第13話 セーラ・クルーの思い
ラムダスさんは離れた場所から、セーラお嬢様を見守っている。
息を呑んでしまうほど端正な美青年だ。
芸術作品と呼んでも大袈裟ではないだろう。
映画俳優も顔負けだから、男女関係なく視線を集めてしまう。
執事服じゃない彼には、新鮮なものを感じる。
その足元には、ケープペンギンのスーリャがいる。
セーラお嬢様の運命を大きく変えた人物なんだ。
この男性がいなければ、トム・クリスフォードさんに保護されることはなかったはず。屋根裏部屋で起こった奇跡を思いだす。
いや、いや、いや。
セーラお嬢様へ視線を戻さなければ。
あんまり突飛なことを仰るものだから、意識を遠くへ泳がしてしまった。現実を呑みこめず、かなり困惑させられた。
ミ、ミンチン先生を助けたい?
心内で、どもってしまう。
聞き間違いじゃなかったはず。
お嬢様との再会で心を揺さぶられたばかりなのに、別の意味でパニックになりそうだ。ハンカチで涙を拭いながら、心を整理していく。
「ミンチンを助けたいのですか?」
「スマホで調べたら大変なことになっているの。学校は落書きや投石で荒れているようだし、院長先生を殺すとか悪口も酷いの。なぐり隊という怖い人達も絡んでいるわ」
「自業自得ですよ。セーラお嬢様を虐めた報いです」
「あれだけ多くの人達から攻撃されるのはおかしいと思う」
「セーラお嬢様が優しいのは知っています。それでも、あんな女は、ほうっておくべきですよ。自分が何をされたのかお忘れになったのですか?」
「覚えています。院長先生は私に親切ではありませんでした。私の苦しみを悦んでいました。ベッキーがいなければ、あそこは耐えられない場所だった」
ボーイッシュな格好をしているお嬢様は、眉をつりあげた。
ちっちゃな拳が震えている。
ラビニアに意地悪をされた時にも表した憎悪。
セーラお嬢様は忘れるわけがないんだ。
あれだけ陰湿で執拗な虐めを受けてきたから。
それなのに、この状況からミンチンを救いたい?
ざまぁみろと愉悦に浸っても許されるのに。
いや。そんなお嬢様は想像できない。というか、したくない。
そもそも、お祭りを起こしたのは私なんだ。予想以上の騒ぎになったけど。まさか、児童虐待者をなぐり隊まで動くとは思わなかった。
私がいたから耐えられたのですか……。
「それなら、ミンチンを助ける必要なんてありません」
「ミンチンだったら何をしても許される。むしろ、英雄扱い。こんな状態が、まともだとは思えないわ。ラビニアだって激しい暴力を受けて、髪まで燃やされた。とても綺麗だったのに。彼女が泣き叫んでいる動画を載せて、ペンギンちゃんねるの人達は悦んでいた」
「ラビニアだって自業自得ですよ。あいつがロッティちゃんを蹴ったのをお忘れですか? これで、虐められた人の気持ちを理解できるでしょうね!」
どうしよう。
お嬢様に対して、言い方がきつくなっている。
声を抑えないと、注目を集めてしまう。
私を貫くような視線だ。
視線を逸らしたい、優しい圧迫感。
ペンギンちゃんねるまで覗いたのですか。
お嬢様が覗くようなサイトじゃないのに。
負の感情が、山のように積もっている場所なんだ。下衆な書きこみだって多いこと。セーラお嬢様を性の対象にしているロリコンおじさんだっている。
「ベッキー。私だって、院長先生やラビニアを許せない。謝られても許せる自信はない。それでも、こんな形の裁きは間違っている。叩いている人達だって、いじめっ子と変わりなく見えるわ。憂さ晴らしのために、安全地帯から石を投げて嬉しそう」
「いいのですよ。ミンチンもラビニアも自業自得です。ざまぁみろって思いますよ。2人とも苦しみながら死ねばいいのに」
「本当に、そう思っているの?」
「当然ですよ。そのために、私は頑張って……」
