第5話 ベッキーとセーラ・クルー
「あんた。服の整理を頼んでおいたでしょ。ぜんぜん、綺麗に畳めてないわ!」
「申し訳ございません」
「本当に役立たずなんだから。この芋娘は」
「今の仕事を片づけたら、やり直しますので」
「はぁ? 馬鹿じゃないの。私の頼みを最優先にしなさいよ。あんたは貧乏人かつ低学歴で最底辺なの。私が命令をしたら、何も考えずに黙って従いなさい」
ラビニア・ハーバートは苦手かもしれない。
きつい口調だ。
大富豪の娘であることを鼻にかけて、私を汚物のごとく見下しきっている。
まるで、お姫様のようだ。
そばかすだらけの顔を持ちあげて、両腕を組みだす。
2人の取巻きも、厭らしい笑みを注いでくる。
こんな態度を生徒達からとられては、離職者が多いのも頷ける。マリア・ミンチンからして貧乏人を虫扱いしているのだから。
「ラビニア。そんなことを言ったら駄目よ。ベッキーが困るじゃない」
「ちっ。セーラ・クルー」
優しい声が、私の心へ染みこんできた。
心が落ち着いてくる。ストレスも薄らと消えていきそう。
セーラさんだ。
ロッティ・レイという年少組の子を連れている。
ラビニアは舌打ちをした。
美しく伸ばされた金髪は、キラキラとして見惚れてしまいそう。顔立ちも整っており羨ましいぐらいだ。傲慢なキャラクターのせいで、全てが台無しかも。
この2人を対照的に感じる。
「セーラ。私達は特権階級なの。底辺ごときに遠慮することはないのよ」
「たまたま、資産家の子として産まれただけなのに? そんなに偉いの?」
セーラさんは汚れなき瞳で、真っ直ぐに相手を見つめてくる。
ラビニアは気分悪そうに、視線を逸らす。
プライドの塊である彼女にとって、やりづらいかもしれない。
取巻き達も困っている様子だ。
「偉いに決まっているじゃない。あんたには、お嬢様の自覚が足りないようね。ミンチン女学院に来てから日も浅いし、その辺をじっくりと学びなさい」
そう言葉を残して、高慢ちきな娘は去っていった。
2人の女子生徒も後に従う。
ロッティは意味も分からず、キョロキョロとしている。
ちっちゃな頭を、セーラさんがなでなで。
「ありがとうございます。セーラお嬢様」
「いいのよ。いつもありがとう。ベッキーさんのおかげで、校舎内は綺麗なものよ」
「そんな。私なんかに勿体ないお言葉ですよ」
「てきぱき仕事をこなして、私は凄いと思うわ。見習いたい」
「モーリーさんに扱かれたものですから」
やばい。鼓動が激しく高鳴ってきた。
どうして、セーラさんと向かいあうと、胸が熱くなるのだろうか?
