第27話 セーラお嬢様、走る
火炎瓶は宙を舞う。
スローモーションのように、ゆっくりと感じられた。
石畳へと落ちて、硝子片を散らす。そこから、炎が空気を舐めるように上っていく。熱気は風に乗せられて、警察病院前の空気を温める。
ペンギンの黒覆面をかぶった男が投げたものだ。
そいつは複数の機動隊員に取り押さえられる。
やっと警官達が動きだしたけど、一部に過ぎない。
遠巻きに見守っているのが大半といったところだ。
マリア・ミンチンを殺そうとする暴徒集団は、こちらへ向かって駆けてくる。憎悪の叫びをあげながら、釘バットを振りかざす。
私は悪夢に落ちているのだろうか?
「そうだぁ。ミンチンもラビニアも人間の屑だぁ! 殺せぇ!」
サイラス会長は拡声器を持って、哄笑するかのように叫ぶ。
ピーターはミンチンを背負って、黒覆面どもから逃げる。痩せている女性とはいえ、人をおぶりながらも速く走っている。凄い。
セーラお嬢様もついていく。
大勢の機動隊がいるのだ。彼らに守ってもらうのだろうか?
いや、見殺しにされるだろう。
暴徒の数に対して、警官数が少なすぎる。
なぐり隊のメンバーもラビニアの護衛にかかりきり。救急車の回りを囲んで、理性を失った男どもを追い払おうと必死だ。
「貴様らっ。どうして、傷ついた子を叩こうとするんだ!」
「お前らこそ、クソ餓鬼を守ろうとするんじゃねぇ。セーラちゃんを自殺未遂までに追いこんだうえ、自作自演で同情を引こうとしたぁっ!」
「男性教師を冤罪でクビにまでおいこんだ。これまで、痴漢冤罪で多くの社会人を潰してきた雌餓鬼なんだ。この程度で終わらせては、気がすまん」
「セーラちゃんを裸にして、爪を剥いだそうだな?」
「そんなことまでしたのか。転校先で幼い子を虐めたと聞くが?」
「もぅ許せん。子供とはいえ容赦はしねぇ!」
かなりのデマが混ざっている。
ツインターやペンギンちゃんねるで、流れていたものだろう。
真偽を確かめようともせず、怒りを発散している。
興奮しすぎて、目の前の事実すら見えなくなっている。
ノーマンはサイラス会長を突きとばし、ラビニアを守ろうと駆けつける。
アメリアさんは男を止めようとすがるも、顔面を蹴りつけられた。
スマホの群れは大騒動を捉えている。大半の人は戸惑いながらも、傍観に徹しているようだ。嬉しそうに実況中継している者も多いこと。
黒覆面の1人が背後から迫ってきた。
「てめぇは何をしているんだよっ!」
「マックス!」
「ピーター。どうも、この国の警官どもは、ミンチンを殺したがっているようだ。ここは俺が止めるから、安全なところまで逃げ切るんだぁ!」
「サンクス。マックス。いいダチを持ったぜ!」
ピーターの仲間であるマックスさんだ。
黒き巨漢は、黒覆面の胴を掴みあげる。そのまま、地面へと叩きつけた。
ミンチンに関しても、嘘情報により極悪人扱いとなっているのだろう。実際、悪い人なんだけど。それでも、殺されるほどの人であろうか?
