣れてきた。
どんなに忙しくとも、段取りを工夫して片づけていける。
セーラお嬢様の指導係となった。
私も解雇されるのは怖い。
デュファルジュ先生のように、ミンチン院長に抗議はできない。あの女には投げつけたい意見が、山ほどあるのだけど。
セーラお嬢様が不当に叱られたときは、私も一緒に謝った。
必死に喰いついた。
おかげで、頬をぶたれることも。
「ベッキー。私をセーラと呼んでください。もう、お嬢様じゃないから」
「いいえ。私にとっては、セーラお嬢様です。さぁて、掃除を進めていきますよ。もしよろしければ、私の部屋を使ってください」
「ありがとう。それだと、ベッキーが困るわ」
とても狭くて汚れた部屋だ。
使われなくなった物置には、蜘蛛の巣がびっしり。虫の死骸だらけ。
寝具だけ持ちこまれている。
囚人ですら、こんな牢獄で暮らしていないだろう。
空いた時間を使って、何とか綺麗にしていった。
黴臭さを消すには、時間もかかりそう。
ベッドに並んで、2人で腰かける。
ミンチンに食事抜きを命じられているから、空腹で辛そう。
教室掃除が遅れたからって、あまりにも酷すぎる。
遊んでいた訳じゃないのに。
ジェームスさんより、バスケットを渡された。食材が痛んできたから、夜食にでもしなと。私一人では食べられないほどの量だ。
「セーラお嬢様。サンドイッチを食べましょう。余りものですけど」
「ありがとう」
ごくり。
唾を呑みこんで、貪りつこうとする。
それを恥ずかしそうに耐えて、ゆっくりと品良く食していった。
エミリーちゃんの横には、数冊もの本が寝かされている。
ベーコンもサラダも新鮮で美味しい。
ミネラルウォーターで口を注ぐ。
セーラお嬢様は心を傷つけられており、表情も雲っている。以前は明るい笑顔を輝かせていたのに。胸に重りをつめこまれたような感じだ。
何か明るい話題はないだろうか。
スマホを取り出した。あのサイトなら。
「セーラお嬢様。私が通っている写真投稿サイトです。動物さんのフォトグラフやムービーが、たくさん載せられていますよ」
「わぁーっ。可愛い。ペンギンさんが、いっぱい!」
そこに並んでいるのは、動物園で撮られたアニマルムービー。
サーバルキャットやフェネック、クマノミまで映されている。
ベニコンゴウインコの写真に悲しみを浮かべるも、年相応の笑みを浮かべていた。スマートフォンを手にして、すっかり夢中な様子。
キラキラと目を輝かせている。
ほんわりと、肩より温かさが伝わってきた。
こうしていると、まるで、
「ベッキーって、お姉さんみたい」
「何を仰るのですか? セーラお嬢様」
私の胸は高鳴り、恥ずかしいほど熱くなってきた。
そんなことを言われると、視線を合わせられないですよ。
それでも、目を横に向けた。
あれっ?
セーラお嬢様が泣いている。涙が両目から零れて、頬を伝わっていく。気丈さを保っていた顔は、すっかりと感情にとかされている。
「ありがとう。ベッキーがいるから、私は耐えられるの」
「私だって、セーラお嬢様のおかげで頑張ってこれたのです」
握ってきた手の温もりを忘れられない。