上手く目を合せられない。
お掃除ロボットが廊下を通り過ぎていく。
AI搭載で、私なんかよりも超優秀だ。
ロッティは円盤機械を視線で追っていく。こういう幼い表情は可愛らしい。
お嬢様の多くは、私に対して無関心。ラビニア・ハーバートに至っては露骨に見下してくる。こうして気軽に話しかけてくるのは、セーラさんのみだ。
私は疲れた体を、ベッドへ沈ませた。
メイドさん達が一斉に辞めたせいで人手不足。
目が回りそうになるぐらい忙しい。覚えることも多すぎ。
1ヶ月を過ぎているのに。
モーリーさんの指示に従いながら、次々と用時を済ませていった。
ジェームスさんの料理を手伝ったりもした。
「早くするんだよ!」
「はいっ」
「ほらっ。もたもたしない!」
「申し訳ございません」
「おいおい。あんまり厳しくすると、また逃げられるぞ」
「ふん。最近の若い子は根性がないんだから」
仲良さそうな夫婦だ。
モーリーさんは厳しくて怖いけれど、仕事は早いものだ。
ジェームスさんはレストランで働いていたそうだが、経営不振で職を失ったという。アメリアさんに紹介されて、ここで働いている。
寮の屋根裏部屋は狭すぎる。
電気も通っているし、WI-FIも使えるんだ。
何よりも、家賃は超格安だから文句は言えない。
まかないのおかげで、食費も押さえられるしね。
労働時間の長さは凄まじいけど。残業代を稼げるから頑張ろう。ちゃんと払ってくれるか不安だなぁ。ミンチン院長は吝嗇化だから。
とある動物サイトへ入る。
動物さんの写真を眺めながら、今日を思い返していた。
ケープペンギンが可愛すぎて癒されます。
ベニコンゴウインコは、セーラさんが飼っているはず。
やっぱり、少し埃臭いかも。
次の休日に、屋根裏部屋の掃除を進めていこう。
そろそろ、寝よう。
セーラさんに会えると思えば、明日も楽しみとなる。4歳ほど年下なのに憧れちゃうなんて。ドキドキしすぎて寝付けない。
私は大きな失敗をやらかした。
疲労困憊の状態で、セーラさんの部屋を掃除しにいったせいで。
フランス人形が可愛らしい。エミリーさんだ。
家具類も立派なものばかり。
素敵な香りに満ちている。
インコのボナパルトちゃんの匂いも混ざっているかな。
ゆったりとしたリラックスチェアー。
セーラお嬢様は、ここに座って読書に励んだりしているのだろうか。
ブロックチェーンや仮想通貨に関する本には、栞が挟まれている。ホーリエ・モーンの書籍まで置かれている。ミンチン院長と喧嘩した人なのに。
ゆったりできそうな椅子だ。
ついつい身を沈ませてしまった。
ふぅ。気持ちいい。
そのまま、眠りの世界へと落ちてしまう。
目を開けて、暗闇から覚めた。
ドレス姿のセーラさんが、ぼやけている。
エミリーを抱いて立っているようだ。
キラキラしている。
私は急いで起きあがった。椅子を急いで拭く。掃除用具を手にして、部屋を去ろうとする。バクバクと心臓が不安を訴えてきた。
「お嬢様。申し訳ないです。うっかり座ってしまって。ごめんなさい」
「ベッキー。そんなに慌てて帰らなくてもいいでしょう。ここにいて。せっかくのお客様だから、お菓子も用意するわ」
私の仕事が一段落していることを確認すると、私なんかをもてなしてくれた。
勝手に座ったのに、少しも怒っている感じはない。
むしろ、心から喜んでいる様子だ。
シナモンクッキーはとっても美味しくて、喉をつまらせてしまった。
そんな私を笑顔で見つめてくる。
不安感が落ちると、体全体が火照ってきた。
くりっとした瞳で、じっと私を見つめてくるものだから。
その件をきっかけとして、セーラお嬢様の部屋へ通うことになった。
彼女はモーリーさんに、時間を取れるように頼んでくれた。
蜜月の時が始まった。
私なんかがセーラお嬢様と過ごせるなんて。
それだけで幸せです。
ちょっと不安もあったけど。彼女はフランス語の授業で、ミンチン院長を激しく怒らせたらしい。プライドの高い人だから逆鱗が分かりにくい。
セーラさんは賢い。
分かりやすく勉強まで教えてくれた。
隣に座ってくるものだから、頭が沸騰しそう。
体温が伝わってくるよぅ。
デュファルジュ先生の言うとおり、教師にもなれる子だ。
「ねぇ。もう少しで私の誕生日が来るの。ベッキーもパーティに参加できるように、ミンチン先生に頼んでみるから」
そのバースデイパーティに、セーラお嬢様は不幸の底へと落ちていった。
父親が大きすぎる借金を残して、亡くなった。
誰もいなくなった校舎を歩きながら、幸せな日々を思い返していた。
ミンチン女学院は、まるで廃墟のようだ。