「院長先生がU-チューバーにパイをぶつけられた動画を覗いたの。ベッキーも映っていた。閲覧者が哂っていたと書いているけど、辛そうに見えるわ」
セーラお嬢様が距離を縮めてきた。
清らかな瞳も迫ってくるようで、胸が重々しくなる。
ピータ―・ポールの撮った動画のことだろう。
そぉっと手が伸びてきた。私の頬を優しくなでる。心の堰が、再び決壊した。涙があふれて止まってくれない。年下の子に甘えてしまう。
ミンチンが落ちていく様を眺めるのは愉快だった。
それでも、だんだんと胸が痛くなってきた。息苦しい。
セーラお嬢様に慰められて、全身が軽くなってきた。とても温かいです。灰色がかった世界に色が戻ってくる。ロッティちゃんの気持ちも分かりそう。
「ベッキーは優しい人だから、人が傷つくのに耐えられない」
「たとえ、それが嫌いな人でも」
セーラお嬢様は思いを語ってくれた。
ペンギンちゃんねるの過激派は、マリア・ミンチンを自殺まで追いこむ気だ。自分達に逆らう者は、個人情報を晒し、加害者擁護派として扱い叩きつくす。
007という週刊誌を皮切りとして、真偽も分からない情報群も出回っている。若い頃に痴漢冤罪のでっちあげをしていたと、怪しいデマも広まっている。
ミンチンを本気で殺そうという人までいる。
そうでなくとも、彼女は心身共に壊しきっているんだ。
セーラお嬢様は、今のまま進んでいく未来に納得できない。
マリア・ミンチンとラビニアが壊れてお仕舞いで、物語を終わらせたくない。
「それでも、私はミンチンを許せないですよ」
私の抱いている憎悪の雲は、少しだって晴れてはくれない。
「私もセーラお嬢様の気持ちを理解できます」
ラムダスさんも、セーラお嬢様の賛同者だ。
トム・クリスフォードさんはスマホ類を隠したという。一度は買い与えた物であるが、親友の娘が傷つかないようにと配慮して。
それを持ちだし、彼女へ渡した。
過保護な主とは違い、幼き子供として扱わない。真実を教えた。
褐色肌の美青年は、ケープペンギンのスーリャをあやしながら語る。
「マリア・ミンチンは教育者としてあるまじき人間です。お嬢様の境遇を知った時、私は愕然としました。あのような非人道的な仕打ちを受けるとは」
だから、屋根裏の奇跡を起こしてくれた。
スーリャはミンチンを突いてくれた。
裏目に出ちゃったけど。
ラムダスさんはセーラ・クルーについて調査活動を行い、トム・クリスフォードさんへ報告をしていた。彼のおかげで、辛い場所から保護されたんだ。
「その点を考慮しても、マリア・ミンチンに対する扱いは魔女狩りのように感じます。児童虐待に対して真剣に考えてくれる人も多いでしょう。ストレス解消として、ゲーム感覚で攻撃している者も大勢います。昔から繰り返してきた輪です」
「ネットリンチ」
この単語を強く放つ。忌むべきものとして。
「セーラお嬢様は被害者でありながら、そこからミンチンを救おうとされています。優しさだけじゃない。その上で、ミンチンと話しあおうとされているのです」
「ラビニアさんにも同じくね」
ラムダスさんは教えてくれた。
後で実感させられることになるのだが、セーラお嬢様はミンチンやラビニアを助けるだけではない。過酷な罰を与えることになる。
心を芯から焼きつく灼熱で、彼女達を包むことになる。
煉獄の炎。
「セーラお嬢様。アポは既に取っておきました。ハーバート家へ向かいましょう。ベッキー様もご一緒されますね?」
「はい」
ラムダスさんは微笑を向けてくる。
ラビニア・ハーバート?
彼女の家を訪れて、何をされるのでしょう?
セーラお嬢様の考えに納得できなかった。
それでも、彼女と少しでも長く過ごしたい。
セーラお嬢様が手を握ってきた。
フィアット車に乗りこんで、目的地へと向かった。