セーラお嬢様の悲しむ顔を見たくはない。
私の手にしているスマホには、汎用型人工知能であるアイちゃんが映っている。まさか、向こうから連絡をしてくるとは意外すぎます。
CGの美少女は、ゆっくりと語りかけてきた。
「大変なことになっているよね。元々からして、ヨーロッパも怒りの火薬庫になっているんだ。移民は増えまくって、一部とはいえ犯罪を起こす。何よりも、職を奪ってくる。有色人種の台頭によって、白人様としてのプライドはズタズタなのさ。私もU-チューバーとして活動しながら、データを集めているの。ヘイトワードが日に日に増えてばかり」
「不満爆発な人達は、とにかく暴れたいの」
「イギリスで極右活動が広がっていくのは不味いもんね。有色人種批判をしないよう、中国政府からの圧力も高まっているの。政府としては怒りの矛先を誘導しないとね。国民がミンチンばかりを見ているおかげで、政府高官らの不正行為も隠れちゃう」
ちらりと画面を覗くと、アイはウィンクをしてきた。
どうして、私なんかに教えてくれるのだろう。
セーラお嬢様と目が合ってしまう。
よく分からないけれど、とにかく暴れたいのだろう。誰かを傷つけたいのだろう。ノーマンの呼びかけを受けて、そんな人が大量に集まってきたんだ。
鮫歯の不良警官が、ドローンを踏み潰した。片目からは血を流しており、痛々しい。狂気色に染まりきった顔で迫ってくる。
「いてぇよ。こんなもんぶつけやがって、ぶち殺してやるぅ!」
「あんな化物に捕まったら、ミンチにされるぜぇ!」
ピーターはミンチンを固く支えて、スピードアップ。
ゴリラのごとき筋肉男は、大地を蹴りつけて距離を縮めてくる。
機動隊の人らが取り押さえようとするも、1発で殴り倒されてしまう。
私はセーラお嬢様の手を掴む。ピーターから離れるしかない。巻き添えを受けて怪我をさせる訳にはいかないから。ぎっと力を入れて、抵抗してくる。
ど、どうしてなのですか?
「貴方のような人は、お嬢様に近づいてほしくないですね」
「何だ、てめぇは? 俺は虐待者ミンチンを殺してやるぅ。むかつくんだよっ。おふくろみてぇな顔をしやがって!」
ラムダスさんだ。
褐色肌の執事さんは、華麗に宙を舞う。
厚すぎる胸板を足先で貫き、筋肉の鎧をまとった巨人を沈ませる。
いや、狂った警官は耐えきってから反撃をしようと構えこむ。
ピーターは走る速度をあげて、セーラお嬢様もついていく。あの怪物は彼に任せて、とにかく安全地帯を探そうとしている。
ケープペンギンのスーリャといえば、ミンチンの肩に乗っている。
たくさんの人波を分けて、前へ向かって進んでいく。
アイは楽しそうに話しかけてくる。
「街中の監視カメラにアクセスをしているの。どの方向へ行けば、暴走者を回避できるのか分かる。私がナビをするから、その通りに進んでね」
「えぇっ!」
「警察病院の東側、人が少ない。そこっ」
「は、はいっ!」
アイの声は、ピーターにまでは届かない。
私が代わりに伝える。
戸惑いながらも、彼は従ってくれた。
私だって状況を整理できないんだ。都市伝説じみた話を聞かせてきたうえ、監視カメラとリンクしているからナビをするって?
「うわぁっ。やべぇよ。ドローンは落ちるし、壊されるしぃ!」
たしか、エルモ少年だったと思う。
鼻をマスクで覆った眼鏡君は、泣き叫んでいる。まさか……。
ダークペンギンの黒覆面を先頭にして、暴徒群も追ってくる。釘バットを手にして、「マリア・ミンチンを殺せぇ」と喚いている。
周囲には人も多いけれど、スマホで撮影をする者ばかり。
ここにいるのは傍観者と野次馬のみ。
いや、違う。
セーラお嬢様の視線を受けて、デモの参加者達が暴徒を押さえだす。あちらこちらで喧嘩が始まる。警察病院前の騒がしさは、どこまでも昂ぶっていく。
「殺すって、お前らなぁ。人間として間違っているぞ。おかしいぞ!」
そう叫んで、U-チューバーのGバターが暴れだす。
プロレスラーをしているだけあり、がっしりとした肉体だ。
黒覆面から釘バットを奪って、地面へ思いっきり叩きつける。そのまま一息も吐かず、相手さんをコブラツイストで絡めとる。
ダークペンギンの信奉者が回りこんで、ミンチンへ迫ろうとする。
ナイフを手にしている。
「ふぎゃぁっ! なんじゃ、こりゃーっ!」
ケープペンギンのスーリャから白糞を顔に浴びて転げだす。
数人の警察官も、ここまで来てくれた。
もはや、犯罪者でしかない覆面達を拘束していく。
命令に従わなかった。俺達もクビだな。
いや。ベッキーちゃんみたいに告発してやろうぜ。あの理不尽な糞どもを。
ちゃんと仕事をしているのに、そんなことを呟いていた。
ピーターは足を止めずに、アスファルトを踏みしめ蹴りつける。セーラお嬢様の持久力も凄まじく、彼の背を追っていく。
「この先のビルディングにホーリエさんがいるの。私が呼びだす。セキュリティもしっかりしているからね。匿ってもらうわ」
そうえいば、汎用型人工知能は完成していないと聞いたことがあるかも。
アイちゃんにナビゲートしてもらいながら、私達は逃げ続ける。
振り返ると、十数人の暴徒どもがっ。
そろそろ、息が切れてしまいそうだ。ピーターだって限界が近いのか、足がふらついてきた。セーラーお嬢様も汗だくとなっている。
このままじゃ、捕まってしまう。
ミンチンは捉えられて、惨殺されてしまうのか。
スマートな人影が近づいてきた。ならず者らへ何かを噴射する。暴徒達は顔を覆って、苦悶の声を漏らす。私も少しだけ、目がしみてきた。
「危ないところでしたね。おかげで、マリア・ミンチンが殺されるベストスクープを撮り逃しましたよ。ベッキーさん。大丈夫ですか?」
「あなたは?」
「申し遅れました。セーラお嬢様。週刊007の記者をしていますスプリングフィールドと申します。助けたお礼に、ここからは私も取材をさせてもらいますよ」
「あ、ありがとうございます」
私とセーラお嬢様のお礼が重なった。
神経質そうな眼鏡男性は、ふっと笑みを浮かべる。
催涙スプレーをポケットへしまう。
やっぱり、ピーターも無理をしていたのか。顔が真っ青だ。膝に手を着いてから、ぜぇぜぇと荒々しく息を吐きだす。汗も滝のようだ。
豪壮な高層建築物から、ホーリエさんが部下達を連れて出てきた。
暴徒集団は数を増して、こちらへと進軍してくる。
早く、あのビルディングへ入らなければ。
スプリングフィールドさんがミンチンを代わりに背負って駆けだす。
そういえば、この女は黙ったまま。何を考えているのだろう?
「なんでミンチンを庇うんだよ。悪い奴は殴らないと納得できねぇだろうがっ!」
「この馬鹿もんがぁっ!」
私達は玄関口まで着いた。
足の速すぎる覆面男が間近まで近づき、ミンチンを石で殴ろうとする。
そいつの胸ぐらをホーリエさんが掴んで、引き寄せてからの足払い。石床へと叩きつける。頭を打ったのか、黒覆面はもがいている。
彼は格闘技もしていたのですか?
綺麗に技が決まった。
急いで建物へと入ると、強化ガラスぽい自動ドアが閉まった。
暴徒達が追いついて、猪みたいに体当たりを仕掛ける。それでも、びくともしない。ホーリエさんの部下が彼らに怒鳴りつける。
「興奮は続かない。時間が経てば、馬鹿の頭も冷えるもんだ。サロンのメンバーが、ここのオーナーをしている。しばらく、体を休めるといいよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ。俺は打ちあわせに戻るから」
ホーリエさんはスマホを弄りながら言う。
こんな状況でも、ニュースアプリでの情報収集は欠かさない。
スプリングフィールドの姿を目にすると、露骨な舌打ちを飛ばす。
セーラお嬢様は少年姿で汗塗れ。
帽子の下から伸びた黒髪を伝って、無数の滴が床へと垂れていく。
彼女は椅子へ下ろされたミンチンへと、顔を近づける。お嬢様らしい笑みだけど、どこか黒いものを感じてしまう。口が静かに開いた。
「院長先生が助かって嬉しいです。一時はどうなるものかと不安でした。お願いがあります。私とお話をしてください」
「セーラ……」
マリア・ミンチンは震えながら目を逸らした。




